もう50年前になってしまったが、
法学部の学生の頃、
最長老の教授が法学入門の講義を担当する、
というしきたりに遵って、
老教授が担当された。
まだ英米が世界の中心、と言う時代だったから、
法学の世界でも、欧米の法律が研究対象の中心であった。
老教授が、
聖書の中の、こんな話をされた。
西欧資本主義の精神の精髄を、
聖書の中に見ることができる。
それは、
旅に出る主人が、僕に金を預けた。
①ひとりに5タラントン
②もうひとりに2タラントン
③さらなる僕に1タラントン。
旅から帰った主人は、
①②の2人をほめた。
①の僕はさらに5タラントン稼ぎ
②の僕はさらに2タラントン稼ぎ
財産を増やしたからである。
ところが、
③の僕は、主人が怒るのを怖れて、
1タラントンを地中に埋めておいた。
主人は自分を怖れて1タラントンをとっておいた僕から、
それを取り上げ、他の僕に与えるようにしてしまった。
それなら、銀行に預けて利子をとればよかったのに、と。
これが、資本主義の原点となる考え方だというのである。
当時は、なんのこともないな、と思ったが、
のち、勉強をしていくうち、なるほどと思うことが多かった。
似たような考え方は、
マックス・ウェーバーの「プロテスタントの倫理と資本主義の精神」
にも同様の考え方にも潜んでいる。
初めて聴いた時、教授の見識を大事にして、
より深い勉強につなげておけばよかった、
と後悔した。
謙虚な研究姿勢が大事だ、と痛感したのだった。
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