本当に、子供のころから幸せとは、縁のない貧しい女の子でした。
あるとき、パン一つも買えない母を見て、がりがりに痩せた手で、
その母の手を握り、そのまま母の胸に抱かれていた。
その日の食べ物さえ、事欠く毎日、貧しい生活の苦しさも知らない子供。
でも、わたしは、母の優しさそれだけで、十分おなかが膨れた。
しあわせだった。
いまは、どんなに食べてもたべても、空腹で悲しくて、悲しくて。
誰かが、愛してくれてその手でだきしめてくれるのは、心の空腹を満たし、
幸せであることに、気づいたのが、おそかった。
幸せはすぐそこにあり、幸せは一緒にいる人にあたえられるもの。
一人ぼっちの今は、不幸でもいきていけることをみにつけてしまった。
本当に、ふこうなじぶんがいるけれど、あのころのおもいでだけでもいきていける。
最近、そんなちいさなしあわせでも、生きていける。
思い出だけでも、生きていけるのは、幸せだった時が過去に存在したから、
お金でも買えないものは、しあわせのゆるりとした、ここちよさなのです。