
「よくない生活とみたら潔くそれを振り切って、生まれ故郷も生まれた古巣も棄てていけるのは、非凡な人間だけなのだ…。」
これは、チェーホフの「シベリアの旅」のなかの一節である。
これに響きあうように、宮柊二は、次の歌を詠んでいる。
英雄で吾らなきゆゑ暗くとも苦しとも堪ゑて今日に従ふ
この呼応をみるとき、わたしたちのこころにせつなさが響いてくる。
宮も、おそらくは、戦後の現実から逃げたかったのであろう。
また、過酷な闘いを経過した自分を、忘れたかったに違いない。
しかし、生活があり、家族がある。
宮は、長男である。
家族とのことを次のように詠んでいる。家族詠といっていいだろう。
……
涙ぐみ母黙りをり因循を責めらるる父責めてゐる弟
おろおろと声乱れこし弟が立ちゆきて厨に水を呑む音
汝も吾もたまたま遭ひて今日の日に言ひたきことを言へば鋭し
妹のいつか老けつつ家ごもりよき青年と遊ぶこともなし
嫁がざるままに過ぎ来てわが姉が老ひて床臥す父を怒れり
自らを守らむとしてやや貪にたくはへ秘めて姉老いそめぬ
……
年老いた両親、弟、姉妹との関係。
戦争の傷跡、家族という重荷、歌人としての自分が絡み合い、自由な動きを制限していく。逃げ場はない。
戦争体験者ゆえの屈折感を、癒す道は、絶えてないのだ。
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