『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

土井善晴『料理と利他』より、一言

2022年05月01日 | 『自由の哲学』
ここ何か月か、
地球が育んだ命を食材にする人、運ぶ人、
料理を作る人、そして最終の食べる人とが、
感謝のバトンでつながってるイメージを、
描いていました。

2020年の冬に出た本『料理と利他』。
大好きな土井善晴さんと中島岳志さんの対談本ですが、
これが、私の感覚にピタリとフィット!
「そーなのよそーなのよ!」と、
線を引きまくりながら読みました。

土井善晴さんは料理の人だけど、
民藝が出て来たり、悟性が出て来たり、
はたまた、全体主義のメカニズムを追求した
ハンナ・アーレントまで出て来たりして。

どんな文章かというと、
たとえば、こんな(↓↓)感じです。

地球環境のような
世界の大問題をいくら心配したところで、
それを解決する能力は1人の人間にはありません。

一人では何もできないと諦めて、
目先の楽しみに気を紛らわすことで、
誤魔化してしまいます。
一人の人間とはそういう生き物なのでしょう。

しかし、大きな問題に対して、
私たちが出来ることは何かというと
「良き食事をする」ことです。

どんな食材を使おうかと考えることは、
すでに台所の外に飛び出して、
社会や大自然を思っていることにつながります。(P47)

なんか、自由の哲学とちょっと重なります。
大きなことと手の届くこと。
変えられないことと変えられること。
その間で、何をするかを自分で決める。

「地球環境のような大きな問題」のところは、
「国と国との諍いのような大きな問題」や
「格差社会やグローバル経済」
「理不尽な社長や上司」「学校教育の限界」など、
今すぐ変わりそうにない、
いろんな問題に置き換え可能。

1人の力では何もできないから、
目先のことを楽しみましょう、
ということではなくてね。

片方を100%善、片方を100%悪と決めて
悪を一方的に叩くばかりの報道姿勢とか、
報道されないことは何かとか、
悪が悪に至るまでの恐れの切実さを知りたいとか、
はじめは気になって仕方なかったことも、
さほど気にならなくなっている最近の自分。

片方の立場でしか報道されないことを
「あいつが悪い」って批判したり、
翻弄される民に同情するだけでは、
ホントは私たちは満足できない。
でも、その感覚は麻痺してきている。

今すぐ、世界を動かすことは出来なくても、
私も世界に繋がる一員なんだから、
身の回りの良きことのために、
今すぐ自分を使うことはできる。

台所からの視線で語ってくれることで、
身近なことをいつものようにする事で、
自分の普段の感覚を持ち続けられるとか、
身の回りのことと世界は繋がっていること、
自分も社会のフルメンバーだということを
思い出させてくれます。

自分に向かって、
あえて厳しい言い方をするなら、
ニュースを見て感情を動かすだけなら、
読書や映画鑑賞と同じだよね? って。

土井善治さんの言葉からは
「それでアナタは、どうするの?」
「ぼくは料理をします」っていう
誇らしい厳しさと励ましを感じます。

虚しさに逃げることを良しとせず、
「自覚」のスイッチを押すような言葉が、
キラキラと散りばめられています。

『料理と利他』もいいし、
『一汁一菜でいいという提案』
もおもしろかった。

ご興味ありましたら。


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2 コメント

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Unknown (ZIP)
2022-05-01 09:16:51
「料理と利己」をテーマにした本ならば、
『ナチスのキッチン』藤原辰史 をお薦めします。

人間の中に台所を埋め込む
台所の中に人間を埋め込む
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Unknown (オキツ)
2022-05-10 05:54:20
手応えありそうな本ですね。覚えておきます。
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