ライノウイルス 大人の風邪の二分の1~三分の1の風邪菌。鼻かぜ原因菌。喘息の引き金。
コロナウイルス Saasなど。 高熱、激しい咳、息切れ、呼吸困難、下痢、腎不全。
パラインフルエンザウイルス 乳幼児に多い
RSウイルス 冬に多い。RSウイルス感染症には特効薬はなく、治療は基本的には対症療法
アデノウイルス 夏に多い。咽頭結膜熱(プール熱) 結膜炎
ライノウイルス 大人の風邪の二分の1~三分の1の風邪菌。鼻かぜ原因菌。喘息の引き金。
コロナウイルス Saasなど。 高熱、激しい咳、息切れ、呼吸困難、下痢、腎不全。
パラインフルエンザウイルス 乳幼児に多い
RSウイルス 冬に多い。RSウイルス感染症には特効薬はなく、治療は基本的には対症療法
アデノウイルス 夏に多い。咽頭結膜熱(プール熱) 結膜炎
なんだか今年の夏は、終わるのが唐突のようだ。私は風邪から喘息併発中で、夫は風邪を私からもらってしまった。
記録:
25日 朝はなんともなく、10:30頃風邪を引く。喉が痛い。イソジンうがい。あらよと言う間に悪くなり、翌日のヒルの仕事をキャンセル
26日 喉にイソジンが効く~という感じ。夜の仕事をしたら、声が出ないで大変
27日 夜 37.5℃
28日 安静 横になるとせき込む 寝汗。
29日 安静 同じ 寝朝 気温も低く湿度が高いので、寒いのか、湿度なのか不明。夜仕事
30日 安静 山キャンセル 病状悪化。 昼にピザ屋に行った。
31日 朝好転。 病院受診。
1日 好転中・・・いがらっぽい。耳鼻科を受信後、呼吸器科受診。どの医者に行くかも調べてからでないと受診もままならない。
普段健康体であまり風邪を引かないので、医療機関にかかることも少なく、こうなるとまず医者探しが問題になる…風邪では会社員時代は会社の医務室くらいにしか行っていないし、甲府に来てからは、土地の人でないので、あまり医療機関自体を知らない。近所の評判というのも、現代生活では聞く機会がない。
というわけで、珍しくお医者にかかったので、その備忘録。
■私の内科呼吸器科
前回の風邪で内科で喘息があると言われた経験を生かして、呼吸器が得意な内科を受診。もらった薬。
1)クラリス錠 マイコプラズマ用の抗生物質。マクロライド系の抗生物質
2)ムコダイン錠 痰きり
3)濃厚プロチンコデイン配合シロップ 咳止め。
4)シムビコートタービュヘイラー 吸入薬 喘息用。これはとても効いた。
5)シングレア錠 気管支の収縮抑制
■夫の内科。
夫は不整脈があるので、循環器系併設の内科。
1)クラリス錠
2)スピロペント錠 気管支拡張
3)メジコン錠 せき止め
4)ムコダイン錠 痰きり
5)濃厚プロチンコデイン配合シロップ 咳止め
■耳鼻科
私は咽頭を見てもらいたかったので、耳鼻咽喉科に行ったら、失敗だった。
1)チステン錠 痰キリ、鼻水を出しやすくする
2)アスベリン錠 中枢性鎮咳薬
3)レバミピド錠 胃薬
4)ゼスラン錠 抗アレルギー薬。メキタジン
5)クラビット錠 抗生物質。ニューキノロン系
6)トラマゾリン点鼻薬 鼻の充血を取る
7)塩化ナトリウム
というわけで、今回の感冒症の原因菌は、マイコプラズマ。
■マイコプラズマ感染症
http://www.sped.jp/disease_mycoplasma.htm
家族一人がかかると皆かかってしまうそうだ。
・よくある病原菌
・肺炎の原因菌
・ペニシリン系やセフェム系などの抗生剤が無効で、マクロライド系やテトラサイクリン系の抗生剤が有効
■ 風邪の原因菌
ライノウイルス、コロナウイルス、パラインフルエンザウイルス、RSウイルス、インフルエンザウイルス、アデノウイルス。
http://www.jrs.or.jp/modules/citizen/index.php?content_id=2
ウイルス性のかぜ症候群であれば、安静、水分・栄養補給により、自然に治癒します。抗菌薬も一般的には不要なことが多く、解熱剤も適宜に使用する程度でよいと思われます。ただ、原因がウイルス以外の細菌もしくは非定型病原体によると思われる場合には、それぞれに適した抗菌薬を診断後からでもいいので投与します。
マイコプラズマだったのかなぁ・・・ 念のための投与のような気がしないでもない。
このような素晴らしい診断ガイドを見つけた。上記サイトより引用。つまり熱が出ても、色のついた痰や鼻汁が出ない限り、医療機関は受信しなくて良い。
■ 遠方からの友人が訪ねてきてくれた♪
今週はお客さんの週、でした。山で会った友人たちが訪ねて来てくれました☆ なんと二組も!
← これ何の花かな~
花は権現小屋の近くで、コマクサがありました。
花は多かったけど、ちょっと時期が遅かったみたい。八ヶ岳はやっぱり梅雨時がいいですね。
8月は暑いです。ヤツのおススメは9月。
友人は辛いの大好きだそうで、韓国カップヌードルをごちそうになりました。
アルファ米を戻したものの食べず、ほぼ皆でビールで乾杯!
私は朝のパスタを作ったのですが、たらこはイマイチだと学習。水ゆでパスタは正解。
ランチのざるそば。800円。
夏らしい車山湿原&蝶々深山へ行きました。
↓
気になった花・・・
霧ヶ峰は、夏全開!っていうか、もう吾亦紅があり、秋の気配?
ニッコウキスゲもまだ咲いていました。
リトル・ミス・サンシャイン (日本語吹替版)
主役の子役 アビゲイル・ブレスリンを『幸せのレシピ』で見て、その数珠つなぎ。
この映画は、家族ってどうふるまえばよいのだろう?って分からなくなったときに見るもの。
人は助け合い、迷惑をかけ合いながら生きているってことが分かる映画。
成人した兄弟。妹は、自殺未遂した兄を引き取る。「生きていてくれてよかった、兄さん」。ところが、妹の家庭は、口論が絶えない。食卓で「いつもこうなのかい?」とその自殺未遂した兄が、沈黙の誓いを立てている甥に言う。「君もたいへんだね」。
妹の方も兄を救おうと思って家に連れてきているのだが…(笑)。その夜、叔父は甥と打ち解けようとする。甥っこの返事。「Welcome to hell」 が二人の共通認識(笑)。妹は兄を救おうと連れてきたのだが、彼の存在はむしろ甥っ子の救いだ。
美少女コンテストに繰り上げ当選した、末っ子をどうやってカリフォルニアへ連れて行くかで口論する親。結局、お金が工面できず、一家全員がおんぼろワゴンに乗って行くことになる。が、この車、クラッチが壊れて、押さないとスタートできない。故障というトラブルが福と転じて、一家を団結させ、自信を付けさせる。
道中、仕事上、経済的な苦境に立たされることが分かる父親。息子である彼に向って「お前はよくやった。わしはお前を誇りに思う」と声を掛ける祖父。失敗が引き出した父親の愛情。
その途中、おじいちゃん、自殺未遂の叔父にお金を渡し、これで好きな雑誌でも買ってこい、と自分のポルノを買わせると思わせて、相手への思いやりを示す。しかし、そのレジで昔の恋人に出会ってしまってさらに傷を深くしてしまう。思いやりが仇になる。
娘が「アタシ怖いの、おじいちゃん」「パパはあたしのことキライになっちゃう?」とおびえる娘に「チャレンジしない人間こそが臆病者なんだ」とおじいちゃんが答える。子供には大事なことをきちんと伝えるおじいちゃん。ところが、翌日の朝、おじいちゃんは薬物中毒により死亡。孫娘の一大事に対して致命的に足を引っ張ってしまう。
そこで父親は死体を車に入れたまま、会場へ行くことを決意する。社会的規範を一切無視した大決断。すごい決断だ。この社会において勇気のいつ決断とはどのようなものかが表れている。
色覚異常が道中判明し、ショックを受ける兄。妹は静かに兄の肩に腕を回す。大事なことは言葉を掛けることではなく、寄り添うことだということが分かるシーン。「分かったよ」という兄。自分より弱いものに助けられるのだ。兄弟愛とは何かが分かるシーン。
遅れそうなため、率先してもうダッシュで受付に行く叔父・・・仲間とは何か?自分にできることをするとはどういうことか?が分かる大事なシーンだ。
4分の遅刻で出場資格を取り上げられそうになる。このシーンで、ひざまづいて懇願する父親。家族のために捨てるプライド。カッコいい。自分のメンツより家族愛。
そして、大会の外での甥っ子と叔父の会話。叔父から甥っこへの愛情あふれる会話。
大会が進むにつれ、「妹が笑いものにされる」「母親なら娘を守れよ」と慌てる、父親、兄、叔父の3人。思いやりとは何か?がよく行動に表れている。
「出たくなかったら出なくてもいいのよ」と判断を娘に任せる母親。相手を尊重するとは何か?が分かる。
出ると決意する娘。、「チャレンジを受けてたたないことが負け犬」というおじいちゃんの言いつけを守っている。真の勇気とは何か?がここに表れている。
そしてフィナーレ。ダンスを披露するのだが、ストリップだったのだ・・会場は騒然としてしまうのだが、率先して拍手する家族たち。
最後は会場側が辞めさせようとするのに対し、家族総出でステージで踊ってしまう。家族とは愛情とはこうあるべきだ。
結局、この映画が描こうとしたことは、真の愛情は、うわべでは計れないと言うことだ。
愛情から出た行為が、相手をより深く傷つけることもある。
その逆もある。人は弱さは仕方がない。大事なことは愛情なのだということだ。それは社会的な成功の尺度では計れないものなのだ。
最近、黒人のバレリーナが終に誕生した。
私は長いことバレエを習ってきたのだが、バレエが好きだという気持ちのどこかに西洋文化に対する憧れがあるのか?ないのか?もう自分でも全然分からない。
西洋かぶれだと言われても、小さいころからパンを食べているし、コーヒーだって日本の物ではない。ありとあらゆる面で西洋化された後に生まれてきたから、何が日本で何が西洋か?そんなことは考えずに全部を受け入れて育った。きっとアメリカの黒人も同じだろう。おっと最近では黒人と言う言葉は差別用語とされている。差別意識がないのに差別用語とするのが、差別の始まりのように思われるが、最近はブラックアメリカンはダメで、アフロアメリカンと言う。しかし、これには事情があって、黒人さんの中でも、色白で、ほとんど東洋人くらいの人もいるがそういう人をブラックと言うと違和感があるからだ。それでアフロアメリカン、ジャパニーズアメリカンなら意味が通る。
日本の国技、お相撲も、今ではすっかりモンゴルの国技みたいになってしまった。が、大事な精神は守られていると思う。
同じことがバレエにも起きていれば、それでもいいのではないか?と思う。
バレエは西洋の、白人の、文化だ。アラビア人など異国の姫や奴隷として描かれていても、誰も何も反論しない。おとぎの国の話はメタファーで、史実に即している訳でも、現実に即しないといけない訳でもない。が、人々のものの見方を反映していないとは言えない。昔から姫も王子も、奴隷も魔法使いも妖精も娼婦も兵隊もいたのだ。
けれどもブラックな白鳥、オデットはありえないわけで、見ていても違和感があった。それでたまたま、反対派のひとにとっては、そこは最後の牙城となっていた。私自身も、オデットを見るとき、西洋人のオデットのほうが好きだ。日本人のオデットの場合は、圧倒的な演技力で、オデットらしからぬ容姿を補って、説得力を高めている。オデットがオデットたる理由は白鳥であるということなのだから、当然だと思う。
日本人だって外国人が日本人の役を演じていていれば意義を申し立てるだろう。たとえば、しどけない着方の着物を見ると私などは直したくなる。ましてや、それが丸で日本人らしくないそぶりであれば、ガッカリを通り越して、違う!と嫌悪感さえ覚えるだろう。着物を着るということは着ているだけでなく、良いマナー、立居振舞などすべてを含むのだ。
バレエは文化であり、日本文化に外国人が相いれない(というか無知)と同じことなので、入れてもらう側が、その文化の真髄を吸収する努力をするのが当然だと思う。お相撲だって、みなちゃんこを食べているわけなのだから。
ブラックスワンと言う役がある。ブラックスワンは一方で個性が強い役とされていて、バレエの世界の最高のヒエラルキー、プリマとはまた違う…。ちょっとキャラクターな役だ。しかし、超絶技巧で凄い役には違いない。そういう役で、実力を発揮する人もいる。
ただし、プリマとは違う。ただ、その違いを、1番ではないとみるか、単なる相違とみるかはもののの味方の差だ。オデットをやる人がオデールをやれるかというとできない場合も多いだろうし、質の差であって、実力の差ではないということももちろんできる。
私はこのように思っていたので、運悪く白人が作り上げてきた文化の中で、自分の肌の色をハンデに持ちながら、踊り続けたいと思う人たちは、その文化の王道ではなく、派生形、例えば、日本人なら日本人にしかできないオリジナルのバレエを作り上げたらいいのではないか?と思っていた。
例えば、日本人の動きはきめが細かく、正確で、コールドを見ると外国のバレエ団のコールドは、名だたるバレエ団であっても、バラバラだったりもする。(特にアメリカ系)。日本人のバレリーナはパッと目立つ強い個性の個性派は少ない。でも、正確なパに年をとっても愛らしさを失わないという特徴がある。
コンテンポラリーダンスの分野では、日本の男性は大活躍で、体格の小さささえも個性となっている。すべて、実力で稼ぎ取っている地位だと言うのが凄いことだ。
そうした動きはアフロアメリカンのバレエにあったのか、なかったのか、このところ、バレエ界にはとんと疎くなってしまって、あまり動きに追従していなかったので知らない。
でも、このニュースの扱い方で行くと、どちらかというと、アメリカの大統領に終に黒人が出た!と言うことに近い気がした。つまり、黒人VS白人、という古いマインドセットで、終に白人を黒人が凌駕する時代が来た、という感じに書かれている気がした。 〇〇VS〇〇という二項対立は分かりやすいが、全然現実を正確に表してはいない。
そういう意味では、この黒人女性が試されるのは今からだ。バレエの伝統にどのような価値を追加できるのか?それは、東洋人である吉田都さんがロイヤルに何をもたらせたか?というのと同じであるべきだ。
間違っても、盛り上がったふくらはぎは美しい、ではない。バレエの伝統的な価値観では盛り上がった筋肉は醜いものとされているのだから・・・。
伝統の継承に人種は関係ないと思う、文化の継承もその文化を愛している人こそすべきだ。しかし、文化の否定と言うのは、オーソドックスではなく、カウンターカルチャーでやるべきで、今までカウンターカルチャーにおいては、伝統的に否定されてきた、個性の強い人々、男性、異国の人々が多くの実績を残してきた。
その領域にとどまらず、終に王道にも、実績を残せるバレリーナが出たのだ・・・と言うことで、今後がどのようなバレエの伝統を継承して行ってくれるのか、期待される。一人のバレエファンとして、間違ってもバレエの否定でないことを願う。
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今年も育英会の奨学金の返還の時期が来た。
卒業して、何年になるだろう…私は両親から大学に出してもらうことは期待できないのに、3年先のことを考えもせず、普通高校に進んでしまった。学校は進学率100%で就職の道はなかった。進学せざるを得えなかった。実家は私学の高校生を二人抱えて期待できず、それで自力で夜学に行った。夜学は5年制なので、ストレートに卒業しても5年かかった。フルタイム勤務で働きながらだったので、常時時間に追われた。
3年目で休学して、2年間アメリカに渡った。2年、これで遅れたので、卒業はさらに遅れて、トータル7年かかった。小学校より長く、学校にいたことになる(笑)。帰国したら、学内に知っている人は、ほとんどいなくなっていた。教務課の人が、おかえりと言ってくれた。渡米は自力だった。
帰国後、教官に外国人の先生を選んだので、授業は英語での討論だし、卒論も手を抜けなかった。語学学部は出席率に厳しい。生活のための仕事にそんなに精を出せなかった。そんな調子だったから、卒業した時も帰国時と同じくすってんてんだった。卒業したタイミングも悪く、就職氷河期。
就職氷河期で、就職率は先輩たちで25%だった。同級生で、まともな就職ができた人は、外務省の一人と教職についた一人くらいだ。一般企業に行って、まともに就職できた人はいない。みな大学院に逃げ込むか、地元に帰って親元に身を寄せていた。どっちの選択肢もない同級生の一人は、バイトで入ったマツダの工場にそのまま勤め続けた。その後彼の訃報を聞かされた。自殺してしまったのだ。他の同級生は、何年もバイトでファーストフードの店長を務めたが、正社員には登用されず、失意のうちに親元に帰った。農家を継いだのだと思う。私も院をしきりに勧められた。が、卒論しながら、バイト生活は大変すぎて、これを続けるのは無理だと思った。学内には先輩がいっぱいいて、教授ポストは糞づまりだった。子供を3人抱えた助手がコマで教えていたが、妻の収入がないと生活が成り立たないと言っていた。
卒業時25歳だったので、一般社会では新人とは言えず、勤め先探しは難航した。たまたまバイトしていた先の人が目を掛けてくれて、なんとかひねりこませてもらった形だ。だから、入社直後から即戦力扱いだった。派遣社員のスキル採用だった。その頃、小・中・高と同じ学校の地元の大親友が、初出張で遊びに来てくれた。一緒に青春18切符する仲の人だ。一ツ橋を出て、製造業の営業部に入った。私と製造業で同じだが、私は開発部で向こうは営業にいた。
当時、派遣は今のように”ちょっと高級なバイト”というくらいの”誰でもできる雑用をコストダウンするために派遣に置き換える”常套手段のではなく、プロでないとできない仕事の外注、という位置づけだった。第二新卒という言葉はまだない。派遣で行く人には、最低でも2年間の該当実務の実務経験とマイクロソフト製品が、よどみなく使えるという、まぁ常識的なITスキルを求められたが、それさえできない人が既存社員の中には大勢いた。語学では、私は通訳経験があったけれど、単発なので経験値には換算されず、パソコンも同じだった。しかし、入ってみれば、私がワードやエクセルの使い方を教える側で、教わる側にいることはなかった。アクセスはゼロからデータベースを起こした。キーボードはブラインドタッチだった。中学生から学級新聞をワープロで作っているのだもの、当然か。家に帰るのは10時が普通だった。
仕事を初めて1年目、26歳の頃、弟が24歳で亡くなった。弟には彼女が3人もいたらしくてびっくりした。帰ったら、実家に弟の靴が150足もあって、それにも驚いた。私はまだ長屋に住んでいた。トイレは共同で風呂なし。
弟が死んでから、しばらくして、妹が自殺未遂でICUに入った。それで妹を大阪に引き取ることになった。妹は短大を出て、地元で親元に住み、親が就職斡旋した会社でOLをしていたが、妻子ある人を好きになり、捨てられたのだった。私は長屋から抜け出して、恋人と二人で、やっとトイレとお風呂がある、普通のマンションに入って、まだいくらも立っていないところだった。当時はまだ、よく友達が遊びに来てくれる家だった。大学の友達と週に一回クラブに通ったりしたけれど、アメ村のすごく安いところだ。一杯1000円くらい(笑)妹はすぐ元気になった。そして元気に宮古島に旅立っていった。
子供の頃、自分ができることが弟や妹にもできると思ってはいけない、と言われた。それはただ年長さんだからだ。
6歳の頃、両親が離婚した時、弟は4歳で母親が仕事のために出かけようとすると泣き叫んで嫌がった。この年齢の子供には普通だ。それで私が抱っこしている役目になった。妹も弟も母恋しくすごく泣いた。妹は母親と間違えて私の膝に攀じ登りたがった。でも私も6歳なのだった。
母が帰宅して、お茶を入れてあげると喜ぶので、自然に夕食を作り始めた。8歳の頃だ。でも、子供のことだから、味噌汁と卵焼き、ごはん、くらいのことだ。買い物にいく時間が母親にないので、私が買い物に行く。八百屋さんが重いだろうと言って、みかんやさつまいもは配達してくれるときがあった。弟は6歳、妹はまだ4歳だった。その習慣は私が15歳になるまで続いた。自宅に帰ると家事優先で、受験勉強をする時間は取れなかったので、自宅に帰らず友人の家で夜は勉強して、朝は6時からパン屋でバイトしていた。バイトは禁止の学校だったが、気にしている場合ではなかった。
24歳。私はアメリカでありとあらゆる手段で四苦八苦していた。同じ年齢で母は一人目の子供を産んだ。妹はICUに入っていた。
28歳の時、私は研究所所属になった。個人事業主契約だった。母は3人目の子供を産んだ。妹は宮古島に移住した。都会は体質に合わないのだそうだ。その後、海外に渡った。
祖母は45歳で、”おばあちゃん”になった。母は当時24歳で初産だ。私は40歳を超えたが、子供は授からなかった。今後授かることはないのではないだろうか?
母が人生のパートナーを失った28歳はまだ子供だ。そんな年齢で3人の子供を抱え、30歳の飲んだくれの亭主を持っていては、どうしてよいか分からなかったに違いないと思う。祖母は、その時50歳で老いを目前にし、女ひとり生きていく決断をするのは、壮絶だっただろうと思う。一方で、若年30歳の若者が、3人の子供と妻を捨てて、自分の夢を追っても、仕方がないのかもしれないし、まともな仕事がない地方で仕事が続かないと言っても仕方ないのかもしれない。それで生まれてしまった子供は一体どうしたらよかったのだろう?弟も妹も私も。そして母も。
育英会の奨学金の封筒は、いつも私にこうしたことを思い出させる。あと何年あるかな・・・
山をめぐる自立は、人生の自立や役割分担ととても似ている。
充分、能力が備わった人に役割が巡ってくるのではないのかもしれない。いつも背伸びをしなくてはならない人といつも誰かが面倒を見てくれる人がいるものだ。
そして、たいていがその事には長い時間、気付かれないものだ。相手の立場に立つことがないと気が付かない。
■「心の自立」
登山では、依存心の強い人は万年セカンド、という位置づけになりやすいので、依存的な心をどうやって自立心に導いて行くのか?ということに、興味が湧き、『心の自立』という本をたまたま読みました。
結論から言うと、この本はすごい本です!
しかし、私にとって新鮮だったのは、自立の項ではなく、「関係欲」という項目でした。
■関係欲で結婚すると結婚が苦痛になってしまう
もし結婚生活が上手く行かなくて悩んでいる人がいたら、この本の関係欲という項目は、必読です。
つまり、人間には「愛」と一見ソックリの「関係欲」という欲があるのです。
ある人と関係を持ちたい!という欲です。関係欲は、嵩じると嫌がる相手に無理やり交際を迫って、ストーカーまがいのことをしてしまう、というような心です。
それは相手のためを全く思っていないので、どこが愛なのか?ということになりますが、本人は好きだからと信じ込んでいるし、また周囲もそれを受け入れてしまうような土壌が日本にはありますね。熱烈ファン、というようなことで迷惑行為が許されてしまいます。
が、どう考えたって変ですよね。相手が嫌がっているのに押しかけるなんて。
この「関係欲」について知ると、「結婚は3年で飽きる」とか「男はみな浮気したがっている」「妻(夫)がいなくなって清々した」などの発言をしなくてはいけないような、結婚が、「愛情」ではなくて、「関係欲」に基づいて行動された結果だと分かります。
そうした場合、生活がすでに築かれていたり、子供がいたりすると、その「関係欲」に基づく「関係」は、より解消しづらくなると思いますが、基本的に愛に基づいていないのですから、本当は解消した方が良いのかもしれません。
・関係欲とは?
関係を持ちたいという欲
相手が自分に応じてくれることを求める、自分のための要求
関係欲 愛
飽きる 飽きない
疎ましく思う 思わない
一遍に覚める 続くもの
自分本位 相手本位
恨み・憎しみに転嫁する 転嫁しない
重荷となる 重荷とならない
嫉妬の対象 嫉妬の対象とならない
執着心 執着の対象とならない
愛:相手が何をしてくれるかにかかわらず、相手のためを思い差し出す心
・関係欲の場合は、自分が構ってもらえないとなると、一切の貢献の努力は失われる
・それどころか、関係を迫って危害を加えたりなどという、とんでもない行為に及んだりします。
例: 好きだから別れたくないと言って嫌がる相手を包丁を持って追いかけた。
交際を断られた相手を誰かにとられるくらいならと思って、殺してしまった
■ 一歩進んで見分け方
モノゴトは、裏側からも見ることができます。ので、いつも思うのは、
・飽きてきたら、それは愛ではないのではないか?
・疎ましく思ったら、愛ではないのではないか?
・にくく思ったら、愛ではないのではないか?
・嫉妬したら、愛ではないのではないか?
・執着したら、愛ではないのではないか?
などの、”質問力”を常に使い、自分に問うことではないか?と思います。
そのような残念な結婚をしている人は、たいていは「結婚とはそのようなものだ」という自分にとっての真実を、あたかもすべての人にとっての真実、であるかのように語ると思いますが、そのようなことが真実であれば、人類の歴史の中で婚姻システムと言うのは壊れて締っているはずです。
そういう場合は、その人は単純に結婚した時点で、「愛」と「関係欲」が見分けられるほど、成熟していなかったということなのでしょう・・・
残念ですが、お気の毒という以外は、他人からは手の施しようがありませんね。
今日は誕生日で、朝からFBで友人たちからメッセージをもらいました☆
大変ありがたいことです。ありがとうございます。
この歳になりますと、単純に喜ばしいわけではないよ、という穿った見方をしてしまいがちな誕生日ですが、そういうひねくれ心は、この際、胸にしまっておきましょう。
モノゴトには多面的な見方があるということを知っているのは、知能(IQ)がなせる業ですが、今は感情、エモーショナルEQを高めるべきときです(笑)
贈り物は送り手の真意を正しく受け取るのが大事です。みなさんのご厚意、深謝しております。
■ 飽き
私は老顔で、12歳で、すでにはたちと間違われている大人子供でした。
大人としての責任を取り始めた年齢も、一般的な年齢と比べ、若かったので、大人として生きた年数を数えると、すでに30年くらい続いているような気分です。
つまり、自分が一体何歳になったのか、よくよく数えないと、よく分からないような感覚を持っています(笑)。
つまり、少々飽きている。その”飽き”が、私のテーマです。
■何歳になっても中身は ”わたし”
高校生の頃、30歳はおばさん、だと思っていませんでしたか?
しかし、30歳になったとき、その中身は、まだ17歳の私と同じでした。みなさんもそうではありませんでしたか?
そこから想像すると、50歳、60歳、いや70歳や80歳になっても、中身の自分は、あの17歳の自分のままだと気がつきませんか?
そう気が付くと、やおら、空恐ろしい気もしてきます…。まさか、この”自分”と、あと、ん十年付き合っていかなくてはならないのですよ・・・(汗)
話を戻しますと、ヨガが輪廻転生を教えるとき、この、何歳になっても中身の自分は変わっていないこと、が根拠です。
つまり、肉体の経年、つまり年齢を重ねることはあっても、中身が変わっていないのですから、いつかは、この肉体が経年劣化しすぎたときは、肉体を脱ぎ捨てるはずだ、というのです。
どうです?肌感覚として納得しませんか?
■ 自分を脱ぎかえる
いや17歳どころか、3歳の自分と同じですよね。
でも17歳としたのは、幼児は自分で”ジブン”が、難しく言えば、自我が、分かっていないからです。
人はどうやって自分らしさを作っていくのでしょうか? お母さんから、良い子にしなさいと言われたら、良い子になるのでしょうか?
芸術家などの分野では、先天的な才能の有無と後天的な努力のコンビネーションが決定的ですが、芸術家でなくても、それぞれの”ジブン”は、素養があった上に、後天的に花開いたもの、とするのが一般的かもしれません。
タネがあるところに水を撒かなくてはならない、ということですね。
タネがそもそもなければ、水を撒いても花は開きません。
種を持っているか、いないかは、どうしたらわかるでしょう?
それは、難しく考えなくてもいいのです。何をしていて、楽しいか?と考えると、それがタネ、自分、自分らしさ、です。
楽しいこと、が、自分の タネ です。言い換えれば、自分らしさ、です。
ヨガが心を羅針盤にしろ、というのはこのためです。
(ちなみに ヨガでなくても、たいていの自己啓発本には、そう書いてあります。)
そして、水を撒くことが、自分がこの人生でやるべきことです。
■耽溺しない
凡人、小人の持つ、ギャンブルをしていても楽しい、キャバクラで女性にモテていたら楽しい、お酒を飲んでいたら楽しい、宴会していたら楽しい、ショッピングしていたら楽しい、などなど…から、過去の時代の暴君のような、放蕩していたら楽しい、大量殺戮していたら楽しい、など、”楽しさ”にも、色々ありますが…
ちなみに、身を滅ぼす楽しさは、後で虚無感になって襲ってくるものです。
そういう楽しさは、最初が一番楽しく、後になるほど、むなしくなり、もっと強い刺激を欲しがるようになります。
これはアーサナ(ヨガ)でも、山でも同じです。より難しいアーサナへ、より難しい山へ、と駆り立てられ、そのキリがないのは、ギャンブルや飲酒と同じく、耽溺です。
仕事もいうなれば同じです。クライミングでも同じです。スポーツは向上心という免罪符を持って、耽溺を許容しているので、要注意です。
病気や怪我や事故がその予兆を知らせてくれます。ので、怪我をしたら、耽溺を疑いましょう。
心に充足感をもたらすものは、次から次へ…とならないものなのです。
なぜなら、満たされるからです。
それが、第二の見分け方です。
■満たされた人々は成功を求めない
世の中の満たされた人々は、すでに満たされているので、人に与えることを考えるようになります。
どの時点で満たされたと考えるか?は、人それぞれです。100円持っていても満たされる人もいるし、100億円あっても満たされない人もいます。
億万長者など大抵の目立つ”成功者”は、ハングリー精神が旺盛です。現状の社会システムでは、そうでないと、企業経営などできないからです。
巨万の富を築いた後、慈善事業の基金などを設立して、新たな”与える””分かち合う”というミッションを見出します。最近の有名な人では、ビルゲイツ財団とかですね。
そういう意味では、大きな成功(知名度や富)を収めないと満たされたと感じられない人々は、より少ない物質で満たされたと感じられる人より、精神的成熟度が低いと言えますよね。
平たく言えば、ある人は100万円与えられただけで分かち合おうとし、ある人は100億円与えられないと分かち合おうと発想できない、そういうことになります。
どちらがより成熟しているでしょうか?
無名の人々、巨万の富を持たなくとも、分かち合おうとする人々こそが、真の賢者であると言えます。
ジーザス・クライストは、奇跡により、聖なるパンとワインを作り出し、人々を満たした、とされていますが、史実的真実は、少ないパンを大勢で分け合ったため、皆の心が満たされた、というものです。
■ 人間の器
お皿は子供に割られても、笑って済ませられるだけのものを使いなさい…それがあなたの器です…と言われますが、同じことが ”分かち合い”にも適用できます。
お金を貸してほしいと言われたら、貸さずに、差し上げても苦にならない金額を差し上げる。
どれだけ分かち合えるか?は、分かりやすく言えば、その人の人間の器次第です。
差し上げたあと、あるいは分かち合ったあと、嫌な気持ちになったならば、それはそうするべきでなく、自分で自分の幸福のバケツを満たしているべきだと言う意味です。
まずは自分で自分の幸福のバケツを満たし、あふれ出た分を分かち合いましょう。
多くの人は、人に自分の幸福のバケツを満たしてもらうのではなく、自分で満たすことをまず覚える必要があります。
■親切のし過ぎに注意
分かち合いをしていると、こんな人に対して分かち合って損した、という気分にさせられることが良くあります。
世の中には、もらっても、もらっても、もらい足りない人もいます。そういう人につかまってはいけません。なぜなら、他の人に与えることができなくなるからです。
ただ幸福はゼロサムゲームではありません。戦後50年の競争社会は、幸福がゼロサムゲームだという幻想を生み出したので、間違って理解している人も多いです。誰かの不幸がなければ、自分の幸福がないというわけではありません。
たとえば、先進国の豊かさは、第三世界の貧しさに立脚しているとみなすこともできますが、第三世界の産業が栄え、各国が豊かになることが、先進国のさらなる豊かさをもたらす、と考えることもできます。
■ ねぎらいを求める
誰だってありがとうのねぎらいの無い親切には疲れ切ってしまうものです…それはローマ教皇や、ダライラマだってそうでしょう。ただ彼らは、そのような羽目には、なかなか遭遇しないモノと思われます。
市井の人々は、ダライラマのように無条件の尊敬を得れるわけではありませんから、これも市井の賢者たちのほうが、権威の衣をまとった賢人たちより、より困難な状況での試練を受けていると言えます。
市井の賢者の皆さん、自信を持ってください。
というわけで、今日は、名もなき天使たちへの応援でした☆
■ 牛乳を買っても牛乳じゃない?!って自然なのか?
左は 乳飲料、とありますね。
右は、牛乳です。
違いは
原材料が100%生乳かどうか
です。
乳飲料には
添加物
が入っています。
ビタミンDとか鉄分とか入っていていいじゃん!
ってたしかにそうなのですが・・・
■ 夏の終わり
お盆が終わると、もう残暑と言われます。今日はとっても暑くて、エアコンなしではやって行けない感じですが、それでも残暑。
そして、夏の終わりの気分は、というと、反省会です。いつも”何を成し遂げ、何を成し遂げなかったか?”を自分に問います…。
What have I achieved this summer?
そう、夏はアクションを問われる季節です。さらに言えば、アクションの結果を問われる季節ですね。 が、私にとっては最も行動を起こしづらい季節なんですよね。
というわけで、毎年夏の終わりは、毎年、少々挫折感を感じる、という巡りあわせになっています…(^^;)
■チャンスをつかめなかったワタシ
今年のお盆は、複雑な心境での旅でした。体調がイマイチなのは、プライマリーな理由ではなく、私に知人伝いで、ある求人の話が舞い込んだのです。
ところが、私はクオリフィケーション的に、その求人には、ちょっとミスマッチでした・・・。3つある条件のうち、一つを満たしていなかったのです。たった一つだけ…。それは英語を教えた経験、です。
これは、キャリア方面は、すっかりお留守にして、安心しきっている私に神様が、キャリア方面でも、爪とぎを忘れてはならぬ、と、警告してくれているのかもしれません。
■ 女性と社会貢献
就職したい…というのは、正直な所、正確な表現ではないかもしれません。
就職というより、自分の持って生まれた能力を気持ちよく生かす場を持ちたい、という気持ちかもしれません。
登山にハマった理由は、まさしく登山で私の才能が生かせるから、に他なりません。
結婚して家庭を持っても、持たなくても、働くかOR働くか、しかの選択肢がない男性諸氏にとっては、ある意味、女性は羨ましい存在かもしれません。
女性には、働くか働かないかの選択肢があるように見えるからです。が、それが選択肢であるのは、自由で豊かな労働市場においてのみです。私の職業は、主に本社機能に属すものだったので、いわゆる本社が、そもそもないような土地に来てしまうと、自動的に失職します・・・が、仕事のために、夫を残して大阪に残る、という選択肢はないわけで・・・。男性が優先権を持つ、ということでやはり女性は適応することしか選択肢はありません。適応の結果が専業主婦ということです。
逆に 夫は私がニュージーランドでヘッドハンティングを受けても、やっぱりついては来れない(つまり適応はできない上、主夫にもなれない)ので、私が夫に合わせるしか選択肢はありません。
ヨガの教えでは、女性には夫を通じて与えられる、という運命もある、と説いています。
その女性がもっとも社会に貢献できる道が、家庭経営を通じてであれば、それは、その女性に与えられた仕事です。居心地のよい家庭を運営すること、子を産み、育てることは、生涯を掛けてやるに値する仕事です。
逆にもし、社会が親に時間を与えず、その結果、親から十分に時間を与えられなかったことによって、十分な愛情を受け取ることができなかった子供を増やすと、それは、ある意味、社会の害悪でさえあるかもしれません。
子供の頃に、十分に自尊心が満たされていないと、そのことは、生涯その子供を苦しめるばかりか、周囲の人々の苦労の種になってしまいます。たとえば、犯罪者には注目を惹きたい、認められたいがために、犯行に及んでしまう人が少なからずいますし、アルコールやタバコ、買い物などの依存症の人も大抵がそうです。
そこまで行かなくても、常に賞賛や承認を求める人になってしまいますよね。逆に、親から十分、時間と愛情を注がれた子供は、大人になって、他の人の時間やエネルギーを消費する人にはなりません。
今の日本社会を見渡すと、愛情と時間の代わりに、金銭を注がれた子供はいても、十分に親の愛を受けた、自己肯定感の強い人は少ないのではないでしょうか…。
だから、常に人と比べ、人と同じことがしたくなり、人が持っているものが欲しくなる。
経済的に主婦の経済効果を推し量ったデータなどもありますが、そんなことより何より、主婦がやりがいがあり、必要とされる職業であるという真実を如実に示すのは、私のかつての上司たちの家庭がほぼ専業主婦、ということです。かつての私の同僚たちも、妻が家庭にいるか、家庭に主軸を起き、フルタイムでは働いていない家庭の人がほとんどで、男性並みに働くフルタイムの妻を持っている男性は、日銀に努めている女性のおひとりだけでした。つまり、社会で働くということは、ハンデの無い男性でさえも、妻の支えを必要とする、というのが真実でした。
私も本音は妻が欲しい… 快適な家庭と温かい食事、清潔なベッドと衣類…安心できる場所が常にスタンバっている状態。
現代は男女平等が発展途上の、男性中心の社会ですから、仕事において、ハンデがあるのはむしろ、女性で、妻が必要なのは、女性です(笑)。 ハンデがあるのに、男性と同じ成果を求められつつ、労働の対価である賃金は男性に譲り、そして、家庭でも手を抜けない…のが、私が知っている女性たちの働く姿現実でした。自分も含め。
大概の男性は、家に帰るとスイッチが自動的にOFFになりますが、女性はOFFにはできない。帰宅して、お茶を入れるのは私です…疲れた~と家に帰ってからも、仕事が待っているのが女性。
まぁそんなわけで、私自身は、女性が外に仕事を持たなくても、安定した家庭を作っているだけで、十分素晴らしい社会貢献をしている、と思います。社会の平和は家庭の平和から、は真実ですし。
社会に貢献している夫を支える、という貢献です。 私も、夫は、私などには到底できない高度な仕事をしていると思うので、彼が仕事をしやすい環境を整えることが、結果的には、私の社会貢献であろう、と時に思います。
ただ、一方で、私は家事の才能豊かな方ではないのは明らかな上、子供もいないので、家庭を切り盛りすることが、私の社会的貢献のすべてだと言い切るのも、たぶん、ちょっと違うような気がします。家事は私にとっては出来るけど、出来るだけのことです。学生時代は家庭科は5でした。が理科も5だったし、国語も5だったんですよね。私が最も強みを発揮できるのは論文です。
しかし、私の持っている得意やスキルは、使い道を発見するのが難しいコンビネーションらしく、常に頭を抱えています。
ので、余っている時間と労力の有意義な使い道を常に模索しています。簡単な言葉でいうと、”やりがい”のあることですね。
■ やりがい
やりがいがあること、と言うと、やはり、第一に人間が考えるべきなのは、他の人の役に立つ、と言うことです。
私はその場合、たくさんの人に役立ちたい人と、少数の人の役に立ちたい人に傾向として分かれると思います。
誰もが他人からありがとうと言われるとうれしいものですが、多くの人の役に立つことがより大きな喜びとなる人は、名声を求め、間接的な”ありがとう”を多く受け取る人です。
逆に少数の人の”ありがとう”が心に響く人は、一体一のコミュニケーションに長けた人です。私はこちらです。ヨガを教えていると、一人の人が成長し、変化するのを見るとこの上ない、充実感を感じます。一対多のコミュニケーションは、むしろ苦手です。コンサルティングはできるけど、大教室での黒板での講義は苦手です。
私はこのブログを書くときでも、大抵は、誰の役に立つか?ある一人の人を思い浮かべながら、書きます。それは自分であるときも、もちろんあるのですが。ともあれ、読者を想定することは重要です。
■ 学びと後悔
ただ、すべからく人は、究極的には、自分自身の学びのために、今世を生きています。私自身、なんらかの”学び”があって、すべての時間を過ごしているわけです。
人生は有限で、しかるべき時にしかるべきことをやっておかないと、のちのち後悔の時間を過ごすことになってしまいます。
後悔の有無が人生の成否の指標となるくらいです。
私は、この仕事を受けることができそうにないので、英語を教えるという経験を少しでも、積んでおくべきだったと今感じています。
ということは、今からするべきことは、英語を教える経験を少しでもいいから積む、ということかもしれません。
ということは、登山という活動を通じての学びは、一つの区切りにあるのかもしれません。
≪登山で学んだこと≫
・変わることを恐れないこと
・適応すること
・10の力があれば、8の力で山に登るべきなこと
・「勇気ある撤退」と言うように、ある時は手放すこと
・「山は自己責任」の”自己責任”は、単独とは限らないこと
・”個の自立”から、夫との”相互補完・相互依存”へ。生かし生かされる関係へ
・今、何ができるか?と常に問うこと
・常に前を見ること
・観察と経験から常に学ぼうとすること
と言うわけで、少し考える時間が必要です。
まぁ人から見れば、常に考えてばかりいるような感じの私ではありますが…
ここ数日、甲府は大変暑いです。今年甲府は7月11日から夏日に入りました。
そして私は、その夏日初日にクライミングウォールでノースリーブのタンクトップで壁に張り付いていて、肩をうっかり日焼けし、今もう皮がむけてきています。人工壁で壁にへばりついていたのは、ほんの10分程度だと思うのですが、湿度を含んだ空気を通った紫外線の威力は侮れないみたいです。完全に焼けすぎになっています。日焼けしやすい私は、この週末のクライミングで日焼けし、すっかり”夏休みの子供状態”です。つまり幸せいっぱい!ということですね。
■ 私の山
私は夏は暑いので、涼を求めて沢を歩きたいと思っていました。もうそろそろ涼が欲しくなる季節になりましたが、今年は、北岳バットレスという課題が浮上しました。北岳バットレスは、私という登山者の身の丈以上での山であり、全エネルギーを集中投下しないと実現しない。そのため、今は沢はお預け感が少しあります。
北岳バットレスは、私らしい山か?というと、たぶんそうではないと思いますが、北岳バットレスに行きたくない登山者はいません。登山者なら誰もが行きたい山です。ただ行けるとは思わないから行かないだけで。私自身、まさか北岳バットレスに行くという可能性が、ほんの指先の先っぽだけでも浮上してくるとは思ってもいませんでした。
それは、鹿島槍鎌尾根や西穂高沢、あるいは屋根岩2峰や小川山レイバックにしても同じです。まさかこのような山に行ける日が自分に来るとは思っていなかったのです。どの山も名前さえまったく聞いたことのなかった山でした。
考えてみると、これらの山は日ごろの読書や苦手である人工壁でのクライミングを続けているというような、日常傾けている地味な努力に対しての、ご褒美というような感じですが、実際のところ、これらの山が可能になった事情の半分は、私自身の努力の結果ではなく、ベテランたちにとっても、山の同行者を得るのが難しいという山岳業界の事情によるものではないか?と思います。
同行者ってそれほど得るのが難しいんですね。 自分の行きたい山に一緒に行ってくれる人がいないって意味です。
まぁ、私は単独大好き派で、ロープのイラナイ山に夫以外の人と行きたいと思ったことはないので、いつでも誰かと行きたい、という気持ちはあまり分かりません。
■ パートナーを育てる
パートナーを見つけるのが難しいので、パートナーを育てる人もいます。
その場合のメリットは、自分好みの登山者に仕上げることができる、ということです。
ハイキングにも行ったことがなくてバリエーションに登っている人もいるらしいので、不思議におもったら、そういうことでした。
私にとっては、登山は経験ゼロから積み上げる、発見のプロセスを愉しむものなので、そのような、いきなり感のある成長の仕方もあるということにビックリしました。
『華絵山に行く』という本を前に読んだときにもそう思いました。一人では高尾山にも行けないのに、冬の穂高とか行っちゃった女の子の話です。クライミングジムにヘルメットを持って行って笑われるんですよね。
私がそれ以上に驚いたのは、育てる人の側です。
ハイキングレベルの登山経験もゼロの人を、バリエーションが登れるまでに育てるのは、一言でいえば、すごく困難なことだと思います。体力やクライミング力は、一朝一夕にはつかないので、時間もかかるでしょうし、行き先の選定から、安全配慮まで全部自分持ち、つまりガイド状態です。相手は何も知らない、知っているはずがないのですから、仕方ありません。それを分かっていてやらないといけない。相手にモチベーションを与え続けなくてはなりません。
ガイド以上の、まるでサリバン先生か、専属トレーナーのような負担を全部を受け入れてまで、パートナーを育てるなんて、私にはとてもできそうにありません。何しろ自分がしてきた苦労の果実をぜんぶパートナーに注ぎ込む、ということになるからです。
たとえば、去年、ハイキングレベルの登山者をアイスクライミングに誘い、クライミングを楽しんでもらったことがありましたが、ハードシェルも冬靴もヘルメットもハーネスもクランポンも私が貸出しでした。その上、ビレイはさせられない、というかしてもらえないのです。つまり連れて行くと自分は登れず相手を登らせてあげるだけです。さらに言えば、もしガイドに頼めば、2万円近くの出費になるということも、初心者なので当然知っているはずがなく、ありがとう、という一言でさえも期待はできません。逆に危険な目に合わせてひどい、と言われないか、びくびくしないといけません。その上、ビレイしてもらえるようになってもらおうとおもったら、練習用のジム代も自分持ちです。
具体的に言えば、そのような負担があるんです。私がそのような負担を背負ってまで一緒に行きたいのは正直、恋人である夫だけです。
私の師匠は、若き日の自分が注ぎ込んだ登山の情熱と苦労の価値を理解でき、ありがたいと思ってくれる人にだけ、分け与えたいとおもっているのではないか?と思います。
勉強熱心な初心者が愛される理由は、そこです。熟達者の苦労と価値が分かるということです。
しかし、一般に、一般登山者がそこを理解できるか?というとそれは非常に難しいです。
これを書いている私自身、いまだ想像の域を出ません。
■ 現在地
そういうわけで、私は、一般登山者以上クライマー未満、というような段階にいます。
平たく言えば、初心者です。しかし、一般登山道で言えば、もう一般登山道はどこでも歩けます。
しかし、2年前は、観光客以上一般登山者未満、というような段階にいました。
■ ポジティブな変化
私は正直、かつて仕事に傾けていたのと同じ情熱を、趣味の登山に傾けていると思います。ボスがいないだけです。逆に言えば、ボス不要の自律性を身に着けたからこそ、そのスキルを使って趣味を推進させていると思います。私が仕事で身に着けたスキル・能力は、全部登山に向けて活用されています。
私の現在の職業はヨガのインストラクターなので、ヨガのようにそのような情熱を傾けるべきだという心の声も聞こえてこないわけではありませんが、ヨガは都会のもので山梨の地の利を生かした活動ではありませんし、また私自身が置かれた現在の状況的にも、追い風とは言い難く、総合的に判断すると、今、取るべき戦略とは思えません。
改めて、趣味の成功とは何か?と言うことを考えると、これは職業上の成功(おそらくほとんどの人にとって金銭的成功でしょう)とはまた別の尺度で、図られるべきであろうと思います。
もちろん趣味ですから、楽しく充実感がないと続けること自体が困難であると思います。それはあたりまえとして、何が趣味の成否を決めるのか?ということになりますが、これは日常生活が、その趣味をもたなかった場合より、円滑に流れていく、ということが一つの傍証ではないか?と思います。
私の現在の生活はすごくシンプルで、献立に悩まされたり、行き届いていない掃除に罪悪感を感じたり、退屈しのぎにファッションに資金を投じたり、あるいは、ステータスを表現するためのバッグや指輪などの有力なサポートが必要だったりしません。
私は私のありのままで問題なく存在できます。そうしたことは、精神的に充足してこそだと思います。
私は仕事においても、そうした精神的充足を求めてきましたが、仕事では登山と同じように取り組んでいても、同じような充足を得ることができなかったのですが、それは、私自身に原因があるのではなく、社会の側にあったのだろう、ということが登山を通して理解できるようになりました。
仕事においては、私はスーツで身を固め、パスポートにある出国数スタンプの競争に参加し、名刺にある名前ではなく会社名で存在を認識されなければなりませんでした。
日本は女性に対してクローズドな社会です。が、成人するまでのプロセスを通じて、私はそれを学びそこねたようで、さらに20代の早い時代に自立を勝ち取り、アメリカに渡って、性差ではなく能力で判断させる社会を経験したせいでしょうか…、また学生時代を通じて男性と比べ、自分が劣ると思える事態は起らなかったため、社会に出た私は、自分が男性並みに能力があると言うことが、なぜ受け入れられないのかということを理解するのに長い時間を費やした気がします。
それは私の側の問題ではなく、社会の側の問題であったのだ、ということが最近登山を通じて理解できました。
要するに私が敗北だと思っていたことは敗北ではなかったのです…
そうしたことが理解できただけでも、登山はやる価値があった活動だと思います。
1) 時間を作っているか?
2)ちょっとした抵抗に屈しないでいるか?
3)恐怖に負けないか?
4)他の人に影響されないか?
5)実践的なノウハウを良く学べているか?
6)よく本を読んでいるか?
7)フィードバックをよく聞いているか?
8)好奇心が楽に維持できているか?
9)個人的な動機、ストーリーを持っているか?
10)お金をもらえなくてもやりたいか?
■ 成功へはよく自分を知ることが一歩
最近、気が付いたのですが、私はうまく行くことはすべて独学しています。
逆に言うと、独学できないようなことは、好きなことではないのかもしれませんよね?
というのは、人間は意外と自分の本心、真の願いをよく知りません。人がやっているからやりたい、というのは、自分がやりたいことではなく、人がやりたいことです。しかし、自分がやりたいのだ、と勘違いしてしまう人は多いようです。お金が欲しいからやりたい、というのも、本心からやりたいことではありません。
大事なのは、”自分”を見分けること。自分を観察する必要があります。
■ 自分を発見する
たとえば、何かができないワケを「時間がないから」にしていたら、逆に言うと、言い訳をして、時間を作ろうとしていない自分がいる、ということです。
むしろ逆に、「これはお金がかかっても、時間がかかってもやりたいことか?」と問うと、本当にやりたいことかどうかの試金石になりますよね?
人は好きなことをするためには時間を作ろうとし、休みにその時間を充てても疲弊しません。むしろ、リフレッシュするくらい。
好きなことをやっていれば疲れ知らず。逆に言えば、何をしても疲れるという人は、ひとつも好きなことをやっていないということです。
つまり他者褒章で生き、自己褒章で生きていません。
易しい言葉に直すと、褒めてもらえるから、とかお金がもらえるから、とか、みんながやっているから、という理由のためにやっていて、自分のためにはやっていません。
■ ネガティブは試金石と考える
たとえば私の左手の握力は18kgしかありません。クライミングは体重を両手で支える活動なので、まぁ有利な条件か?というと当然不利です。
ただ好きなこと、やるべきことをやっている時は、そうしたちょっとしたネガティブなことや欠点は問題になりません。欠点は進行を妨げる壁ではなく、所与の条件にしかなりません。
〇〇だから××できない、というのはありえません。〇〇だから、どうやって××するか?になります。握力が18kgしかないから、どうやって18kgで登ろうか?という問いになり、18kgしかないからできない、にはなりません。
たとえば、家が貧しいから大学に進学できない、というのは進学したくない、という意味です。家が貧しくても進学する方法を考えるようになったとき、それが真にやるべきことになった、ということです。
困難は、単純にただの試金石なのです。神様がホントにそれしたいことなの?と聞いてくれている、と考えましょう。
自分は本当にこれが好きなのか?ヤル気があるのか?というのは、そういう小さな否定的な出来事が大きく心に影響しない、ことから観察できます。
ちょっと誰かから批判されただけで、嫌になり、辞めてしまうようなことは、その人が本心から好きなことではありません。たとえば親の反対などですね。
好きなことをやっている場合、ちょっとした批判を受けると、それが逆にバネになるはずです。ばねにならないときは、好きなことをやっていない。
■ 興味が持てる
好奇心の維持に困難を感じたら、それも自分が好きなことではありません。
興味があるかないか?も自分で良く分からなくなるのはよくあることです。たとえば、仕事でやっていると習慣的にニュースを読みますよね?それって興味があるからですか?ではないでしょう。
なので、皆がやるからやる、こと、単なる習慣だからやること、と興味があるからやることは違います。
興味が持続しなくなったら、適性がないことです。たとえば、私は金融系の新聞を読んでいましたが、今で全く読みません。
代わりにRock&Snowを読みたいくらいです(笑)
時間は有限なので、何かをマスターしたかったら他の何かを切り捨てなくてはいけません。
私は今のところウォールストリートジャーナルを切り捨て、岳人とかRock&Snowを取っています。選択と集中が必要なのは当然ですから、何かを切り捨てる気持ちが起きないときは、やりたいことではありません。欲が勝るということです。
興味があることは、どうしても先に目がいくので、だんだん他のことには無欲になって行きます。選択と集中が自然におきますが、自ら選択し集中しだすと、進化が加速します。
■ 実践に興味がある
興味があれば、小さなコツのようなもの、実践的なノウハウなどが自然に耳に入り、頭に入ります。
興味があるので、ノウハウを得るのに無理がない。同じことで、周囲もよくアドバイスやフィードバックをくれるようになります。周囲がちょっとした手助けをしてくれるのは、その人に情熱が見えるからです。
ですから、逆に言うと、周囲からのサポートが得れないときは、その人はやりたいことややるべきことをやっていないときです。
■ 確固とした気持ち
好きなことにはたぶん迷いがありません。 やるからやるの、という気持ちがあるということが、好きなことの意味です。
たとえば、登山が好きといいつつ、ほんの少しの雨で、山に行くのをやめるようなら、それはあんまり登山が好きでないという意味です。
英語ではDeterminationと言います。 もう決まっていること、という感じです。
これをやる、と決めたら、後はやるだけなので、迷いがない、というのも、一つの傍証になります。
自分の中に確固とした気持ちが歩かないか?人は良く分からないもののようです。
たとえば、Aさんと結婚すべきかBさんと結婚すべきか、悩んでいたら、どちらとも結婚すべきではないです。
悩んでいること自体が、どちらも好きでないという意味です。
本当に結婚すべき相手が現れたら、その相手とうまく行くような結婚の形を作っていく、という気になります。
自分に相手が合うか?ではなく、自分が相手のために変化することを受け入れるようになります。
そうでない場合は関係は早期に破たんしツラくなるだけです。
というわけで、自分自身をよく知る、ということは意外に簡単です。ただ人は瞑想をしないのでそれが良く分からないのです。
皆がやっているからやりたい人にはずくが出ません。
美しいパンフレットや美辞麗句で盛り上げられないとやりたくならないなら、好きではありません。
ずくを出すより、お金を出したいなら好きなことではありません。
今日はデイビッドと畑山農場さんのイベントに行ってきました。
デイビットとは農友達です。そんな名前の友達があるのかどうか分かりませんが・・・(笑)。以前も一緒に八ヶ岳農業学校主催の野菜の講座に出ました。誘えばすぐ来る。ハイキングや山の誘いには全然来ない…。分かりやすい人です。
農業は、正直な所、私にとっては、敷居が高すぎました。
・車で30分、往復1時間をごく小さな畑の世話に毎日車を飛ばすのは、ガソリンの無駄で反エコロジー。
・その畑は一反もないのに2.5万円と通常借りれる価格の5倍であった… かかる手間は小さく通勤が負担に。
・しかし安く借りれる市民菜園は一杯
・苗代、肥料代、ガソリン代などを入れると、採れた野菜は高級食材になってしまう・・・
・農業は自然ではなく、実は不自然であった。
・特に略奪的な慣行農法は作高を求め、一般市民が個人レベルで目指す自給自足生活とは価値観的に程遠い
・反面、自然農法は、周囲から理解されない
と 物理面、精神面、社会面、すべてが抵抗している感じがあり、私たち夫婦にとって負担が大きすぎました。それでも明野に畑を借りていた頃は色々勉強になりました。私の理想としては広い農園つきの小さな田舎屋があれば・・・というところ。通勤ならぬ、通畑があると自然から学ぼうという観察も、かける手間もおろそかになります。雨の日や山に行かない日は農としたしみ、晴れの日は山と親しむ生活は理想と思ったりもしますが…。
一方、山の方は次々道が開けたので、終には別のブログが立ち上がってしまいました。
今日は、友人のデイビットは、地元の農に関心がある人たちとの接点を持て、びっくりしたようでした。よしよし。
私が思うには、田舎暮らしと言うのは都会人の憧れと、憧れから一歩脱却し、現実は甘くないことを見出した時に見舞われるショックや困難にどう対処するか?が都会人とローカルでは違います。
デイビッドは、甲府の田舎でセルフビルドで家を作ってしまえるほど、現実的な田舎生活には適応した人ですが、問題はその生活を愉しむ時間と、楽しむ相手を今から見つけなくてはいけないこと。
ちょうど良い出会いになったようで良かったです☆
ゴキゲンな農園風景。田舎では子供が元気です。幸せそうなガキンチョが一杯。
人参のタネ取り。タネを採取すると、2、3年でその畑に適した性質を備えた野菜が出現するそうです。 私は人参の葉が好きなので、ニンジン羨ましい。
畑仕事は心が癒されるので、賃金を対価としない労働でもやりたい人はいると思います。時間に追われない、ことが良い。
このような甲斐駒を眺める最高のロケーション。八つは近すぎるのか見えない。
子供たちが作ってくれたクッキー
ゴマのような味がするルッコラの花。
帰りによってけしに寄り、デイビッドが資材を購入。耕運機も自分で直せる彼はエライ!ゆんぼも使え、家の作れるのに、彼女が作れないのが不思議。
デイビッドの庭で・・・
今年は去年芦川で大量発生していたマイマイガが、千代田湖あたりにも発生中のようです。
帰りにさくらリゾートに寄りました。
今日は朝からビックリすることがありました…
不正アクセスの被害者にすんでのところでなるところでした!
私のペイパルの口座ですが、大した額が入っていないので、わざわざ日本円に換金するほどの額でもないので、この2年ほど放置していましたら…(約1.5万円ほど入っていました)、
今朝起きたら、突然、
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PayPalアカウントに銀行口座が登録されました
おめでとうございます!米国の銀行口座がアカウントに追加されました。これで、PayPal アカウントの資金をこの銀行口座に引き出すことができます。
どうぞよろしくお願いいたします。
PayPal
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というメール… 「えっ?そんな口座登録してないよ…」
および
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PayPalから銀行口座への引き出しについてのご連絡
お客さまからご依頼されたPayPalから銀行口座への$263.00 USDの引き出しを現在処理中です。この処理が完了するまで通常3-4営業日かかります。2014年5月21日までにはお客さまの銀行口座で入金をご確認いただけます。
詳細は以下のとおりです。
引出合計額 $263.00 USD
銀行口座 Bank Of America 普通預金 x-7786
取引ID XXXXXXXXXXXXXXXXX
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「え~ そんな依頼していないし!」
びっくり~ えーバンカメの口座なんてもっていないし!
というわけで、
1)問題解決センターにメールしてキャンセル処理をし
2)即座にパスワードなどを変更
しました。
こちらのサイトが大変役に立ちました。 ホントあるんですね~不正利用。
http://travelhack.jp/2013/03/20/paypal/
ちなみに、日本の銀行で作った口座に500円とか入っていて、ずっと使っていないのありますよね。
私は、都会暮らしの時は都市銀でしたが、地方都市では、都市銀だと非常に使い勝手が悪いです。仕方なしに山梨銀行のも持っていますが、めったに使わず、1000円くらいが入ったままです。こういうのが、子供のころから数えて、一杯あり…大阪の池田銀行とか…
まとめると、結構な額になりそうです。国民のそれぞれがみんなそうした口座を持っているとするとすごい多額になりそうですね!
ペイパルならメールアドレスに連絡が来るけど、日本の銀行なら来ないだろうなぁ…
放置してしまって引き出すことはなさそうなんですよね…なんせ一円単位で引き出すってないし。
しかし・・・あ~びっくりした~!
追記。
その後・・・・
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平素よりペイパルをご利用いただきまして、誠にありがとうございます。
ペイパル不正対策部門担当のShirleyと申します。
お客様よりご報告いただいた263.00 USDの金額のお取引について、お客様よりご提供いただいたた情報を基に調査させていただいた結果、該当取引を未承認による取引と判断させていただきましたのでご報告させていただきます。
今回お客様がこの様な被害に遭われましたことを心よりお詫び申し上げます。なお、未承認取引として判断させていただいた取引金額につきましては、すでにお客様のペイパルアカウントまで2014/05/16に返金をさせていただいておりますので、マイアカウントにログインしご確認いただきますようお願いいたします。
なお、お客様には既にペイパルアカウントのパスワードをご変更いただいておりますので、現時点ではお客様に他のお手続きをしていただく必要はございません。
今後、より安全にペイパルをご利用いただくため、下記に記載のパスワードのセキュリティに関する情報をご参照ください。
弊社では、未承認取引であると判断された取引については全額補償させていただきますので、今後もペイパルをご利用いただきますようお願いいたします。
上記の内容にご不明な点がある場合には、このメールに返信していただきますようお願いいたします。
ーーーーーーーーーーーーーー
というメールがきました。