戦後を生きる宮柊二は、自分を時代に合わせて作風を変える、
ということがなかった。
戦争体験が深すぎて、底流を流れる悲哀が秘めることもできずにうごめいているのだ。
1952年4月、日本がサンフランシスコ条約を結んだ時も、
手放しで喜んではいない。
いつの世もあはれにて人は権につく日本人ハビアンまた萄人沢野忠庵
ハビアンはイエズス会に入り、布教につとめる。後、棄教し、幕府の切支丹弾圧に協力する。
沢野忠庵はポルトガル出身のイエズス会の司祭である。禁教令施行後も、日本に残留潜伏して布教につとめるが、捕らえられ、棄教。長崎奉行の配下に入り、キリスト教を攻撃する。
2句目「あはれにて人は」に注目したい。作者のこころがこもっているのは間違いないが、内実がはっきりしない。
共感したり、同情したりしているのではない。
しかし、嫌悪しているのでもない。
人間はこういうものだ、という哲学に支えられている。
通底するのは「恥」の意識だ。
条約に対しても、直接的に肯定、否定するのではなく、人間性のひとつの帰結、とみているのだろう。
……
回想はとどめがたしも世の常にいやしきものは驕るとおもう
占領の解かるる夜半にかすかなる誓いをたてぬ自らのため
いきどほり抑えかぬる自嘲わきあざなふごときおもひして聞く
人のごとおこなひえぬを恥として常にしりぞき諦めきたりぬ
……
「思想とは生活の謂たとふれば批評のごとき間接をせず」というように、
生活に立脚しようという意識なのである。
次のような、他の歌人の歌と読み比べれば、それははっきりする。
……
独立の今日とよろこべ思ひ深く我ひと共に笑顔にならず(窪田空穂)
焼け跡の庭につつじのさき照れば朝しばしあり七年の後(土岐善麿)
吾のゆびしきりにふるへ寂し寂し白き爆撃の画面想ひて(近藤芳美)
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