え〜? 今年のさくら 東京は今日3.24にも満開・・ 各地も早い
そう聞いて公園。。
まだ・・・
その奥はもっとまだ・・・
ということは長く楽しめるってことかな・・・?
え〜? 今年のさくら 東京は今日3.24にも満開・・ 各地も早い
そう聞いて公園。。
まだ・・・
その奥はもっとまだ・・・
ということは長く楽しめるってことかな・・・?
佐賀に小旅行に出ました。目的は(1)のとおりです。
新大阪を出た新幹線車窓。
関係ないといえばそれまで、だけど思います。
その昔、毛利の兵糧を陸揚げしていたのが煙突林立付近でしょう。そしてそれを三木まで運ぼうとしたんですね。
新幹線の中から秀吉の足跡付近を見ます。
嘴崎の屏風岩(貫入)がチラ見できると思っていたんですが、注視していても見えませんね~・・・だめだったんかな~
山陽新幹線に乗ると瀬戸内と反対側に見える毎度インパクトの強い山です。
・・あれ~どのへんだったけ~ 後からたどれないんですよね~ ただ、地質的には播州方面まで連続しているように見えます。
・・・普段気にしないんです。
しかし・・ふ~ん、・・洋式を和式で使ったりペーパーを流さないという使い方があるんだな・・と
博多でローカルに乗り換えます。
二日市駅付近、望む頂あたりが基肄城跡ですね。
九州都(太宰府)を守る山城、ここが落ちれば都は裸・・
下の写真、落ちたヘリコの所属付近かな?
乗って来た特急みどり、併結で頭はハウステンボス号。
佐賀駅前の”面部流”・・・確かにメジャーじゃない。しかし、パソコン辞書の語彙の貧困さに苛立つ・・ 面浮立(めんぶりゅう)は、佐賀県を代表する民俗芸能。
苛立ってどすんねん? とまった鳥にたしなめられ~・・・(^^;)
”歓楽街” を歩いてみます。夜には顔が変わるんでしょうか。 ・・・春なのに寒いです。
佐賀は水路の街なんですね。
昨日までは暖か・・? 寒いです。
願正寺に立ち寄ります。佐賀有数の寺院だそうです。
水路の街。建物の間も水路です。
3月18日(日)マラソン大会だそうで、その関連イベントのようです。
お~お寺もうひとつ。佐賀名物にくすのきがあります。
併せて水路で ”佐賀らしい・・” となるんですかね・・
結婚式を終えて朝を迎えます。
帰路に就きますが、バルーンだけは見て行きましょう。
カミさんが ”May I help You?” やられました。
何人に見えるんでしょうか? それにしてもインバウンドのお客さん多いです。
・・このバルーンはぜひ本物が飛んでいるシーンを見てみたいですね。
・・もう~ 最近がっついてて ”いまさら” になってしまいます。にんにくも入れてるのに・・飲み干したい・・
遠景は天山ですかね・・? 登ってみたい・・
のどかです。(ヘリ落ちた付近)
今日はゲームが開催されるんですね。サガントス。
残念、下りられませんが、ここのかしわうどんおいしかった記憶いっぱい・・・じゅる・・
春が来たり離れたり・・です。
庄内の住宅街、早い紅色のさくらが花盛りです。
雨、花散らしかな・・・
服部方面に進むと瑞穂の国。
瑞々しい青々とした・・そんな意味かと思いましたが・・・
この見えている広場は校庭ではありません。
公園であり遊具も設置してありますが、だれも遊んでいません。・・使いづらいですね。
居住空間のなかに未完の建物が放置されているというのは、”もりとも”じゃなく”なんとも”・・・
豊中は、箕面、千里から下りてきて神崎(淀川)に至るひらぺったい土地です。
旧い遺跡なども散在していて利便性の高い土地だったことでしょう。
ただし、それほど規模の大きいものはなかった、あるいは重要性は認識されていなかったというようなことでもあるんですかね、一定規模があって原形をとどめているものは失われているようです。
残っているものの一つ、今西家住宅を観てきました。
ここも往時そのままということはありません。
ただ、ただもんじゃね~感は目一杯ですね~
奈良にも同じ今西家というものがあるので分家筋かなにかと思ったら、関係はないようです。
目代さん、つまり本家名義による現場管理長、その代理とでもいうところですかね。
奈良春日社の有力荘園を管理する役職にして神主とのことです。
徴税、治安維持も担っていて、ま~小さな城ということでもおかしくないような・・
戦国大名に当てはめれば前身である守護、その守護代というところでしょう。
守護代は下克上により戦国大名化した者が多数(織田も武田も長尾も・・)ですが、ここの目代さんは強勢独立ということはなかったようです。
また、有力大名とも婚姻関係を持つような家柄だったようです。さすが中臣氏(あの鎌足さんち)の末裔さん。
何代目かの当主に光秀の娘が嫁いでいました。
本能寺事件発生、これに伴う山崎合戦緊急事態。
“今ちゃん、ウチ来るよな?”
“ムムム・・義父(とう)ちゃんの一大事とあらば・・・”
そう言ったかどうか、また、関係があるのか当主の弟が明智方で参陣します。
秀吉激おこ、“おのれ目代、赦さん! 所領没収じゃ~!!”
となったが、江戸期に再興、明治期に再度廃止ということのようです。
立地は服部空地方面から流れてくる天竺川沿い、と言ってもこの川は天井川であり、その堤防のために河川を意識しません。
堤防道路と斜路。この坂道が”天井”の度合いを示します。
法面には複数の仏様を祀ります。経塚もあります。川への畏敬でしょう。
平地なのに異様にまっすぐな川、河川改修の結果ですね。
越水、破堤があれば水浸しとか・・・昔も今も危険な川のようです。
ほど近く萬歳山松林寺というお寺があります。
今西家と縁があるようですが、そのような説明板は見かけません(or見つけられません)でした。
川の対岸、住吉神社の長い参道です。散歩から帰ります。
なお、記事中あえて服部緑地のことを服部空地と書きました。
調べてみてびっくりしたからなんですが、現在は緑の確保という観点もあるんでしょうけどもともと「防空緑地」、つまり空襲に際しての避難場所、
延焼防止のための空間として指定(昭和16年)されたようです。空襲を想定していた・・きなくさい空気の現場だったんですね。