私のだらしな日記

「更科日記」ならぬ、私の〝だらしな〟日記。(^^;)
日々のどーでもいい事を、だらだらと綴っていきます。

シナリオ脳と小説脳

2010年02月03日 | 日々つつがなし
下の記事とも関連あるかもしれませんが、私、シナリオ脳と小説脳って
あると思うんですよね。

まあ、私ごときが、こんなこというのも口幅ったいのですが・・・。(^^;)


私はずっとシナリオの勉強をしてきました。

普段皆さんシナリオって目にすることはあまりないかもしれませんね。
シナリオ形式の本って、なんだかめんどくさそうで、
ちょっと読む気にはなれないですよね(実は私もそうなんです・・・)。(^^;)

でも読んでみると、意外とすらすら読めちゃうものなんです。

ストーリーの筋立てが映画を見るように入ってくるのです。

上手な方が書けば、おそら万人が読んでも、
同じような映像が浮かぶはずです。

例えば、人物が向こうからあるいてくるというようなシーンも、
その通りに浮かんでくる。
けっして、こちらから向こうへ歩いていくなんてことは想像できない
ように書かれているのです。

シナリオを書くのに、正直言うと文書力はそれほど関係ないように思います。

私は若い頃に、一度小説を書いてみよう思って、書き出したのですが、
まったく書き続けることが出来ませんでした。

それはなぜかというと、修飾語が多様だからなのだと思います。
ボキャブラリーに乏しい私にはとても手がでる領域ではありませんでした。


それではシナリオはどうかというと、そんなにボキャブラリーは要りません。
かえって気持ちを書き出す言葉などは邪魔になってしまうのです。

私が学校で習った時には、とにかく登場人物の気持ちを書くな、と
言われました。

でも、つい書いちゃいますよね~。

○○はこう思った。とか、
○○は、悲しい目をした、とかね。

そういうものは、一切排除します。

まあ、悲しい目をした―くらいは、
ぎりぎりOKかもしれませんが、
感情を表す言葉は、ト書きには書かず、
セリフとか、その状態を絵で見せるようにします。

何故そうなのかと言うと、
感情は映像に映すことができないからです。

そしてまた、書き手が、その人の気持ちを限定してしまうと、
見ている人の感情が入り込む余地がなくなってしまうからです。

映画は観ているお客さまのものだから、お客さまにゆだねるということです。

つまり、映画とかドラマというものは、書き手だけのものではなくて、
それを作るスタッフたちの気持ちであったり、それを見るお客さんの
気持ちも一緒に入って作られるものだからそうするのだということでした。

(まあ、そうは言っても、書き手の主張に沿うような形で、
上手く作られてはいるのですが・・・)(^^;)

なので、シナリオという形式は、誰が読んでも
とても分かりやすく、頭の中で絵を想像できるように
作られているのです(たぶん)。


ところが、小説はどうかと言うと、
小説は、自分の気持ちを書き出します。
とことん書きます。
(逃げられないのです。ごまかしが効かない)

その上、文章としても“流麗で”とかの、
美しさも求められるのです。

読みやすさ、美しさ、そして、詳細さ・・・。

どれをとっても逃げられない。
ほんとキツイです。

私は今回時代劇を書きましたが、
これを書くのに実は7年かかっているのです。

なぜそんなに時間がかかるのかと言うと、
それは私が何もしらないからです。

時代劇が好きで、普段からよく読んでいるとか、
歴史に興味があるとか、そんな人ならば、
すらすらとかけたかもしれません。

しかし私にはそんな素養は全くないのです。
だから一から勉強するしかなかったのです。

しかも頭の中に出てくるのは、映像ばかり・・・。

普段なら、この絵を記号として書き出せばいいだけのことなんですが、
今回は、そうもいかなかったのです。
そしてその状況をことこまかに文章で説明する・・・。

一番困るのは、ものの名前です。

あれなんって言うんだっけ・・・?

の連続でした。


まあ、そんな体験もなかなかないとは思いますが、
今回はシナリオ脳と小説脳の違いを嫌と言うほど
思い知らされました。

まあ、それで「小説としては不出来」という
ようなお言葉をいただいたのでしょう。

まさに、今の私の状態とぴったりで、
ちょっと空恐ろしくなりました~。(^^;)


でも、そんなことを言い訳として考えていたのですが、
それでもやっぱり上手い人が書けば、シナリオだって
一級品の文学作品になるし、
それはもうシナリオとか、小説とか形式ではないのかも
しれないなあ~・・・なんていうことも感じています。

私も上手になりたいなあ~・・・

でも、それには、これからもうんと勉強しなきゃいけないということで・・・
その道のりの遠さに、今、かなりげんなりしているところです。


(なーんてちょっとグチグチでした~)




☆それでは今日もよい一日でありますように。


小さなホン屋パモン堂





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第4回文の京文芸賞

2010年02月03日 | 日々つつがなし

昨日、第四回文の京文芸賞の授賞式がありました。

文の京文芸賞

大賞は竹本喜美子さんの「甕の鈴虫」でした。

「甕の鈴虫」


私の作品は、最終候補には残ったのですが、
結局賞を取れませんでした。
そんな私が、なんか授賞式にいってもなあ~(ブーブー)

とも思ったのですが、まあ、文芸賞の授賞式なんて行ったことないので、
何かの参考になるかも・・・と重い腰をあげて行って参りました。

行ってみると、竹本さんのスピーチがあり、
とても堂々としてらっしゃったので、
感心したりしていました。

そのあと、立食パーティがあり・・・

げっ、どうしよう・・・!
誰も知り合いいないし・・・と思っていたのですが、
他の落ち組の方と知り合い、審査員の先生方に挨拶などをしていました。

私の作品の批評も、パンフレットには載っており、
普段、自分の作品の評価なんて、本当にどこからも
入ってこない私としては、とてもありがたいことだなあ・・・と
思いました。

(批評がないと、この作品がいいんだか、わるいんだかすらも
分からないんですよね~・・・もしよければ、このブログを
読んでくださっている皆様も、なにかの拍子に、感想など
お聞かせ願えるととても嬉しいです)


私の作品は、

「小説としては不出来だが、文章の才能は認められる」という
嬉しいような、嬉しくないような・・・批評をいただきました。


それで、終わったあと、帰ってきてから、自分の作品を読み返して
みたんです。


普段、めったに自分の作品を読み返すことはないんですよね、私。

その時は、もうゴールに向かって全力疾走なので、
全部出し切ったという思いがあるのです。

それをまた修正したりしていると、違うものになってしまうので、
そしてまたその不出来さを突きつけられるのが、辛いので・・・
まあ、避けているんですね。

でも昨日はさすがに、逃げてばかりもいられずに、
読み返してみたというわけです。

そうしたら、う~ん・・・なるほどね。
確かにこりゃ、小説としては、体をなしていないかもしれないなあ・・・
なーんて反省してしまいました。


自分の弱点もなんとなくですが、見えてきたような・・・。

(やっぱり批評はありがたいですね)


帰り道、地下鉄の入り口が分からずに、
東京ドームを一周してしまったことも
よい思い出でした。


まあ、元気出して頑張りましょう。




☆それでは今日もよい一日でありますように。


小さなホン屋パモン堂
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