土佐のくじらです。
今高知は、存亡の危機にあると言えます。
日本の少子高齢化最先進国であり、人口の自然減と、県内産業の長期にわたる衰退。
また、東南海大震災とそれに伴う巨大津波の恐怖。
これら、現代の文明では、何の模範解答もなく、具体的な解決策もなく、今の県民はただそれらを受け入れ、諦める以外の術を持っていないのが現実ではないでしょうか?
私は、一人の歴史を愛する者です。
その一人の歴史家として今の高知を見るならば、江戸時代初期の野中兼山以前の土佐の国、
長年の戦国の世に内乱に明け暮れ、そして京の都や日本の中心からも離れ、辺境の地としてあり続けた、長曽我部(ちょうそかべ)以前の土佐と重なるのです。
四国の雄となった長曽我部家は、確かに戦は強かった。
しかし、四国の戦国の覇者長曽我部家の戦の強さは、地元土佐を潤しはしませんでした。
大河はあれど、その水資源は使えず、平野はあれど、ただの広大な荒地でした。
関が原の勝者、後の土佐藩主山内家も、公には土佐20余万石を発表しておりましたが、
実質的には10万石強というのが、江戸時代当初の土佐のコメの取れ高でした。
そのような土佐藩が、幕末期には薩摩・長州と並ぶ・・・否、凌駕するほどの実力を持つ大藩となりました。
だからこそ、土佐の殿様(山内容堂)が、大政奉還の建白書を江戸幕府に提出したことで、江戸時代は終わったのです。
徳川幕府は対等外交相手、今で言うなら連立相手の土佐藩が、倒幕側に回ることで政権維持を断念せざるを得なかったのです。
幕末期に残る外様大名は、薩摩の島津家、長州の毛利家、加賀の前田家、米沢の上杉家など極わずかです。
これらは元来が、豊臣五大老格の大大名であり、元々の軍事力も大きく、江戸幕府としても手が出しにくかったのですね。
幕府開闢当初は、50万石以上の外様大名が、全国各地にたくさんありましたが、それらは押しなべて元来は小藩でした。
それがのきなみ10倍以上の領地を得たことで、藩の運営に無理がかかったのですね。
そこを幕府につけ込まれ、そのほとんどは改易となりました。
土佐藩も、元来5万石程度の小藩ですので、幕府にいつ取り潰されても仕方ない状況でしたが、
江戸時代を通じて土佐山内家は、幕府と実質的な対等外交ができております。
これは今の高知県民の持つ、「自由を愛する心」にも通じております。
幕府に対して強かったから、幕府が決して倒せない藩だったからこそ、土佐人は自由に生きることが許されたのです。
土佐の国を変えたのは、たった一人の天才政治家でした。
それが野中兼山です。
野中は大きな川の上流に堰(せき=ダム)を造り、そこから引いた用水路網で、
広大な荒地だった高知平野を、人工的な近代農地へと変貌させました。
その広大な平野を縦横無尽に走る、規模の大きな用水路網は、防衛用の堀を兼ねています。
また、外洋港をたくさん造り、漁業の基地を設けるだけでなく、実質的な海軍機能を持たせておりました。
野中は、対幕府防衛力強化と藩内経済向上を、同じインフラで行ったのです。
野中兼山は、「国防につよし」また、「経済につよし」の天才政治家だったのです。
高知の歴史を振り返れば、野中兼山という一人の傑出した政治家なくば、高知はとっくに太平洋の荒波が押し寄せるだけの、四国の防波堤となっていたはずです。
今の高知は、野中が家老に就任する前の、長曽我部以前の時代と同じなのです。
野中や彼に協力した人たちが、智慧と工夫と汗と努力で土佐の国造りをし、江戸時代最強藩土佐をつくりました。
長曽我部以前の土佐の領主たちは、土佐の少ない田園を奪い合うだけの小さな抗争を、延々と続けただけでした。
ですから家老に就任した野中には、やるべきことが山積みでした。
野中は、土佐の奪い合う歴史を、土佐が富を生む地に激変させることで終わらせたのです。
今また時代は繰り返し、その選択の時期に来ています。
高知には、やるべきことがたくさんあります。
否、やらなくてはいけないことが山積みです。
高知県民は、野中兼山の再来を選択するべきです。
それは、彼がやろうとしていることを見ればわかります。
野中兼山の再来こそ、幸福実現党公認候補、橋詰毅(つよし)です。
橋詰毅(つよし)は野中兼山同様、「国防につよし」「経済につよし」の人物です。
(完)
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