山本五十六は、いわば、優秀な外交官でもあった。
戦前に、ドイツとイタリアとの間に
三国軍事同盟が結ばれたが、
このことに山本は、大反対していた。
ヒトラーとの会談ももくろまれたが、
実現しなかった。
時代は下るが、
アメリカ、イギリスとの間の
軍縮条約の交渉にあったたうち、
もっとも両国から評価されたのが、
山本五十六なのである。
周知のように、
三大強国である
米、英、日の軍艦の比率を
5、5、3にする、
という条約があった。
山本は、日本の軍艦を強大にしすぎるのは
得策でないと考えた。
ゆえに、軍縮条約では、
この比率で押さえておくのが得策、
と考えていた。
しかし、
日本の政治家、陸軍、海軍は、
軍事力強化をうたった。
皮肉にも、軍縮派(条約派)の山本が派遣されたのである。
山本は、自らの意思に反して、
日本の軍備拡張のための交渉に臨まざるをえなかったのである。
では、どんなことが起こったのか。
話が長くなるので、今回は、ここまで。
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