女として大阪で暮らす。(朝鮮婆ではないよ)

自然を愛する人です。
そして動物を愛する人です。
植物も大好きです。
ニコ生すき、日本の糞ばばですよ。

自殺志願者(忍の100の話)

2011-10-08 | 日記
ある時、ある女は死んでしまおうと、暗い山の奥に行きました。
この縄で、首をつって死んでしまおうとおもったのです。
そのとき、おばあさんの死神さんが現れました。

「死神さん、どうかわたしをあの世とやらにつれていって?!」

私は、わがままでこの世で罪を犯した人間です。
それでも、生かされてきましたが、つかれました。

そのとき、死神はあわてたように、走り去りました。

たぶんまちがえてしまったようです。
おんなは、首をつってしまいました。
しかし、運の悪いことに、その縄がぷっりと折れてしまいました。

そのとき、女はあきらめてそのもりから、泣く泣く帰りました。
人間は、よいことをきちんとこの世で、しなくてはしねない。

悪い奴ほど、ながいきして、生きながら苦しむのが、この世なんだ。
改めて、自殺できないのは、私が、悪人でしかもこの世の修行がたりない。
死神さんにも、見捨てられてしまったのだ。

生きる地獄道を、女は歩むことにしました。
ある人からは、いしをなげられ、苛め抜かれても、生きるのが今の私の運命。
死ぬことによって、逃げることはできない、どんなに苦しくても、かなしくても、
息絶えるまで、苛め抜かれて、生きるのが、私の運命。

そのとき、女は自殺することをあきらめて、これからの人生にさらに、ぜっぼうしました。
でも、どんなに心も体も、傷つけられても、足がなくなろうが、いきていかなくてはいけないのは、
わたしは、天国という楽園に行けないのは、自分の恐ろしい罪であることに気が付きました。

「いい人は、先に逝く」
「悪い人は、長生きをする」

これは、地獄はこの世の中にあり、生き抜いて、きずだらけになってもしねない。
でも、そのいばらの道をぬけなければ、やすらかにいけない。

死神にさえ見放された女は、思いました。

この世の地獄で、くるしんでのたうちまわるのが、許される道。
ゆるされたとき、はじめて、逝けるのだから、
白髪で、醜い豚のような体でひとからばかにされ、石を流られても、
場の牛のように、殺されなければ逝けない運命に、
涙が、とまりませんでした。