喧嘩をしてしまいました。
安くていいところがあったのですが、
いかんせん、そこは二車線道路の側にあり、
車の運転が苦手な私では、そこはちょっと無理なのです。
しかし、子どもは、「固いよ、固く考えすぎだよ」とボソッといい、
それが私の逆鱗に触れたのです。
と言うのも、運転が苦手で、二車線が走れない私にとって、
いくら安いからと言って、自分の身を危険な目に遭わせることはできません。
人は、いくらでも、他人に、いい風に云うんです。
「大丈夫、簡単だよ」と。
けれど、それが苦手な人にとって、簡単なことではないのです。
命がけな事だってあるのです。
というのも、私もそれを真に受けて、運転していて、
一度ぶつけてしまったことがあり、
それ以来、他人の言葉に乗らないようにしているのです。
友達を送るところだったのですが、その友達は、
さんざん私に運転させておいて、事故を起こした私に対して、
なんの謝りもせずに、当然だというように、降りていってしまったのです。
そういう非常識な人たちもいるので、私はこと運転に対してだけは、
たとえ身内といえども、甘言には乗らないようにしています。
そのことをまた子どもに言われたので、切れてしまったのです。
なんで、そんな事を言うんだと。
なら、お前が免許を取って、運転すりゃあ、いいじゃないかッ!
人に運転してもらうのに、よくそんな事を言えるなと。
まあ、次に見に行った、元の自宅に近くの一車線の裏道にある、しょぼい
トランクルームに決めたんですけど。
そこなら、私の運転の負担もないので。
そうしたら、帰り道、息子が私に謝ってきました。
自分はお母さんが去年、お父さんとそう(離婚)なったとき、
何にも言ってあげられなかった。
お母さんの話も聞いてあげられなかった。
そして、今日も無理にさせようとして、悪かったと。
だから、トランクルーム代とレンタカー代は自分が持つよと、そう言ってくれました。
(当たり前だと思いましたが・・・)
私は、レンタカー代はいいよと、
その代わり、来年入ったらすぐに免許を取ってくれと言いました。
でなければ、田舎では暮らしていけないのです。
向こうでも運転手役なんてごめんです。
自活してもらわなければ・・・。
結局、この年末のどん詰まり
30日に、元の自宅から、子どもの荷物と私の残してきた荷物をトランクルームに移して、
来年の引っ越しの前まで預けるつもりです。
そして、その日からこの一間しかないアパートで、息子と同居です。
仕事もあるのに、一体どうしたらいいのだろう…と戦々恐々としています。
息子は、殊勝にも、自分が日中は家を出ると言っていますが(居候だから)、
どうなりますことやら・・・。
外に出ると、今、コロナもあるので、心配ですよね。
困ったものです。
向こうでの病院、二軒から連絡あり。
一軒は、一人年末に希望者がいるから、
期待しないでくれ、ということでした。
もう一軒は、履歴書を送ってくれと。
出来れば、最初の病院の方がいいのですが、
ちょっと無理かな~・・・。
まあ、いずれにせよ、就職が決まれば、
万々歳です。
私は、仕事に向き合わなければ・・・。
☆それでは今日もよい一日を。
風の時代になって、より一層スピリチュアルなことが身近になってきている気がします。
よく言われる、統合という意味が、言葉だけが独り歩きしている気がして、
一体どういう意味だろうと思っていたのです。
けれど、ようやく、
あ!そっか!?と分かったことがあったのです。
女性性と男性性の統合とは、ようするに、
アメとムチなのです。
人間、優しいばかりでは駄目で、
そして、厳しいばかりでも駄目なのです。
優しさも厳しさもバランスよく持ち合わせているのがよくて、
それが男性性と女性性のと統合ということなのです。
本来、女性なら、女性性を、
男性なら、男性性を自然と持っている物ですが、
そればかりだと、人間性の深みが出ないし、幅が広がらないのです。
自分とは違う性の性質を取り込むことで、人はより成長するものなのだと思いました。
例えるなら、女性なら、優しいばかりでなくて、ときに厳しさも必要であり、
自分を守ることも大切になってくるのですが、自分の中で、男性性を取り込まないと、
いつまで経っても、男性に守ってもらおうとばかりしてしまうということ。
男性なら、強くてたくましいのはいいのですが、それが裏目にでると、
人から恐れられたり、常に戦いを挑まれたりするようになってしまう。
どこか優しさがないと、他人からも好かれません。
そういうような事なのだと気づきました。
まあ、遅いけど・・・。
なので、女性性と男性性の統合とは、一言で言うと、
アメとムチのような人になる、ということ、
バランスの取れた人になるということだと、
ようやく理解したのでした。
☆それでは今日もよい一日を。