土佐のくじらです。
調子に乗って、本日3本目の記事です。(笑)
今回は、日本神道における、
”神武東征伝説の謎”に、チャレンジいたします。
前回日記で、
九州のヤマトの国の東征は、朝鮮半島からの、政治的・外交的・軍事的な、内政への影響力を、受けにくくするために行われた・・・・と、私見を述べました。
そして、その外交アイテムとして、【米と酒】が使われたはず・・・で終わりましたね。
「ずいぶんメンドクサイことをするなぁ。」と、思われるかも知れませんね。
「一気に、攻めちゃえばいいじゃん。」と、思われても不思議ではありません。
しかし、九州ヤマトの国が、当時の朝鮮半島国家群の影響を、本気で恐れての東征・・・つまり、
朝鮮からできるだけ距離を置いたところに、国の本拠地を置きたい・・・という願いを持っての東征であるならば、九州の地から、正規軍は動かことはできないはず なのですね。
朝鮮半島国家群による、背後からの攻撃があり得るからです。
また、当時朝鮮半島にあった、日本人居住地(任那・みなま)を守る後ろ盾が弱くなるからです。
華々しい軍事力を駆使した東征ならば、どうしても朝鮮半島国家群にその情報が伝わってしまいます。
ですから、縄文系の東部日本への軍事行動は、起こしたくても起こせない状況と思われるのですね。
当時ならば、朝鮮半島国家群が、もしも日本に対して軍事行動を起こすならば、最も進入経路として、警戒しないといけないのは、やはり”北九州地方”です。
当時の、ヤマトの国の正規軍が、一体どれだけいたかは、私には推測することすらできませんが、たとえいくら国軍に余裕があったとしても、当時の国防の要は九州です。
北九州に攻め込まれたら、日本は終わりです。
ですから、九州に正規軍を温存した状態での東征・・・。実際には、これしか方法論がないのですね。
その証拠に、神武東征・・・という、華やかな伝説はありますが、古事記や日本書紀といった、当時のことを記載したはずの歴史書には、九州から近畿に政治の拠点を移す際の、戦闘の様子が全く書かれていないのですね。
不思議ですね。
スサノオノミコトのヤマタノオロチ伝説・・・。後は、出雲の国の国譲り伝説・・・。
これくらいですね。
とても不思議です。静か過ぎるのですわー。
ヤマトタケルの華々しい戦いは、近畿に朝廷勢力が基盤を築いた後の話です。
つまりこれは、伝説の神武東征と言われている、ヤマト国の東国への進出は、実は、軍隊を使えない状態で行われていた可能性が高い・・・と言えると、私は思うのです。
つまり、神武東征の実際は、戦闘はほとんどなく、その大部分は、【交渉】であった・・・のではないか?
ということを、私は考えてしまいます。
また後述しますが、もしもそうだとすれば、この時代以降の歴史の流れなどが、不思議とつじつまが合ってくるのですね。
ではそのような、国軍の本体を九州へ残したままの東征と言った、歴史のウルトラCがあり得るのか否か。
その交渉を、私なりに再現してみると、
貴国(縄文系の国々)は、ヤマトの国の同盟国・友好国となるべきである。
(属国・・・かも知れませんが。)
ヤマト国の同盟国・友好国に貴国がなったあかつきには、ヤマトの国から、米の栽培技術を伝授する。
こういった交渉が、当時東国の各地域で、執り行われたのではないでしょうか?
当時はまだ、古い縄文的な文化が、色濃く各地に残っていたはずです。
縄文文明は、”栗”の栽培を基盤とする高度な文明ですが、さすがに文明力としては、時代的限界に達していたと思われます。
わかりやすく言うと、末期の縄文社会は、慢性的な停滞社会で、底なしの不景気に苦しんでいたはずなのですね。
そこに新興のヤマト国は、【米】という新たな文明とエネルギー源、そして米作というテクノロジーを伝授した訳です。
ヤマト国は、東への影響力を持つことで、朝鮮半島からの離れたところに首都機能を移せます。
また東方の縄文末期の国々は、【米】優れた食料基盤を得ることができます。
両者、Winwinな交渉であります。
そうやってヤマト国は、東方への影響力を、拡大していったのではないでしょうか?
そして交渉が成立すれば、【酒】による宴や、祭りが催されたのではないでしょうか?
酒はもちろん、米で作られたものです。
これが、お正月の”おとそ”や、結婚の儀での”三々九度の杯”などの、日本神道古来の神事や、政治のことを”まつりごと”と言う語源になったのではないかと、私は考えているのです。
これにより、米つくりと、日本神道、そしてヤマト国の勢力圏が静かに、しかし確実に縄文末期の日本の広範囲に広がった・・・。
こう言えるのではないでしょうか?
この交渉の時にはもう一つ、ヤマトの国から、末期縄文文明圏の国々に、重要なお願いをしたかも知れません。
それは全くの私の”勘”なのですが、
「かくまって欲しい。」
と、ヤマトの国側は縄文系の人々に、依頼したのではないかと私は思っているのです。
どうしてそう思うのか・・・?
それは・・・、
もしそうであるならば、この後の時代や日本神道の習慣で、つじつまの合うことが、たくさんあるからなのです。
(続く)
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またまた、疑問が一点。(笑)
「万一の時はかくまってほしい。」
と、説ですが、
平和で、軍事が発達しなかった国に
「かくまってくれ。」
という説は、どうでしょうか。
「かくまう」というには、
少なくとも、万一の場合は、
秘密の隠れ家なり、相手より優位に立てる条件がなければ、成立しないと思うんですけど。
半島系が、鍛えられた軍事国家とするならば、
その最低でも、その軍事国家と対等にたてる条件が、縄文文化になければ成立しないとおもうんですけど。
万が一・・・ではなくて、秘密裏にことを進めるには、隠れ家があった方が良いとおもうのですよね。
大げさな戦ではなく、静かな秘密の交渉が行われ、それが日本神道の神事につながる・・・これが、私の考える弥生時代なのです。
詳しくは、後の記事をご参照あれです。(^^)