女として大阪で暮らす。(朝鮮婆ではないよ)

自然を愛する人です。
そして動物を愛する人です。
植物も大好きです。
ニコ生すき、日本の糞ばばですよ。

ああ、ほんま、あかね丸の社長さん?!

2012-10-13 | 日記
あかねまるは、どらやきです。
おいしいけど、高いので、なかなかかえませんが、
社長さんは、気楽に写真を撮らせてくれます。

面白い感じが、おおさからしいでしょ。
玉出の社長といい、大阪の社長さんは、庶民的です。

あんまり気取らないかんじがいいです。
それから、私は大阪で、一番好きなところは、
食べ物が、うまいところです。

おかげで肥満ですが、これからもたべます。
なんせ、食欲秋です。

肥満でもいい、強いおんなです。
私の好きな、まんじゅうは、クリマンがうまい季節です。


寿がきやのラーメンは名古屋の味です。

2012-10-13 | 日記
このとんこつスープでいただくラーメンはあまくておいしいです。
それに、安いので、デザートを入れても、500円ぐらいです。

大阪の街にはない、おいしいらーめんです。
たまに、イオンにあるみたいだけど、やはり名古屋に負けてます。

おいしい、安い、そして名古屋風の味は、懐かしすぎます。
たまに、本当に、味噌煮込みうどんをたべたくなります。

あの味噌の濃い味は、やはりおいしいのです。
うどんは、少し硬めで、こりこりしてます。

一度、名古屋に行ったおりは、寿がきやのラーメンと、味噌煮込みうどんをたべてください。
なんか、幸せな気分になる味ですよ。

一人で行くのは、たのしくないけどね。

2012-10-13 | 日記
私は、一人旅が大好きです。
のんびり、おおさかをひとりであるくのもすきでした。

愛知県にいるときは、大阪の街にあこがれていました。
そして、京都の町にも、哀愁を感じていました。

本当にひとりきりになって、生きたいところは、外国です。
どこでもいいんだけど、何となく一人で生きたいんですね。

ヨーロッパとか最初は、無理かもしれませんが、いきたいところはたくさんあります。
一人でのほほんと、生きてみたいのは、わがままからかもしれません。

しかし、だれにも知られないところで、一人で住んで、そのまま生きてみたいです。

山奥で、のんびり生きてみたい。

誰にも干渉されたくないほうなんですよ。

しかし、都会では無理です。
誰にも会わないほうが、私は楽ですし、一人も信用する人がいないのは都会だからです。

なだそうそう

2012-10-12 | 日記
なだそうそう(nada soo soo).flv


古いアルバムめくり ありがとうってつぶやいた
いつもいつも胸の中 励ましてくれる人よ
晴れ渡る日も 雨の日も 浮かぶあの笑顔
想い出遠くあせても
おもかげ探して よみがえる日は 涙そうそう
一番星に祈る それが私のくせになり
夕暮れに見上げる空 心いっぱいあなた探す
悲しみにも 喜びにも 想うあの笑顔
あなたの場所から私が
見えたら きっといつか 会えると信じ 生きてゆく
晴れ渡る日も 雨の日も 浮かぶあの笑顔
想い出遠くあせても
さみしくて 恋しくて 君への想い 涙そうそう
会いたくて 会いたくて 君への想い 涙そうそう

★三線を弾きながら、歌ってみたい曲ですね。


あかん、3級にとどかへんわ?!

2012-10-11 | 日記
イータイピングの、3級模擬にとどきません。
いくらやっても、バカとしかいえません。

もうあたまにくるわ。
みなさん、イータイピングの模擬に挑戦してください。
フリーで、実力をためせますよ。

意外とむずかしいとおもいます。
私は、まだ3級ですけど、若い方は、特級めざしてくださいね。

お婆ちゃんの、タイピングはまだ、まだ挑戦中です。
でも、いつか、1級を取りたいですね。

びんぼうで辛いということはない?!

2012-10-11 | 日記
びんぼうで、つらいということはないが、知識を知らないでつらい時はある。
好きな勉強をできなかった、昔はつらかった。

大学に行き、そして体育の先生か、家庭科の先生になりたかった。
どちらも、好きな科目で、特に家庭科はすきだった。

物を作ることに、喜びを感じていた。
料理とか、服とか、小物を作るのが大好きだった。

体育は、陸上の選手だったので、おのずと好きになっていた。
それから、ジャージ姿の先生の姿に、あこがれていたから。

ちなみに、私の学校時代の陸上の新記録は抜かれてしまったけど、私のいた時代はだれにも抜かれていないので、とても、楽しかったですね。

勉強は、あまり好きではなかったので、数学と、英語がだめすぎて、今でも嫌いです。

それから、私が生涯勉強している課題は、同和問題と、在日問題です。
身近に、たくさん転がっているこの問題は、深刻です。

近所の人が、在日という関係上知らないと、いきてはいけません。
通名でも、すぐにわかる在日の人々の問題は、身近にあります。

まず、仕事ばかりしていた、在日の人々や、の人々は、字が読めない、かけないのです。
それは、社会の仕組みが、勉強からとうざけているからだと思います。
 
聞くのはいっ時の恥、聞かぬは、一生の損といいます。

つまり、できないことは勉強して、覚えたら、一生の糧になるのです。
読み書きは、一年もしないうちに、覚えるものです。

識字学級の通う人々を見て、少しの勇気で何でもできることを学びました。
この日本語は、習わないと、厄介なものらしいです。

独学は大変です。
先生という立場の人に、聞くことが大切ですね。

私の嫌いな、簿記は、今では覚えられないのですが、それでも今の年で勉強しました。
基本からやらないと、なんでもできないので、年を取ってからの勉強は大変です。

知識が少ないということは、世渡りが下手ということにつながります。
知っていて損な、知識はありません。

私は今でも、勉強をして、知らないことを知りたいほうです。
びんぼうでも、なんでも知らないで終わるほうのほうが、何よりもつらいのです。

年齢で遅いということはないのです。
何でもできるという、達成感は、年齢が高いほど、満足するものです。

私が年を取って覚えたものは、水泳と、パソコンです。
健康と、頭のボケ防止に役立っています。

私より上の70歳の人が、パソコンをはじめていました。
遅いと思うなら、やらなかったはずです。

人生に遅いというのは、ただの言い訳にしか思えません。
恥ずかしいことは、知らないまま人生を無駄に過ごすことだと感じています。

破戒 島崎藤村

2012-10-10 | 日記
この本を読んで、かくして生きることの難しさと、親の戒めについて考えました。
人間として、嘘をついて生きていくことへの後ろめたさと、そのことを告白する主人公。

丑松の人生は、ということを、かくして生きる。
まして学校の先生であるので、こういう噂は、すぐにみんなにわかってしまう。

丑松は、生徒の前で、告白をする。
自分の出身をはっきりと、言う。

こうまでして、親の戒めまで破り丑松は、外国へ旅立つ。
しかし、告白しても、先生を辞めなくてはならなかったのはどうしてか?!

昔は、いやしい身分の者が、教えることは、親たちがゆるさなかったのか?!
それとも、周りの目がつらくって、いたたまれなくなって、外国へ行くのか?!

親の戒めは、確かに、守ろうとした。
しかし、噂が、丑松をくるしめる。

私なら、もしその戒めがあるなら、職業として、人の目のふれない仕事を選んだと思う。
教える立場や、外に出てやる仕事は、すべて危険性が高い。

自分が、●●であるということは、知られないようにするために。
隠れて、かくして、一生を終わったかもしれない。

勇気のある人だと思う。
本当のことを、言うということは、すべてを失うことにもなる。

だから、人はみんなあかるくいきてはいけないとおもう。

様子を探り合い、差別を敏感に感じ取り、生きていくのは現代にもあるから、悲しい。

丑松のように、生きている人は、この世の中、たくさんいるのではないかと感じた、一冊である。

同和問題と、私。

2012-10-10 | 日記
と言う言葉は、私は簡単に言うと、田舎ぐらいにしか思ってなかった。
今の現代にはない、身分の違いなんて、みじんもしらなかった。

けがれている人がいて、それが問題で、差別しあい、人を死へとおいつめてゆく。
なんなんだろう、人の心の恐ろしい何かに、人間は殺されてゆく。

在日の人が、日本人を嫌いなように、の人も、以外の人を嫌いだ。
それは、差別しあい、壁を作りあうから。

こんな小さな島国で、私は生まれた、そして半世紀まで生きてみて、なんか納得しない。
お互いに、嫌いあうのが、人間のサガなら、みんな戦争で死んでしまったらと感じる。

人間は、だれもが悪いわけではない、懸命に生きている人は、どんな人でも、美しいのだ。
誰かを、差別する人の心は、やっぱり、美しくはないそして、それは日本の悲しい現実。

日本人は、家柄をたいへん気にする、そして、職業差別をする。
でも、もしゴミがこの世にあふれて、肉がなくなり、芸能がない世の中なんて、考えられないだろう。

すべて、いやなことを昔任された人々が、になってくれている。
やはり、それが差別につながるなら、いやな仕事をみんながしたらいいと思うけど。

それは、できないし、やれない。

人は、自分の狭い範囲でしか生きられない宿命をかなしむべきかとかんじる。
運命は、自分で切り開いていくといわれるが、そこにどうにもできない壁がある。

人の、悲しい、宿命を差別しない、世の中になることはないのか?!

たぶん、私の生きている間には、なくならないもんだいだとおもう。
人は、自分より下の人を見て、優越感に浸る動物だから、いつまでたっても弱い者いじめは、なくならないと思う。

でも、どんな人でも、結局同じ道をたどり、死んでゆくのに、負けない強い人間だけが、生命を短いながらも、全うする。

これは、どうしょうもない、人間の問題だから、なくなることはないのではと思う。