今日は買い物に行ったら車から見える鳳凰三山の稜線… 素晴らしい稜線。
地蔵岳と観音岳の間は、ぐっと切れ落ちてあれを歩くと、もっと感慨深いだろうなぁ。まぁ夏に歩いているんだけど。車なんで縦走はしづらいから御座石まで降りるのはやりそうにない。となるとピストン・・・うーん、なかなかやりそうにないなぁ。
しかしホント、いいところに住んじゃったものです。甲斐駒君は「待ってるよ~」と言っていました(笑)
■個人vs組織
今日は久しぶりにGMS時代の友人と議論。 といっても私はマーケティングと経営戦略しか取っていない単科受講生なんだが。
キッカケは友人が寄せた『180日間でグローバル人材になる方法』の感想だ。
グローバル化によって価値を生み出すのは個人的な人脈だという論旨が書かれているらしい。
確かに。 福岡で気になって追っかけていたIT関係の潮流に、ルビーという開発言語がありましたが、あれなんかは完全に個人のつながりのようでしたね。
世界はBtoB から、BtoCへ。 さらにCtoCへ。それにはネットは最強のツールなんだがな・・・
この世界(ソフトウェア)は使う人が多ければそれがデファクトになる、という世界なので開発した者勝ち&普及させた者勝ちです。 つまり早く始めた人の勝ち。スピード勝負。大きな初期投資が幅を利かせる、っていう世界じゃない。
実はその前の仕事でも、私はグローバル化の流れにいたんである… 端っことはいえ。というのも、前にいたソフトウェア販売会社では製品を引っ張ってくるところから私は情報通だったのだ。
大阪支社には社員が2名しかおらず一名は営業で一日会社にいない上、もう一名は私なわけでそんなことなら、無理にオフィスを構えず、自宅で働きたいと申し出たら、組織としての看板は使わせないから、○○社の○さんは君とは意思疎通しなくなる、と脅しをかけられた。
○○株式会社と言う地所がないと活動できないって思想が古いんだよな。大体。アメリカ、オーストラリア、あるいはドイツあたりでもエンジニアはほどんど遠隔勤務なんだし。今はスカイプもあるから国際電話はタダなのだ。実際、おとどし西穂で会ったクリスはスマホで西穂頂上から仕事してたんである。
まぁいいんだけど。その○○社の○さんとは、会社を辞めた今でも今ではクリスマスカードを送り、互いの家を行き来する間柄なんだがな…。
まぁとりあえず日本では人脈は個人ではなく組織に属す。ので会社で友達作りしても仕方ない。というか日本では公私混同しないという不文律がある。 会社の人も本音はタブーなのでそんなところで友達ができるわけがないんだな。
会社とは友達をつくるところじゃなくて仕事するところなのよ、とか言われたこともあったけど、そんなギシギシした環境で外資が仕事しているかと言うとしてないよな。
基本的に欧米以外の人種の場合、グローバル人材と言うとすぐ海外留学になるんだが、海外留学と言った場合に日本人は「横社会」に入っていけない。
のは、たぶん、社費で行くような”グローバル人材”が、実質ぜんぜんグローバルではなかったりするからなのだ。
私が男の子2人のベビーシッターとしてアメリカで住んでいた家は母が大学教師、父が内科医で、ある日、どこかの大学の講師くらいのレベルの人が国費で母親が勤める大学に留学してきたので、家に連れてきた。その大学の女性同僚と。その男性はたぶんどこかの学閥の一派で泊をつけるために留学してきたのだろう…ずーっと私に自慢話をしていた(日本語で)。けど肝心の英語での討論ができないんだな。ディナーの席では大人は知的会話をするものなんである。そしたら、まだ渡米して3ヶ月の私の英語を聴いて、その女性同僚が「あなた、この彼が○大学の○コースに行けるんだから行けるわよ」とあとでこっそり耳打ちしてくれた。罪作りな耳打ちだ(^^;)
同じ人ではないが帰国して、若い講師が海外留学で仕込んできた英語というので、講座を取ったら、たまたまそのとき私のアメリカ人の恋人も日本に来ていたので暇だというので一緒に並んで授業をとっていたら、その先生が教えている英語に彼は赤ペンを連打。別に英語力だけがグローバル人材を示すわけじゃないんだが、”ブイブイ鳴らしている割りにショボイ”ということが学生にバレてしまったわけなんであった(笑)
このように海外留学ってのは実力のためではなく泊付けのため行くところなんだな、日本では。
企業からのMBA派遣は矛盾だらけだ。
人材の流動性が高い組織では、その場その場で必要となる個が変わるので流動的に組織形成される
↓
一方、日本企業はそういう形態ではないために個を活かしきれず、個を従えてしまう。
↓
流動性が徐々に高まった場合や組織として個を評価しきれない場合には、個が流出
↓
個に組織として投資することは難しい(例えば米国にMBAを社費で取得させることは難しい)
↓
なぜなら取得してもすぐやめてしまうから。
↓
組織に忠誠心があれば辞めない。
↓
組織の拘束をきつくする。
↓
アレ?! 個の話のはずが、また組織に拘束?!
とまぁどこまでも ”お上”に”奉公気分”が抜けないわけなんですねぇ。組織大好き日本。 思うに人材を選ぶときに、注意に注意を払って義理堅く、腰の低い人を選ぶべきだ。何しろ、義理堅くないと出て行ってしまうし、腰が低くないと出る杭になって現場から打たれて玉砕してしまう。
ただ確実にいえているのは、そもそも を忘れていることだ。
そもそも個を生かすのは何のためか? それはその集団にとってメリットが最大化するからだ。個が生きることは集団が活きることと同じなのだ。本来は。 そこが対立構造なんだな。なぜか日本では。
私の英語力はたいしたことはないが、みんながTOEIC500点なんて職場では925あるともう右に出るものはいないなんて話になってしまう。でも通訳仲間の間では990点が最高点であり、一発で990って人もいるのだ。925は930の壁を越えていない。今一歩なんだが、要するに比較の問題だといいたいわけだ。 集団において個は輝くように配置されれば、集団も輝く。自分が相対的に優位に立てる集団に行くことは自然であり、その自然が行われた結果はおそらく集団にとってもメリットが多いはずだ。
が、そうはならないのは、個が集団の役に立つことを日本の組織は嫌がるからだ。って、つまり、基本役に立たないほうがいいってこと?!
そんな恐ろしい論理にはなっていないことを願うが・・・
問題は、スキルをもった人材を適材適所で使えないってことなんだけど、そもそもそういう話だったのなら、日本では就職ではなく就社であるからして、採用からして適材なんてことは最初から主眼にないのである。
日本の就職市場での売り物はスキルではなく、身分なんであるからにして(--;)
そんなことを知らずに就職戦線に参加してはいけない。それはウブというもので、無知を自覚すべきだ。しかるに、持てる才能を生かせないと感じた若い有能な人は基本的には海外を目差す。 要するに人材流出だ。
でもまぁこれは将来変わっていくでしょう… 今のところ、日本の若者は臆病で海外には出たがらない。メルボルンでも日本人は激減していた。変わりに増えているのは中国、インド、コロンビアだった。
それとも、そもそも、問題の核心は
「人々はしたくもない仕事をし、同時にそれを失うことを恐れているんだ」
P25『仕事は楽しいかね?』デイル・ドーテン
かもしれない。 この本が書かれたのはアメリカなんだが。
”退屈”と”不安”という双子…と言われている。 が、これが豊かさでなくて一体何なんだ?!
結局は、「したくない仕事なら、しなかったらいいんじゃん」ということに落ち着かないか?
不安が勝れば、それは”したい仕事”であり、”退屈な仕事”ではなくなる。やらせてもらえるだけありがたい仕事になるわけで。
適材適所はやりたい仕事をやることから始まるのではないだろうか?
ということは、適材適所を与えられるもの、と感じている限り、適材適所は成立しない。MBAホルダーが会社を去るのは論理的に叶ったことなのだ。やりたくない仕事はやらなくていいのだからして。まぁ去るときには社費留学ならその分は返済すべきと思うが。
やっぱり ”変える” ことより、”変わる” ことのほうが重要なんじゃないか?
残るは”やりたくない仕事を去る不安”なんだが・・・1人で去るのが不安と言うのなら、大きな社会的潮流にするには結束しかない。
ならどうだろう? MBA一揆でも起こしてみたら・・・・