『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

植物を観察することで、見る目を育てる

2021年03月18日 | 神戸シュタイナーハウス
ゲーテの認識論について
学ぶ機会を作っていただきました。

めっちゃおもしろい!!!
本や論文を読んだり、
実際に植物を観察したりして、
自分で体験できる感じで。

私、ちゃんと自分で周りを見てるかな?
こんなに見てないんだ!!
と、もう何度目かに気づくことになります。

自覚症状としては、
思い込みだったり、先入観だったり、
決めつけだったり、一面しか見てなかったり、
…見る目がもう、全然育ってない。

とは思っていたけれど、
どうしたらもっと見られるようになるのかが、
わからなかった。

色や形や重さや動きを見ること。
それは丁寧に見ればある程度見えるけど、
それだけで見えないことがある。

人間だって、
意図、目的、性質、望み、勢いなど、
見えないものも要素としてある。
人間はあまりにも複雑だけれど、
植物だってなかなかだ。

今日学んでいたゲーテ的な植物観察の方法では、
なんと、見る視点が7段階もあった。
外から見る段階が3つ、
内と外を重ねて見る段階が1つ、
内から見る段階が3つの、合計7つ。

色や形、数など、
外から見える事実を見るのは、
そのうちの
ただの1つの段階にすぎない。

見様見真似で、
そのやり方が正解かどうかもわからないまま、
自分流でその7つの段階を踏んで、
植物を見てみた。

外から観察するのは
自然科学的な従来の方法だから、
前半4つはイメージしやすいんだけど、
後半の「内側から見る」が、
漠然としかわからない。

それでも、まるで
楽譜に忠実にピアノの練習をしているうちに、
曲のイメージが立ち上がってくるのと似て、
植物の形を外側から忠実に見て、
自分も内側に入って動いてみているうちに、
植物自体から何かのイメージが立ち上がるのを、
ほんの少しだけ、感じることができた。

それは、気のせいもあるかもしれないけど、
気のせいだけじゃない。

たとえば、ある植物から
「天真爛漫」なイメージが立ち上がってきたとして、
その植物に試しに
「凛とした」や「奥ゆかしい」を重ねてみても、
どうにも違和感がある、という程度には、
確かに「ある」もの。

「こんな方法で、ものを見たら、
こんなことが見えるのか~!!」
って、すごく新鮮でした。

まだ消化してないから、
うまくお伝えできませんが、
きっと体験してみたら感じられると思う。

植物でも何でも、外側から見るだけじゃなくて、
「内側に入って見てみる」ってのにトライして、
何か感じるかどうかやってみてくださいませ。

もうすぐ桜も咲くことだし、
桜の中から青空を見上げてみるとかさ。
ハコベとか、ヒメオドリコソウとか、
スイセンとか、何でもいい。

あ、子どもや友達の話を聞く時にも
やってみてもいいかもね。
善悪や優劣をジャッジしないで、
内側から一緒の風景を見ながら一緒に居る。

あれこれつながっていくなぁ。



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