女として大阪で暮らす。(朝鮮婆ではないよ)

自然を愛する人です。
そして動物を愛する人です。
植物も大好きです。
ニコ生すき、日本の糞ばばですよ。

生きることに、疲れた?!

2012-08-04 | 日記
死んだらと、誰かが言った。
でも、死ぬほどの勇気がない。

生きてみたらと、誰かが言った。
でも、魂はとうの昔に亡くなっているからいきているわけじゃないんだ。

生きることは、肉体がある限り苦痛であり、厳しい。
こころがないので、そんなことはかんがえなくてもいいわけなんだが。

体の痛み、苦痛はかんじている。
老いがからだをおそう、痛い、苦しい、見えない、歩けない。

体の見苦しさが、鏡に映しだされる。
魂の抜け殻にせよ、なんと醜い姿、これが私の罪なのか?!

醜い肉体を、いつまで持ち続けて、生き恥をかいて、
疲れながら、苦しみながら、いきていくのか。

この世は地獄だ。
この世は、本当に地獄なんだ。

生きながら、死んでいるということ(朴正子)

2012-08-04 | 日記
私の人生は、39歳ごろに終わった。
そののちに、寿命とやらで死んでいながら、肉体を維持している。

もちろん、死んでいる魂だから、喜びもないし、また再び魂は死なないので、生きながらして感情というものはない。人を愛さない、人を信じない、私はもう人間の形だけなのだから。

そんな私を見て、あなたはどう思うだろうか。
人間は悲しいものだ、魂などないなどと思わないから、悪口などいう。

しかし、私は人を信じないのだから、だれの言うことも信じない。
都会の孤島で、一人肉体のみの自分を、寿命までささえるだけのことなのに。

夏は暑く、冬は寒く感じるのは、どうしてだろうか。
こころはとうの昔に、死んでいるのに、私はぬけがらなのに。

生きながら、死んでいる私を、あの世から迎えに来てくれるはずの人が、いつまでも来ない。

やがて、腐って肉体が破壊するまで、あの人は来ない。
肉体は、かなり強いらしく、この世に恥をさらしつづけている。

それは、私の本意ではない。

生き恥をかくのは、後何年やら、これが私の償いであることには間違いない。

人間の上下(朴正子)

2012-08-04 | 日記
「お母さん、人間にも上下の差別があるの?」

「そうだね、江戸時代に作り上げた、恐ろしい差別だよ」

ある村では、結婚も、仕事も選べないことや、それよりも身辺調査して、昔の身分を調べる探偵がいたりした。

朝鮮人の多いところや、昔から草履を作ったり、清掃の仕事をする人や、肉を解体する人を人々は何か、違う種類のように、偏見の目で見ていた。

その代りその地区にある住宅は、格安で驚くほどの環境であったり、大型免許まで無料だし、何にしても恵まれている環境だった。

しかし、人々はその地区を敬遠していた。
なるべく付き合わない、なるべくかかわらない、まして結婚などしてはいけない、そういわれていた。

怖いところそういう場所でもあった。しかし、子供にとっては、どこも変わらない土地で、何もないところだったが、親たちは、こんな風に教えていた。

「あそこは、怖いところだから、いったらいけないよ?!」

つまり、よその土地に行けば個々の土地は差別され、いじめにあうので親たちは怖いところと教えていた。反対に地区以外の人は、すごく恐れていた。

人間に上下関係、身分の差別があるのは、みんな昔のことのように思うが、今では職業によって、差別が浮き彫りになっている。

朝鮮人の人々は、日本では差別されるので、商売して儲けたりしていた。

地区の人々は、靴職人、屠場、廃品回収業、葬式屋、その他商売で生きていた。

しかし、人間には、プライドというものがあるので、ひた隠しにしてみんな生きていた。

子供は、自分の生きている土地の意味を知ると、生まれを恨んだり、またはいくじのないものは、差別に負け死んでいったものもいる。

でも、子供たちは今では同じように、教育も受け、見た目は何も変わらない。

しかし、みんなの目は、昔と一つも変わっていないのを、地区の大人たちは知っている。

だから、地区の人々は警戒して、守りに入り、集団化して、生きているのかもしれない。