第2次世界大戦戦後、
日本を占領した
連合国の代表として
改革の
指示をだしたのは、
GHQのマッカーサーである。
憲法についても、
言論の自由を守り
基本的人権を尊重し
平和な政府をつくる
という条件を付け、
日本政府に
草案をつくることを
命じた。
日本政府は、
松本蒸治国務大臣
に命じて、
草案を作らせた
ところが、
草案は、
天皇が国のヘッドであり、
国民は「臣民」であり、
国民の自由や権利を
侵す法律がを作ることが認められていた。
これに近い草案が、
毎日新聞にスクープされた。
これを見た
マッカーサーは激怒し、
作り直しを命じた。
彼の条件は
3つ。
1.天皇は国のヘッドである。
天皇の仕事は憲法にもとづいて行われる。
2.日本は紛争を解決する手段としての
戦争ばかりでなく、自国を守る戦争も放棄する。
3.封建制度は廃止する。
2.は、日本の要求によって変えられ、自国を守る戦争は
守ることができる、と改められた。
マッカーサーは、
日本政府との会談の前に
連合国軍としての
草案をつくり、
提示することになり
米国の法律に詳しい専門家に
草案を作らせた。
これは、
アメリカ合衆国
ワイマール憲法
フィンランド憲法
等の憲法も参考にしながら
つくられた。
日本側との協議の際に、
これを示した。
日本側は鳩に豆鉄砲だったが、
検討した。
その後、政府が参考にした
民間の草案も
多く作られていた。
そのひとつ、
森戸辰男等の学者で運営されていた
「憲法研究会」
の
「憲法改正要綱」
等が、大いに参考にされた。
単にアメリカの押し付けではなかったのである。
そののちも、多くの改正が
加えられ、
国会でも議論ののち承認された。
アメリカの影響を強く受けていることは
間違いないが。
こうして、
1946年11月3日、
日本国憲法が公布され
1947年5月3日
日本国憲法の施行、となった。
これが、
大まかな
日本国憲法成立史である。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます