女として大阪で暮らす。(朝鮮婆ではないよ)

自然を愛する人です。
そして動物を愛する人です。
植物も大好きです。
ニコ生すき、日本の糞ばばですよ。

人身事故(●●線)

2011-10-18 | 日記
私の近くの、●●区でみた、人身事故は怖かった。
人間の血が、線路にべっとりとついていた。

もちろん、自殺した肉の破片はかたずけてあったのだが、
それはとてもおそろしくって、いつも通る線路だから怖かった。

その場所は、家から近くで、よく自殺する場所だった。
近くでは、●●大社があり、早朝首つり自殺もよくあることだった。

その場所と、踏切とは、かなりちかいのであった。
●●ぶらくとよばれるところで、それらと関連するのかと、おもった。

直接その現場の自殺直後は、みなかったのだが、
惹かれた人間は、ミンチで、焼肉のようなにおいがするそうだ。

首つり自殺は、顔がはれあがり、目が飛び出て、みられたものではないらしい。
わたしは、幸いにも、人身事故の処理の後を見たけれど、線路の血がわすれられない。

バケツで、流した後も、あかぐろく線路についていて、本当に怖かった。

その時から私は、自殺は首つりも、飛び込みもしたくはなかった。
最後の瞬間こそ、人に迷惑をかけたくないので、
自分の肉の破片をのこさない、雪山の遭難のようにしんでゆきたい。

むざんで、ひき肉になった人間を拾う人の事を考えると、できない。
あまり自殺するある路線では、ガードを付けて防止しているところもある。

なお鉄道自殺の処理は、駅員さんたちの仕事なのだ。
そのあとに、どんな気持ちがかんがえると、できないし、すごく気の毒になる。

絶対みたくない、人間のひき肉を拾い上げていく作業をする。
あまりにも、自殺は他の人を巻き込み、苦しめるのだ。

だから、私はどんなに苦しくても、自分の体がバラバラになる、死に方はしたくない。

尊属殺人(鬼畜の実の父)

2011-10-18 | 日記
矢板市・尊属殺人事件

-経緯-
昭和43年10月5日午後10時頃、栃木県矢板市内の雑貨商宅に同市在住の松田和代(仮名、当時29歳)が訪れ、「父親を紐で絞め殺しました」と泣き崩れた。警察は、雑貨商の通報で和代を同行させて自宅に急行した。すると、植木職人で父親の直吉(仮名、当時52歳)が既に絶命していたため和代を尊属殺人容疑で緊急逮捕した。

矢板署は和代から殺害の経緯、動機などを取り調べた。その供述内容は、取調官はもとより後の報道によって知った人々は驚愕した。この事件によって、「娘を近親相姦した憎むべき父親と娘の悲劇」そして「尊属殺人は違憲か否か」という2つの大きな問題がクローズアップされたのだった。

-鬼畜なる父親と娘の悲劇-
和代にとって悲劇の始まりは、昭和28年の中学2年生(14歳)の時に遡る。その頃の松田家は、父親の直吉と母親それに長女の和代を筆頭に妹2人、弟4人の9人家族だった。この大家族に対して自宅は茶の間に寝床の2間。家族は折り重なるように寝ていた。

この時、母と一緒に茶の間で寝ていた父親の直吉が和代の蒲団に入ってきて肉体関係を結んだ。あまりの衝撃に和代は声も出せなかった。これがきっかけで、直吉は母親の目を盗んでは和代の体を求めて週に2~3回関係を迫った。

1年後の中学3年生の時、和代は耐え切れなくなり母親に事実を打ち明けた。驚いた母親は直吉を問い詰めたが、逆に直吉は包丁を持ち出して、「殺してやる」と暴れだした。身の危険を感じた母親は、和代と次女の2人を残して、あとの5人の子供を連れて出て行った。

このため、直吉と和代それに次女3人の奇妙な生活が始まった。さらに次女が中学校を卒業して東京の会社へ就職して家を出ると、直吉と和代の夫婦同然の生活が始まった。この間、直吉は酒を飲んでは暴れだし、連日のように和代の体を求めた。

和代が17歳の時、初めて妊娠した。以来、29歳までの間に5人の子供を出産(内、2人は死産)するという異常事態で、子供は和代の私生児として育てられた。6回目の妊娠の時、医師から「体を壊す」と忠告され避妊手術をする。誰よりも喜んだのは直吉で、益々和代の体を求めるようになった。

-最初で最期のチャンス-
昭和43年になって、和代は近くの印刷会社に就職したが、その職場で7歳年下の工員と初めて恋をした。工員は、和代に子供がいる事も知りながら求婚。感激した和代は直吉に相談した途端、「俺をコケにするつもりか。そいつをぶっ殺してやる」と暴れだした。

そこで、和代は家出を決意した。工員に連絡を取り、仕度を始めた途端、不穏な様子を察知した直吉が和代に乱暴して衣服や下着を切り裂いてしまった。泣き叫びながら、外に逃げ出してバス停留所に走ったが、既にバスは走り去った後であった。それ以来、和代は一歩も外に出られない生活が続いた。

事件当日、酔っ払った直吉が和代に、「お前が出て行くなら、3人の子供は始末してやる」と罵声を浴びせた。この時、和代は父親の殺害を決意し、寝静まった直吉の首に紐を巻いて力任せに締めたのだった。

-尊属殺人は違憲判決-
世間は、和代に深く同情した。だが、法律上は親や子供を殺害した場合、一般の殺人罪ではなく、「尊属殺人罪」が適用され死刑か無期懲役刑と定められていた。公判では、このポイントが大きな焦点となった。大貫大八弁護士は、「被告人の女性としての人生は、父親の人倫を踏みにじった行為から始まっている・・・この犯行は正当防衛または緊急避難と解すべきである。よって、この事件は、殺人罪ではなく傷害致死罪を適用すべきであり、尊属殺人、尊属傷害致死は適用すべきでない」と弁護した。

昭和44年5月29日宇都宮地裁は、弁護人の主張をほぼ受け入れて「尊属殺人は、法のもとに平等をうたった憲法14条違反であり、被告の犯行には一般の殺人罪を適用し、過剰防衛と認定した上で、情状を酌量して刑を免除する」と事実上の無罪判決を出した。

検察側はこれを不服として控訴した。昭和45年5月12日、東京高裁は「泥酔した父親への殺害は正当防衛とは認められない」として、和代に懲役7年、情状酌量として減刑し懲役3年6ヶ月の実刑判決を言い渡した。

大貫弁護士は、これを不服として上告した。昭和48年4月4日、最高裁は「尊属殺人を普通殺人より重く罰すること自体は違憲とは言えないが、尊属殺人罪の法定刑が、死刑、無期懲役に限定されているのは違憲である・・・よって原判決を破棄する」との判決を言い渡した。これにより、和代は懲役2年6ヶ月、執行猶予3年が確定した。現行の法律規定が、司法の最高峰によって違憲とされた瞬間だった。



”サラの鍵”をよんで。

2011-10-18 | 日記
秋も少しずつ深まり、とても読書人には良い季節になりましたね。
「サラの鍵」をよんで、思わずに一気に読んでしまうほど夢中になりました。

人間には、秘密があり、それを明かすことの残酷さ、大事さ。
奇妙な不思議な人間関係の、つながり。

パンドラの箱をあけてしまった、女の苦悩と、サラの苦悩がいかにも、
現代にある悲劇のように、描かれている。

女にしかかけない感情と、小気味よさがすごく読んでいて、よみやすいです。
これを、よんで、どうおもうかはあなたしだい。

秋の夜長に、よんでほしいです。

人生にはいくつもの、疑問がありまるでその運命に操られて生きる、
すべては、しかけられた残酷な罠のように、でも強く生きた女の話だから、きょうかんできた。

ほとんど、事実のことを、うまくものがたりにして、人々を感動させたよいものがたりです。

あなたも、いちど、パンドラの箱をあけてほしい、そしてそれは決して、悲劇だけでもなく、
現実のことで、おとなになれば、うけとめられる、真実の物語なのだと。

サラの歩んだ運命と、女の運命が不思議と重なり合い、最後に、サラとまた出会う。
女の人生さえも変えてしまう、サラの秘密の鍵を開けてしまった結末は?!

目の溶けた老人(忍の100の話)

2011-10-18 | 日記
私は、その老人がうす気持ち悪い感じに見えた。
からだからは、しょうちゅうのあまいかおりがして、糖尿病のようなにおいがした。

その老人は、金持ちらしいが、目が溶けた様ににごり、きたなかった。
女(商売女)をよぶこともあるぐらいげんきなひとだった。

でも、私はその老人の心根の部分がいやで、さけるようになった。
めのにごりも、こころのにごりのようで、とても気分が悪くなった。

さけがすきらしく、よく暴れるし、きもちわるいせきがきこえると、
一日中、きもちがふさいでしまった。

あいたくないので、縁切り寺にいったいのったが、近くだからいやおうなしに、
あうことにもなる。不安だし、こわいひとだった。

日本人のようにも見えたが、どこかアジア系の北のひとのようであった。
体が健康でも、とてもあの溶けた目を見ていたら、こわくなってしまう。

あうのを、極力避けた。
たまに、わざと帰り際に立ち、こまったこともあった。

ひとりになると、さびしいらしく、あばれた。
おおきなおとをだしたりした。
身内の人も、しってもしらぬふりで、その老人をかばった。

じぶんがそんなひとのそばにすんでいる、悪運をおもったが、
しかたのないことだ。
なつになれば、その甘い酒のにおいは、あばら屋敷中におった。

老人は、おかまいなしに、ドアをぜんかいにして、そとをみていた。
さみしかったのかもしれないけれど、ぶきみだった。

いつまでも、私は、あわないように、願い続ける毎日になっていた。

ブスは3日でなれる(忍の100の話)

2011-10-18 | 日記
にんげんは、どんな美しい人でも、何日もしたらあきてしまい。
ほかの、美しい人を、さがすものだ。

それが浮気であったり、はては離婚にまで発展する。

でも、不思議と不細工な人は、味があり、なかなかあきてこない。
だから、めんくいじゃないかぎり、長く続いていく、離婚も少ない。

あんなきれいな女優さんでも、旦那に浮気され、離婚した。
やはり、あきてしまうのは、美人のほうなのだ。

ぶさいくでも、愛嬌があり、どこかひかれるのがあれば、
そのひとを、すきになれば、ほんとうの顔がぶすであれ、なれるものだ。

私の場合は、3日でなれるほうだから。
死ぬまで、ご縁がありました。

おたがい、あきのこない、造作の不細工さで、
だんなは、サルににていたし、私はたぬきにそっくりでいた。

いまでは、とどのようにデブになり、顔もすごく老けて、
まえよりも、ますますブスになったけど、3日でなれてくれるかとおもう。

美人は、薄命というし、意外と離婚などするし、ぶさいくなほうが、
しあわせだとおもう。

しかし、わたしは、どちらにしても、年を取り、もう恋愛は、卒業した。
男の人は、こりごりだし。

ブスの生き方は、これからは、100キロになり、糖尿になりおそらく、
よりみにくくなり、しんでゆくのであろう。

しかし、かがみはみない、自分はなかなかなれないのは、どうしてだろう。
自分の顔がそこにあると、なんだか、ふゆかいなきぶんになる。

ブスは、自分では死ぬまで、なれることはないのだろうか。

同じ顔の人が3人(忍の100の話)

2011-10-18 | 日記
世の中には、不細工にしろ、きれいにしろ、そっくりな人が3人入るらしい。
ある日、まさるのおかあちゃんが、こんなことをいった。

「まさる、おまえ、いつもの中華屋でラーメンたべてたやろ」

またあるときは、

「あそこの酒屋の店員さん、まさるおまえか」

など、田舎では、本当にそっくりさんがあちらこちらにでてくる。

昔の時代でいったら、殿を守る影武者、今でなら芸能人の影武者ぐらい、
顔や、背格好がにているひとは、最低3人入るのだ。

ところで、わたしもよくまちがえられた。
あるひとに、大変似ていて、姉と妹に間違うぐらいそっくりだった。

旦那も、ある日髪の毛の長い女を見て私と間違えた。
一度、自分で、その人に会いたいと思って、さがしたことがあったが、
自分で見るのと、ひとがみるのとは、大違いなことに気が付いた。

そっくりさんは、意外にじぶんがおもうより、すてきじゃないし、
あんな人に、似ているんじゃ、明かんなあと思うほどがっかりした。

旦那が死んでから、似た人をさがしてみた。
不思議と本人が死んでからは、さっぱり見つかることはなくなった。

生きていたころは、見間違う人がいたのに。

さて、同じ顔、格好の人はひとりがしんでしまうと、何かの縁が消えて、
そっくりさんとは、顔を合わせない運命になってしまうのかもしれない。

自分に似た人をみるのがいまはいやになった。
どうしてなら、

たるんだおなか、ぶさいくなかお、化け物のからだ、それにいろいろと、
似ている人には、わるいが、自分が気分が悪くなりそうだから。