ライノウイルス 大人の風邪の二分の1~三分の1の風邪菌。鼻かぜ原因菌。喘息の引き金。
コロナウイルス Saasなど。 高熱、激しい咳、息切れ、呼吸困難、下痢、腎不全。
パラインフルエンザウイルス 乳幼児に多い
RSウイルス 冬に多い。RSウイルス感染症には特効薬はなく、治療は基本的には対症療法
アデノウイルス 夏に多い。咽頭結膜熱(プール熱) 結膜炎
ライノウイルス 大人の風邪の二分の1~三分の1の風邪菌。鼻かぜ原因菌。喘息の引き金。
コロナウイルス Saasなど。 高熱、激しい咳、息切れ、呼吸困難、下痢、腎不全。
パラインフルエンザウイルス 乳幼児に多い
RSウイルス 冬に多い。RSウイルス感染症には特効薬はなく、治療は基本的には対症療法
アデノウイルス 夏に多い。咽頭結膜熱(プール熱) 結膜炎
なんだか今年の夏は、終わるのが唐突のようだ。私は風邪から喘息併発中で、夫は風邪を私からもらってしまった。
記録:
25日 朝はなんともなく、10:30頃風邪を引く。喉が痛い。イソジンうがい。あらよと言う間に悪くなり、翌日のヒルの仕事をキャンセル
26日 喉にイソジンが効く~という感じ。夜の仕事をしたら、声が出ないで大変
27日 夜 37.5℃
28日 安静 横になるとせき込む 寝汗。
29日 安静 同じ 寝朝 気温も低く湿度が高いので、寒いのか、湿度なのか不明。夜仕事
30日 安静 山キャンセル 病状悪化。 昼にピザ屋に行った。
31日 朝好転。 病院受診。
1日 好転中・・・いがらっぽい。耳鼻科を受信後、呼吸器科受診。どの医者に行くかも調べてからでないと受診もままならない。
普段健康体であまり風邪を引かないので、医療機関にかかることも少なく、こうなるとまず医者探しが問題になる…風邪では会社員時代は会社の医務室くらいにしか行っていないし、甲府に来てからは、土地の人でないので、あまり医療機関自体を知らない。近所の評判というのも、現代生活では聞く機会がない。
というわけで、珍しくお医者にかかったので、その備忘録。
■私の内科呼吸器科
前回の風邪で内科で喘息があると言われた経験を生かして、呼吸器が得意な内科を受診。もらった薬。
1)クラリス錠 マイコプラズマ用の抗生物質。マクロライド系の抗生物質
2)ムコダイン錠 痰きり
3)濃厚プロチンコデイン配合シロップ 咳止め。
4)シムビコートタービュヘイラー 吸入薬 喘息用。これはとても効いた。
5)シングレア錠 気管支の収縮抑制
■夫の内科。
夫は不整脈があるので、循環器系併設の内科。
1)クラリス錠
2)スピロペント錠 気管支拡張
3)メジコン錠 せき止め
4)ムコダイン錠 痰きり
5)濃厚プロチンコデイン配合シロップ 咳止め
■耳鼻科
私は咽頭を見てもらいたかったので、耳鼻咽喉科に行ったら、失敗だった。
1)チステン錠 痰キリ、鼻水を出しやすくする
2)アスベリン錠 中枢性鎮咳薬
3)レバミピド錠 胃薬
4)ゼスラン錠 抗アレルギー薬。メキタジン
5)クラビット錠 抗生物質。ニューキノロン系
6)トラマゾリン点鼻薬 鼻の充血を取る
7)塩化ナトリウム
というわけで、今回の感冒症の原因菌は、マイコプラズマ。
■マイコプラズマ感染症
http://www.sped.jp/disease_mycoplasma.htm
家族一人がかかると皆かかってしまうそうだ。
・よくある病原菌
・肺炎の原因菌
・ペニシリン系やセフェム系などの抗生剤が無効で、マクロライド系やテトラサイクリン系の抗生剤が有効
■ 風邪の原因菌
ライノウイルス、コロナウイルス、パラインフルエンザウイルス、RSウイルス、インフルエンザウイルス、アデノウイルス。
http://www.jrs.or.jp/modules/citizen/index.php?content_id=2
ウイルス性のかぜ症候群であれば、安静、水分・栄養補給により、自然に治癒します。抗菌薬も一般的には不要なことが多く、解熱剤も適宜に使用する程度でよいと思われます。ただ、原因がウイルス以外の細菌もしくは非定型病原体によると思われる場合には、それぞれに適した抗菌薬を診断後からでもいいので投与します。
マイコプラズマだったのかなぁ・・・ 念のための投与のような気がしないでもない。
このような素晴らしい診断ガイドを見つけた。上記サイトより引用。つまり熱が出ても、色のついた痰や鼻汁が出ない限り、医療機関は受信しなくて良い。
■ 春色
春は一年でモノが一番売れる季節と言われています。私も例にもれず、インテリアを春らしくしたくなり… 具体的にはトイレマットを新しいものに更新したかったのですが・・・ 結局、ニトリと東京インテリアに出かけてきましたが、どちらにも気にいるものはなく、結局何も買わず帰ってきました(^^;)。 せっかく出かけたのに残念。
■ 欲しいものはないのに、要らないモノであふれかえっている
甲府の商店街などを歩いていて、やっぱり思うのは、「モノが売れない」のではなくて、「消費者が買いたいものを打っていない」んだろうな~ということです。
北海道物産展をやっていたのですが、全然売れていそうではなく、「試食どうぞ~」もあまりに客が少ない中なので、にぎわい演出と言うよりは、押し売りを恐れて「結構です・・・」ですし、売っているものも”いつもの”もの・・・今では冷蔵技術が発達したので、物産展でいくらを食べなくても満たされるようになってしまいました。
かわいそうになったのでコロッケを買って帰りましたが、お味は普通でした・・・。まぁコロッケだもんね~。
登山でも、欲しいものは店に売っておらず、探し回らなくては必要なものは買えませんが、要らないモノは、「買って買って」の大合唱が聞こえてくる・・・というのはどこでも同じ話のようです。
私は リジンのサプリと、口唇ヘルペスの塗り薬を買いたかったのですが、基本的に売っていません(笑)。
というわけで、ますます出かけて買うことはなくなり、ネット通販に傾いていくわけですが・・・これは消費者のせいではアリマセンよねぇ・・・?
■ デザイナーズフード
私は長らく”なるべくベジタリアン”な生活をしているわけですが・・・今回、夫が2度も風邪を引き、私も風邪を引いたので、栄養的に欠落がなかったか振り返り中です。
免疫力が下がった・・・? 口唇ヘルペスは別名、熱の華。私は子供のころから体力が落ちると出ます。なので体力が落ちたよ、というサインです。でも、特に何かしたっけな~・・・
夫も、ということで疑うべきは食。 このところ、肉全然食していませんが・・・まぁたぶん関係ない。肉より、このところ野菜が乏しかったのが良くないのかも・・・。冬はキノコ以外食せるものがないんですよね・・・特に夫に。冬は狩猟で食いつなぐ季節でもあるので、夫に関しては肉を許容してもいいかもしれません・・・がちゃんとした肉は高いんだな・・・。
厳格でない人には当てはまりませんが、厳格なヴィーガンの人はB12不足が知られています。
私が食生活を振り返って思うのは、むしろ、加工食品が我が家に忍び寄っているってことです!! 登山をし始めて、インスタンドフードが身近になりました・・・これは良くない!
夫は見るとついカップヌードルを食べてしまうみたいですし・・・。登山のときはいいですが、それ以外の時に食べるのはNGです。隠しておかねば。
またチョコや体にあまり良くないだろう袋菓子、清涼飲料水も身近になってしまいました・・・追い払うのは何十年もかかるのになぁ。
多くの人は知らないと思いますが、加工食品はビタミンを消費します。ので、食べないより食べた方がビタミン欠乏症になります。むろん、登山は非日常ですので、非日常でやっている分には体内に蓄積されたビタミンでなんとかなります。
気分も盛り上がっていますしね・・・でも、登山で食べるものを日常でも食べるようになるとダメです。
昨今、日本人の野菜消費量はアメリカ人に抜かれています。(昨今っていっても、もう5、6年前から有名な話です)
特にスーパーを見ていると手を掛けない中食が増えています。御惣菜も出来上がったのが一杯で、高齢者の買い物籠をみていると、ほとんど中食だったりします。家で料理しない人が増えていますよね。個食が増えると料理しなくなりますし。
しかし、それでは、免疫力を弱め、ガンなどの病気にかかりやすくなります。
今は デザイナーズフードと言うことが言われている時代です。病気にならない食べ方をする。
画像はすべて、http://www.nissui.co.jp/academy/market/01/02.html より転記。
このピラミッドを見ていると、甘草なんていう見慣れないモノもありますね。甘草はリコリスです。よくハーブティに配合されています。
十字架植物と言うのはアブラナ科のことです。たくさん食べるほど乳がん発生率が低いと言われているそうです。
これは今日の私のランチ・・・ホウレンソウのカレーです。ポテトサラダはナッツとレンズマメ入り。
サラダのドレッシングは、玉ねぎと人参のピューレ、ワインビネガー、レモン汁、オリーブオイル。
やっぱり白米がダメですかねぇ・・・
一応これには、ハトムギが入っているのですが・・・(日焼けしたから)
玄米食は、胃に負担が重いので、胃の負担を考えると、雑穀を混ぜる案が一番良いのかしら、という気がします。
柔らかく炊けたご飯のおいしさは、手放す気になれないモノの一つですよね・・・
乳製品を手放す方が、卵を手放すより楽なのですが・・・
今回はヴィーです。
■ 静かな別れ
最近、ちょっとしたお別れがありました。
付き合った期間より、友人だった期間が長かったデイビッド…サンフランシスコに私がいたのはもう20年も前ですから、その当時からの付き合いといえば長い付き合いです。
男性にとってパワフルすぎる父親というのは人生の破滅なんだなぁ…そう思えたデイビッド事件…
デイビッドとは20年来の付き合いでした。少し前にインターネットで出会った中国人と結婚し、相手がグリーンカードを取得したところで、破局…。気の毒ですけど、なんだか傍目にはそれは予定調和のような話でした… 私は山に居て相手はできなかったんですけど。
■ すごすぎる父親
彼の父親は超がつくエリートでした。軍隊上がりの叩きあげで大企業の幹部。誰もが知るアメリカの巨大企業でした。退職後もジュネーブ行っていましたから、かなり会社では上の方の役職にいたようです。4人の子供をもうけた最初の妻を生涯養いつつ、再婚し4男1女。住まいは誰もが知る高級住宅地。引っ越すたびに大きくなる家。
そんな父親のもとで、デイブは長男。実際、病弱に生まれてしまったようなのですが、私が出会ったころ、ぜんそくがあるも、それは誰しも付き合っていく持病のようなもので、そのために人生を狂わせるようなものではありませんでした。文学的・芸術的才能がそうさせるのか、常に自分を悲劇的に見る癖がある人でした。でもそれも人としてありがちなことで、特別大きな欠陥になるわけではありません。
手に職があり、本業はキャビネットメーカー。家具職人と訳されますが、あちらでキャビネットメーカーと言うと、作り付けの家具を作る人で日本では建具屋さんに近いです。精密なウッドワークが必要で、繊細さが必要な仕事です。実際、彼が作った家具は結構高価格でした。ウッドワーク好きを生かして、手作りのボートを作ったり、伝説のギタリストが使用したギターを作ったことで有名なギター職人に友人がいて、一緒に工房でギターを作っていたこともありました。
敬虔なクリスチャンで教会で仕事し、音楽を愛し、ジャズ奏者でした。ドラムスとギター。自然を愛し、というか、貴族的で男性的な趣味を持っていて、猟を趣味とし、ハンティングに時々出かけていく人でした。コレクションはアンティークガン。私が出会った時はひと財産築き終えた後で、成した財で大学に戻り、大学院で哲学を専攻中でした。
これだけの才能がありながら…彼は生涯、偉大なる父親の影響を免れ得ないのではないかしら…
私はと言えば、当時は学生。ベビーシッターをして英語を身に着けようとしていました。子供を抱く私は取り立てて家庭的に見えたのかもしれません…東洋の女性は受動的。そこがそもそもの大誤解の発端じゃないか?と思わないでもないですが…西洋人の男性が東洋の女性に魅かれるのは、男女同権が進んだ西洋で女性が今でいうところの肉食化しすぎ、一緒にやっていく相手ではないからかもしれません。もちろん、それは思い込みなので、大概が裏切られて終わりなのですが(笑)、東洋の女性の方が我慢強いというのは言えそうです。終るのも時間がかかる。
私とデイブは気楽な仲でした。というのは、私が日本人にしては、例外的に英文学に詳しかったのと、バレエやクラシック音楽を愛していて、シーズンともなれば、食事代をケチってまでも、シーズンチケットを買っては毎晩、劇場に出かけていくと価値観だったから。私はベビーシッターで働いていない日は、本で英語を勉強してカフェで過ごし、その辺の人たちと友人になって英会話を練習、というボヘミアン的ライフスタイルでしたが、彼も似たような生活でしたから。私は彼の授業にこっそり参加したりして、学生のような顔ができ、大学は庭でした。あちらは外国人留学生が多いので一人くらい混じっていても全然目立たないのです。
私にとっては、彼との暮らしはどこも無理に合わせる必要がなく、単純に楽だったのです。彼の方もそうだったようで帰国することになった時は、膝まづいてアメリカにとどまるように哀願されたくらいです。このせいで私は大阪行きの飛行機を5分も遅らせる羽目になり、乗客みんなに睨まれました。
当時デイブはまだ30代で、すでに悠々自適生活に入っていたので、それだけでも上出来なのではないかと今にして思いますが、彼にとって、上出来の人生は、彼の父親に認められる人生だったらしく、それは、当然のことながら、父親のジョージがたどった人生航路でした。ジョージが同じような道を息子に期待したとは私は思えませんが、息子の目にはそう見えたようです…
つまり家庭を持って子供を大勢と言わずも持つような生活ですね。
そう、今に話を戻すと、中国人の妻と離婚が成立した後、彼はひどい鬱を発病し、その精神の病は、医者が病名を発見できないくらいレアなモノだったそうです。 (ああ、でも前にも聞いたことがあるような話・・・)それゆえ、適切な処方もされず、日常生活が送れない。もう死にそうだ、というメールをもらいました。体重が10kgも減ってしまったそうで。
それは気の毒なので、色々相談に乗っていたわけなのですが、彼の論調には、常に父親から病気を無視するように躾けられたから、病弱な自分を受け入れられないんだ、という趣旨がありました。でも彼ももう50を超えているはずなんですよね。もう親のしつけ云々の年齢ではない。
たしかに頑強で強い男性でした、ジョージは…。私は結構ジョージとも気が合ったので、デイブと別れてからも、ジョージは妻のジュディを伴って私がいる大阪に遊びに来たくらいです。でも退職してすっかり丸くなっていましたけど。私は父親を知らずにそだったのでジョージはちょっと父みたいでしたし、向こうもそもそも息子の彼女というのは、義理の娘候補なので私を娘のように扱ってくれました。
デイブはやっぱり父親への恨みつらみを父親の死後も手放すことができないんだなぁと思い、もうジョージのことは忘れて健康回復に専念したら、と言う私に彼の批判の矛先は、診断もできない医者に。
でも医者を責めたところで自分が良くなるか?というと、ならない。大体、精神的な病って、鬱などの重篤な状況に陥っている人には決して言うべきではありませんが、自分で自分を病気にしている面があります。この彼の場合、相当長いメールを書いてきましたから、実際に体力も精神力も衰えていない。本当に死にかけている人は、自分は死にかけているんだぞという恫喝に近いようなことさえできないです。これは周囲も相当手を焼いているんだろうな、と傍目には伺えるのでした。
実際、20年前に私が彼とお別れすることになった、直接の原因も、彼がアル中になったから、でした。それも、たった3か月で。日本に来てくれたんですよね、頼んでいないのに。私は学生が生活2年残っていたので、それを終えてから、またアメリカに戻る予定にしていました。ところがその2年が待てないというので、彼が日本に来てしまったのです。ところが、彼は環境の変化に適応できず、アル中になって、緊急帰国したのでした。たった3か月で、だよ?残ったのは大量のスミノフの空きボトル・・・
そのことがあり、私には、デイビッドの粘着質な性格が、精神の病を自ら招いているように思えたのです。繊細な精神って大変ですね。
でも一般に女性はそんな繊細な精神ではなく、生きるたくましさみたいなものに魅かれると思うんですよね…
そして、そうやって自分で自分を病気にしている男性なんて…母性に訴えかけるかしら?うーん。私には少なくともダメですね。
そういう女性もいるかもしれませんが。
妻が離れていったことに、私が離れていったことを重ねたようで、彼は「今回もうまく行かなかった。俺はダメ人間だ」と…
でもなぁ・・・うまく行かなかった過去に固執しても、今にも未来にも何にも役に立たないからなぁ・・。
それはAAAで立ち直った時に学ばなかったみたい。めんどくさいと思ったものの、父親のことも分かれた妻のことも忘れるべきだとアドバイス。でも、聞き入れないのです。いや正確には聞き入れるふりをして、また、父親や前の妻のことを書いてくるのです。文面の8割が過去の話の回想。
というわけで、それを指摘すると、今度は逆切れしてしまうし…。じゃ分かったから非生産的なやり取りはやめようと提案すると、今度は哀願…そして自分には友人は必要ないと強気がる。本当は孤独が恐ろしく堪らないのに…
男性は女性がいないと自分が生きる意味を見いだせない動物なのかも知れません。彼にとって欲しいのは一人の女性のために生きる、昔の騎士みたいな人生なんだなぁ…と思うのは、かれが一番幸せそうなのは、未来の花嫁を迎え入れるために、家の中に棚を作ったり、バスルームを作ったりしていた時だからです。
その頃は楽しくメール交換できたのですが、彼が作ったそれらのしつらえは、ちょっと花嫁自身の好みとは違ったようです…。(だから言ったのに…)
実際、彼と別かれた妻は何の文化的共通点がなく、趣味も全く違うのです。当然の帰結として、あっという間に離婚してしまい、相手の女性はグリーンカードをきっちりと取り中国脱出を果たし、今は別の中国人男性と暮らしているそうです。それでも、その女性に財を残そうとするなんて…バカ?
男性としての本能が何かおかしくなっているような気がします…が、単純に昔の彼女の気を引きたいだけかもしれず、私の結婚生活が円満で幸せであることをそれとなく伝えてみると、途端に、誰からも愛されないのだ、老後は一人だけで死ぬのだ、と自己憐憫に走るのでした…やっぱり孤独が怖いんじゃん。
でも、老後のために結婚するんじゃないしなぁ…。老後なんて今から心配しても仕方ない。そもそも老後なんて、あるほうが怖いものです。老後がないくらい真摯に生きることができれば、そのほうが長い老後を持つより現代では幸せです。
なんだか長年の友人の相談に乗ってあげようとしていたメールもエンドレスループになってきたので、私の方からメールをしなくなってしまいました…
大の日本好きと吹聴し卒論は日米論だったのになぁ。結局、彼にとっての日本好きは、おそらく西洋人より御しやすく自分なしでは生きられない(ビザその他の都合で)はずの東洋人の妻を得る手段だったのかもしれません…
これで20年来の友人とのやり取りは終わりでしょう… 私にとっては、見ずに済むなら見ないで済ませた方が良かったなと思える別れでした。
■ 集団登校が嫌いだったこと
小学校1年生で初めて小学校に登校するってとき…5Fに住む大家族の4人兄弟の、6年生のお姉さんが私の同い年の妹のカナちゃんと一緒に学校に連れて行ってくれました。 集団登校。
でも…連れて行かれる本人のわたしったら仏頂面… というのは、入学式でも行ったから道くらい知ってる、って思っていたのです。
当時の実績… 3つのとき一人で近所のパン屋さんまで行き、警察に保護されました(笑)
5つのとき、半年しか通っていない幼稚園から勝手に一人で帰ってきていました。
それ以降、私はカナちゃんと一緒に登校する羽目になるのですが… 一緒に行くのが嫌で、わざと寝坊したことにして、「先に行っておいて~」。 で、ホントにちょっと遅刻しそうに!
学校への近道に、今ではもうちょっと見ないような巨大な材木置き場がありました。ネットを乗り越えて、そこを通ると近道で線路も踏切を渡らずにすみ、学校に直行できる。その入り口に、大きくて、とてもきれいな・・・何の木だったでしょう…ミズナラかな…木があり、その木を眺めるのも、とても好きでしたが…
材木置き場…子供がちょこまかすると危ないので… 後々そこは通行禁止になったのですが…結構無視していたような…いや、すみません… 。
最初のころは、材木置き場通過は遅刻を避ける手としてデフォルトでした。
3年生になって弟を連れていかなければならなくなるまでは…。実は材木置き場を通らないとすれば、長屋が並ぶ通りを通ってたくさんの交通量がある車道を恐る恐る通らなくてはならず、私はその長屋を見るのがいやなのでした。洗濯物がだらしなく並んでいて、みっともないんです…あまり見た目にきれいな眺めではありませんでした。
それに熊本は雨が多いのに、小さな子供には配慮がなく、車がしぶきをあげて通り過ぎてびしょ濡れにされることは一度や二度ではなく…ホント子供って受難続きですよね。
思えば、子供のころは毎日が発見続きでした。野犬に追いかけられたり、どぶに落ちたり。車にずぶぬれにされるくらいはマシなほうですね。毎日がサバイバルですよ。とはいえ、下校では毎日同じ道を通るということはないのでした…(笑)退屈なんだもん。
■ あるときちょっと冒険しました
心に残っているのは、製材所のおじさん。
材木置き場を通れなくなり、仕方なく車道を行くのですが、しばらくすると小さな製材所が出てきます。
朝早くから働くおじさんたちが見れる。その製材所は掘立小屋でした。中は暗くて、大きな機械類が一杯置いてあり、そして超うるさい!! 木を機械で挽く音は木の悲鳴のようでした。 なのでダッシュで通り抜けるんですが…目の前に踏切があって、引っかかると騒音に耐えねばならない。
製材所にはひときわ小柄なおじさんがいて、めっちゃよく動いているんです。ほかの人よりうんと働き者風…でも、おじさんが来ている長袖シャツの右袖はいつもからっぽでブラブラしているのでした。
なんだろう、あれ?
たぶん、私は子供だったのでおじさんを遠慮なくジロジロ見ていたんだと思います。
おじさんの腕がどうなっているのか理解したいと思い、その製材所を通る不快な車道ルートは、とりあえず、定番として許容されたのでした…(笑)。 今思えばきっと仕事中に腕を切り落としてしまった気の毒な方なのですが、子供のころだったのでよくわかっていなかったんです。
ずっと後になってですが、製材所の脇にあるお地蔵さんのそばに、グミの木があって、その実が食べれるとおじさんが教えてくれました。そのせいでお地蔵さんの家に登ってしまうのですが…良かったんだろうか…(笑)
もう一つの思い出は、その製材所の前にある長屋のあばら家。そのあばら家は登校の時はガーブの外側にあるのであんまり目につかないのですが、下校時にそこを通るとかなり目につく位置にありました。
最初は人が住んでいる風だったのですが、見る間にどんどん廃れて行って…5年生のころ、なんだか幽霊でも出そうな雰囲気になりました。
で、あるとき、何を思ったか、その家に入ることにしたんですよね。幽霊がいるかどうか?みたいな感じで。
ブロック塀に登り、二階の窓を開けたらあいちゃった。 そいで入ってみたら…食卓にご飯があった(汗)。風化してたけど。布団まで敷いてあり…まるでベスビアス火山が噴火した後のポンペイ?な感じでした。
おそるおそる一階まで降りてみる… タンスの中も開けてみる…すると子供の死亡通知が出てきました。押入れにはちゃんと布団もあった。けど、ものすごーく、幽霊が出そうな感じで、すぐに逃げ帰ったのでした。あれって今思えば夜逃げあと?
■ 実はビビりです
そのあばら家は実は通学とは関係ない道の分岐点にあったのですが…この気味のわるい家があるせいでそこを通らなくて済むように、長らくその道を避けていました…中学校になってそのルートを使うようになるまで。私の中では鬼門って位置づけでした、この探検のせいで(笑)
思い返すと、通学で誰かと一緒に歩いて楽しかったっていうのがない… そのあばら家探検はたぶん、だれかもう一人いたような気がするんですが記憶も定かではない・・・たぶん、たまたまその辺にいた下校途中のだれか男の子だったと思います。
■ 集団が嫌いで、先がどうなっているか知りたがりで、ビビりなんです・・・
今思うと、年に一回か二回ある集団下校…最悪だといつも思っていました。大体先頭を歩かされるんですが、何がいやって、旗もってるとこ。
基本、徒党を組んで歩くこと自体が嫌いなのかも…
甲府の我が家の裏側には車は通れない細い小道があって、よく高校生が自転車で通ります。
きれいに横一列にならんで通る人たちが多い。私ってあれ学生のころやったかな?って振り返ると決してやっていない・・・(汗)。
高校のころは例にもれず自転車通学でしたが…たまたま登下校の時間が一緒になってバッタリ会ってしまった中学時代のクラスメートと途中区間、競争するように走ることはあっても…ドアツードアで一緒に登校なんて一切思考の範疇外でした。「最近○○で米ちゃんによく会うなぁ」程度。
毎日一緒に走っているので米ちゃん側は向こうの学校で「どうも○高に彼女がいるらしい」という憶測?うわさが立ったらしいですが、そのせいで米ちゃんはわざわざもっと美人のクラスメートと並走できるルートにリルートしてしまったような(笑)?
ちょっと話がそれましたが、集団登校嫌いで、探検することもあるけど怖がりです、って話でした(笑)。