『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

お返事、あるいは人間は単なる肉体じゃない件

2020年11月04日 | 考える日々
わ~、タイトルからして大げさでうっとーしい。
でも、専門用語を知らない私がたどる考えなので、
言葉自体はややこしくない…はず。努力します。

先日来、意識が動くのはどういう時か、
についてのコメントをいただきました。
この記事のコメント
その時、書かせていただいたこと。

私の意識が動くのは、
「あ!」って思う時です。
「あ!おいしい」とか「あ!ゴメン」とか、
立ち止まる時にはいつも。

そしたら、またお返事くださった事。

要するに外部からの刺激です。
外部からの刺激によって状態が変化することで
意思や意志が発生するわけです。

こういう、一晩中でも話せるようなことを
3行でやりとりすると、
おっしゃりたい事とズレちゃうんだろうけど、
私なりの受け取り方で考えてみます。

これ、唯物論とか、
いわゆる脳科学万能みたいな考え方ですよね。

カントは、
自然科学が発達した時代に、自然科学的に人間を見た。
「いかに生きるべきか」を問う哲学が
「人間とは何か」にテーマを変えた。

前に「100分で名著」を見て、
Kさんがまとめてくださったカント哲学のダイジェストや、
高校の時にお世話になった山川倫理学の用語集、
哲学用語辞典的なものを読んだ範囲では、
カントは、「モノは因果関係で動く
→人間は肉体=モノである
→モノである人間に自由はない」っていう、
お先真っ暗なお考えを紡ぎ出したみたい。

こんな悲観的な考えに深入りしたくないわ~。
自分で「ナントカ理性批判」(純粋だっけ?)を読んだわけじゃないから、
まぁ、理解した範囲の事を自分の身体に聞いて確かめてみます。

えーと、コメントいただいたのは
「外部刺激で自分の状態が変化して、
意思や意志が発生するわけです」ということでした。

もちろん、
ボールが飛んできたらよける、
好きな人を見たらトキメク、みたいに、
外部刺激で自分の状態が変化して
意思や意志が規定されることはあります。

でも、それだけじゃない。
おそらく誰でも身に覚えがあるでしょうが、
お風呂に入って、あるいは寝る前に、
あるいは坐禅や瞑想的な時間の時に、
目を閉じて外部を遮断して、何か考えてたら、
「あ!」って思うことがあります。

外部刺激が何もないのに、自分の意識があれこれをつなぎ、
「こーしてみよう!、あーしてみよう!」って、
意思が動き出して、ワクワクして眠れなくなったりします。

これ、人間という存在が
「単なる肉体=モノ」である事を越えているから、だと思います。
私もあなたも、単なる肉体じゃない。
インプットに反応するだけの存在じゃない。
私もあなたも、自分で考えられる。
自由意志がある。自由意志で動ける。

そう思ったら、元気出ません?

干ばつの地域があることは誰でも知ってるけど、
ニュースとして見るだけで終わる人と、
人生をかけて井戸を掘りに行く人がいる。
通勤途中に迷子の子どもを見て、
足を止める人もいれば、通り過ぎる人もいる。

いや、「~する人がいる」っていうか、
「~する時がある」だな。
同じ私が、同じ散歩中に、同じゴミを見ても、
足を止めて拾う時と、そのまま通りすぎる時がある。

外部刺激に反応するだけなら、
人間が単なる肉体=モノでしかないなら、
いつでも同じ反応を示すはず。

モノであり、外に反応する存在であると同時に、
人間は、自分の中から作り出せるものがある。
考えることは、その最たるもので、
考えることによって、
モノを越えた人間になっていける、のだと思います。

あ~、誰だっけ?
「人間は考える葦である」って言ったの。
ヘーゲルか??
そういうことか。

人間は、反応だけじゃなくて、クリエイトする存在。
考えをクリエイトする人は哲学者になるし、
絵をクリエイトする人は画家になるし、
食事をクリエイトする人は主婦やシェフになる。

人間は、肉体として生きているだけじゃなくて、
心(と精神)を持っている。
肉体に密着した心は、外部に反応するだけなんだけど、
肉体から自由な心(あるいは精神に近い心)は、
反応するだけじゃない。もっと自由にあれこれ繰り出せる。
あ、夢とかさ!!

世界平和を願って、
写真を撮る人もいれば、花を植える人もいれば、バーで話を聞く人もいる。
家庭平和、自分平和から始める人もいれば、職場を輝かせる人もいる。

人は外部刺激に反応しているだけの存在じゃなくて、
自分が考えて、自由に繰り出したあれこれに沿って動こうとする。
成功する時も失敗する時もある。
それこそが「人間らしさ」だと思います。
そうじゃない時の人間は、どこか機械的=モノです。

…って、書いてて途中から気づいたけど、
これってまるまる「自由の哲学」じゃん。

あ~、でも、これ以上
テツガク論争みたいになるのは避けたい。わかんないし。
って、幻滅される前に先に言っとこう(^^;)。




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15 コメント

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感動。 (ella)
2020-11-04 05:26:08
ちと大袈裟ですが・・・
大変よいと思いました。

ありがとうございます。
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Unknown (ZIP)
2020-11-04 11:02:54
外部からの刺激あるいは情報なくして心的作用はあり得ないでしょう。
精神疾患はその最たる例です。

意思とは、
何かをしようとするときの元となる心持ち。
身体の動作の直接の原因となる心理作用や、ある事実に対する意欲。
自分の行為に対する認識。

瞑想という情報が無ければ、瞑想しようとは誰も思いませんよ。
考える為には言葉は必要です。
違いや変化を判断して予測や期待をするわけです。
返信する
hasutama (意識)
2020-11-04 16:09:32
意識って、ほんとに色々な働きを持っていそうですね
意識がどのようなものと思うかに、その人の価値観や世界観も現れてくるとは興味深いです
私は自由の哲学をかじった時に、意識の場、というか踊り場みたいなものをイメージしました
その踊り場には、上階みたいなものがあって踊り場を見る踊り場もあるんだなと、面白く思いました
そのままどんどん後ずさり、というか意識の側に深く入って行ったらどうなるのだろう?とか・・
私が行き詰ったのは、人間の中にどのようにして外界が入り込むのか?という問いをわざわざ持つ意味・・というか・・でも、なんだかわかってきたぞ
内面と外界が分かれているように思うのは人間の意識の働き・・外界が入り込むことが出来るのはイメージを保持するという心の働きがあるからなのかも?記憶ですね
意志と意思の話では、武士は主君への忠誠を、農民は田んぼへの心配りをイメージとして持ち続けているのだと思います 目の前のことへの反応よりも、そのイメージを優先することができるほどに強く保持しているのでしょうね
云々云々・・いくらでも続きそう(笑)

・・って自由の哲学読書会に向けて、挫折を修復しておかなければ・・と焦っていまーす
この場をお借りして、イメージを結び付けちゃった
いつも素敵なきっかけをいただき、有難うございます💛




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 (hasutama)
2020-11-04 16:24:29
アハハ!名前が「意識」に・・
先日も、意志が「遺志」になっていて・・
死にそうな母の介護中なためか・・
ほんと、ごめんなさい。
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Unknown (ZIP)
2020-11-04 21:53:56
意識は先ず外部と繋がっている必要があるわけです。
生きるという抜き差しならない現実に関わっていること
それが条件でしょう。
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Unknown (オキツ)
2020-11-04 22:05:47
・ella様 嬉しいです。ありがとうございます!
・ZIP様 考えるには言葉が必要、賛成です。
・hasutama様 意識について考えたら、それぞれの価値観を示してた、っておもしろいですね。100人100通りで当たり前か~。
・みなさま、自分で考えるのって、快不快に振り回されない強い意志が必要ですよね。他の方の考えを尊重・参照しつつ、それぞれ自分なりに考える事で道が見えて、それぞれに自由に歩いていけますように。たくさんのコメントありがとうございます。
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Unknown (ZIP)
2020-11-05 01:07:09
自由意志とは選択でしょう。
同じ確率でどれか一つが必ず起こる複数のうちから一つを選ぶこと。
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Unknown (オキツ)
2020-11-06 00:54:45
自由の定義もいろいろですね。私の定義は、自分の考えと違うことを強制されないこと=自分で考えたことに取り組めることです。
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Unknown (ZIP)
2020-11-06 02:27:35
自分が考えたこと・・・
それは自分がしたことなのか、
それとも自分に起きたことなのか

はっきりとはいえないでしょう。
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Unknown (オキツ)
2020-11-06 20:53:48
まさに、自分で考えることが、自由の大前提だと思います。
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