ヨガとクライミング

2014-04-03 11:17:15 | Yogaを教えています

■ ヨガとクライミング

私はヨガの先生なので、ヨガの記事も書かないとね~とは常日頃思っているのですが、なかなかままなりません。
ヨガって動きを示すと簡単ですが、文字や言葉にすると、大変長くなり、めんどくさいのです。

クライマーが説明を省きたがるのもホントはそんな、”言葉にすることのめんどくささ”もあるのかもしれません。

で、ヨガですが、クライマーでは平山ユージさんがヨギーであることで有名です。

ヨガをすると柔軟性が上がる、というのが、クライマーの狙いのようです。

・・・が、言っておきますが、ヨガは柔軟体操ではありません。その目的には、むしろストレッチで十分。

ヨガは、食生活を含め、ヤマ・ニヤマ(やるべきこと・良くないこと、たとえば性的節制)の戒律があり、最終的にはサマディ(悟り)を目指しますので、悟りたくない人はヨガをしなくていいってことです。ヨガをするってことは、身体を使って悟ろうとすることです。

クライマーには悟りとは程遠い人もいて、そういう人はヨガ教えても仕方ないなーって思ったりします。ヨガをすると競争心はとにかくなくなります。煩悩が減るからです。

一方、柔軟性ですが、ちょっとしたコツで、インスタントにあげることができます。

正確に言えば、カラダの使い方のちょっとしたコツで柔軟性はそのままだが、柔軟性があたかも上がったように見える、ということですが…。

■ その1)脚を高く上げるコツ

脚を高く上げるには、骨盤を後傾しないといけません。腰は丸め込みます。腰のS字カーブを保ったままだと一生足は90°より上には上がりません。つまり腰の筋肉を伸ばす。

脚の付け根には大転子があります。これはグーのような丸い骨です。そのまま足を上げても、ソケットになっている骨盤の中で大転子が当たるだけなので、足を上げたい人は脚全体を外旋してください。外側に回す。

言われてみれば当然のことですが。

これで上がらない場合は、あげ方ではなく、

・上げる脚のハムストリングスが固い
・上げる脚のお尻の筋肉が固い
・伸ばしている脚の前ももの筋肉が固い

です。

アサナ: アパナサナ → チャイルド → ローランジ → ハイランジ(または英雄Ⅰ) → パダングシュターサナ(ヨガ版Y字バランス) → 前屈 → シャバーサナ

■ その2)股関節を開く

股関節を開くポーズ全体をヒップオープナーといいます。横の開脚ですね。足を高く上げるのは、縦の開脚ともいえますよね。

このインスタントなコツは同じで、骨盤を後傾させることですが、やりすぎが問題になります。股関節と骨盤後傾は相対関係にありますので、最初は股関節を開くため骨盤を後傾させても、開いてきたら徐々にニュートラルに押し戻さないと腰が悪くなります。

縦の開脚と同じで、大転子が当たるので、脚全体を外旋させるのもコツです。かかとのラインのほうを意識します。ヒールフックみたいな感じですね。

良くクライミングで腰を入れて、と言われますが腰を入れるには、お尻が出ると腰は入れれませんので、やはり骨盤は後傾しますが、骨盤自体の位置が、お尻が出る人は悪いのですが、それは脚を内転させるからです。ガニマタのときは、脚は外転です。

ちなみに膝を深く曲げれば曲げるほど、股関節を開くのは容易になります。これはハムストリングスの制限がなくなるからです。

アサナ: パダコナーナサナ(がっせき)→ 卍 → 仰向けの開脚 →英雄Ⅱ → 座位の開脚前屈 → カメのポーズ → シャバーサナ

これは2番のプリエがホントは一番いいので、バレエを入れたいくらいです。おすもうのしこです。つま先と膝の向きがことなると、膝の筋を痛めます。

■ その3)肩関節

肩も同じで、腕全体を外旋すると、後ろ手に回しやすくなります。だって関節の付き方ほとんど足の根っこと同じですよね。

上方のリーチを長くするコツがあるとすれば、手を上げるとき、ただ手を上に挙げるのではなく、肩甲骨からあげます。すると肩が耳につくくらい上がるはずです。肩をすくめる、と言うことですね。

大抵の人は両手を上げさせると、自然に肩をすくめてしまいますが、片手を上げるときは肩を使わず、腕だけで上げてしまいます。不思議ですがそうなっています。

横方向のリーチを伸ばすのも同じで、胸から手だと思うと良いわけです。たいていの人は胸の筋肉が委縮してみじかくなっているので。

肩が固いと言ってくる人が多いですが、実際は肩が固いのではなく、胸の筋肉が固いことが多いです。肩が固いのは男性には多いですが女性で固い人にあってことはほとんどありません。胸の筋肉です、硬いのは。

現代人の日常生活には、腕を強く引く、という動作がほとんどないので、肩甲骨を引く、ということがないため、その表の胸の筋肉は伸ばされることがない、という成り立ちになっています。大抵の人は肩を丸めています。背中側と胸側だと背中側が伸びて胸側が縮んでいます。まぁ腕を前に置いて使うばかりなので仕方ありません。

ので、腕を後ろに使うアサナをするとよいことになりますが、腕だけのポーズはない。腕を使って、胸を開くポーズとなり、腕だけをターゲットとしたものはあんまりというか全然ありません。

アサナ: タオルストレッチ、セツバンガーサナ、バッタ、フッシュ、ラクダ、弓、東のポーズ

■ その他 上体との連動

上体と連動させるか、させないか、それが問題で、結局、簡単に言うと、連動させたくないときに連動させ、連動させるべき時に連動させないのが問題です…大体あべこべになっています。

脚を上げると背中が丸まりますが、これは連動させたくない。ウエストから上は何事もなかったかのようにリラックスしているのが美しく見えます。

一方、ランジで足を前に出す時は、上体ごと行かないと、足だけ出しても足がつっかえます。脚を入れるスペースがないからですね。

あとはバランスのポーズでは、バランスと言うものは、押し合うか、引っ張り合うかしないと取れません。立つときは押し合い、それ以外では引っ張り合います。普通の人は大抵逆の動きをしてしまいます。

…というような感じですが、ヨガで四つん這いのポーズが岩登りのスタイルと同じです。岩だって四つん這いと言えなくないですから。

なので、クライマーに必要なのは前屈です。

が、クライミングしている間は常にマイルドな前屈をしていると言ってもいい状態なので、カラダをニュートラルに戻すのに必要なのは後屈です。

さらにスキルアップには、バランスのポーズが必要なのは言うまでもありません。

そして、おススメは、メンタルを鍛える瞑想です。最初は呼吸の練習プラナヤーマで代用します。要するに、慌てないってことですね。

常に自分のカラダをコントロールしようという意思がある、と言う点が、もしかしてヨガがおすすめな点かもしれません。

一方ヨガが好きな人は、ああすればこうなると考えつつ、胸を開くことを心を開くこと、とメタファー的に考えられるひとかもしれません。 ヨガの成功は、身体の存在(不快感)を感じないこと、と言われています。絶えずどこかが痛い、悪いというのは失敗であり、成功したヨガは体の快適性が増すものです。

≪まとめ≫
・前屈しよう
・後屈しよう
・バランスのポーズをしよう
・瞑想しよう


多人数のレッスンvs少人数のレッスン

2013-06-25 22:39:43 | Yogaを教えています

今日のレッスンは大入りで12名でした。

ヨガのレッスン、基本的に何人でも教えられます。アメリカの人気インストラクターのレッスン、たとえば、ジョン・フレンドのレッスンなんて、1000人とかです…(汗) 私の彼のレッスンに出たことがありますが、100人とかいて1レッスン5000円なんていかがなものかと思いました。 レッスン料が高いのは高くしないと生徒が殺到して収容力を上回るからなのですが・・・いや~ そんな人気がどうして出たのか?レッスンには出て見ましたが、良くわかりませんでした。

だって、隣のヨガマットと10cmしか隙間なし…基本ヨガはヨガマット一枚の上に繰り広げられる世界なので、マットが敷き詰められれば、レッスンできるのではありますが…  そんなの・・・都会だけだなぁ、許されるのは。

ヨガのレッスンを教えるのは基本はアドリブです。

ただ、多人数のレッスンになると、ビジネスプレゼンテーションと同じで、ヨガのプログラムを流すのは、イントラ個人のレッスンのフローに依ります。 レッスン内容はあらかじめ考えて練りに練ります。それを再現する感じ。

私も最初はレッスンのプログラムを厳密に考えて作って行っていました。アサナにはあるべきフローがあるので… あとコールの分かりやすさも重要だったりするので、コール(指示)を録音して、自分で聞いて研究したり、ポーズひとつひとつの長さを考えたり・・・

ケン先生に、夜のレッスンは5~6ポーズ以上いらない、と言われてから、どうやってポーズ時間を長くしようかと考えたり… 簡単すぎるかと悩んだり、難しすぎるかと悩んだり…

でも、レッスン、出てみると、少人数だったりして、自分が考えて行ったレッスン内容より、そのレッスンに出てくれている生徒さんの課題をつぶす方が効率的だな、と思い、レッスン内容をあまり考えて行かなくなりました。今は身一つで行ってしまう。

骨盤が固いと悩んでいる人に、上半身中心のメニューをしても仕方ないし、パワー系を期待していそうな人には多少、筋持久力がいるようなものをしたほうがいいし・・・逆に、筋力がない人は寝転がるポーズ中心にしないとすぐにバテてしまう。緊張感が欲しい人は寝てやるポーズは退屈みたいですぐきょろきょろしてしまう…

というわけで、少人数だと自分が考えて行ったレッスンより相手に合わせる方が良い…ってわけで、結局、考えて行かなくなりました(笑)

でも実はこの方が難しい面もあります。引き出しがたくさん要るからです。マンツーマンの時ほど、自分の引き出しの多さが試されるときはないです。常にヨガに使えそうな新しい動きを考えていますもん。 

でも、お客さんのカラダに私が合わせる形で組むレッスンで、私が面倒見れるのは5人が限界です・・・ 8人から上は完全に無理です。12人となると個々のお客さんのカラダのくせ、個性を全部その場で見て判断してアサナを組む、なんて無理… 
そのうち初心者の人が5人とか…初心者の人にできないポーズを配慮していたら、できるポーズが一個もなくなってしまうし、常連さんが満足するレッスンをしたら、初心者の人は全くできない…(汗) なんとなく中間を取ることになります。

なので、アドレリブで相手に合わせるというより、プログラムを流す、と言う感じになります。そうでないと12名のレッスンをよどみなく流すのは無理です。 一人一人の細かなニーズまでは目が行かない…大まかに全体像をとらえる、くらいのことしかできない。

少人数だとカスタム度が強いけれど、多人数だと既製のプログラムを…という感じ。 都会のレッスンは基本多人数なので、私自身は後者に慣れて過ごしたのですが、お客さんにとっては少人数の方がいいかもしれない・・・どっちの水で育ったかで、ヨガをどういうものと考えるかは全く違うかもしれないです。 いうなれば少人数のガイド登山か、ツアー会社のツアー登山か、みたいな感じですね。

…今日のように多人数の場合、自然と常連さんに気を使うのは後回しになってしまう…常連さんはちょっと退屈してしまうかもしれません…

ヨガとは言っても受講する側から見ると、先生の注意をどれだけもらったか?が満足感のかなめになるので、人数が多いときはどうしても常連さんに泣いてもらうことになる…新しいお客さんには特別多めに気を使ってあげたいからです。

…今日は、すごく満足して帰って行ってくれた方もいらっしゃいました。初めて3回目くらいの方でした。ほかのレッスンも出てみて、私のが気に入ってくれたみたいで、うれしいものです。 初心者の方には特に気を使うものです…でも常連の方にも帰りに必ず声掛けするようにしています。 先生に無視されたという印象にならないように… 

なかなかヨガを教えるのも大変ですが、いつも思うのは、お客様がいてくださるのは本当にありがたいことだということです。

ナマステ☆

 去年の記事: すぐには答えの出ない因果関係もある

こちらはヨガとバレエの人気記事: ヨガしてからバレエのススメ


丹田は重心ですって話 登山とヨガとバレエ

2013-06-22 07:46:19 | Yogaを教えています

■質問

昨日はヨガのお客様から、質問を受けていたのでした。 「英雄のポーズⅠからⅡに入る時、足がそのままでは骨盤の向きがおかしいのではないか?」 ポーズをしらない人のためにいうとこんなポーズです。(ヨガジャーナルから拝借)

ヴィラⅠ   ヴィラⅡ

ヴィラI、ヴィラⅡと略します。

で、ポーズを作る時、足の位置をいちいち変えるのがめんどうなので、よくヴィラⅡから体の向きを変えて、ヴィラⅠに入ります。

ただ私自身はこの作り方あまり好きではありません。

ヴィラⅠとヴィラⅡでは骨盤の向きが、横と縦で全く違うので、生徒さんが骨盤の向きがいい加減なままにやってしまう危険が大きいからです。

言うまでもありませんが、ヨガで大事なことは、骨盤の向きと骨盤の水平です。骨盤の水平のことをAxis(アシス)と言います。バレエでも骨盤、骨盤とくどいくらいに言われますよね。(バレエの場合傾けているくせに水平だと主張しているところがちょっと変だと思うケド…。それに閉じろっていう表現はおかしいでしょう。)

この生徒さんの質問はさらに「ヴィラⅠからランジに入った時、体重移動が私、少しおかしいのでは?」でした。 ランジとはコレ。 前になっている足を深く曲げます。おなじみの股関節を伸ばすポーズ。 (余談ですが、クライミングでもランジっていう技がありますが、全然違う動き。なんで、こうも違うのかな~ってくらい。引きつけてジャンプしてホールドを取るのがランジです。)

■ 丹田は重心

昨日は、図書館に本を返したかったので、読了した本がありましたが、ひとつはコレ。

図解入門 よくわかる股関節・骨盤の動きとしくみ (How‐nual Visual Guide Book)

でした。私は医療関係に一時勤めたので解剖学好きなのです… で、この本は知っていることが多かったものの、 丹田=重心と言い切っているところが、すっきりさわやか~!でした。

たぶん、そうだと思っていたんですよね。でも、誰もそうと言ってくれない。両方の分野に詳しい人がいないから。 でも、丹田は重心です。明らかに。ヨガではウディヤナバンダだと思います。バンダは締め付けるという意味で力を抜いてはいけないところ。3つありますが、どれも考えてみるとバレエでもやっています。会陰を締め付けるのをムーラバンダと言いますが、バレエではおなじみですよね。バレエでは常にトレタバンダ状態。ま、理想論で 出来ているかと言うと別ですが。

バンダの話はこちら。 http://blog.goo.ne.jp/osakahensyu05/e/acc453d361c36686af9d09e21ad8e2c9

■ 足幅と重心の関係

話を戻します。 まずただ立ちます。 直立、普通の立つ姿勢です。ヨガではこれをタダサナと言っています。

で、足の幅と重心の関係を見ていきます。 重心はもちろん丹田にありますよね?で足の二本の支えのちょうど中心に重心は落ちている。のが普通ですよね?

人によってどのようなスタンスの幅で立つか差はあれど、みんな重心は脚と脚の間、真ん中に落ちています。

これってね、考えてみると、登山で支点を作る時の分散荷重と同じなんです。人間の体を上下逆にしてみると分かります。

 

                             ↓↓↓↓↓↓↓↓↓

だから、スタンスが狭いほど、片足にかかる重さは小さくなる。

体重50kgの人だったら、足の幅を狭くして両足でたつと片足当たり25㎏しか、保持しなくて良い状態に限りなく近づきます。

でしょ?

しかし、ヴィラⅠとかランジとかになると、スタンスがとても大きいので、足にかかる負担は限りなく片足ずつそれぞれ、50kgに近くなります。とくにランジは難しいポーズで、私のレッスンはうちのスタジオの中でもとても簡単なクラスに入るのですが、初心者が多い場合だと、ランジできません。左右にフラフラしてしまいます。脚の筋力や腹筋が足りないのです。

そして、多い間違いは、骨盤の上に上体を載せることができない。このランジの写真のようになっていない、ってことです。骨盤の真上に肩があるのが重心の上に重いものが載っている状態になり、楽になります。

ランジやヴィラⅠで骨盤の上に上体を置くよう指示するのは、丹田(重心)の真上に重い頭や胴体を乗せるためです。
重心の上に重いものがないと余計な筋力で重いもの(人間の場合)を支えなくてはいけなくなります。

上体を前に倒し気味にしてしまうと、実はそのほうがポーズは難しいのです。ただ上体が前に倒れてしまう理由は、鼠蹊部の固さにありますが…その場合はスタンスが広すぎるんですね。

さて、これを横にしても同じです。ヴィラⅡですね。ただ横の場合は、骨盤が前後に傾きやすいです。つまりおへそが落ちます。 でっちりになる。ヴィラⅡの最大の効能は、曲げている足の内側、太ももの内側のストレッチにあります。この写真のモデルさんは男性なので、すこし胸が反り返りすぎているように思えますが、それはたぶん、男性は腰が固い人が多いからですね。もう少し胸と肩の緊張は取れそうに思えますが、キレイに右足が90度なのがポイント。

ヴィラⅡで、おへそを落として、でっちりになったら、何もストレッチされません…(汗)しかし、ヨガの場合は、バレエほど厳密でなく、徐々にポーズを厳密にしていくことが許容されていますので、大体あってるという形でも先生は注意をしないことが多いです。ただ厳密にやればやるほど効果は高いのが普通ですよね。ヴィラⅡは横からみると薄っぺらくなっているのが重要です。

重心と言う意味で見ると、足と足のちょうど真ん中に落ちるという、もっとも易しい形です。スタンスの幅は決まっており、曲げた足が90度になるところ。後ろ脚は小指の側から力を抜かないのが踏ん張るコツです。

■ 踏ん張る

踏ん張ると言えば、バレエではかなり重要ポイント。というのは片足で立つので、指先をしっかり踏ん張れないと立てません。

踏ん張る力と言うのは、実は意外に難しい。 足の指の腹で大地をつかむ、ということがなかなかできないのです。

現代人は歩く量が減っているからですね。タオルギャザーのトレーニングをしたほうがいいくらいです。

この踏ん張る力、ちゃんとできていると、土踏まずが持ち上がり、脛の内側の筋肉、ヒラメ筋が持ち上がって見えます。

この筋肉が発達してきたら、バレエっぽい脚。土踏まずもふっくらしてきたら、かなりポアント(トウシューズ)を履いてもよさそうな足(笑)。私も土踏まずふっくらしていて、なんとなく気分が良いです。手の平に例えるとグリップ力が強い手みたいな感じです。

■ 登山

登山も、実は片足重心の連続です。歩くというのは、考えてみれば、脚と脚の間の水平方向の重心移動です。

坂道を上るとなると、これが脚と脚の間の垂直方向の重心移動も含まれてくるってだけ。上方に重心を移動するので、運動量としてはより大きくなりますね。

脚と脚の重心移動、ということなので、歩幅が小さければ小さいほど片足にかかる衝撃(体重)が小さくて済む、というわけです。だから登山ではちょこまか歩けと言われるわけです。

さらに言えば、2点支持状態=片足になるので、片足にしっかり乗り切ることが大事です。 

骨盤が、です。なぜ骨盤か?

それはもちろん丹田=重心が骨盤の中にあるからですね。それには上体をしっかり起こして、丹田の真上に重い上体や頭を持ってくることが重要です。そうすると鉛直のラインに自分の重心がしっかり重なります。

水平な大地を普通に歩いているときには、脚の付け根、鼠蹊部を立てることを意識せずとも、重心は脚の間から外にはみ出ることはありません(つまり転ぶ)が、垂直方向の重心移動が加わる場合は、鼠蹊部を起こさないと、骨盤をしっかり立てることができず、つまり重心を片足に載せることができず、片足になる前に後ろ足を前に出すことになります。足を出すのが早すぎるわけです。 なのでまったく1点指示では立てていないことになりますね。 後ろ足を前に早く出さないといけないので、むしろ疲れます。鉛直のラインに乗りきっていないからです。

傾斜地の登りでは鉛直のラインは、上体が少し傾いたように感じられますが、実際は、上体はしっかり骨盤の上に乗っていると重さを感じないで済む、のが原理ですね。

下りも同じですが、鼠蹊部は曲がります。曲げすぎると、へっぴり腰になりがちなので、あえて骨盤の場所(重心)を意識的に押し出すと、単純に重力が下に落ちる原理で前進できます。力不要。むしろブレーキが必要なくらいです。

その時のコツは、上体が置いて行かれないようにすることです。なにしろ、登山では背中に余計な重さを背負っているので、普段の重心位置より、やや後ろに重心が引っ張られがちになります。15kgくらい背負って尻もちつくと、前向きに立ち上がるのはかなり力が要りますよね。下山は特にザックの上の方に重いものを入れるのがコツです。下だと、重さを移動する筋力がたくさん必要になります。

というわけで、支点分散荷重の図をさかさまにすると、人間の重心分散の図になる!というのが、今回のひらめきのポイントでした。


骨盤の後傾と歩く姿勢

2013-05-12 08:06:40 | Yogaを教えています

■ 骨盤の後傾

そういえば、金曜日の生徒さんは、ほとんど常連さんだったのですが、骨盤が後傾が大きな障害になっている人がお一人参加していました。

骨盤というのは、ホントに難しいものですよね。

■ 30°前傾が自然

まず骨盤は前傾しているのがナチュラルです。そこんところが共通理解になっていない。普通に立っているときは、少し前傾が自然な姿勢です。約30°です。

■ 骨盤の傾きの調べ方

私はヨガを教えているので、骨盤の傾きは、最初のプラナヤーマで、スカーサナで座ってもらったときから、分かります。常連さんだったら、いつもより傾いているか傾いていないかも分かる。

顕著に分かる方法を3つ書いておきます。

①仰臥位(仰向け) 

普通に仰向けに寝て、腰の下に手の平一枚くらいは入るのが普通です。手のひらが入らないほど、腰がぺったりと地面についてしまう人は、骨盤後傾(バレエではタックインと言う専門用語です)

逆に、スカスカになるくらい入る人は、よほどお尻のお肉が黒人さんみたいに発達している人を別として、骨盤前傾です。脚の付け根が曲がっていたら、骨盤前傾。バレエではこちらは専門用語がなく(あるのかな?)、私たちは俗称”プリけつ”と呼んでいました。プリッとお尻が出ているからですね。 プリけつだと、お尻の穴が脚の方向ではなく、地面の方向を向いています。

②腹臥位(うつ伏せ)

脚の付け根を見る。

付け根が浮く=プリけつ(骨盤前傾)。付け根が浮かない=正常、もしくはタックイン(骨盤後傾)。

③横から見る (立位)

横から見たときに背後に直線のラインをイメージし、

 A=背中が先に着く人 =背中の湾曲が大きい= タックイン(骨盤後傾)
 B=お尻が先に着く人 =腰椎の湾曲が大きい= ぷりけつ(骨盤前傾)
 C=それ以外= 大体同時 =正常

です。

私はカフェなどに座っているときは、人の歩き姿を見るのが趣味です…スイマセン・・・変な趣味で。姿勢マニアなのです。

で、見ている限り、骨盤後傾の人が多い。のは、椅子に座ってPC作業という仕事がここ10年で増えたからではないか?と思います。

■ 骨盤後傾の人の特徴

①猫背 (胸椎の湾曲が大きい)
②骨盤後傾 (骨盤が30°より後ろに傾いている) おへそが天を向いている。
③顎が前に出ている 胸椎の湾曲が大きいのを補うため。
④膝が曲がっている 

実は猫背&骨盤が前傾ってありえません(笑)。なので、猫背と骨盤後傾はいつもセット。逆にいうと、猫背がある人は、大なり小なり骨盤が後傾している、と言えます。

骨盤が後傾していても、前屈ができないとは限りませんが、股関節の固さを伴う人が多く、前屈が苦手な人が多いです。8割くらいは、みんな前屈が苦手。なので前屈が苦手かどうかは一つの指標になります。ただ骨盤は原因であって、前屈は結果だと思います。

【原因】         【結果】

骨盤後傾の結果 → お尻が垂れる。お尻と脚の境界線があいまいになってきます。

猫背の結果 → 胸筋が委縮(こわばる)。
           後屈が苦手になります。また、腕があまり上がらなくなります。
        
          ※腕が上がらない原因は、肩関節ではなくて、胸筋の柔軟性が乏しくなったことが原因のことが多いように
            お見受けしています。

         女性だとバストが垂れます。男性だと胸板がなくなり、スーツを着ると衣紋掛けに掛けたみたいになります。
         首のすぐ下にスーツに横にしわがよることも多い。衣紋掛けになっている人、多いですよね。
         日本人のスーツの似合わなさは姿勢の悪さにもよります。

顎が前に出る結果 → なんとか原人みたいな姿勢に。歩き方がガシンガシンと少しロボット歩きみたいになります。
              ハイヒールを履いている女性に多い。ハイヒールは実は歩き方に練習が必要な靴です。

ロボット歩きの結果 → 膝を伸ばさない歩き方なので、脚の後ろ側の筋肉ハムストリングスは常に収縮しています。
                 長座で膝裏が伸ばせない。 

猫背と骨盤後傾は常にセットですが、軽い後傾では首が前に出ているほどでもない人もいるし、ロボット歩きではない人もいます。
ひざ裏が伸ばせず後傾ではなく、骨盤前傾の人もいます。

で、これらですが、横から見てみると・・・要するに、体の前面(お腹側)の筋肉が短くなって、体の後ろ側(背中側)が伸びているということですよね?

ということで、骨盤後傾&猫背の矯正ポーズは、

・体の前面を延ばすポーズ

つまり、コブラです。 胸椎だけを伸展させたい時は、スフィンクス。(ヨガは常に対でやるので、チャイルドとセットで)

ついでにコブラの上級ポーズでアップドッグ

でも、これらは全部腹筋を抜いて行うと腰を痛めますので要注意。正しいポーズができない人が多いポーズです。特にコブラは腰だけで反る人が多いです。やったほうがやらないより腰に悪い。

と、ここでいつも挫折ですね。大体、矯正ポーズ自体ができない人が多いのです。うーん(汗)。

もしかして、体の前面の固さは、結果であって原因でないのかもしれません? 体の後ろが伸展しすぎているのですが、それも結果であって原因でないとすると、真の原因は何だろうか?というと・・・ ずっと座っていることですよね?

となると、もしかして、単なる運動不足? 筋肉の硬直の原因は、血行不良だからです。

となると、つまりなんでもいいから、起立して運動しろ、みたいな話になりますが(汗)・・・、

そうなると・・・人間にできるもっとも手軽で楽な運動と言えば、直立歩行=”歩くこと”になります。

でも、その”歩くこと”の姿勢が…と、今度は話が堂々巡りになり… うーん(汗)。

私は昔から、このことではずっと困っているのですが・・・。どうして差し上げたらいいのでしょう・・・?

結局、姿勢矯正と言うのは、意識の問題で、骨盤が後傾していると思えば、自分で後傾を直し、猫背と思えば、背筋を伸ばし…
という具合に、自ら意識して、”正しく立つ”のが一番早道、と言うことになります。

となると、結局は、タダサナ、究極の基本ポーズに回帰していくんですよね…タダサナ、ただ立つだけなんですが、ホントに奥が深いんですよね。

ちなみに、正しく立つこと(鉛直のライン)ですが、重心の線と言うのは、設地面積が広いと当然どこでも立てます。

設置面積を狭くするには・・・爪先立ちです。 あるいは、傾斜地を歩くと鉛直のラインが非常に意識しやすくなりますが同じ理論ですね、つま先立ちと。

またまっすぐ(鉛直)が重要になってくるのは片足立ち・・・でも、歩くって片足立ちの連続・・・って結局、歩けって話?!

というわけで、またまた山歩きのススメみたいになってしまうのでした(笑)

【関連記事】

丹田は重心ですって話 

 

 


大腿四頭筋と指先

2013-04-26 09:45:11 | Yogaを教えています

昨日夫は「太ももが筋肉痛だ~」と言って帰ってきました。

普段、階段をつま先で歩いているそうなのですが、それを指先に移動したら、急に太ももにピキーっとくるようになったのだそうです。

それって当然なんだけど… 夫は知らなかったようですね。

つま先で歩く…つまり足の前がピーンと伸びた状態ですよね。するともちろん膝の上の筋肉は収縮しないといけないので強く縮みます。

足の親指の腹で立てれば足裏の筋肉が使えるので、まだ大腿四頭筋は楽ができますが、指先だけだとフルパワーです。足裏筋を鍛えるのによく、足裏を鍛えたい時は、指先だけの爪先立ちがいいです。(これ靴がないと痛いです、靴はトウシューズ)

バレエでは常識。爪先立ちのことをポアント(フランス語)もしくはポイント(英語)、足の親指の腹で立つことをルルベといいます。

昨日は、クライミングシューズを買う時に、ポイントして靴のフィット感を確かめました。

■ 指筋はなかなか強化されない

ちなみにこの足指の筋肉ですが… これは先天的な要素によるものが高く他の筋肉と比べ、ほとんど強化されません。手の指の筋肉も同じだそうです。人間の体は不思議で、鍛えても鍛えられない部位もある。 

クライミングには指を鍛えるグッズがありますが…多少は効くから売っているのだと思いますが効率が良い努力ではないようですね。

これの足指が強化されにくい筋肉だという点が、バレエでも、クライミングでも、もしかしたら山登りでも…”才能”を人に感じさせる理由かもしれませんね。生まれつきの筋力の強さ、ということがすごく有利に働くのです。

仮に、足指の筋力が生まれつき弱い人が、努力により無理をすると、大腿四頭筋が代償的に太くなるのだと思います。

私は太ももが立派なのが昔からコンプレックスですが…それは足指の弱さがあるのかもしれません。

■足指を鍛える2番のライズ

ちなみに、足指筋をもっとも効率よく鍛えるエクササイズは2番のライズです。 

2番はバレエのポジションで、足を180度、横に開き、かかとを内側にして立ちます。

足と足の間に足1.5足分の幅をとって、その形で爪先立ち(ライズ)します。足指の腹でたつルルベから、つま先だけで立つポイントへの移行が一番難しいところです。 何かにつかまって良いです。

ルルベでは足裏筋が強化されます。足裏筋は足指金とは違い強化される筋肉です。手も同じですよね。グリップ力は強化できますが、手の指力は強化できません。

■ 老いと大腿四頭筋

人間のカラダの中で一番大きな筋肉は大腿四頭筋です。 で、これ、歩かないと衰える。

おじいさん、おばあさんで、りんご型体系(胴体はしっかりしているのに、足が細い)は多いですよね。あれは脚の筋肉の衰えから来ています。

若いときは細い足に憧れますが…足が細いのはいいのですが、筋肉がないのは老いへまっしぐらです。

歩いたり、立ったりしないと腹筋と背筋も弱くなります。最近は子供も筋力低下のようです。日本の今の価値観では痩せているのが良いことなので、痩せ体質の人は、周囲にあまり注意してもらえないですが、やっぱり筋肉は重要です。痩せていても筋肉があることが大切。

余談ですが、下半身がしっかりしていると若く見えます。女性なら、脚と腰がしっかりしてウエストが細いと実年齢より若く見えます。

大腿四頭筋は先ほどの足指筋と違い、非常に効率よく大きくなる筋肉で、一番簡単なのは、階段です。膝の高さより、高く腿を上げるような歩き方をすると大腿四頭筋だけでなく腸腰筋も鍛えることができます。

逆にいうと、歩荷のように足幅を狭く歩くと、それほど筋肉を酷使せず歩けます。

運動強度を楽にしたければ、歩けばいいです…それも傾斜のあるところを歩けばいい、ってことで、

傾斜のあるところ=山、

てわけで、大腿四頭筋を落とさないという面から見ても、とってもおススメなのが山歩きです。

…んん? なんか結論、山歩きのススメみたいになりましたね…(笑)


ヨガはアーサナだけじゃないんだよってこと

2013-04-24 09:31:29 | Yogaを教えています

■ 呼び方はいろいろあれど・・・

昨日は10人のお客様でした。

ヨガのほうに興味がある方のために、ヨガ記事を書いていこうと思いつつ、プライオリティ的に追いついていない感じです。

山、忙し…

とはいえ、山登りにもヨガは大変役立つし、私にとっては、お山が心の師匠という感じです。

山に行くと、人生を学ぶことができます。山では自己対話できる。だから山が好きなんですよね。

自然から学びたいなといつも歩くたびに思います。

その自然、というのは、まぁ、宗教的に言えば、神です。スピリチュアル的に言えば、”大いなる自己”や”スーパーソウル”あるいは、”ハイヤーセルフ”であり、科学的に言えば、”集合的無意識”と言われているものです。

ビジネスでは、”潜在意識””インスピレーション”や”第六感””引き寄せ””シンクロニシティ”も同じものを異なるアスペクトから見ているだけです。

ヨガでは、特に、クリシュナ、と言う名前を与えています。

が、全部同じものです。 まぁ名前はどうだっていいのです。

その存在を確信しているか?いないか?が分かれ目なだけです。

その確信も、心の目で見るものなので…、あまり勧誘に走らないことがポイントです(笑)(大体エセ宗教は勧誘に熱心です)

で、ヨガというのは、健康というご褒美をとっかかりにして、心の目を開くための一つの手段です。

他にもいろいろな手段があるので、特にヨガに固執する必要はないです。山登りだっていいわけです。

■ 色々なヨガ

心の目を開くのに、

・知性を使う
・仕事を使う
・愛を使う
・体を使う
・言葉を使う
・瞑想を使う

といくつかの方法があり、それぞれのヨガに名前がついています。 

・知性を使う =ギャーナヨガ
・仕事を使う = カルマヨガ
・愛を使う = バクティヨガ
・体を使う = ハタヨガ
・言葉を使う =マントラヨガ
・瞑想を使う =ラージャヨガ

というわけでヨガのポーズをしなくても、ほとんどの人はカルマヨガ(職業において奉仕する)ヨガをやっているわけですね。

カルマヨガの世界は、報酬と対価の世界です。ギブ・アンド・テイク。ああすればこうする。やられたらやり返す。

つまり、刺激に対して反応している世界です。ラジャス(劇性)の性質の世界と呼ばれています。

カンタンに言うと、みんな「勝ち組」を目指す。「負け組」と呼ばれることが恐ろしくて、頑張る。

ただ、この方式はすぐに限界が来ることは見えています。燃え尽き、とか、虚脱感、とか人生の意味を見失うとか、ですね。

挫折がなくても物事の二面性に気がついた人から、「100%の正解も100%の不正解もない」とわかるからです。

ということから、結局は、考えれば考えるほど、勝者も敗者も存在しない世界が見えてくるものなのです。

成功哲学を描いた本の作者が実は成功者じゃなかった、という苦情?苦言?が、読者から寄せられているのを見聞きしましたが、その誤解はここにあるのです。

イエス・キリストは偉大なる精神の師でしょうが、何で食べていたでしょうか?富豪だったでしょうか?そういうことです。

というわけで、ヨガはただアーサナをすることだけじゃないんだよ、というお話でした。おわり★

 


Be Presentの意味

2013-04-05 09:42:10 | Yogaを教えています

ヨガでは、たまに単純な概念が難しすぎにとらえらるきらいがあります。

その例が、この“Be present”かなと思います。

今にいなさい。

実はこれは、簡単で、”心ここに非ず”の状態を作らないということです。

授業を受けながら宿題をやらない、みたいなこと。

友達の話を聞きながら、今日の夕飯のメニューを考えない(笑)。

さらに上を行きたい人は、今やっていることに心を込める。たとえば皿を洗っているならば、丁寧に洗う。急がない。ひとつひとつの所作を大事に丁寧にする。ということは、今やっていることに対して一生懸命であるということです。集中力です。

そうするとどんなことにもミスがない。結果、成果があがり始めます。

・丁寧に行う
・済んだことをあれこれ考えず、まだ起こっていないことをあれこれ考えない
・今やっている目の前のことに集中する
・急いでやらない
・プロセスを大事にする

■ 心ここに非ずだと身につかない

私のヨガの生徒さんでも、心ここに非ずの人がたまにいて、ヨガに入って行かない人がいます。そういう方は、見ていてわかるのは、目がきょろきょろしているからですね。心もそわそわしています。

そして、何が決定的かというと結果を急いでいるんです。早く成果を出したい。そうなると常にこのポーズは効くかしら?と考えている状態になります。この状態は”こころここに非ず”。

そうなると、集中していないから成果もでないという悪循環に入ります。

つまりてっとり早く結果(痩せる、体が柔らかくなる)を求めている。 

で、そうなるとどうなるかというと、単純に運動として見た場合…ヨガって痩せるのも柔軟性を高めるのにも、実は全然遠回り(笑) なので、求めれば求めるほど得られないことに。

そして、丁寧にやらないので、ポーズは集中してやっている人より効かない。効かないという未来を予言的に作ってしまうんです。

 結論: 心ここに非ずの結果、プロセスをおざなりにすると結果は必ずついて来ない。

結果と言うものは、きちんと積み上げられたプロセスの上にしか存在しないのは物理の法則並みの単純な因果関係です。

プロセスの充実は成果の前提です。保証はしなくても前提となります。

ということは、プロセスを軽視すると成果を得られないことのほうを確実にしてしまう。

過程を大事にする  → 可能性あり。成果がでる、出ないは運次第  
過程を大事にしない → 可能性ゼロ。かならず成果が出ない

■ 大きな思念空間 

心ここに非ず、の状態になるのは、ひとつには、視野が広いからでもあります。

もし人間が子供のように常に目先のことにしか集中できなければ、宇宙の概念とか、数字の概念、特殊相対性理論なども思いつけず、政治にしても今年のことだけを考え、将来にわたって反映できなかったでしょう。人間もこの先の冬に向けて準備することができない。

人間の思念する空間が広くなったから、過去や未来を考えることができる。ほかの人のことや社会全体のことを考えることができる。

だから、思念空間の広さ=視野の広さの代償がある意味では 今に集中できない、という事なのです。未来のことを考える能力がなければ、将来病気や怪我で困るかも?などと心配できないわけですから。

ただこの能力の副作用は、不安と後悔です。起こってもいない未来を心配したり、済んでしまって今更変更できないことを延々と考えても仕方ない。後悔と不安は時間の無駄。 

夢を持つ、ということも視野の広さの作用のひとつですね。

未来をポジティブに受け取れば、夢や希望が、ネガティブに受け取れば不安と絶望があることになります。どちらも今に影響してきます。過去をポジティブに受け取れば、自信になるが、ネガティブに受け取れば自信の無さがあることになります。どちらも今を作ったもの。

未来も過去もネガティブに入ることがある。そうなれば、今できることは何か?を全力で考えるべし、ということです。

朗報は…今できること、っていうと結構限られているので、それさえやってしまえば、あとはゆっくり過ごしていて良いということです(笑)。


前屈 自分を知るためのアーサナ

2013-04-02 09:29:00 | Yogaを教えています

前屈・・・ ヨガと言えばみんな前屈して床に手がつくことだと思っていますよね。だから前屈はヨガを代表するアーサナと言ってよいと思います。

体位的に、ヨガの前屈が、ストレッチの前屈と違うのは、手の位置です。 手は足の横です。前ではなく。

手 足足 手

という配置です。 英語では 

前屈はフロントベンド 
後屈はバックベンド、
側屈はサイドベンド

ベンドというのは曲がるという英語です。

体前屈のもっとも大きな知恵は・・・

「脊椎をベンドしながら伸張させる」 平たく言うと「曲げながら伸ばす」ということです。

曲げながら伸ばすなんて矛盾? そうでしょうか?

長座で座ります。その時背中を伸ばすことはできますよね。でもカラダそのものは90℃曲がっています。

これと同じことで深い前屈では、脊椎は足の付け根から前倒しになりつつ、脊椎そのものは伸びます。

この背中の伸びが初心者でも端的に感じられるのが、定番ダウンドッグです。ダウンドッグは初歩的な前屈なのです。

カラダが折り畳みの携帯電話のように二つに折れているとき、お腹で呼吸しようとしても、もちろん入りません。逆にいうと、深い前屈はすべて、体の中から不要なものを排出したのちでないとできません。つまり空腹がアサナの成功のポイントです。さらに前屈をしていくうちに体内の不要なモノ(滞留便など)も排泄されます。

深い前屈をしているとき、ポーズを深めるには、何度も深い呼吸をして、背中(肺)に呼吸を入れます。吸うと肺が膨らみ、その分椎骨と椎骨の間が広がり、脊椎が伸びるので、その伸びた位置でホールドしてさらに吸います。この時伸びるのは、脊椎の上部です。

ヨガのポーズのことをアーサナと言いますが、アーサナというのは、全部人生の比喩です。

前屈が表しているものは、「自分の内側を見る」「自己を知る」と言うこと。

つまり、前屈は自分自身と向き合うためのアーサナなのです。逆に後屈は世界と向き合うためのアーサナ。「心を開く」ポーズです。

余談ですが、カラダに良いと言われているヨガは意外にも怪我が多いアクティビティです。

怪我の内容は、高い順に

一位 手首
二位 腰
三位 首
四位 膝

です。手首はアームバランスの時、腰は後屈の時、首は逆転のポーズの時、痛めます。これらはすべて上級のポーズです。

要するに、皆、すごいアーサナをやろうとして(煩悩ですね~!!)、不用意に高難易度なアーサナに臨むとこうなるということですね。

ヨガというものは、そもそも、そうした虚栄、競争の心、スゴイと言われたい心、生き急ぐ心、などの煩悩を排し、自分自身の内なる平穏を見出すためのものなのに。 怪我が絶えないという事実から、フィットネスとしてのヨガも激情の世界(ラジャス)の世界に属していることが分かります。

アーサナは凄くなるためにやるものではありません!

最後に、前屈においてヨガのレッスンの決まりごとに、「レッスンは必ず前屈で終わらなくてはならない」という決まりがあります。

 


自分を発見する歩荷散歩

2013-03-15 10:31:38 | Yogaを教えています

■パソコンアディクト?

今日は、歩荷3日目です☆ 昨日の反省を生かして、ザックの一番下に夏のシュラフを入れました。

重さが下にあると、ちょうど腰のあたりが重くなって重さが堪える…同じ重さでも重いものが上にあるほうが良いというのが山の常識、ということで、シュラフで嵩上げする作戦です(笑)

私は反省しました。ここしばらく、朝の日課が、”朝一でPCを立ち上げ、ニュースを読みながらコーヒーを飲む…” になっていました…。

これはダメです!まずは散歩に行ってからPCを立ち上げなくては!!!

なぜか?というと、これはそのままOL時代の会社での一日の始まりと全く同じであるため、そのまま仕事モードに突入するからです。

ニュース → メールチェック → FBチェック → 書類書き → 用事済ませ

と、その間、ちまちました家事がサンドイッチされるものの…まんまオフィススタイル。パソコンが行動の起点。つまりパソコンの奴隷です。

買い物に出かけるのは、さしずめ朝のチェックを会社で済ませてから、営業に出かける、そんな感じです(汗)。

なんとまぁ習慣とは恐ろしいものでしょう…会社に拘束されていた頃のような”奴隷的労働”をしなくて良いのに(笑)…ほとんど中身が同じことをやっているなんて…。

要するに私はパソコンに依存したパソコンアディクト(中毒症)だったのでしょうかねぇ…?

■ ダイエット!

ボトルネックはパソコンだ!ということに、気が付いただけでも朝の散歩は効果があったってものです。 

最近、ちょっとまずい問題が発生しています。それは体重… 3か月ほど前、ちょっとおかしいなって思いました。 

なぜか胸が発達中… 大体バストというものは女性の体の中では、一番最初に痩せ最後に太る場所です。

おかしいな… そんなに食生活も変わっていないのに。ヨガの習慣も相変わらずですし。

そう…何も変わっていないはずなのに、体が変わるのは何らかの変化の兆しです。

それも悪いほうの…(汗)

私は体重計からは解放された女性なので(笑)…ほとんど体重計とは無縁の生活を送っていたのですが、登山で担ぐ荷を計量する必要があり、久しぶりに乗ると…なんと数年来一定の体重から少し増えていました(汗)

無論、体重が増えること、それ自体が問題なのではありません…筋肉は脂肪より重いですから。

ただバストが増えたとなると…それは筋肉量より脂肪が増えたことを意味します(><)。

ヤバい! 脂肪、これははっきり言ってイラナイものの代表選手です。

大体、普段でも自分のベスト体重より、1kgほど重いのです。その1kgはあまりストイックにベスト体重にコダワリすぎる、執着しすぎるのも良くなかろう…と許容していた分です。

その分を考えるとなんと4kgオーバー!!

これでは山で4kg余分な荷物を背負っているのと同じではありませんか~。

ちなみに誤解がないように言っておくと、ベスト体重と言うのは、自分が気持ち良い体重です。フィットネスのフィットは”ぴったりくる”って意味です。自分にフィットする体重、それがベスト体重。

フィットしている、フィットネスとは何か?それは、体が軽く、体自体の存在をあまり意識せずに運動できること、です。

■ 体の存在を意識しないでいれること

この「体の存在を意識しないでいれる」という状態は結構重要ポイントで、ハッキリ言います!

ヨガで目指しているのはコレです。

体の存在を意識しないでいれる高性能でサクサク動くカラダ。

普段、人は、あれが痛い、これが痛い、と体の存在をいやがうえにも常時意識させられています。

ヨガはこれらの痛みを取り除くためにやるのではなく…、

これらの痛みを感じない(もしくは客観視することのできる)カラダ(もしくはココロ)を作ることが目的です。

痛みや苦痛を取り除くのが目的ではなくて、そもそもない(もしくは小さな問題すぎて意に介さない)そんな状況です。

それは人生でも同じで、苦労や困難、逆境を取り除くのではなくて、そもそも困難を困難と感じないそういうメンタルを作ることにヨガは心を注ぐのです。

結果を求めて行為を行う・・・それはヨガではありません。 カルマのやり取りになってしまいます。ヨガは結果に執着せず、やるからこそヨガ。

…というわけですが・・・

今私の体は、「あの~ちょっとカラダ重いんですけどぉ…」って語りかけてきていますので、私としてはレスポンスしないといけません。

カラダの声を無視することはヨガではありませんから。 

というわけで、カラダを動かし、鍛えるニーズが出てきたので、その結果として、フィットした体が手に入るかどうか・・・?それは観察のプロセスです。結果を得ることに執着してはいけませんね。

それは目的と結果を取り違えることです。この場合は、体重を目標としては行けないってことです。体重は体がフィットしたか結果に過ぎないのです。 体重だけを目的にしてしまうと、軽かったらいい、となり、筋肉を落とせば必ず軽くなります。

そうではなくて、フィットした結果が体重に表現される・・・あくまで結果なのですよね。

しかし、瞑想などの主観的手段だけでは嫌で、客観的指標にこだわるとすれば、こうした”結果”からリバースエンジニアリング的にプロセスを観察することしか、人間にはできないので・・・体重計を観察することになります・・・が、体重計の奴隷になるリスクがありますね(笑)

まぁ心配の必要はないかな・・・・ 何しろ、原因は明らかです。冬山の行動食…(笑)。


人の課題を自分の課題として考える

2013-01-22 22:25:17 | Yogaを教えています
今日も楽しくヨガを教えて帰ってきました☆

お客様には本当に感謝なのです。

それは単にレッスンが成立するから、ということではなく、私がヨガを研究する&学ぶ前進力になるから。

■ カルテをつける

私はお客様のカンタンなカルテブックのようなものをつけて、レッスン後思いだせる範囲ですが、お客様のカラダについて気がついたことは書いておきます。

私のクラスは夜なので、夜=リラックス=前屈、です。前屈ができない理由は人それぞれ。
(今日は常連さんばかりだったので、通常から離れて別の課題をやりましたが)

その原因を大体書いておきます。 その人のカラダ固有の課題ですね。クアドが固い人、ハムスが伸びない人。
肩があがる人。胸が開かない人。あるいは骨盤が固い人。

生活習慣からもそういう癖は出てくるので、知っていることがあればそれも書いておきます。よくパソコンを使うとか。
座り仕事だとかたち仕事だとか。

■ 他者の課題で知識を広げる

体は1人一つです。自分のカラダのこと、自分の課題を解決する方法については私もそれなりに知っていることは
ある。けれども自分以外のカラダのことを真剣に考える機会と言うのはお客様にもらうものです。

お客様のカラダから、課題をもらって、それを克服するにはどういったレッスンプログラムが最適か?

それを考えることで、2倍3倍とヨガへのアプローチが広がります。

あるポーズができないとき、ボトルネックはどこかを探し、それをピンポイントで解決する方法はないか考える。

そういう意味で、お客様の体を見させていただけるということは、私自身のヨガの幅を大きく広げる体験だな、と思うんですね。

1人でヨガをしているだけでは、自分のヨガは上手になるが、人のヨガを上手にすることはできない。

私が思うには、生徒さんに良い先生というのは、ヨガがうまい先生ではなくて、生徒をうまくヨガさせることができる先生だと思うんですね。

バレエでも踊れても教えられない先生、もいます。踊れない先生(例えば車椅子!)でも、うまく踊らせることができる先生もいる。

後者になりたいなと思う私でした。




ブラフマチャリア

2012-12-10 12:59:50 | Yogaを教えています
なんだか今日はにわかに忙しくなりそうな日です…

とりあえず重要なことから…という訳で、他の作業を捨て、ブラフマチャリアについて考えをまとめておくことにします。

ブラフマチャリアというのは、性的禁欲という意味です。

ヨガを行う人はすべて性的な禁欲生活が求められます。 

厳密には2種類あり、性交渉をまったく絶ってしまうものと、結婚により結ばれた正しい性生活のみを受け入れる場合の二つがあります。

■ 家族を捨てる?

ヨガの行者のたとえ話には、修行中の行者を試そうとした神が美女をよこし、誘惑に負けて子を設けた、と
いう話が出てきます。その誘惑に負けたことを神に対して反省し、行者は妻子を捨て、修行に没頭したとの
ことです。

1人で勝手に欲望に負けておいて、生まれた子供の世話を放棄するとは…私には納得が行きませんでした。

ところが昨日ギーターの勉強会で、子捨ては動物以下ですというセリフを聞き安堵しました。

なぜなら、私は父親に捨てられた子供だからです。そんなの納得できるはずがありません。

ギーターは、この動物以下の男(=行者)を正当化するというのか? なにしろ、出家した行者の目的と言うのは
自分自身が救われるためなのですから…ものすごく自己中心的ですよね。(一般にヨガ行者の目的は輪廻転生から抜け出て二度とこの世に生まれでないことです)

ブッダも王子であり、既に結婚して妻子がありながら、妻子を捨てて、出家しました。

私はこの話には、自分自身が親に捨てられた子供である、ということから非常に納得がいかない思いを
抱いていました。

私の父は私が8歳、弟6歳、妹4歳のときに妻子を捨て、その後一切弟の葬式を除いて父とは会っていません。父は私たちを捨てたのです。私は父親には育てられていません。

結婚し子供を三人ももうけておいて、離婚するというのは一体どういう意味を示唆するのでしょうか?

それは妻であった女性の性的魅力だけは受け取りたいが、それに伴う責任はイヤだという自己中心性です。

そんな自己中心性をうまいことごまかす口実が、出家ではないか? と思ったのです。(さらにいうと私の父親の
家系は神主一族で、私の父は世間に向かって説法を説くこともしています。私からみるとどの面下げて…です。とてもその資格があるようには思えません)

出家がいくら重要でも既になした子に対する責任を放棄していいはずがありません。


■ 性的禁欲は”責任”によって制約を受けるべきだと思う

人間と動物の違いは何か?というと、動物は本能に支配されて生きざるを得ない存在であることです。

食べる、寝る、身を守る、子をなす… 人間も動物も同じように本能に仕込まれています。

人間だけが本能を理性によってコントロールすることができる。そこが人間が人間である本質です。

 理性。

人間には、その与えられた理性を、この世をもっと良くするために使う、という役割を神から与えられています。 

私が思うには、自分自身がなした子、愛した女性、全員に対する責任を全うできるなら性的節制は必要ないのです。

なぜなら世の中にはパワフルな男性もいて、1人の女性を養い、その子供全員を養う以上に財力もあり、
多くの子をなしてもすべての子の面倒を見てしまえる愛情深く、器の大きい男性もいるからです。

そういう男性には多くの女性が惹かれます。産む性である女性が必要とする性的なパートナーは自分が産んだ子を
充分育ててくれる力量がある男性なのですから当然でしょう。これは経済力と言う意味ではありません。
女性は単純に、その男性がこの世にいるべき素晴らしい人間であると思えなければ、欲望を感じない性なのです。
要するに「このでくのぼう!」と思っている男性に向かって「うっふーん」となるでしょうか?なりませんね(笑)

ついでに付け加えると、私は大人になってから知ったのですが、恋愛って女性の許可制ですよね?
一般的な恋愛関係においては、女性が許可しないことには、指一本触れることができないのが男性なのではないかと思います。(まぁ昔のギリシャ神話などにも嫌がる人妻や娘を無理やり自分の妻にしてしまう冥界の王とか出てきますが…一般的には女性が主導権をもつのが恋愛ではないかと思います…。そうでないと思っているなら男性は大きな勘違いをしているのではないかと思うのですが)

けれども普通の男性には、1人の女性とその間にできた子供の面倒を見るだけでアップアップなのではないでしょうか?
ですから、結局は、責任を持つということが、性的不摂生のブレーキになります。

その当然のことが、改めてヨガのヤマで説かれるということは何を示唆しているのでしょうか?

それは、性的欲求と言うのが食欲と同様に非常に抑えがたく、一度緩んでしまったタガは非常に戻しにくく、
関係者に非常に大きな心理的苦しみを産むから、ではないかと思います。

最初から禁止していればラクだという理由なのではないかと思うのです。 

■ それでも人間

とはいいつつ、人間も動物ですから、好きな人ができるのは普通のことです。相手を好ましいと思い、それが
たまたま異性であり、かつまた生殖年齢にある健康な男女であれば、多少の性的な魅力を感じても不思議ではありません。

惹かれあう、ということですね。ではそれは一体何を意味しているのでしょう?

自分が誰か恋をしてはならない相手に対して恋心を抱いてしまったら、どうしたらいいのでしょう?

そんなの、単純です。 それは単純に、自分が健全で健康な肉体を持っている、ということを逆説的に証明しているだけなのです。

単に人間が肉体を所有するからには、当然起こるべくした反応が起こったというだけのことなのです。

熱いものを触ればアチッと感じるのとなんら変わりないことなのです。熱いものを触ってアチッと手を引っ込めなくなったら問題ですよね?

だから単に健康で充分機能する肉体を持っていて良かったね、と思えばいいだけのことです。

コントロールしようとすれば、コントロールされる、とよく言います。それはコントロールしようとせず
心の動きに溺れろ、という意味ではないです。逆にアチッとなって手を感じないように、感覚を無感覚化せよ、
という意味でもありません。

ただ、かき乱される心を、肉体が感覚を受容する器官であれば当然のことなのだと、と理解すれば、いいだけ。

それが客観視という人間に与えら得た能力の活用なのです。

感覚そのものが自分自身ではないのだと、感覚を客観視できれば、心はそれ以上かき乱されることはないでしょう。

心は自分自身ではありません。自分自身は移ろいやすい、その心の下にある、純粋な思い=意識、です。

一時の心の動きを、自分だと同一視しているのが人間なのだそうです。そうすると、どんなことにも一喜一憂しなくてはなりません。

一時の心の動きと自分自身を同一視しなくて良くなる、そのためにヨガのアーサナはあるのです。

心と体をつなぐ、とよく言いますが、つないだ結果、奔放になってしまっては動物ランクに格下げされただけのことです。

そうではなく、心の動きをよく眺め、真の自分(アートマン)とマインドを分けることができるようになることを目差すのがヨガです。

そういう意味では、私は山登りも同じであるな、といつも思います。山で自己対話を繰り広げている人は多いと
思いますが、その自己は「大いなる自己」といわれたり、「内在神」といわれたりするものです。

日本人にとってはお山は「神」を思わせるものなので、お山と対話しているつもりで実は対話しているのは、内なる声、内なる魂の声です。 

そのうちなる声が外在する神の声だと”実体験として”理解するプロセス…それをヨガといいます。

余談ですが、肉体を使うヨガをハタヨガ、愛を使うヨガをバクティヨガ、職業を使うヨガをカルマヨガ、知性を使うヨガをギャーナヨガといいます。

いわゆる日本でヨガと言われているものは、ハタヨガを健康体操に落とし込んだものに過ぎません。





食べるヨガ

2012-11-27 23:07:23 | Yogaを教えています
■プラサーダを食べよう!

今日はヨガの生徒さんとお食事の話をしました。

ヨガをすると体は柔らかくなります…が、人間は欲があるので、「もっと柔らかくしたい」と思い始めます。それは成長の元であり、意欲的であるということなので良いのですが、背伸びが120%なら良いのですが、ついついストイックな人は150%になってしまいます。そうすると体を痛め、結局は100%で頑張っていたときよりも後戻りしてしまいます。一歩進んで2歩下るならマシなほうで3歩も四歩も下ってしまいます。

足るを知る、ということはそういう面でも非常に重要なわけです。

余談ですが、私の山も同じです。行けるところに行く、という原則を外してしまうと無理をしてしまい、山から帰って来れなくなるかもしれません。

自分の力以下だと楽しみもないが、かといって背伸びしすぎてもダメ、というのは、何事にもいえることで、そのバランスを見出す力こそが経験という名の知恵であり、資産ではないか?と思います。

しかし、人間は欲があるので、このサジ加減が難しいわけですね…余談ですが、欲目なしに見れる力は客観力です。

つまり人間は、怠けるか、頑張りすぎるか、の両極を行ったり来たりしているわけです。

何事も中庸、バランス感覚が大事です。正しい道は中庸のみです。

で、その中庸を探すために、ヨガをする中で何ができるか?と言う話になります。

■ 体を使うヨガだけでないヨガ

ヨガはアーサナ(ポーズ)だけだと一般的には思われていますが、ヨガはアサナをする体を使ったヨガだけではありません。

職業に邁進することもカルマヨガですし、知識によってヨガを深めるのもギャーナヨガです。肉体を使うヨガのことをハタヨガ、と言っています。

ただ一般にハタヨガのことをヨガと日本では言っているので、ハタヨガでアーサナに慣れているヨギーには、アーサナ以外でとっつきやすいのは、食べるヨガではないかと思います。

それは食べることも体とつながっているからです。人間の肉体は、食べ物からできているので、食べ物を変えることは肉体感覚に鋭敏になっているハタヨガのヨギーには感性的に理解しやすいと思います。

■ 具体的には、何を食べるか?

プラサーダを食べます。プラサーダを食べると溜まったカルマを浄化することができるといわれています。

ではプラサーダって何でしょう?それは

・作りたてのもの
・殺生していないもの=菜食
・お供えされたもの
・催淫性でないもの
・心を込めて作られたもの
・味見していないもの

です。というのは、刺激物は、刺激がある=心を動揺させる、と考えられています。

心を制御したいのに、心を刺激して動揺させるようなものを食べるのは矛盾するので、食べません。

具体的には、とうがらしやわさびなどの刺激物です。コーヒーなんかもここに入るようです。
(私はコーヒー好きなので一定量を朝だけと時間を決めて飲んでいます)

作りたてのものを食べるのは、作り置いたものはタマス(よどんだ、停滞した)ものだと考えられているからです。 風呂の残り湯より、源泉賭け流しが気持ちいい、みたいな感覚です。

殺生していないもの、というのは、日本の精進料理と同じと考えれば良いです。肉や発酵食品はタマスで、停滞や粘着性、怠惰なパワーを秘めていると考えられているわけですね。ので食べません。

普通お料理は心を込めて作られていると思いますから、お供えされたものであったり、味見されていないもの、というのは精神的な問題です。

お供えについては、神様に捧げるもののように質の良いものを食べる、ということですね。ちゃんとお供えすることができればそれに越したことはありません。味見は神様にお供えするものに口をつけないという原則からしないことになっています。

父方は神主の家系だったので子供の頃は官舎に住んでいて、神様にお供えされたあとのものを食べていました。なので大根なんてしんなりしていて、お米には少し虫がいたり、お餅にはカビ生えていたりしましたが
お供えされた食べ物は特にカルマを浄化するといわれています。

普段の食事では神様に捧げるのは人間が食べる少し前の短時間でも良いそうです。

私は最近は日持ちのする野菜などは祭壇と決めている場所において、愛でてから調理しています。

菜食主義と言うと、日本ではどうしてもマクロビオティックに偏ってしまいますが、インド伝来の菜食主義はむしろアーユルヴェーダに詳しいです。

消化に負担が無いものを食べる、という点ではマクロビは玄米を食べるので消化力が弱い人には合わないかもしれません。私には玄米は消化に負担のようでした。

食べるヨガでは、野菜と穀類、牛乳はOKですが、卵、肉、魚は食べません。

おススメは、最初は消化力にこだわることです。肉は消化にとても時間がかかります。まずは魚と卵だけに絞ってみて、肉をガッツリ食べる習慣を捨てていくと消化が良いので体が軽くなるのに気がつくと思います。

それに野菜も旬のものを食べていると、忙しいので肉の出番がないほどです。
例えばいまだとかぼちゃが一杯でていたり、八幡芋が安く出回っているので、それを食べてしまうのに
忙しくてなかなか肉の出番がありません。

甘いものについては度を越さない限りOKです。特に非加熱の生蜂蜜がおススメです。

…ああこれを書いていたら、ハーブティを飲みたくなってきました(笑)。

ジンジャーが入ったクリスマスのハーブティは蜂蜜を溶かして飲むのにとてもおススメです☆

最近、気に入っているDean&Delucaのノンカフェインティー。シナモンとバニラ…シナモンが特にとてもおいしいです。


自問自答の方法

2012-11-19 20:41:19 | Yogaを教えています

ヨガでは内観と言って自分の中を観ます…

その問い方…こんな問い方はいいんじゃないかな…と思うメモ。

実はどこかの本から抜き出したものなのですが、古いメモなのでどの本か分からない…無断借用になったらごめんなさい…

☆私が本当に○○で得たいものは何だろうか?
☆私はなぜそれが欲しいのだろう?
☆私はそれを得るために何をする必要があるだろう?
☆どうやったらプロセスを楽しめるだろう?

☆最悪の場合、どういうことが起きるのか?
☆それに対処できるか?
☆今どんな感情を持っているだろう?
☆どんな結果を出したいのか?
☆何に感謝できるだろうか?


ヨガのお食事

2012-11-06 13:35:17 | Yogaを教えています
今日は甲府は冷たい雨です。明日に山を予定しようか…と思ったら…寒冷前線通過だそうです。
うーん、午後から冷えそうですね。

■ 腸に内容物が入った状態でアサナしないこと

ここのところ、ヨガと食事がテーマです。というのも、腰を悪くしたウタナサナ… この原因を考えると
内臓に内容物が入っている状態で、深い前屈(ウタナサナ)をしたせいではないかと思われます。

私のバレエの先生は、なんと腹筋で腰をやってしまったそうです。なんと、腹筋を鍛えすぎて、自分の
インナーマッスルで腰椎を押して、それで坐骨神経痛になってしまったのだと…(汗)。
いやそこまで腹筋って鍛えられるんですね。

これを聞いた当時、私は脊椎外科の翻訳を仕事にしていて、ヘルニアや坐骨神経痛には詳しかったのですが、
普通は腹筋が無いためになるのが腰痛です。(腰痛と言うのは、基本、腰椎の捻挫です)

しかし、自分の中から押し出す力で腰椎をずらしてしまうことがある、というのが実にショッキングでした…。

要するに、前と後ろの筋肉は、力的にバランスが取れていないとダメなのですね

でも考えてみるとそうですよね。お腹を押すわけですから… 前後から均等の力で押さなければ、
どっちかが出る…大抵の人は腹筋が弱いので、お腹が出ているわけですね。食べるとおなかが出る人は
やっぱり食べすぎです。

で腸に何かが入っている状態で内臓を押して、そのとき便秘や水分不足などで内容物が下に出れない…となると
一番押し返す力が弱いところが出っ張る。

私はバレエをしていたので骨盤底の筋肉はとても強いのですが、その割りに丹田の力が弱いので
丹田の強化と腸の浄化が課題です。

ヨガでは食べてから2時間はアサナ(ポーズ)をしてはいけないといいますが、腸に内容物がたくさん
入った状態であればどんなときもアサナをすべきではないのかもしれません。

■ ヨガの食事=アーユルヴェーダ 

というわけで、この症状を治すのに効いたのは、プチ断食でした。ともかく腸を空にしたら良かったのです。

このお食事は、実は山で頂いた食事だったのですが、そういう事情が無くても、食事を見直すべきだと
思い、ここのところ食事を見直しています。

日本ではヨガは基本的にスポーツに分類されているので、食事にはあまりうるさく言わないそうです。

でも、基本的にヨガは一種の心身鍛錬法なので、お食事は切り離せないです。特に海外を起点としている
ベジタリアンの流れには、ヨガの食事がかなり多くの割合で含まれていそうです。 

私はもともとそんなに”肉肉~”という人ではないのですが、これまでは食事を見直す、といえば、
参考にするのは、健康面から「アレルギーに悪そうなものを取るのを辞める」という方向性でした。

日本でこういう方面でスタンダードなのは、玄米菜食、魚OK、肉NG、卵NG、ノー牛乳、ノー甘味ですよね。

でも、やってみて、あんまり私には合わないみたいだったのです…。

玄米は粒粒のまま出てくるし、雑穀はたくさん食べるのではないので、よさそうだったのですが。

牛乳は昔はカルシウム摂取に良いといわれていましたが、日本のヘルスコンシャスな人たちの間では見直されており、
ラクトーゼ分解酵素がない日本人には、牛乳はむしろ健康に悪いのではないかと言う説があります。

が、私は牛乳では、お腹を壊すことはないので、これを根拠にした場合あまり牛乳を断つとかしなくて
いいかなと思っています。

こうしたマクロビを基本とするのが日本の菜食主義。時に、油脂が足りずオメガ3不足に陥るといわれています。

■ お供えを食べる

一方ヨガのお食事の起点は、インドでのお食事事情にありそうです。もともとヨガはインドのバラモンの人たちの
ものでした。修行をするための1プロセスがヨガのアーサナです。

なので、お食事の内容としては、マクロビよりもむしろ精進料理に近いものです。おそらく、インドから伝来
したものが日本で精進料理となったのでしょう。

インドでヨガをやる人たち=バラモンが食べるお食事は、プラサーダ料理と言われて、基本はお供えです。

お供えされたもの、なので、お供えに”動物の命を差し出すということをしない”ために、ベジタリアンと
なったのだそうです。万物の創造主に対するお供えが、死を伴うものであるのも変ですし、温暖な気候の
インドでは、普通に食べるのに肉食する必要が無いからですね。

肉食は、例えば放牧以外の農業活動ができないような痩せた土地に住む人たちやエスキモーのように
それしか手に入らないという場合の非常手段なわけなのですね。そもそも肉意外に他に食べ物があるならば
人間は肉を食べるより植物を食べていたほうが狩が楽で、危険も伴わなかったはずですね。

今は転じてなぜか肉食がご馳走になってしまったわけですが…歴史的に肉食は狩ができる時期に限られていた
ので食べられる時期が決まっていた、というのがご馳走に転じた経緯かもしれません。

というわけでインド伝来のベジタリアン食というのは、多分に宗教色が強いものです。

ただし、インドでも、バラモン以外の階層の人やヒンドゥー教の中でも色々と宗派があり、特に肉食や魚食を
廃さず、牛肉だけ食べない、と言う宗派もあるそうです。しかし、どんな人も食は宗教的信条と一致しているものらしいです。

■ 料理で瞑想する?

ヨガのお食事と言えば、バクティヨガにおけるプラサーダ料理です。バクティヨガは愛のヨガです。基本的に創造主に対する愛(バクティ)で、その創造主に対し、料理を作りお供えします(プラサーダ=お供え=慈悲)

プラサーダ料理のポイントは 5つです

 ①命を略奪していないものしか調理しない
 ②味見しない
 ③玉ねぎ、ニンニク、きのこを食べない (五薫?)
 ④心をこめて料理すること(瞑想)
 ⑤作り置きを食べない

です。

大切なことは心を食べること、です。 料理を栄養面からだけ評価してしまう考え方は、どんどん突き詰めると、餌と同じになってしまいます。仕事をしているとどうしても急いで食べ、それについでに食べたりして、食事は餌化しがちです。サプリなどはこの方角ですよね。

しかし、いくら健康に良くても、餌化したそっけない食事では食べるということに感謝を感じられませんよね。決まりきった食事と言うのも、とてもわびしく、栄養にさえなりそうにありません。

プラサーダ料理を食べると体だけでなく、心の栄養にもなるといわれています。 
それは思うに、生きていく限り食べ続けていかなければならない…人間の定めを定めとして気持ちよく受け入れていく心が自己受容につながるからではないでしょうか…。








プロップスの使い方を習ってきました

2012-11-04 21:23:29 | Yogaを教えています
今日はプロップスの使い方を習いに安曇野まで行っていました。

高速道路を走っていると、これはまたとない快晴でした。
 諏訪湖。

八ケ岳は快晴で、今日は山にこそ行きたかったなぁと思いつつ…昨日は青年小屋小屋閉めだったのですが、さぞ良かっただろうなぁ…。

なのに、安曇野についたらこんな…岡谷ジャンクションを通り過ぎ、トンネルをくぐったらイキナリ霧でした。



しかも3時間前に出たのに2時間で着いたので、早く着きすぎ。

■ アイアンガーヨガ

アイアンガーヨガは、プロップス(道具)を多用するヨガで知られています。
肉体を使ってヨガをするハタヨガの中でも、どちらかというと整体的要素の強いヨガ。

アイアンガーさんは94歳でまたお元気にヨガをされている偉大なヨギーとして知られています。

私も腰を痛めたり、肉離れしたりしたので、結構体を労る系のヨガには興味があったのと
大阪や東京でアイアンガースタイルのクラスを探してもなかなか見つからないので
めったにない機会だわと出ることにしました。

■ 今日の収穫

今日の収穫は、ハスタ・パダングシュターサナでの骨盤を水平に保つためのアシスト術。
 これ。ヨガベルトをかけてあがる脚のほうの骨盤を固定する。

 

私は左が上がりやすいのですが、これはS字結腸があるのでほとんどの人がそうですが、気をつけていても、骨盤を水平に保つのはなかなか難しいことです。

■ ダウンドッグの方の回旋

あといつも人のを見ていて気になるのがダウンドッグの肩。腕が弱い女性には肩をしっかり使って上体を支えるのは、腕を痛めないためにかなり重要かなと思いました。


肩は広げて外旋する。 

タダサナでも上腕は外旋、ひじから下は内旋ですよね。ちなみにこれはバレエも同じです。
あと肩の使い方もバレエと同じです。胸は開く。肩甲骨は下げる。

アイアンガーらしかったのは、サルヴァンガーサナ。椅子を使う。これが結構しんどい。

っていうか椅子なしのほうが楽だったりして。



さてこれにどう体を入れるでしょう? 入っていたので写真はなしです(笑)

バラドヴァジャーサナ (ツイスト)は 足の組み方を今まであまり意識していなかったので、骨盤を水平にするために片方の坐骨の下にブロックを入れる…これもアライメントの調整のところでは習いませんでした。

そして苦手のヘッドスタンド…やっぱり壁がないと怖いんですよね・・・多分、肩が弱いせいなのですが…肩と腕の力が弱いのは実は子供の頃からなので…ものすごくよく肩が外れる幼児期を過ごしたので、それでうんていとか苦手だったんだと思うんですよね・・・青竹登りも苦手でした。



未だに肩を強化する良い方法が見つからない…肩こりの半分は肩の筋力が無いためではないかと思うのですが…

ボルダリングジムなどで、クライミングすると胸の筋肉をとても使うし、ベンチプレスと違って楽しみながら筋力アップできるので、そういう意味ではいいのかも知れないです。

しかしボルダリングジムに行く理由がヘッドスタンドができるようになりたいから、ってのもなぁ(笑)

これはホント肩の筋力がないと首に負担が掛かって危ないです。結局肩の筋力強化は基本的にはダウンドッグでなんですよね。後はサルヴァンガーサナ…

今日は肉離れと仙腸関節を痛めて腰痛になっていたこと、それにノックバックニーを自己申告していたのに、トリコナーサナのモデルになってしまいました(><) 先生…トリコナーサナって直球ど真ん中に膝裏伸ばしすぎるポーズなんですけど…(汗)

とりあえず痛めたウチモモの筋肉がまた悲鳴を上げなくて良かったです(^^)

それにしても上体の強化は課題ですね…