タイムイーターを断つ

2014-02-14 07:53:34 | 幸せのコツ

■ TVを見て幸福な気分になるでしょうか?

TV 新聞、ニュース、FBの類を見るのに、皆さんは一日何時間かけていますか?

ニュースをよく読む人にはペシミスティックな人が多い(まるでそれが知性の表れでもあるかのように・・)のは、基本的にニュースは良いことを取り上げず、悪いことを取り上げるものだからです。

つまり世の中の、ネガティブにフォーカスしているのがニュースです。

会社勤めは別として、個人生活には、利益なくして害が多いのが、TV,新聞、ニュースの類。少なくとも私にはそうです。

■ タイムイーター

そういうタイムイーターにかまけていると人生の時間は失われ、大事なことをする時間が無くなります。

大事なことはホントに大事なこと、つまり自分の未来を創るために今やらないといけないことですね。

幸福でないとか、人生が自分の思う方向に進んでいない、と思う人は、1週間、一切の情報を断って、この先半年分の人生計画を立てるべきです。

人生とは時間そのものです。たとえば、今FBに費やす1分が、計画を立てる時間を食いつぶしているとしたら、大変な損失です。

人生を食いつぶさせるに値するニュースなんてありません。親や子供が死ぬっていうのでないかぎり、ニュースなんて無視しても人生に何ら問題ありません。

が、今しなくてはならないことをしなかったら、人生はどんどん悪化の一途を辿ります。放置すれば下る一方です。

■ 意識的に時間を使う

このようなアドバイスをするからには、人生がうまく行っている必要があると思いますが(笑)、私の人生は最近すこぶる調子が良いのです。

それが新聞、テレビを見ないせいか?と言われるとその因果関係は証明はできませんが(笑)、自分が何に時間を使うか?意識的である、ということは言えると思います。

テレビ、ニュース、ネット・・・これらの最大の弊害は、意識させずに時間を浪費させる・・・ということ。

つい何時間もTVを見てしまう人は、TVを消しましょう。

 

 


”運がいい人”と”なかなか芽が出ない人”の境目

2014-02-13 10:50:53 | 幸せのコツ
■ チャンスの女神に前髪はあっても後ろ髪はない
私はよく”ものすごい強運の人”みたいに人からよく評価されます。
が、一般に人はチャンスが訪れても、それをチャンスと認識できない、それだけのことなんではないかな・・・。
たとえばつい最近ですが、アイスクライミングの事件がありました。
連れて行かれる側の立場から見ると、冬靴もピッケルも、アイゼンも、ハーネスも、アウターウエアさえも貸してもらえる。普通の人は体験するのでさえ、17000円もの代金を払うアイスクライミング。交通費さえ初回だからいいよ、と払わずに参加でき、ヤル気さえあれば継続的に仲間に入れてくれる、というのは、ものすごいチャンスなんです。
もし私がこの人の立場だったならと想像すると、迷わず即座にハーネスと冬靴、シェルを買います。迷うような余地がない。いいこと尽くしだからです。ローンになっても買いますね。それくらいの犠牲は仕方ないでしょう。いまどき分割払いが使えない人なんていないですし。
チャンスが来た時にそれがチャンスだと認識できるか、出来ないか? そしてそれをつかむか掴まないか?
思うに、そこが”運が良い人”と”なかなか芽が出ない人”の分かれ目なのではないか?と。
チャンスの女神には前髪はあっても後ろ髪はない、というのは本当です。
チャンスを自分の手でダメにした後で、あれがチャンスだったのだ…と振り返っても遅い。
これだけ明瞭な大チャンスが来て、それをチャンスだと分からないなら、そして、食いついて来ないなら、それはその人の選択なんですよね。
それを選択しているという自覚がない、ということも含めて。
■ 恐れはチャンスのしるし 

運命と言ったり、人生と言ったり、ですが、人生がその人に語りかけることは読み解く能力が必要です。
この件は明らかに山が(運命が、あるいは人生が)その人に「おいで」と語りかけています。
アイスクライミングなんて教えてくれる人を得ることが一苦労、装備を揃えるのが一苦労、パートナーを得るのが一苦労、というようなアクティビティ。その苦労が一切なしで手に入り、必要な犠牲はごく基本的な冬山装備とハーネス、ヘルメットだけって・・・これ以上何を望むのだろう?というような破格の条件。
しかし、チャンスを手にできないとき・・・それは人がしがみつく必要がないような、些末な問題に固執
している時です。
 ・プライド
 ・見栄
 ・世間体(他の人の目にどう見えるか)
そういったことが、障害になることが多いです。 上記の場合は、他人の目、ずうずうしい人と思われるんじゃないか、という恐れが障害になっているようでした。
  (チャンス) vs (ずうずうしいと思われたくないという思い) 
を天秤にかけて、(チャンス)のほうが軽かったから、その人はチャンスを取りませんでした。
(ずうずうしいと思われたくない)というのは、要するにプライドとか、あるいはそう思われたらどうしよう・・・、というような”恐れ”と言う問題です。
そういうのは、自分でチャンスの代償として引き受けるものです。
ずうずうしいと一生、人から一回も思われずに済ますなんて不可能だと常識でわかるでしょうし、どうせずうずうしいと思われるなら、チャンスと引き換えの方が良い。
その上、”思われたらどうしよう”というくらいの、起こってもいない未来、のことは、実際やってみると、杞憂で、誰もずうずうしいと思ったりしないものです。
・・・となると結局、その人はありもしない幻想を恐れて、チャンスを不意にした、ということになります。
つまり・・・自分の心の恐れに打ち勝つことができなかった…のがチャンスがチャンスとして生きなかった理由なんですね。
良く考えたら何も失うものはないのに、失うのを恐れて一歩を踏み出せないのが人なのです。
■ 神様は願いを叶えてくれますが叶う形までは指定できません
神様は願いを叶えてくれます。が、願いがかなう時は、大抵ちょっと違う形で叶います。がそれに文句をつける人には神様は願いを叶えてくれません。 

たとえば私は若いころ、留学にあこがれていました。具体的にはUCバークレーでの留学を夢見ていました。
が神が実現してくれたのは、サンフランシスコの郊外の高級住宅地でベビーシッターしながら、語学を習得すると言う道でした。
でも、当時私の大学へ客員教授で来ていたバークレーの先生が私が渡米するのと同時に帰国し、おまけに車で1時間のごく近所!当然、先生も子供の日本語をキープしたいし、元教え子はちょうど良いという訳で、親しく付き合うことでバークレーの学生と同じ空気を味わうことができました。教室にも無断で無料で忍び込めたし。ツライ試験を受け、大金を払って留学するよりいい条件ですよね。
私は、親元から自立して自腹で大学に通う勤労学生、まさか留学するだけの費用が出る、とはまったく思えない経済的背景です。でも、願っていたらかなったのです。思いもかけぬ方法で!
結果、私はTOEICで900点越えです。
■ チャンスをつかむ決断にはスピードが要る
でも、このチャンスが来たのは期末の翌年の進学まで3か月、渡米まで話が来てから、一か月のスピード決断でした。
もし、私が、「え、アメリカのどこ?」とかちゃんと調べてから、なんて考えていたら、チャンスを取り逃すところでした。
だってアメリカのどこに行くのかも知らないでYESと言ったのです(笑)。
しかし、それは”乗るか反るか”の大チャンスと私が分かっていたからです。
払った犠牲は
 ・入寮していた寮に帰国後戻れない
 ・歯科の治療が中途半端
 ・帰国したら元の仕事(図書館の司書)につけない
です。でもそんなの未来のこと・・・先を心配して今ある道をダメにして何になるでしょう?それが20歳の私の考え方でした。
 だから思うんですよね・・・チャンスは万人に来ているけれども、ほとんどの人はそれがチャンスなのだと認識できないまま、取り逃しているだけなのではないか?と・・・
■ まとめ
・チャンスは万人に来る。ただきた時、チャンスをチャンスだと認識できないと来なかったのと同じになる。
・チャンスが来たら必要な犠牲は払わなくてはならない。
・恐れはそれがチャンスであると言う傍証である。
・恐れを飛び越える人にのみチャンスがチャンスとなる。
・願いは叶う、ただし、少しくらい違っていても文句を言ってはいけない

 
 

コンパニオンシップ

2013-09-16 19:42:36 | 幸せのコツ

今日の台風・・・下界の埃を洗い流してくれた、大雨もあっという間に終わってしまいました。

せっかくの3連休も、台風と聞いて、どこにも行かずに家でのんびり過ごしました。

「ねぇねぇ散歩しない?」 

「えー。雨が終わったら」

と言うわけで私は大雨の中、ちょっと雨量を味わいに散歩にでも出かけたかったのですが(上等のレインウエアもあるんだし)、夫の反対により、雨上がりに出かけました。

口実は牛乳が切れたから買いに行く…でしたが、単純に家の中に居るのが退屈で飽きちゃっただけなのです(笑)

夫は家の中に居ても決して飽きないのですが、なんでなんでしょう???

とりあえず図書館に行って、スーパーに行って、結局牛乳以外にもあれやこれやと買い物して帰ってきたら、もう夕方…そんな贅沢な時間の使い方の休日です。

最近、アメリカの友人が離婚してしまったそうで、長い長いメールを送ってきます…。ちょっと疲れるんですがそこは友達…頑張って相手をしています。

でも… ディボース、離婚って、アメリカではまぁ珍しくもなんともないんですよね…

それに… 彼の花嫁、インターネットで知り合った中国人だったのです。私は結婚のお知らせを聞いたときに「おめでとう」と祝福しつつも、やっぱり「大丈夫かいな?!」という思いは拭い去れず…
でもまぁ、そんな友達甲斐のないことは言わないのですが…でもやっぱり駄目だった。

この点については当人らも自覚していて、それは念入りに事を進めたんだそうですが…でも駄目だった。

全力を尽くして、ダメだったんなら、すっぱりあきらめもつきそうなものですから、たぶん、相手が先に匙を投げたのでしょう。

というか、大体において男性と言うものは、未練がましい・・・ 私個人の経験においてもそうな上、男友達に何人か過去の彼女を引きずっているがために現在の彼女ができない人を知っています・・・

友人にそのネット結婚が、どれだけ念入りだったかを力説されても、やっぱりネット恋愛はゴールインできないという事例を強化するだけのような気が…(^^;)

老境においてはコンパニオンは大事だ…と彼は言います。けど、私の母を見ても、父を見ても思うのですが、結婚して子供がいたって、老境において孤独は今の時代避けられないのではないかと… 彼自身の母親も彼の父親と離婚して以来、ずっと一人暮らしでしたし。

一方で、孫がン人いる人は山を飛び回りたくて、孫の子守に駆り出されるのを疎んじていたりしますし…

さらに中高年の山の会なんかを見ていると、高齢者と言うカテゴリーに入るようになっても、恋愛は人間の最大の関心事であるようですし・・・

結婚できなかった=最後のよるべは金ということで、お金があれば、なんとかなると貯蓄に励むのも違うような気がするし…

大体、孤独で金がある老人より、その逆の方が幸せそうです。

しかし、周囲に人が集まるかどうかは、基本的に、伴侶の有無より、人柄、が決めることなのではないかと…

そこのところは、あんまりツッこむと、かなりややこしいことになってしまいそうなんで、黙っているのですが…

コンパニオンシップって、なんだろう?

私には、ちょっと退屈した時に一緒に散歩に行ってもらえる、ってことかな?

それ以上を望むのは、望みすぎ、そう思っているのがいいのかも… 

 


朝の幸福のススメ

2013-09-15 09:56:53 | 幸せのコツ

今日は甲府は冷たい雨の朝です。

我が家のベッドは、南面のベランダに面した部屋の窓際に置いてあり、窓を開け放して寝ていると、風が気持ちよく通り抜けます。雨足が強くなると、それが起こす風も強くなり、その強弱がベッドに居ながらにして感じられるほど、外の環境に近い位置にベッドを配置しています。これはわざと。

エアコンが必要なほど暑い日は、窓は締めて寝ていますし、防犯を考えると、寝室の窓締めたほうがよい(娘時代、自宅に闖入者が出て寝床を襲われたことがある…)のですが、私には風に当たれることのほうが大切で、窓を全開と行かなくても、空気が通るようにして寝れる、そんな条件を作り出すようにしています。

郷里熊本の夏は暑く、家の中では子供たちが少しでも涼しい寝場所を求め、タオルケットを持ってさまよっていました(笑)。 その時の経験から、涼しいのは窓際だと知っているのです。

空気が通る…。 このことに関しては、私は一家言あり(笑)、帰宅して一番にすることと言ったら窓を開けることです。 

山小屋で働いている時も、窓を開けるのは私ばかりでした。外のような、中のような、そんな土間的空間も好きです。東屋とか土間とか、サンテラスとか。だからタープ泊が気に入りそうなんですよね。

9月の冷たい雨には本当に心癒されますね。これまで暑くて寝れないほどだったから。

今朝は、そうやって、いつもの習慣で窓を開けて寝たおかげで、雨の音と雨から流れる冷たい空気に目覚めることができた、ラッキーな朝でした。全国的には台風で、お天気は悪いので、不謹慎かもしれませんが…

雨音に起こされるのは、贅沢なことです。

騒がしい車の騒音や、目覚ましの音で起こされるのと比べてみると自明のことでしょう。一日の始まり方として、太陽の陽の光に目覚めたり、雨音で目覚めたりできることは、本当に現代では限られた贅沢になってしまいました。もしかして、そのために人は山に行くのかもしれませんしね。

というわけで、自宅でも、かなうなら、ベッドは窓辺にセットしてみましょう。

私は、目覚めたものもの、雨の空気をもっと味わっていたかったので、2時間近くもベッドの中で夢うつつで過ごしました。意識は眠っているようないないような… こんな時に素晴らしいインスピレーションが湧いたり、不思議な夢を見たりするものです。その時間は貴重で、以前はこのために早めに目覚ましを掛けていたくらいです。ただ、これは失敗して寝坊することがありますので、平日にはおススメできません(笑)

温かく清潔なベッドという安寧をもたらす人工物に守られて、厳しい自然現象である雨を味わう、それも夢うつつ…と言うのは、本当に贅沢な時間です。

傍らには夫がムニャムニャ…と言う感じで寝ています。彼の体は私よりうんと体温が高いようでホカホカです。暑くて、タオルケットなんぞは蹴っ飛ばしているようですが…(笑) 熟睡していると、二人で同じベッドに寝ていても、自然に距離が遠くなるのですが、寝起きはいつも二つ並んだスプーンのようにピッタリ体を寄せ合って、一度温まってから(?笑)起きます。
いつものパターン。夫と二人ベッドの中、雨の音で目覚める朝。

こんな朝をもう彼是、恋人時代も入れると14、5年も続けています。だから寝室のしつらえは、贅沢ではありませんが特別気を使っています。一番気を使うのは、配置。そして、清潔感のあるリネンをずっとキープすること。

マンションで一般的な田の字プランの間取りは寝室に相当する部屋が外廊下に面した部屋になっていることが多いのですが、外廊下は人の息吹が一杯で、朝を陽の光や風の流れで目覚める、という目的には、もっとも遠い、です。 

そうした部屋はできれば、一日の滞在時間が短めの用途の部屋に充て、一日の3分の1に当たる、8時間をもの長時間を過ごす寝室には、もう少しプライベート感のある奥まった部屋がおススメです。 そして、ベッドは窓際に。壁際も安心して寝れる配置です。広い空間にぽつんと置いた寝台は、手術台や安置所を思わせるのでおススメできません。あとは床からの高さは低いほうが狭い日本の住宅事情では圧迫感を感じさせません。

こうした時間が私たち二人の幸せの時間を作っています。彼は必ず寝坊して、私が大抵コーヒーを淹れます。それは休日の習慣。

起きたら、大体は二人とも自分勝手な時間の過ごし方をするのですが… 

 


明けない夜はないこと

2013-06-23 21:54:47 | 幸せのコツ

今日は、山の先輩に沢に連れて行ってもらったのですが、沢登りと言うより、岩登り、な沢でした。今日の記録ヤマレコ。

山歩きって基本は飛び石伝いなのかもしれません…河原歩きは飛び石伝いでしょう。山でも本当はフラットな場所を飛び石に見立てて、歩くのが正解の歩き方なのかもしれませんね。

今日は、朝は市川三郷町を通る県道36号線を初めて通りましたが、ちょうど町と山里の境界にあるようなエリアで、ほどよく町で、ほどよく農村、しずかな暮らしが楽しめそうだなと思いました。古びた家屋や大きな農家の建物が、故郷っていう感じを醸し出します。

以前の私にとっては、街と田舎のミックス具合が心地いい、というセリフは福岡を指す言葉でした。福岡はミニ東京。東京にある機能はすべてあり、そして、大混雑する電車”痛”勤がない… そういえば、サンフランシスコも同じですね。スモールタウン、だけどワールドクラスシティ・・・ 本当に都会的人間だったなぁと思います。まぁそこは今でも変わっていないような気がしますが、都会の人のほうが田舎の良さを良く知っているような気がします。

思えば、大阪という大都会?に居た時代、私が不適応症をおこしたのは、満員電車での通勤でした…もうぐったり。その通勤がないだけでも今の生活は十分に幸せと言えるかも…。

今日行った沢は芦川という川の沢でしたが、芦川は笛吹川水系…笛吹川って、奥秩父のイメージでしたが、実は御坂の山のお水も笛吹川に流れ込むんだなぁ…水質はとても違うのではないかと思いました。お魚だったら、味が違うなぁって思うでしょう。

私は笛吹川の東沢、釜ノ沢に行きたいのですが、初心者は誰もが大感動する沢と言われています。定番の沢。ただたぶん初心者にはロングルート…少し長いので、一泊二日が体力的にゆとりがある行程…となると沢泊などとなり、それはそれで生活スキル的な難易度が上がりますね。夏の山は虫がとても多いし…

今日はマイマイガの幼虫が一杯でびっくりでした。去年、芦川町に畑を見に行ったときに、10年に一度の大発生と言われていたのを思い出します。

■ 子供がいない

私は子供の頃、三人兄弟の一番上でした。親は片親。女親。父親は8歳から会っていません。弟の葬式を除いて。

で、まぁたくましく育ちましたが、そのたくましさというのは、たぶん、岩場でフリーソロしていたら、墜ちたら死ぬから、というのと同じ種類だと思います。

私の時代は団塊2世です。豊かさしか知らずに育てられたのに、大人になったころバブル崩壊。 長いものに巻かれろと言われて育ったのに、大きくなったら君は何ができるか?と問われるのです・・・話が違う。

私の、4~5年先の先輩は、じゃんけんで負けて一流企業に就職したそうでした。超売り手市場。長いものに巻かれてさえいれば生きていけた時代でした。

私の世代は超氷河期。今の若い人ほど社会に氷河期だという理解もなく、四大卒なのに仕事に就けず自殺した大学の同級生もいます。蟹工船はリアルな話です。今も若い人は搾取されていますよね。若い人のことを思うと本当に気の毒な気分になるのは、自分もその一部だからです。

私は氷河期組だったので、最初から一般的な新卒採用など当てにせず、実力で行くことに。頼れる親もいないし・・・つまり墜ちたら死ぬから…ねぇ(笑)

日本では、家を借りるのにも、親のハンコが要り、就職しても誓約書には親なり、だれか偉い人のハンコが要り、女性一人で不動産屋に行くなんてとんでもない・・・ので大学の先輩にはだいぶ世話になりました。本当に個人の自立と言うことに関しては後進的な国です。なぜならアメリカでは家を借りるなんて、1か月前金したら終わりだからです。それも退去時は返却されます。

そして、日本と言う男尊女卑の国で、女性が受ける不利益な扱いときたら… セクハラ、パワハラは日常茶飯事だし、後ろ盾のない若い女性など、漬け込まれる相手に事欠きません。 ホントですよ。男性はボケ~と平和ボケしているので何も知りませんが。今時の中学生は(女性に相手にされない)大人の男性の性の対象です。

そういうわけで私は自分自身が苦労をして成人したという経緯から、子供を持つことに関しては非常に慎重になっており、望まない子供を持つことだけはしたくないと思っていましたし、そのためにはアメリカに居たころはピルを飲んでいたくらい。アメリカでは若い女性がピルを飲むなんてのは、ごく普通のことでした。(反面、メキシコからの不法移民は子を孕んでアメリカで産み落とすことに躍起になっていました。子供さえ持てば、グリーンカード決定だからです。だから移民の子供が増えるですよね。アメリカは制度を変えた方がいいのにね)

子供を持つなら、自分の幸不幸を子供のせいにだけはすまいと思っていました。自分の生き方を持つこと。その上で子供を持つこと。これが大事ですよね。(って思うのは反面教師の親を持ったからです)

「子供がいるせいで不自由」なんて子供に失礼ですよね。

しかし、そんな私には、20台の最初で、ベビーシッターという仕事が回ってきて、6歳、11歳の男の子の兄弟を始め、まるで天使のような(でも泣き出したら悪魔!)6か月の双子の男の子、2歳と3歳の日本人とアメリカ人のハーフ、4歳の自由教育の男の子(いつもすっぽんぽんで生活!)、など色々な子供の面倒をみる機会がありました。

子供にはその子供の、その子らしい魂が宿っていて、決して、理屈をわきまえない聞かん坊の分からず屋ではなかったのが、発見でした。というのは、私にとっては年少の弟と妹の面倒をみる、ということは、親からの愛情飢餓に陥った子供の面倒をみるということと同義で、私は単に愛情に充足した子供の姿を知らないだけなのでした…子供というか、人間一人ひとりには本当にそれぞれの素晴らしい才能が宿っていると思います。いかに開花させるかが、その課題

結婚後、子供が欲しいなとは思うのですが、できないものはできないもの…こればっかりは授かりものなので、あんまりガツガツしていません。

子供がいないというと、大概の年配の女性は不妊治療を薦めてきます。子供がいないことがまるで人格上の、あるいは人生の欠点かのように取り扱われるのです。結婚していない女性に結婚を薦めるのと同じですよね(笑)その結婚を薦める当人が、結婚生活を愚痴ってばかりいるのも同じ(笑) 

大体において不妊治療を薦める人は、本人は不妊治療をやったこともなく、どれほど過酷で女性の人格を卑しめる治療なのか知らず(汗)。

こういう人は要するに普通と違うということが許せないだけのようです。その証拠に子供の愚痴や結婚の愚痴ばっかりは豊富。愚痴っていうものは、他のみんなも同じように人生に対して愚痴ばっかりなのを確認するのが”みんなと同じ”で、うれしいみたい・・・ 

そんなに子供や結婚がイヤなものなら、生まなければ、あるいは結婚しなければよいでしょうに。

たぶん自分で選んだと思っていないんでしょうね。

そういうわけで私には子供がいませんが、それは、子供を産み育てるという重責を、重責だと身をもって既に知っているから。それに子供を持つことの愉しみも素晴らしさも、すでに知っているから。かもしれないな~と思います。神のみぞ知る。それでいいのです。寿命や人の生死、体つき、個性、運命同様、人智が及ばないことがある・・・そういうことなのです。謙虚に。 

それに私は十分兄弟の面倒も、親の世話も、老いた祖母の面倒も見ました。20代にして、です。18で親から自立して、28で妹と祖母のダブルで面倒見る境遇ってどうですかね・・・ そんな人今まで会ったことありませんが。

私はよく強いと言われますが、強さがあったから境遇が起こったのではなく、境遇があったから強くなったということで、因果関係が逆だよな~とよく思います。 

この、強いという言葉の裏には、他の人にはできない、とほのめかしてあります。

でも誰しもツライ境遇には会うはずです。

今、厳しい境遇にある人には知ってもらいたいです。明けない夜はありません。終わらない嵐もない。ツライ経験が強さを作る。

どこかに、思わぬ出口があります。絶対に。

目の前だけに集中することです。そうすれば嵐は過ぎ去っていきます。目の前の課題だけに集中すること。

私は最悪の時は、一日500円くらいで食費を押さえ、今日は5000円稼いだから大丈夫、と日割り計算していました。アメリカに住んでいた頃は、週に100ドルしか稼がず、英語を学ぶことに時間と言う資産を集中投下していました。貧というのは人間が甘んじて受け入れる困難の中では比較的楽な方に入ります。他にも病や鬱などの心の病気など、他の種類の困難はとても立ち向かうのが難しいです。

困難と言うのは、逃げるのではなく、受け入れるつもりになればそんなに難しいことではありません。雨の日の山も行ってみれば意外に快適なのと同じです。長い縦走も、そうとわかって取り組めば、そんなに疲れずに行ける。同じことです。状況を良く知り、対策を持つ。後のリスクは甘受する。

誰だって、そういう意味では強くなれるのです。もがけ!そうすれば、出口が見える!そういう感じです。

自由であり続けるために 20代で捨てるべき50のこと (Sanctuary books)


ネットラジオで世界とつながるススメ

2013-06-19 13:13:08 | 幸せのコツ

■ネットラジオで世界とつながるススメ

私は普段、海外のラジオをネットラジオで聞きながら過ごすのですが…

何か書き物をしているときはクラシック(CPRかヒューストン:理由:バレエ音楽が多いから。最近はバッハ特集…)、
台所仕事をするときはクラシックだとエンジンがかからないので(笑)BBCを聞いています。

BBCを聞いていると、本当に日本に生まれ、日本人として生涯を送れることはなんて幸せなことなのだろう…と思います。

BBCは国際ニュースが多いので、今日はタリバンのニュース… 時々、インドの少女が少年を見たと言うだけで両親に
一家の恥さらし、として焼き殺された…ってニュースなどが流れます。このインドの少女のニュースは数か月前に
流れたのですが、ヘビーローテーションで、チャンネルを変えても流れていたほど…。

基本的に世界は、紛争と飢餓と大量殺戮とそれから逃れた難民であふれている… 日本のように「モノが売れない」程度の悩みは悩みのうちに入るんだろうか?みたいな感じです。

先日は、アルピニストのインタビューがたまたま入りました。マロリーの遺体の第一発見者コンラッド・アンカー(Conrad Anker )でした。
エベレストでマロリーが登頂したのかどうかは永遠の謎のようですよね。 

コンラッド・アンカーが発した山に行くと精神が充実する…I get recharged by mountainsは、一般登山者だって皆が共感する感覚ではないかと思いました。

■ 30代40代はラジオを聞くがラジオを所有していない

面白かったのは、BBCのマーケティング担当者の話でした。相変わらず古いメディアであるラジオは存続しているのですが、視聴者は全く変化しているというのです。

多くの視聴者は、ラジオを所有していない。

そう…実は我が家にもラジオない…あるのはネットラジオのチューナー…本当はコレも必要なく、前はバックグランドでネットラジオを再生しながら、書き物していました。

ブラウザだけの使用なら、CPUパワーほとんどいらないからです。 とはいえ、通信量が増えるし、ラジオを聞きたいだけの時にパソコンを立ち上げるのは面倒なので、待望のネットラジオチューナーを買いました。

マーケティング担当者いわく、あらゆるメディアを同時発信するのだそうです。そうすることで、情報が加工され、利用され、大きな波及効果があるのだとか。納得だなぁ…

今日は昨日、口コミで教えてもらった大阪のスペシャルティコーヒーのおいしいカフェが、大阪の友人のお気に入りカフェであることを発見しました。 さっそく帰省した時に一緒に行くことに決まり。

このカフェ、こんな経緯でお客が増えたことなんか知りもしないだろうなぁ… 

まぁ伝播の仕方は、雑誌→口コミ→ネット→メール→実際に立ち寄る という具合で、まったくソーシャルメディアなどは介していませんが…

でも伝播したのは、おいしいスペシャルティコーヒーを飲ませる店というだけ…(笑) 私には超重要情報ですからね~!!

こうして幸せな日本の生活を楽しめることを神に感謝しつつ…やらねばならない山の記事…今から書きます。

私が思うには、日本の中でも山梨は、沢用語でいうところのとろ、です。 感謝しなくては罰が当たります。

行動力 直感が先で理性が後

2013-06-16 06:55:50 | 幸せのコツ
■行動力

アメリカに21歳で渡った時、その話は大学の先輩経由で来たので、渡航まで時間にして1か月少ししかなかった…

そのため、手続きもあわただしく、歯の治療は私がお金を払っても良いから済ませたいという希望を伝えたのにもかかわらず、聞き入れられず途中で終わらざるを得ず、市役所の住民票を動かさなくても良いという嘘に騙され住民税を住んでいないのに払わされ、パスポートは発行してもらうのにコネを使わざるを得ず、学生寮は一旦出たら戻れない…これは働きながら苦学して大学に通う私にはとってもリスキーな選択肢…というもろもろのリスクを全部受け入れ、渡航した時財布には約2万円の現金しかなかった。

アラモと聞いて渡航したら、それはサンフランシスコの遠い郊外で、要するに間谷住宅みたいなものだった。要するにアラモがどこか私は分かっていなかった。

そこはフットボール選手の家や野球選手の家があり、黒人は住んでいない。隣の家との距離は遠く、子供たちは友達と遊ぶのに車で移動させてもらわないといけない。家の門から玄関までで、家が3件くらい建ちそうだった。最寄りのスーパーまで試しに歩いてみたら40分かかった。バートが来ているウォルナッツクリークまでも遠く、自転車で30分だったけれど、帰りが問題だった。

私は英語を学ぶのに夕方からアダルトスクールに通うことにしていたんだけど、帰りが遅いとアメリカの夜道は危険だ。

どうしても運転が必要。というわけで渡航早々、アダルトスクールに通い始めて、数日後にやったことは、運転の練習に付き合ってくれる人を探すことだった。チラシを作る。手書き。 

アメリカ人に一般的な教習官の自給を聞くと、15ドルという。それなら素人に付き合ってもらうなら半額と思い、価格は7ドルに設定した。つたない英語でチラシを書き、クラスメートに配る。

…と、最初に受け取ったチェコ人のマイクがすぐさま俺がやる!と言ったのだった…後で知ったのだけれど、移民たちがもらえる自給は平均5ドルほど…7ドルの時給は破格に良い額だったのだ。

一般的な日本の教習所の教習が40時間であることを考えて練習時間は40時間とした。280ドル。払えない金額ではない。マイクとは友達になった。
 
アメリカの免許センターにペーパーテストに行ったら、100問のうち、1問しか間違いがなく、こんな高得点の人は初めてだと言われたが、実技は1回目はおっこちた。町の中で運転したことがなく赤信号をなんと無視したのだ!ともかく私はなんとか合格し、アメリカで運転デビューを果たしたのだった。その後は夕方出かけ、夜は友人たちとカフェですごし、明け方にフリーウェーをすっ飛ばして帰ってくる生活だった。

今でも八ヶ岳に登るために早朝の中央道を飛ばしているとあの頃を思い出す…アメリカの車線は3、4車線あるからいいけど…よくもあんな運転で、運転してたものだ…それも大型のトーラスを。自分でも呆れる。ので大阪では大阪一教習が厳しい、都島教習所で免許を取った。

アメリカでの運転だけでない。

大学に進学を決めたときも、一つしかない選択肢を可能にするために一体何ができるか?が問いだった。結論は学校に行く前の早朝のパン屋でバイトだった。合格してからは入学前にバイトしていた。

あるいはアメリカから帰ってきたときも、だ。道は一つ。そのために一体何ができるか?

人はああもできる、こうもできる、という状況では本来の力を発揮できないのかもしれない。 人はよくばりで全部の道をいっぺんに歩こうとしてしまうのだ。そんなことはできないのに。

道が一つしかなければ、やるべきことはおのずと明らかになる。 ぐだぐだして、出発を遅らせたからって状況が今より良くなることはほとんどないのだ。 

■ パッション

行動力は、パッション、情熱を起点にすると思う。

まずは、やりたい!という直観に信頼を置く。そして、脳みそはそれをどうやって実現したらいいか?に使うのだ。

直感が先で理性が後。さらに運が良ければ理性をバックアップする体力がある。若いときはやろうとしたことを遂行する体力がある。なぜなら、直感の作用する時間的スパンは狭く、一気に大量のことを処理する必要があることが多いからだ。力仕事。その支えは体力だ。
勉強だって実は体力がないとできない。

逆に、頭ばかりが先立ち、理性が先立つ決断にあまり良い結果が見られることはそうない…。
たとえば、本来はやりたいと思っていもいないのにくいっぱぐれがないというだけで、○○になる…など。

やっぱり人間は、やりたい!ということを実現するために生きているのではないか?

その実現のために神は頭脳とファンダメンタルチョイス(選ぶ能力)を人に与えられたのではないか?


運命の波に乗る感覚

2013-04-16 10:48:50 | 幸せのコツ

最近、自分の強みとして、ときどき、強く感じるのは、私は食わず嫌いが少ないのではないか?と思うことです。

夫はやったこともないことでも、僕キライ、という発言を良くします。「え~テント泊?重いからヤダ」「え~ ○○?ヤダ」

キライかどうかやってみなくては分からないのでは…などと、思うので、私自身はやったことがないことは判断は保留にしています。

クライミングもその類で…別に今からクライマーになろう!という野心に燃えて(笑)?いるわけではありませんが…

・自分より知識が豊富な人がやったほうがいいと言い、そして、
・たまたま講習会などのご縁がある

ということなので、やったらいいんではないか?と。 これが”運命の波に乗る感じ”だと思うんですよね。

これで、たとえば、

 ・自分はそんな柄ではない、とか、 ・自分には難しすぎる、とか、

テキトーな言い訳を作って、本音のところ、単に未知なることが怖いだけ…という理由で「やらない」ほうに逃げ込むのが… ”運命の波に逆らう”感じです。

■ Yes but how型へ

とりあえず、「ヤダ」と言うことにしている…というのは営業の人が良く使う手ですね(笑) とりあえず「No」、そうすると、「Yes」が高く売れるのだそうです(笑)

しかし、このテを実生活に適用するのは、弊害のほうが多いような気がします。 

実生活は、とりあえず「Yes」で!実現する方法とか、どうしたら、ネガティブ要素が克服できるか?は 後で考える。

"Yes! but how?" (やりましょう!けど、どうやって?) が、いいみたいです。 Noにしてしまうと、"No, because・・・"となってしまう。

思考の起点を Yes but how型に変える。

なぜなら・・・物事は変えられない。変えられるのは、自分自身の考え方、受け取り方だけだからです。 

たとえば、私のクライミングにしても・・・その体験の質を高めるのは、私自身の受け取り方です。 

「○○って壁が登れなかったけど、楽しかった」となるのか、

「やっぱり登れなかったじゃん、やらなきゃよかった」となるのかでは、幸福感の絶対量が違う・・・ ので、楽しんでトライしたことはたとえ結果が思わしくなくても、ネガティブな記憶にはならないものです。

人生の勝負はどれだけ幸福感、肯定的な意識や記憶で、脳の記憶領域を満たすか?ではないかと、最近とみに思うのですが… 

死の間際に見るという人生のフラッシュバック・・・あれで嫌なことばかり思い出したい、という人はいないと思いますので。

 


感謝の作用の仕方

2013-04-05 15:09:16 | 幸せのコツ
■ 感謝といえども煩悩付では…

感謝というのは、一時すごいブームになりました。

一例には、トイレ。「いつもきれいに使ってくれてありがとう」があります。

でも、コレ、掲示紙に貼ってあると違和感ありますよね。意図が透けて見える。わたしなんて、天邪鬼な性格だから余計です(^^;)

ヨガでも感謝の心を重視します。サントーシャです。

でも、これはやみくもに誰にでも彼にでも感謝しまくれ、ってことではありません。

あるいは、親切にしてくれた人に不必要に恩を着れってことでもありません。

感謝の心が、自然にわき起こってくるのではないのに、「感謝しよう、感謝しよう」としていると、その態度自体が浅ましいです(><) 結果を期待して行う感謝が意味するのは、内実が伴わず結果だけを欲しがる心です。つまり煩悩ですねー。

実感がないのに感謝しているのは、利益を望むからです。利益を望むこころが結局浅ましいので…(汗)

■ 感謝の心は、ラッキーな境遇への驚き

感謝の心は、いうなれば、「自分はなんて幸せな(ラッキーな)人間なんだろう…」という心のつぶやきのようなものです。

なんて幸せな境遇なんだ…と実感すること。 

「自分は幸せ者だなぁ…」と感じること…。

今、ここにいること(めぐりあわせ)に運命のような、ラッキーさを感じること…

つまり、感謝とは、自分自身が幸福感で満たされることです。

そうすると、満たされているので、渇望がなくなります。人と比べて持っていないものを嘆く必要がなくなります。

満たされているので「こんなにラッキーで良いのだろうか?」と謙虚になっていく。分かち合うことができるようになる。その結果、人から感謝される。

その循環が繰り返されることで豊かになっていく。

■ まず自分で自分に感謝できるようになる

良く言いますが、まず、与えて、そして与えられます。

…が与えるときに、自分自身が幸運でも、幸福でも、豊かであるとも実感していないのに、与える必要はないです。

自分はなんて幸せ者なんだろうなぁ…と感謝の心でつぶやける者だけが与えれば、十分なのです。

まずは自分を豊かにしてください。それには自分を愛してやることです。

自分を豊かにするために感謝しよう!と思ってもうまく行きません。

それは感謝しているのではなくて、感謝の仕組みを自己利益の誘導に利用しているだけだからです…

ブレーキを外して前進しよう!

2013-03-30 10:26:41 | 幸せのコツ

■ ブレーキを外そう!

ヨガの聖典はバガバッドギーターで、聖書のような位置づけにある本なのですが、
ギーターの教えの中に

「人は自分にとって良いことを実行することができない」

というのがあります。

極端な例では、お酒やタバコ、ギャンブルも自身の身の破滅を招くと分かっていてやってしまう。 

その弱さこそ人間性だ、という指摘。(ギーターでは、だからヨガをして神に身をゆだねます)

ギャンブルや酒タバコのような大きな罪とは無縁でも、たとえば、

「宿題をやったほうがいいとわかっているのにやらない」とか
「ダイエットをしたほうがいいのにやらない」とか
「食べ過ぎ」とか
「買い物でストレスを発散」とか… 

身の破滅に即座につながらないまでも、やるべきだと自分でわかっていることをやらず、前進とは逆の方角に向かって進むことは人間であれば、誰でもよくあること。

それは大なり小なり自傷行為で、なぜか人間と言うものは、自傷行為を辞めることができない。

もしかして、それを辞めれば、人生が開けるのかも?

自分を足止めさせる嗜好を辞める。

人間と言うのは、ブレーキをかけながらアクセルを踏む、生き物のようです。どんなに優れて才能がある人でも、ブレーキをかけていたら…前進はできないのが普通ですよね。

人は得てしてアクセルを踏み込むことばかりを考えてしまいますが、まずは自分を押しとどめているブレーキを外すほうが実は簡単で早道だったりするではないかしら?

■ 友達は応援してくれる人

私が思うには、友達と言うのは、

どんな理由にしろ立ち止まっているときに「誰だってそういうもんさ」と愚痴を言い合う相手ではなく、

「勇気を出して一歩前に出よう!」と励まし合うべきものです。

どう考えたって、人生が前進し合う仲がポジティブな関係です。

その人といれば人生が後退するような仲であれば、恋人であっても親子であってもネガティブな関係です。(余談ですが、そのような仲を発見したらできるだけ早く離れることが必要です)

愚痴を言い合って「自分も相手も同じくらい前進していない」ということを確認し合って安心し合っても仕方ない。それは一種の共依存状態なのです。(共依存はアルコール依存者の研究から発見された関係で、アルコール依存者の背後には、かならずその依存者を一見親身になってサポートする介護者がいるという発見です。ただ実はこの介護者自身もアルコール依存者の世話を焼くことに依存しているのです。)

■ 魚釣りの方法を教える

Give a man a fish and you feed him for a day. Teach a man to fish and you feed him for a lifetime.

男に魚をあげなさい。あなたは彼を一日養うことになるだろう。だが、彼に魚釣りの方法を教えれば、あなたは、彼を一生養ったことになるだろう。

これはアメリカでは大変有名なことわざです。(中国のことわざらしいけど・・・汗)

私の母は子供を三人抱えて、どうしていいか分からなくなったとき、周囲の人にお金を借りる以外の選択肢を思いつけなかったのでした。それはそれしか思いつかなかった、という点で単純に創造性の敗北でした。

母は望み通り支援を得ても、その支援は結局、魚釣りの方法ではなくて、魚そのものを相手に渡すことでした。一日のお魚を食べてしまえば、また前と同じ状況に。

大学に入ると、母と同じような未婚の母の女性が同級生に居ました。でも私はびっくり。働きながら子供を育て、夜は大学に通う。彼女は、魚釣りの方法を学んでいるところでした。子供はときに施設に入っていましたが、そんなのはなんのその!でたくましく育っていました。施設=かわいそうというのは思い込みなのです。

デイビッドは日本に適応できないとき、アルコールにおぼれ、結局日本にはたったの3か月しかいなかったのに、アルコール中毒に。そして、そこからの脱出は、その後10年かかりました。結局、恋人も家も仕事も失うことになったのでした。しかし、本人が溺れて手を付けたアルコールさえなければ、すべてが10年前に手に入ったのです。

もしかして、○○を辞めたら、ものすごく前進できるのかもしれない?

あなたの○○、ブレーキ、は何でしょう?

それこそがあなたを前進させるカギかもしれません。


丈夫な心を作るにはどうしたらいいか?

2013-03-07 19:36:13 | 幸せのコツ

■気分転換

今日は一日春のための支度と言うか、模様替えしたりして、春に向けて整理整頓して過ごしています。整頓すると、心の中も整頓されますよね~。春に向けて心機一新? とりあえず、整頓してみる。

FBでは余計な広告がいっぱい来ます。ほとんどが美容。そもそも超興味ない。別に今興味がないのではなく、昔から顔に何か塗ったりするのは全然興味ない…。 基本、私の物欲の中心は本です。本で破産するかもしれない(汗)

本棚がいっぱいになったので、いくつか本をアマゾンで売りさばいています。5冊出してすでに売れた本が1冊。なかなかアマゾンは売り上げになります(^^) 売れるのはいいのですが、予想外に早く売れると焦ります…(^^;)2営業日以内に出荷しないといけないんですよ~。

■ 『じょうぶな心の作り方』 ジェリー・ミンチントン

この本は、他の本で言及されていて、評価が良かったので買ったのですが、内容的には目新しいことがないと感じた…ので放置していました。 平易で読みやすい本です。

じょうぶな心のつくり方

ただ、私はそもそも、かなり”丈夫な心”らしいんですよね…(^^;) よく弱い心の人は私は強い人なので、共感してもらえない、とがっかり感じるらしいです。夫とかもよくそういうことを言います。

でも繊細な心の人に ”どうやってじょうぶな心を持ってもらうか”は興味があります。

なんだか、私は生まれつき人目を気にしない性格に生まれたみたいなんですよね…。それは私の強みではありますが…昔から人目を気にしないことには感心されます。でも、プライドとかそういうのが邪魔になることはあんまりないけど、全然ないとも言えません。見栄っ張りは欠点です。

それによくむっとします。ドイツ人並みに良いサービスを求める方です。 ただ、自分の面倒を人に見てもらいたいってのはないです。結局、人は人、自分は自分って思ってる。責任転嫁はありませんねぇ…というかむしろ自信過剰が問題かも?!

まぁ強い心の持ち主でなければ、弟や妹に「親を捨てた」と非難をされてまで、18歳で独立する根性なんてないですもんねぇ…ふつう。
一般的には親元で親がかりで何もかも面倒見てもらう年齢。でも、そうしたら、うまく行かないのも親のせいにするようになるのは目に見えている気がしたんですよねぇ…

■ 丈夫な心を作るにはどうしたらいいか?

とりあえず目次を拾ってみます。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
じょうぶな心の作り方

 ① 自分の価値を信じる
 ② 豊かな人間関係を築く
 ③ 夢に向かって行動する
 ④ 可能性を開く
 ⑤ ネガティブを受け止める
 ⑥ 毎日を幸福に過ごす
 ⑦ 抵抗勢力を乗り越える
 ⑧ 自分の人生に責任を持つ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

丈夫な心を作るにはどうしたらいいか?の答えが①~⑧ってことでしょう。

私に言わせれば、①自分の価値を信じる なんて、 自分以外誰が”自分の価値”を信じてくれるっていうんだ?!

って具合に、シニカルと言うか、突っぱねた反応をしてしまいます(^^;)。そうした自分の一時的な反発感を棚上げして、一応、目次を詳細に見てみましょう。役に立つ情報があるかもしれません。何事も予断は禁物。

見ながら…具体的な方法論として 意味が分かりづらいと思った箇所を私自身の言葉でリライトしてみました。少しわかりやすくなったような気がしますが・・・いかがでしょう?

■ 丈夫な心を作るには、どうしたいいか?の8つの答え

①自分の価値を信じる → には、どうしたらいいか?
 【答え】
  ・人の能力は千差万別(客観的事実=変えられないこと)
  ・世の中は誰一人として完全な人間になれない。(客観的事実)
  ・自分の存在価値は、他の人より高くも低くもない(客観的事実)
  ・人に認められようとしない(態度=変えられること)
  ・自分を他人と比べない(態度)
  ・自分を最優先する(態度)

     →どうやって? 

      まず相手を満足させてから自分を満足させるという習慣をやめる(態度)。
      人を助けるためにはまずは自分を助けなくてはならないのだから(客観的事実)
      人を優先しなくても悪人と言うことにはなりません(客観的事実)。

  ・健全な自尊心を持つ
   → どうやって? 
      高価なモノはイラナイ(客観的事実)。
      威張らない(態度)。
      媚びない(態度)。
  
  ・自分を愛する 
    → これは難しいですね。自分の愛し方は難しいのかもしれません。誰も教えてくれませんもんね。

     どうやって自分を愛すか?
        自分の愛し方:
         不可能な夢(目標)を持たず、可能な夢(目標)に向かって努力する。
         ミスにこだわらず、教訓を学び取って、どうしたらいいか?を常に考える。

② 豊かな人間関係を築く →どうやって?

【答え】
 ・パートナーに完璧を求めない
 ・相手の人生の向上を助ける
 ・お互いを尊重する
  → どうやって? 
     1.互いに正直でいる。
     2.信頼する。
     3.心の支えになる。
     4.結果、自分らしくいられるかどうかで互いに尊重し合った関係かどうか?がチェックできる。

 ・社会に貢献する
   → どうやって? 自分の行動やあり方をもって人々の見本となる

 ・心をこめて聞く
   → どうやって?
     相手の発言を自分の思考プロセスの中に取り入れる。

③ 夢に向かって行動する → どうやって?

 ・”自分にとって”成功とは何かを問い直す 
  → どうやって? 
      一般的な成功は外的な成功(財産・地位・名誉・権力)と 内的な成功(精神的満足・幸せ・楽しさ)
      に分けられる。両方のバランスが必要です。
      重要なことは、何を追い求めるにせよ、自分の意志で追い求めるべきで、親からのプレッシャーや
      周囲からの期待であってはならない。
 
 ・チャンスにふさわしい自分であるようにいつでも爪を研いでおく
 ・自分でチャンスを探し求める
 ・ねたみを絶つ 
   →どうやって?
      【答え】妬ましいと思う相手からは”学ぶ”&”盗む”。

 ・成長を遂げる
   →どうやって?
    【答え】多くのミスを犯す。

④ 可能性を開く →どうやって?
 【答え】
  ・創造的に考える
    →どうやって? 
      うまく行かない理由を考えるのではなく、うまく行くにはどうしたらいいか?方法を考える
  ・得意分野に意識を向ける 
    →どうやって? 
      得意なことを10個リストアップする
  ・自分の潜在能力に信頼を置く 
  ・自分の能力に公平な態度をとる 
    →どうやって?
      聞かれたときは正直に答える。見せびらかしたり自慢したりする必要もないが
      自分の能力について黙っていなければならない理由はない。

⑤ ネガティブを受け止める → どうやって?
 【答え】
  ・怒りを抑え込まない 
    →どうやって? 
    したくないことを指示されると相手に反感を抱くのが普通の人間の反応だが…したくないこともしなくてはならない。

    しかし、したくないことは長くは続かない。雨は止むつまり、嫌いな仕事も終わる。やりすごす。
 
 ・過去を言い訳にしない
 ・過去の不幸を忘れる 
  → どうやって?
   【答え】ただこだわらない。起こってしまったことは変えることはできない(客観的事実)。
       過去にこだわればこだわるほど、無力感と被害者意識にさい悩まされることになる(客観的事実)。

⑥ 毎日を幸福に過ごす → どうやって?
 【答え】
 ・自分に何も残らなくなるまで自分を相手に与えない。
 
 ・ストレスをためない
  →どうやって? 食事、運動、睡眠、課題リスト 瞑想 今を生きる ユーモア
 
 ・楽しみを作り出す
 →  幸せになる決意をする 
    幸せを感じる対象を常時探す 
    毎日楽しいことを予定にいれる

 ・休憩する。 ITなどのテクノロジーは人間がより快適に生活する、つまり休憩が多くとれるような状況になるためにある。技術に使われない。

⑦ 抵抗勢力を乗り越える → どうやって?
 【答え】
  ・自分にとって最善の決断を下せるのは自分しかいない(客観的事実)
  ・人の目を気にしない(態度)
  ・ネガティブな人に惑わされない 
     →どうやって? ネガティブな人=リスクを嫌うあまり成功とは無縁の人たち(客観的事実)
  ・あざけりを真に受けない 
   →どうやって? あざける人=不幸な人生を送っている人(客観的事実)
  ・批判したくなったら相手の良い面を考える(態度)
  ・ノーと言う(態度)
  ・問題の肩代わりをしない(態度)
  ・嘘をつかない(態度)

⑧ 自分の人生に責任を持つ → どうやって?

【答え】
  ・自尊心が低いことを教育のせいにしない
  ・自分の人生を環境や社会のせいにしない
  ・好奇心を持つ 
  ・好きなことについて考える 増加の法則があり、楽しければ楽しいほど増殖する。
  ・相手の意見と違っても、自分の意見を率直に表現する
  ・先延ばしにしない 
   → どうやって? 
     ・週に一日先延ばしにした仕事を回復する日を作る 
     ・重要なものから片づける
     ・細分化し、その一部だけをやる 
     ・ご褒美を自分に与える
  ・悪い習慣を断ち切る 
   → どうやって?
     自分の行動に意識的になる。タバコ、アルコール、ギャンブル、買い物、など。
 
  ・依存から自分を解放する 
   → どうやって?
     依存している活動・モノ、などをほかの非依存性の活動に置き換える
 
  ・一つの人生設計に執着しない
  ・障害を乗り越える 
   →どうやって?
     正しい選択肢は扉を開く選択肢。障害の3つの選択肢は、引き帰す、迂回する、障害を取り除く。全部をやってみて扉が開いた選択肢が正解です。正解に当たるまでトライアル&エラーを繰り返す。
   
    たとえば、私は、甲府に転勤になった時、
     ・東京と甲府で2点居住をする →別の仕事
     ・メルボルンで海外留学する →勉強
     ・甲府で新しい生活に適応する → 新しい主婦と言う立場に慣れる
                            仕事以外の目標を見出す
      という選択肢がありました。最初の二つは扉があかず(^^;)。
      仕事以外の目標を見出すにも、試したことのうち扉が開いたのは登山くらいでした。

■ 個人的課題 

この中から私個人の課題を抜き出すとすれば

 ・人の問題を肩代わりしない

 ・相手の発言を自分の思考プロセスの中に入れる 

ってのが挙げられますね。おねえちゃん体質なのでついやってあげる系に傾きがちなので。昔からよく相談されるタイプです。でも相談してくる人って結構解決策を提示してもやらない・・・のは結局解決を望んでいるのではなくて、愚痴を言いたいだけなんだなぁ。

あと自己完結しているので、結構人の話を聞いていません(^^;) スイマセン。相手の発言を自分の思考プロセスに入れる、なんて考えたこともなかった(汗)

あと得意なことがあるとすれば

 ・人目が気にならない

 ・創造的に発想する

 ・ねたまない

ですかね。長女とか一人っ子と言うのはねたみと言う感情からは大体遠いものなんだそうです。私もねたむことはあんまりないなーだって手に入んないし。うらやましがっても仕方ないって思うんですよね。

でも、恥ずかしいって思いは結構あります。恥ずかしがり屋。これはなかなか直せない性格ですが・・・なんか友人からどこが~って言われそうな気がしないでもないですが・・・でも写真に写ったり着飾ったりはあんまり好きではありません。成人式もしなかったしなぁ。

まぁもう一回くらいウエディングドレスは着てもいいかな~すごいおばあちゃんになる前に(^^)


痛みの先延ばしは、さらに痛みを増すばかり

2013-03-07 12:44:49 | 幸せのコツ

■ヤル気

友人がパソコン関係の作業のやる気が起きないと言っています。

パソコン・・・、ここ10年くらいでITリテラシーと言う立派な名前がつきました。

苦手な人は苦手ですよねぇ… 20年ほど前はブランドタッチでキーボードが打てれば、ITスキルゼロの部長さんの秘書になれた…けれど、今はそういうITスキルがない部長さんは姿を消しました…

その理由は・・・不足していたスキルが実は本当に初歩的な、簡単なことだったんですよねぇ…だから今ではITスキルがない=出世できないです。今では、読み書きそろばんの地位にパソコンスキルがあるんです・・・悲しき哉。

今のサラリーマンの8割は会社に着くと同時にパソコン画面を眺めるのではないでしょうか…???

このような時勢になってしまったので、いくら「パソコンに向かっていること自体が苦痛」と訴えられても…その作業を肩代わりしてあげるわけにはいきません…困ったもんです。

例え多少の肩代わりをしても、その人しか知らない情報をUPすることはできないわけで…。

■ 肩代わりは思いやりではない

こういう場面に直面すると、「思いやり」って一体なんだろうか?と自問自答してしまいます。

たとえば、夫は自分の健康管理が苦手です。でも健康管理なんて本人以外わかりえません。

本人がやるしかないことを肩代わりしてやってあげる… それはまるで過保護な母親のようで、子供がやるべきこと、自立すべきことをやってあげる…のは本当の優しさなんだろうか?と思ってしまいます。

という私も、苦手なことはあります。苦手なことは誰だってなんとなくやる気が起きず後回しになるものです。

でも、苦手なことって、やってみたら大抵は「アレ?簡単・・・」と、結構、簡単なことが多い。苦手は意識が作るんだなぁと思います。

頑張っても背負えない荷なら誰だって代わりに持ってあげようかと声をかけますが、荷物自体がイヤって言われてもそれあなたのザックでしょ、と言われて終わりです。

■ITスキルは現代人に必須スキル

ある地域のボランティア冊子を見ていたら、昨今のネット社会が批判されていました。若者が携帯ばかりを見てろくに親と話もしないという内容。

ネットがなくても昔から若者は親とはろくに話もしないので、実はネットがどうこうと言う話ではない(^^;)。

人間関係が希薄になった…という指摘もネットを犯人とする説には当てはまらない。FBで生まれて初めてというほど多くの人に誕生日を祝福される、なんて感動はネット以外ではありえません。

ということは結局要するに、テクノロジーに乗り遅れた人たちが一定数いてその人たちはひどくみじめな思いをしている、ということなのです。誰からも声をかけてもらえず…

ただ昔は携帯もパソコンもなかったのでネットがやり玉にあがることはなかった。ただ誰にも気にかけてもらないで指をくわえていた人々はずっと一定数いたのです。

このボランティア冊子、後ろの方に募集されていたのは、パソコン教室…(笑) パソコン教室なんてぼられに行くようなものです。そう・・・結局はそういう人たちも今皆が身に着けている技術を身に着けたい、と思っているのです。

その歪んだ心理の向かう先がネット社会攻撃というだけなんだなぁ~と思った瞬間でした。

なので、すでに大衆に受け入れられている状況を批判する向きには、付き合うだけ時間の無駄です。

■ 変わることの痛み

そうした愚痴なのですが… 結局はどういう意味かと言うと、遠回しに

「肩代わりしてほしい」って意味なのですよねぇ・・・。 

肩代わりしてもらいたいけど、ストレートに頼めない。

そうなると、ネット社会そのものを中傷し始めるという屈折した行動になるわけなんですね。

どこにも感情の行き場がないんだろうなぁ…  なので、言葉にしないでわかってもらいたい。ひっそりと肩代わりしてもらいたい。

でも、こんな場合もやっぱり…結局は自分の殻を脱ぎ捨てるしかないんですよね。

殻を脱ぎ捨てる手伝いならしたいけど、殻に閉じこもる手伝いはできない…なぜなら、それは後退であって進化でないから。

いつもそう思う私です。 

勇気をもって変わることがその人にとって一番良いことだから。

過保護な母親は百害あって一利もないのです…痛みの先延ばしはさらに痛みが増すばかり。

人間、変身するのはいろいろな痛みが伴います。私も山好きに変身するまでには色々な痛みを通過しました。

でも人間の適応力と言うのはすごいなといつも思います。


子供と犬・・・情緒の安定と不安定

2013-01-19 11:20:38 | 幸せのコツ

■ 子供

我が家は3人兄弟…私は長女です。

で、子供、キライ。

アメリカに行ってベビーシッターをするまでは、子供ってギャアギャア泣き叫んで、お行儀が悪くて、始末に終えない、分からず屋だ、と思っていました。(自分も子供なくせになのですが。)

何のことはない、それは、単に自分の弟と妹がそうなだけでした。

…。つまり私は弟と妹がキライ、だったわけなんですね? 今、気がついた。アハハ。

アメリカで私がシッターをした子は、11歳と6歳の男の子2人でしたが、遊び疲れると「ジュース飲む?」とコチラを気遣ってくれたりして、「ん?私が世話されてる?」な感じ(笑)。

情緒の安定した子供たち…は、泣き叫んで、手のつけられない、きかん坊ではなかった。

ので、楽しくお友達してきました☆ それ以来、子供もいいな、持つなら女の子より男の子がいいな、と思うように。 

(女の子は実は苦手です。今も、女性の友達は少なくて、女性自体が苦手。さっぱりした男っぽい性格の人が多い。)

■ 犬

犬も同じでした。 私は日本では動物嫌いで通しています。

だって彼ら、だって情緒不安定で、吠えてばかりいるんだもん。

日本の犬とはほとんど友達になったことがありません。 日本の人の犬の飼い方だと、犬は情緒不安定で幸せそうではありません。

でも海外では犬は人間の友達です。

ゲイブ(ガブリエルの略称)は、大きな黒いラブラドールでしたが、私が行くといつも一番弱いヤツ?として気にかけてくれる犬でした。

ゲイブは主人をほっぽって私の後を監視するかのように歩き、私のそばに座ります。

なんて、おりこうな犬! 私がこのパーティで一番位が下だと分かっていて、サポートしなきゃ!って思っているんです。

私はありがとうの印に、テニスボールを投げる。 ゲイブが拾ってくる。また投げてくれ!と言っている。で投げる。 永遠に続く…(汗) 

ダイニングの下では食べ残しをくれ、と両手をそろえて座っています。誰もくれないとしょげて、べたりとあごを床につけてしまう・・・ ので、おいしいソースなどを少し分けてあげます。ワンポイントゲット。そうやってゲイブとは友達になりました(笑)。

少し前にメルボルンに滞在したときは、老犬のマティが私のそばにずっと座っていました。単にトイレのときドアを開けてもらいたいから、そばに居たいのです。足の悪い老犬マティ。

私はマティが私を見上げると、分かったよ、と、彼を持ち上げて、寒い外に出してあげます。するとしばらく、くんくんと庭をうろついて、そして、彼は戻ってくる…その間5分くらいでしょうか…クリスマスローズが咲き誇る庭は・・・寒い。

寒いけどドアを閉めないで気長に待っていてあげるのが、2人の間の慣わしでした。

たまに散歩に出るのですが、老犬なので、結局抱えて歩くんですけど…(笑) マティ、今年もまだ生きているそうですが、最近はほとんど寝ているのだそうです。

動物は外国のほうが幸せに生きていそうです。 

 

 


夫婦のベッド

2013-01-19 09:13:19 | 幸せのコツ

今日は休日の、のんびりした朝です。

夫は「僕まだ寝てる~」と休日の惰眠を貪っています。

彼はこのところ帰りが遅く11時を越える…。ひどい会社だとは思うんだが、どうしようもない。私もその仕事してたんだけど、2人でやっていた頃はまだ悲壮感がなかった。今は彼ひとり。

私たちは結婚以来、ずっとひとつのベッドで寝ています。最初の頃は腕枕してもらうと「ハネムーン麻痺」になるのではないか?と心配したけど、そういうこともなさそうで、すやすやと寝ているので最近は気にしていない。

毎日一緒に寝ること。情緒的に安定した結婚生活の基。

日本では夫婦で一緒に寝ない人が多いらしいと知ってとても驚いた。毎日一緒に寝なかったら何のための結婚なんだろう?私は結婚する前も恋人とはいつも一緒に寝ていて、それ以外考えたこともない。

以前、海外の友人宅を訪ねたら、マスターベッドルームを貸してくれた。マスターベッドルームと言うのは主寝室。夫婦の寝室ということで、大体バスルームつき。大きなダブルのベッドがある。普段は家の主が寝るベッドを貸してくれたってことなんだな。総本山とでもいうところ?子供は海外では夫婦のオマケでしかない。

そういうことなので、それが普通だと思っていた。 最初の恋人がアメリカ人だったから欧米の常識が自分の常識になってしまったのだ。

安定。 生活の礎。そうしたものの基本にあるのが夫婦のベッド。

たぶん、これは”約束”の証なのだ。 「あなたを選んだ」という自分自身の選択。自分との約束の。

その約束の価値を毎日確実に確認する場、永遠の眠りが分かつまで。ひと時の死を共にする場。

夫は今日ものんびり遅い午前までベッドでぐだぐだしているでしょう… 

いいかげんおきないと午後になっちゃう・・・と痺れを切らした私が「コーヒー飲む?」と聞くまで。


持つべきは気の置けない女友達

2012-10-30 17:55:52 | 幸せのコツ
今日は女友達のありがたさを感じていました♪

午前中にピンポーンと来たので、ちょうど入浴中で(そう、ヨガでは朝シャワーがおススメです)、玄関先で凍えながら「外に置いておいてください」と言うのに、宅急便屋さんが融通の利かない人で、返事をしてくれないので、大きな声を出すとまるでイライラしている人みたいに聞こえてしまいます…。 宅急便屋さんも考えてほしいわー、人は夜風呂に入る人ばかりじゃないのですってば…

でも~ 朝のシャワーを終わって、さて、ヨガでもしようか、というところで、包みを開くと…

じゃーん!オヤツいっぱい♪



しばらく前にぶどうを送った友人からのお返しでした。別にお返しは期待していないので良かったのですが…、っていうか、贈ったぶどうそのものも何かのお返しのつもりで友人に贈ったような(笑)???

というわけで、友人にありがとうメールを打っていたのですが・・・打ちながら、ここ1ヶ月ほど少々夏の疲れで気分も低かったのだと実感しました。

よく考えると実は私最近少し凹んでいたんだよなぁ。

私は、山とヨガで気分転換するのですが、ヨガも山も体を使うアクティビティ…私は頭でっかちになりがちな体癖なので、体を痛めて努めて安静とかで体を使えないと気分が急下降です…。やはり多少億劫でも外に出ることが私の精神衛生には必要なのです。

さらに最近多少ストレスフルな事件が続いていました。ストレスは自分の心から、他の事に気持ちが向けさせられます。大事なのは自分の心です。

先日はやっぱり山は曇りでも雨でもいいなぁと思ったのですが…晴れている日にも「今、脚が…」とかって、自分で自分にブレーキをかけると、ブレーキをかけていること自体がストレスでまったく良くないですね。

■ 主婦業は暇人なのか?

多分言ってくれた人は親切心なのでしょうが、今の主婦業は一時的なことで他にふさわしい仕事をする時期があるだろう、などというのは、言われたほうは余計凹みます。

というのは、その”励まし”、まるで励ましになっていないでしょう…(汗)。

それは、私に向かって「あなたは冷や飯を食わされている」と言うのと同じこと。言っている本人は気がついていないようでしたが… とても無邪気な人でその無邪気さが羨ましいです(--;)。

■ 人生の目的

人は誰しも生まれながらに与えられた人生の目的がある…その人にしかできないユニークな、この世に役に立つ方法があります。その人の才能、情熱、などのユニークなコンビネーションで可能になる、唯一無二の立ち位置が。
その人の才能を活かしきって、この世に生み出せる善を最大化すること。それがその人の使命です。そのことには疑いはありません。

問題は、ほとんどのケースで、それは発見される努力を子供時代にされないまま、大人時代に突入させられることです。

そして生活のニーズを充足することのために人は働き、機会を逃すのです。自分自身の才能を活かし、使命に生きることを後回しにしたために。そうすると絶対に人生は行き詰るのです。行き詰るのは早いほうがいいわけです。

結局のところ、人は自分の使命を自分で発見しなくてはいけません。他の人には発見できません。

親は子供の分を発見する手伝いをすべきですが、現代ではほとんどの場合、むしろ発見の邪魔をすることに躍起になっています。

なので、基本的に誰しも親からは自分らしさを否定するような教育を受けたせいで自分が生きる目的を発見できないという点で、ほとんどの人が平等なスタートラインに立っていますね。

■ 使命に優劣はない

いくら学業や社会的仕事で才能にあふれ優れた人でも使命が結果として主婦である場合もあります。

社会で専門家として精力的に活動することよりも、家事が大変でやりがいがないということはどうして言えるのでしょうか?主婦と言う立場から、世の中に名を成した人は枚挙に暇ありません。たとえ、その方たちに続かなくとも、主婦業という仕事の中身はそうした人たちが示したもので想像できるでしょう。

キリストの母はマリア様です。 歴史に名を残したり、巨大な富を得たり、あるいは多くの人に影響力を持ったりする、ということで、社会貢献の大小を測るのは間違った考え方です。大体肩書きにこだわる人ほど、ありのままの自分を受け入れられない人が多いです。特に日本では。

どんなに小さなことに見えても、それが実は大きな影響力を持たないとはいえません。

成功…それは人間的価値観で見た評価にすぎないのです。

映画のフォレストガンプでは、ガンプの生涯が描かれていますが、ガンプを支えた賢き母(知恵遅れのガンプを
普通の小学校に入れるために母が何をしたか?覚えています?)や、ガンプを支えたガールフレンドのジョニー(父親の虐待に成人後も精神的に苦しめられ、麻薬におぼれた末、ガンで死んでしまう)が、ガンプより偉大でないと誰がいえましょう?2人とも結果としてガンプを成功に導いたキーマンです。二人がいなかったらガンプはなかったのです。

私達一人ひとりの使命(生きていることの価値、生きていることの目的)は、私達一人ひとりからは見えません

それは私達を作り出した、この世に送り出した者にしか見えないのです。それが誰であるにしろ。私達は被創造物であって、自分自身を目的を持って作り出したわけではないからです。 

一人ひとりの人間に出来ることは、

 ・今自分が才能を発揮し、
 ・情熱を持って取り組めることに対し、
 ・対価や結果を求めずに自分を差し出すこと

だけです。仕事だってやりがいがある仕事は誰に評価されなくても自分がそれをやっているだけで、誇りとやりがいが感じられるはずです。

結果の大小で、行為の大小を計る必要はないのです。

結果の大小で行為(使命)の価値を計る限り、その人は自分が果たすことが出来なかった偉大なる使命を夢見て、自分の生涯を過小評価し続けるでしょう…

つまり煩悩というのは、結果の大小で自分の価値を計るような生き方そのものってことです。

それこそ悲しい人生ではないでしょうか。そしてそうした価値観を人に押し付ける人こそ、心の貧しさの証明です。

なぜ押し付けるのか?というとそれは多分自分自身が自分らしい人生を歩んでいないからですね。

■ 生活のフィットネス

私の生きる目的(使命)は主婦業なのかもしれませんし、そうでないのかもしれません。それは知ることが出来ません。

が、目の前の与えられたことをしっかりやるのがまずはその人の課題であることは間違いありません。というか目の前のことも出来ない人が何か偉大なことをやり遂げられると思います?私には思えませんね。

なんで私が主婦業をしていることをさも遊んでいるように言われないといけないのだろうか???? それは社会の見方であって私の見方ではありません(汗)

基本、非常に心外なわけです。私は今の自分をかわいそうとは思えないんで。

私が思うには、主婦業と言うのは”その人次第”が最大限の仕事ですね。手を抜けば抜ける。やろうと思えば、どこまでも深めていける。 これほど裁量の大きい仕事はそんなにない。社長業といえども主婦業ほどの裁量は無いのではないかと思います。枠になるものと言えば、予算の枠が小さいことくらいですね(笑)

私が思うには主婦業というのは、掃除が上手とか料理がおいしいという都度の結果より、むしろ、いかに快適に暮らせるか?の総合評価です。効率、快適性。つまり生活のフィットネス…

我が家は共働きだった頃より確実に生活の質は向上しています。それは私が家にいるからです。いなかったら夫も私も二人ともが不満を感じながら生活しないといけなかったでしょう。