エ゛~・・、コレはですね・・・読者の皆様には御存じの方も居られると思いますが
丁度、昨年の今頃にオク用として製作した物なんですが・・・
分をわきまえない値付けのせいか、マァーったく鳴かず飛ばずで、お蔵入りとなった御品で有ります。
ポリシーなんぞとも言いませんが、売れないからとて簡単に値下げする事もアンマリしませんで。
二、三週出品して売れなきゃ、近間に欲しい人がいれば差し上げたり、暫く自宅展示・・・後
改造用パーツ取ジャンク行き! が大抵のパターンだったりします。
でもコレは! 個人的には結構、お気に入りの御品だったんで、ズ~っと自宅展示だったんですが
モノがモノ故か、ハッキリ言って家族からの評判もすこぶる悪いんであります!
勿論、近間に欲しい! という人もマァ~ったく居りません。
依って、バーゲンプライスといってみます。 だって・・・壊したくないんですもん。
しかし・・・この一年。 誰しもが想像だにしなかったコロナ狂騒曲によって
未だ不安定且つ先の見えない状況が続いている訳ですが。
こういった「非常時」こそ、人の本質が良く見えてきます。
「アベノマスク」を筆頭に、「お肉券?お魚券?」騒動は記憶にも新しいトコですが
あ~言うのはホント、昔の日本軍を揶揄した例え・・・所謂
「兵卒は優秀。下士官もマアマアだが、将校は凡庸。 上級将官は馬鹿ばかり」を
地で行くエピソードだな? と思ったりもしますし「自粛警察」なんかもそうですね。
なんかもう・・・正に戦時の「非国民」吊るしと同じ構図です。
極めつけは世界的にも希有な? 日本的コロナ対策ですかね。
積極的に感染者の特定もしなければ、強制的な閉鎖措置もせず・・と言う
マッこと、どー転んでも、誰かに責任の矛先が向かぬよう。 その点のみに熟慮に熟慮を重ねた
素晴らしい対応です。
↓ 以下の記事は昨年に書いた記事です。 暇なヒトだけドーぞ。
夏・・・と言えば・・恒例の・・そうですね! 終戦・・じゃなかった! 「敗戦記念日」ですね。
元号が変わって初の敗戦の日です。
ので・・この度はチョット硬派な・・・そして・・陰鬱な一品であります。
made in New ZealandはAC Models製。 「Japanese Soldier」。
スケールは1/12と、バストモデルとしては、どっちかってーと小ぶりなキットです。
一応・・・日本国民の・・自称ミリオタかもしれない管理人といたしましては当然ながら
「帝国軍人」さんのフィギュア!・・に、興味がない訳はなかったんですが
如何せん・・ドイツ軍その他に比べ、選択肢が余りに少ない!及び製作意欲をソソル?
製品もパッと無い・・様な気もして・・・なかなか手が伸びなかったんですが・・・。
コレは! 久々に作ってみたくなった「帝国軍人」さんです。
しかし・・やはり、と申しますか・・国産の良質なガレージキットとは比べるべくもない品質で
極端な型ズレ等こそ無いものの・・各所細部はマァ~、良く言えば荒々しく・・
ハッキリ言えば・・雑な造形と言わざるを得ません。 オマケにレジンの質も、なんともはや
何時までもベタついた感じの癖のある素材となっております。
でもね・・・造形の素晴らしさが全てをカバーしてくれます!
そのデザインは・・先だって御紹介した「北領奇譚」並に見ているだけで
様々な情景が浮かんでくる程、素晴らしい物です。
でもマァ・・何れにしても悲壮な感じで決して楽しそうには見えないんですが・・それは・・
出自が「made in New Zealand」で、原型師さんも「Andy Cairns」氏と言う事で
日本人が絡んでいないが故・・と言う事もあるかも知れません。
「ニュージーランド」と言えば先の二次戦に於いては決して目立たぬ存在ながらも
連合国軍の一角として、主に「南方戦域」で帝国陸海軍と対峙した歴史的経緯もあり
そんな彼らが想い浮かべる「Japanese Soldier」のイメージこそ・・・
本作の彼・・・なのかもしれませんネ。
しかし・・・何故コレが海外製なんでしょうね・・・こういうキットこそ、是非とも日本人原型師さんや
国産メーカーに頑張って頂きたかった!の・・どこか釈然としない感は残りますがネ。
写真だけ取り直しました。
顔色は努めて不健康に塗装の上、破れた左袖近辺も結構大げさに出血痕等の表現をしてみたせいか・・
殆どゾンビ系ホラーフィギュアな佇まいになっちゃいましたが
やつれた・・・とは言え、まだ精悍さを保った表情と言い、腕等の肉付き加減と言い・・
当時の実態はマダマダこんなもんじゃ無かった筈です。
ベースは何時ものエポパテ大地をベースに、プラ製自作の木やら草やら・・適当に。
当時、兵達が「緑の砂漠」と呼んだニューギニア辺りのジャングルをイメージして作りました。
それと・・何故か?「ミリタリー模型」ジャンルに於いてはジオラマにせよ何にせよ
アンマリこういった悲惨系やグロ系の作例は歓迎されない? 傾向にあります。
元が「ミリタリー」なんで、せめてミニチュアの世界位は平和的に?
な感じなのかもしれませんが・・・管理人といたしましては、こういうのも作ってみたかったのと・・
やはり・・「帝国陸軍」と言えば・・こういう情景が思い浮かぶんであります。
やつれた兵長が口にするのは・・・玉砕目的の突撃前の最後の晩餐か? 或いは
敵にも味方にも見捨てられた南洋の孤島より、遥か祖国に家族を望む一兵士? な感じでしょうか。
見る人により・・此れを「精悍」?と見るか・・「悲壮」と見るか?・・。
意見は割れると思いますが・・・それでいいと思います。
んで・・ココからは・・・何時もの自称ミリオタ管理人のクダラナイ記事の始まりです。
ダラダラと長いだけで、きっと貴方様の貴重な御時間を無駄に費やす事必至です。
ど~ゾ、興味をもたれた方のみ。 御覧頂けます様、御願申し上げます。
「総員玉砕せよ!」
近年、その悲惨さが以前よりは一般にも知られるようになった「南方戦域の戦い」。
「戦い」・・とは言っても・・これら南方の様々な島嶼における「戦没者」の多くが「餓死」と言われ
文献等による差異は有っても現状・・「南方戦域での戦没者の凡そ六割超が餓死・病死」
との推計が定説の様です。 勿論、広大な南洋にあって局所により、その数値変動の幅が
異なる事は当然と思われますが・・・下記に記した、その悲惨さが今に語り継がれる
地域に於いては・・その比率は更に高いもので有ろう事は想像に難く有りません。
ミッドウェー海戦と共に二次戦の転換点とも言われる「ガダルカナル島の戦い」。
戦闘が殆ど無かったにも拘らず、守備兵力の六割以上が
餓死及び病死したと言われる「メレヨン島」や「ミレー島」・・・。
その無謀且つ稚拙な計画及び作戦指導により余りに悲惨な結末を迎えたが故に
それを、現在の衰退しつつゆく日本の現状になぞらえ語られる事も多い「インパール作戦」。
等々、挙げれば枚挙にいとまが無いんですが
中でも・・・この度の作例のイメージであると共に、あの・・「ゲゲゲの鬼太郎」の作者。
「水木しげる」さんの従軍地としても知られ、その経験を元に書かれた戦記漫画の傑作。
「総員玉砕せよ!」でも有名な「ニューギニア戦域」・・・。
かの地からの帰還者達の証言や記録は・・・余りに惨すぎるが故に・・現実感さえ伴いません。
因みに「餓島」とも呼ばれ飢餓の島として高名な「ガダルカナル戦」に於ける生還者比率は凡そ35%内外。
対する「ニューギニア戦区全域」での生還者比率は20%内外・・「東部ニューギニア方面」に
主力として十万人以上が展開した「帝国陸軍第十八軍」隷下部隊に至っては8~9%! と言う
「十人に一人・・・生きて帰れたかどうか?」の陰鬱な数字に加え・・・
当時より今に続く・・・「ヤバイ事象」に於いては、極力記録を残さない事には長けている
日本の官僚及び御役人業界(当時の軍部も立派な官僚組織です)の習わしを超え
その陰惨な光景が現実に有った事を今に伝える・・・「友軍兵の屍肉を食す事を罰する」の
第十八軍布告と言われる軍令が異彩を放ちます。
そして・・更に。 映画「野火」で有名な「フィリピン戦区レイテ島」に展開した将兵・・
約八万五千の生還者比率に至っては・・凡そ4~5%という驚愕の数字が全てを物語る・・・
正に・・・「総員玉砕せよ!」の号令を地で行きます。
因みに当時も今も、戦闘行動中の部隊の兵員損耗率が3~4割を超えると用兵上の
全滅判定(部隊単位での戦闘継続が不可と看做され予備兵力投入の目安となる)とされ。
忍耐強いと言われた帝国陸軍においてさえ、限界損耗ラインは5割超となっていたようですんで・・
それら・・「悲劇の島々」に派遣された部隊の多くが・・・名実共に「全滅又は壊滅」であり。
いくら「戦時」とは言え・・・その損耗率の異常な高さと陰惨さが・・・多少なりとも理解でしますし・・・
それら余りに惨い経験故、生きて帰った者達もこれらの凄惨な戦場の実相を
なかなか語らなかったと言う心情も察するに余り有る・・と言う感じでしょうか。
「七生報国」
1941年に始まる「太平洋戦争」より遡る事36年。
「日露戦争」に於ける実質的な日本の勝利が世界を驚愕させます。
この時、内政的にも「維新」の大変革より未だ37年しか経過しておらず。
「必死こいて西洋の真似してる黄色いチョンマゲ猿」位のアジアの小国が
列強中の列強・・あの「ロシア」を完全とは言えぬ形とはいえ「打ち負かし」たんですから
そりゃー世界もタマゲタ訳です。
更に・・戦時に於いても、その武士道に則った規律や統制を保った戦い方が
「ロシア野郎」に抑圧されてきた反ロシアの国々にバカ受け!
それらの国々に「ノギ(乃木将軍ですね)」や「トーゴー(東郷元帥やね)」の名を冠する
子供が登場するほどの一大ムーブメントを巻き起こしました。
なんで突然こんな事を書くのか? と申しますと、個人的に「維新~一時戦」にかけては
至極真っ当・・どころか世界的にも先進的?にすら見える「政治及び帝国陸海軍」が・・・
その後、僅か二十年程度で何故ああも違う組織と精神になってしまったのか?
という疑念からです。
維新の改革に伴い「武士」と言う一大権益を排し、「人こそ資源」を標榜した国民皆学制と
名目上とは言え身分を越えた強力な軍を目指した国民皆兵制等の成果が
結実した「日清・日露と一時戦」辺りの「帝国陸海軍」の主たる戦いの概要は・・・
それはもう・・・二次戦の時とは別の組織か?と思わせるほどで・・
日露戦時の「無線通信や機関銃」、一次戦時の「航空機」等・・・当時の先端技術の導入運用も
随時、積極的に行われており・・・戦時に於いても
攻めるべくは攻め、留まるべくは留まり、兵站も抜かりなく、弾薬等の備蓄までもが教科書的な上。
歩兵操典中の「歩兵戦闘は火力ヲモッテ決戦スルヲ常トス」の常識的戦術を重んじたかと思えば
日露戦時のハイテク兵器であった機関銃陣地への攻撃では、当時未だ未知の戦術であるが故に
序盤こそ日本の軍事史上においても突出した損害を被りながら、世界に先駆け
歩兵相互による「相互躍進戦術」を柔軟に取り入れる等・・・・なんかもう・・
軍隊の鏡!みたいにも見えてきます。
そんな・・・世界的に見ても「優れた組織」で有った事が窺い知れる「帝国陸海軍」の変節が
見てとれるのは・・やはり、そんな「優れた軍隊」をして獲得した実質的植民地の拡大を経て。
と言うのも又、歴史の皮肉にも見えますが・・・ともかく、それら委任自治領等の自治・統治を通じ
軍部・・・特に一部指導層による政治的関与が日に日に強くなると共に・・・それ以降
急速に悪い意味での「御役人組織」然となっていった様にも見えます。
そんな状況を経て・・・泥沼の日中戦争から二次戦へと突き進んだ我国だった訳ですが・・・
緒戦こそ自身もビックリするほど上手く事が運んだものの・・・その後の顛末は
極少数とはいえ反開戦論者達が杞憂した予測をなぞらえる結果となったのは
皆様も御承知の通りでありまして・・・。
二次戦中期以降は前記、「南方戦域」は元より、「特攻」をはじめ
明確な「人命軽視」の戦争指導がまかり通ります。
そして・・・そこで語られたと言われる当時の軍官僚や指揮官達の言葉の数々には
戦後生まれの管理人でも、ちょっとギョっとする程・・・
今に相通ずる物が数多く見受けられたりします。
曰く~
「いャ~。 一課(陸軍)がやってるんだから・・・うち(二課=海軍)も何もせん訳にいかんだろう?」とか・・
「いャ~。 無謀なのは判るが・・○×君がああまで言ってるんだからヤラせてあげようや?」とか・・
「いゃ、ヤッパ予想通り失敗しちゃったけど○×君も落ち込んでるし・・・ソッとしといてやらんかね」とか・・
「いャ、仕事はね・・結果も勿論だがネ、それ以上にね・・ココまでやりました!って言う経過がさァ・・・」とか・・・
「いャ・・無駄は承知だけど規則だから! 規則。 記録も付けなきゃなんないし・・・」とか・・・
「他社品との性能差なんてカンケーね~んだよ! 売れるも何もオマエのヤル気の問題だべ? ア゛ッ?」とか・・
そして・・・極め付きは、あの悪名高き「インパール戦」に於いて指揮を執った「牟田口(敢えて呼び捨てで!)」の
勝手に撤退する部隊を指しての捨て台詞・・・「皇軍は・・・食いもんなんぞ無くても戦わなくてはならんのだ。」
に至っては最早、想わず笑ってしまうのは管理人だけでしょうか?。
今作の彼の鉢巻きに書かれた「七生報國」。
不世出の戦略的武将として名高い「楠木正成」の辞世の句として知られると共に
「幾度生まれ変われども、主君への忠義は変わらず。」と言う忠誠心の象徴として
先の大戦のスローガンとしても多用されました。
そして・・・その「楠木正成」を敬愛した日露戦の英雄「乃木希典」は戦後。
周囲からは世界的な英雄と持て囃されながらも、決して奢る事無く・・
戦死した将兵達と、その遺族への贖罪を捧げ続け・・・
帰還傷病兵達には、自費を投じての義手の開発をも手掛けた上に・・
明治天皇の勅命により、後の昭和天皇の教育係をも任ぜられますが、その乃木も・・
明治天皇崩御に際し自刃して果てるという・・最期を迎え。
正に自身を「七生報國」になぞらえた生涯を全うします。
それに引き換え・・・
最近は・・・東大出の国会議員ですら「戦争して・・」とか言い出すは・・
「教育勅語」の現代版復活論まで跋扈する昨今。
「自虐史観を修正せよ!」等々と声高らかに主張する・・・国政に携わる方々や
多少なりともに公に影響力を持ち、自称愛国者を標榜する知識層等と
呼ばれる様な方々に問いたい。
「大東亜戦争」等の意義や正当性を世界に証明できれば
果たして・・日露戦時の日本の様に・・・又、乃木や東郷の様に・・・
そして・・驚くほどの戦後復興を遂げた、あの頃の日本の様に・・・
世界からの称賛の声が聞こえるのだろうか?
管理人は・・・学も無い極めて一般的な一市民ゆえに難しい事は判らないが
いくら「敗戦の日」を「終戦の日」と呼ぼうと・・・
「無条件降伏」では無かった等々と今更、グチグチと言葉尻をこねくり回しても・・・
負けは負け・・日本はあの戦争に負けたんですよ・・しかもコテンパンに。
戦は・・勝ってナンボです。 負ける戦はしちゃイカンのです。
そして・・・それら過去の誤った?記録の修正等には大変ご熱心な反面・・
「自己責任」なる何処か冷たいスローガンがたなびく現状は・・・
決して「人材こそ資源」を標榜し世界にも栄華を誇った頃の情景とは重なる事無く・・
当時・・・「緑の砂漠」とも兵達が揶揄した不毛の島々で・・・
補給の問題は棚に上げ、二言目には「自活せよ!」との号令の元。
ウジ虫をも口にしながら尚・・・生きながらえる事が叶わなかった多くの・・そして・・
今も・・・・南洋の島々に眠る英霊達に・・どう映っているんでしょうかネ。