ロシアW杯も閉幕しました。 海の日・・ですが、脈絡なく山、甲津畑を目指してみます。
千草越 甲津畑
近江と伊勢は鈴鹿山脈で隔てられています。
通常でも信長は鈴鹿越えのルートとして千種越えを通っていたことがあるようですが、”そのとき”は必要的に千種越えを通っています。
八風街道と千種街道を分ける追分です。
柿が生い茂って見えにくくなっていますが、右四日市、左○名と読めます。桑名かな?
ここは、長野の善光寺さんと霊験的なつながりがあるようです。そのことに由来して地名を「如来」というようです。
追分の写真を撮っているとお世話のおばちゃん方が”ま~遠くから・・” と話しかけてもらいます。
如来のことを説明する気満々です。厨子も閉じてあるんですが、わざわざ開けて撮っていいということです。
写真をお願いしたところ、”きゃー、そんなこと・・” と隠れる図です。
暑い中、お世話ご苦労さまです。
ルートはわかりませんが、この山を越えて伊勢です。
大昔来た時は、ここまで辿りつけませんでした。
ネットで見る景色です。 それにしても”出没” がちょっとコワいです。
この林道は、車両通行禁止です。そうじゃなくても決して通りたくないですよ~だ!
舗装が切れたところに看板の設置がありました。
左奥は猛獣の檻のような砂防ダム、洗い越ではないのですが、そうなってしまっているようです。
林道はスパッ!と切ったような崖に付けています。瀬音が涼しげです。
”通行禁止” から30分くらい、到着です。
細い踏み跡を渓流まで下ります。
下りました。水が冷たくてさわやかです。
黄旗:鯰江城
緑旗:市原
青旗(左):甲津畑 こま繋ぎの松
青旗(右):狙撃地点
暗がりが街道、手前の岩がかくれ岩の一部です。
明るく見てみます。
街道はこの崖の上を通っています。
そしてここに下りてきます。
それをこの岩のどこからか狙撃します。
巨岩です。上部は一枚岩のような斜面になっています。
ここに腹ばいになって撃ったというのが自然じゃないでしょうか?
相手が徒歩だとしても狙撃チャンスは短い気がします。鉄砲名人善住坊の心境は?
以前、艦爆乗りの手記を読んだことがあります。
記憶によれば、次のようなことだったと思います。
”急降下開始、スコープには命中を確信する像を捕らえたが、必中を期し念には念を入れて通常よりさらに肉薄して投弾、
すると、念を入れた分弾着がズレてしまい外れた。とてもくやしかった。”
善住坊にも短い接敵時間に確実にし止めねばというあせりがあった? あるいは念には念を入れすぎてしまった?
ズダーン!
狙撃失敗、こういう山中を一目散に逃げた・・・よね、当然。
時期も似ています。この実になる花が咲いていたんじゃないかと思いますが、目には入らなかったでしょう・・・
無念と恐怖の逃走行です。(目前岩の下付近がかくれ岩)
このときは善住坊は逃げおおせますが、3年後? 悲惨な末路が待っています。
帰路の余裕で道を見ます。崩落が目立ちます。これはまだ小さい方ですね。
水がきれいです。紅葉も見事かもしれません。
終わり加減ですが、花の時期なんですね。
藤切川にかかる鳴野橋か・・
葉が透けています。画像では見えませんね・・・ オトシブミがいるようですね。
甲津畑の集落に戻ります。
お寺から”松” を見ます。
立派な基壇ですね・・
こちらのお寺は蓮如上人といわれがあるようです。 ・・・桃花山浄源寺
お隣というか直下、こちらにも立派なお寺があります。
そして南蛮のお寺も・・・
和の鐘越しに南蛮の鐘を見ます。
やはり松はご立派です。・・手入れも大変でしょう。家の人?にも出会いました。
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屋根が見えていたお寺です。 玉尾山浄光寺
役所だった時代もあるんですよね。街の郵便局です。
雰囲気のある街並みです。 ・・しかし、暑いです・・・