私のだらしな日記

「更科日記」ならぬ、私の〝だらしな〟日記。(^^;)
日々のどーでもいい事を、だらだらと綴っていきます。

キリギリスでも、豊かに生きられる社会を

2022年02月14日 | 日々つつがなし
イソップ物語で有名な

「アリとキリギリス」のお話ですが、

あれ、キリギリスが老後、豊かにならなければならないですよね。

だって、キリギリスって、芸術家なんです。

つまりは、俳優さんや女優さん、はたまたミュージシャンだったり、画家だったり、作家だったり、映画監督だったりするんですよ。

ダンサーしかり…。

まあ、ありとあらゆる芸術方面で、人々を楽しませてくれた人たちなんです。

その人たちが、何で遊んでいると言われ、老後、悲惨な目に遭わなければならないのですか?

おかしいじゃないですか。

我々は彼らのパフォーマンスや作品によって、癒されたり、勇気づけられたり、楽しませてもらったりと、次への活力を得ているんですよ。

それなのに、彼らの晩年をあざ笑うとは。


私はキリギリスにこそ、老後の補償を最大限つけてやるべきだと思いますね。

彼らこそ、自分の生活を犠牲にしてまで、他人を喜ばせる事に特化した、素晴らしいエンターティナー達なんですから。

その活動に敬意を表するのが当たり前だと思うのですが。

いかがでしょう。



☆それでは今日も良い一日を。


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でも…

2022年02月14日 | 日々つつがなし
私にとって、自分自身を諦めるなんて出来ない。

私は今世、自分のこれまでの集大成としてこの世に降り立ってきたのだ。

そうして、一つでも多くの作品を残そうと考えてきたのだ。

いわば、自分の足跡を残そうと思っているのだ。

それが、第一義としたら、結婚は正直、どうでもいい事だ。

一緒に暮らしたかったら、暮らせばいいし、無理なら別居でも構わないだろう。

結婚と言うものが、必ずしも一緒に暮らすことや、いつも、べったり居なければならないと言う事でなければ、それでもいいかもしれない。

カップルの数があるだけ、それぞれの結婚の形があってもいいのかもしれない。

恋愛はずっと一緒にいることが、愛の証だろうが、
それを過ぎると、たいていが相手を疎ましく思うものだ。

それならそれでいいのかもしれない。

子供がいればまた違ってくるだろうけれど、今の私には子供はいない。

復職した息子は、また一つ大きく成長したのだ。

有り難い事だ。

彼が巣立つのもそろそろだろう。

本当はちょっぴり寂しいけれど、私も一人で立っていかなければならないと覚悟を決めている。

私は一人。

一人で生きていく。

そうして、パートナーが出来たら、またそれはそれで、考えればいい。

それでいいのではないかと、そう思いました。


☆それでは今日も良い一日を。


メチャクチャ、わがままな生き方やな〜!
と思います。自分でも。




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昨日、あの方にそっくりな人に会った

2022年02月14日 | 日々つつがなし
ちょうど、息子と二人でパン屋さんに入ろうと駐車場場に車を停めた時に、店から出てきて、

私たちを見ると、慌てた感じでまた、中に戻ろうとしていた。

その、マゴマゴした態度に、変だな?と違和感を感じはしたものの、ああ、中に奥さんか誰か居て待っているんだな?と思っていた。

私は、もしかすると私たちの車が何か彼の車に粗相をしたのかな?と思い、しばらくゆっくり歩いて店に入ったのだが、彼は店から出て、店外のイートインでサンドイッチか何かをパクついていた。

一人で、パン屋の外でパンを頬張るその姿に、何故か侘しさを感じ、孤独な人なのかな?と思った。

彼の手足の長い、ほっそりとした姿が、あの方に似てなくもないなと。

しかも、その寂しさを漂わせている姿が余計似ているなぁと思った。

彼は孤独な人でしたから。


店に入ると、客は誰もおらず、あの人は一人で来ていたんだと思った。

私たちが買い物を済ませて出てくると、目の端にチラリとその男性の姿が見えたが、気にしなかった。

駐車場にいるので、まだ帰っていなかったのかと驚いたくらいだ。

車を見ると、グレーの普通車。特に可もなく不可もないと言った感じ。

観光客かとも思ったが、雰囲気から察すると、仕事で島外から来た内地の人なのだろう。

線の細い感じが似ているなぁと思った。

帰ってきてから、妹とLINEで話しをしていた時、ふとその話題をして、妹から、双子の兄弟なんじゃない?と言われた。

私は、まさか、もし彼だとしたら、生き霊じゃない?と返した。

それでふと、本当にそうかも…と思った。

と言うのも、以前、彼にそっくりな衣装を着た男性に会った事があったのだ。

その時、12月の関東にも関わらず、Tシャツに半ズボン、足元はビーサンという格好で、大雨の中歩いてきていた。

その姿は夏に見た、島での彼の姿にそっくりだったのだ。

それは私が彼のことを忘れようと考えていた時だった。

まるで、僕の事を忘れないで、と言われているような気がした。

昨日は、またその現象が起きたのかも知れなかった。

彼と似た人を見えない誰かが配して来たのだと。


奇しくも昨日は、母の命日で、お墓参りをして来た後だった。

先週は関東へ行き、一泊だけ元の自宅へ泊めてもらい、元夫の優しさに触れ、よりを戻してもいいなぁと思っていたのだ。

もう、彼の事を忘れようと。

そのつもりでいたのに…。

また、生き霊飛ばしてきやがった!
と思った。

しかも、今日はバレンタインデー。

2年前の今日、あの人と最後に言葉を交わしたのが、電話口でだった。

それで、私は、こりゃダメだと見切りをつけ、それでも最後に思いを伝えようと、チョコレートを送ったのだ。

思いの丈を綴った手紙を添えて。

あれから2年か…。

早いものだなぁ。

なんの返事もなく、今日まできたけれど、そんな中、またあの人に似た人に出会うなんて…。

不思議なものですね。


昨夜、また占い動画を聴きながら寝てしまったようで、気づくとこんな事を言われた。

あなたの望みはなんですか?
あなたの本心からの望みはなんですか?

例えば結婚が望みだとして、本当にその形を望んでいるのか?

外側を外していって、核となるあなたの本音はどこにあるのか?

自分が一番良いような形を作ればいい。

それが世間的には受け入れられないとしても、自分の本心に従って生きればいい。

それが一番大切な事だから、

と。


あまりにショッキングな内容だったので、目が覚めて、もう一度、初めから聞き直していたら、また寝てしまい、気づくと、おんなじ箇所になっていました。

どうやら、どうしてもこの事を伝えたかったらしいです。

高次の魂が。

おそらく、ハイヤーセルフが。

たしかに、私、この所、気持ちが揺さぶられ、
彼に行くか、元夫に戻るかと悩んでいたのです。

元夫に戻るのは簡単です。

27年の結婚生活、同棲を含めると、30年の同居生活なので、いとも簡単に夫婦となれるでしょう。

それはまるで昨日まで一緒に住んでました、というくらい優しいものです。

けれど、彼とは第一、連絡が取れないし、大体気持ちが分かりません。

とは言っても、断続的に彼の気持ちは伝わってはくるし、毎日浴びるように聞いている、占い動画からも分かります。

しかし、実際には何の変化もありません。

それに、彼とは遠くに離れているし、
町で偶然会うということもないでしょう。

私は彼の連絡先すら知らないし、そもそも、世間的に見ると、私と彼とは何の関係もないのです。

私はこの2年半、彼に恋焦がれて来ました。あたかもそれが自然な事のように。

いつか彼と一緒になる気がしていました。

けれども、それは叶いませんでした。

何度も、何度も諦めようとしましたが、それも出来ませんでした。

そうして、今、私は岐路に立たされています。

元夫か、彼かと。

けれど、ハイヤーセルフは、どちらでもない、つまり、結婚という形ではない別の生き方でもいいのではないかと言うのです。

たしかに、私はもう結婚したくはありません。

元夫と、よりを戻すと言っても、またお金の事で、やいの、やいの、言われるのは嫌です。

私は自分で稼いで生きていきたい。

それが無理なら、今あるお金で細々とやりくりしながら、何とか本を書いていきたいのです。

それが私の願いです。

だから、よりを戻しても、生活費は別になるだろうなと思っていました。

でも、そうすると、私の出費も多くなり、私の方が不利になるのは、どうしても否めません。

微に入り細に入り、家を預かっていると、目に見えないお金が掛かってくるからです。

定期収入のない私には、結婚生活を維持するだけの財力はありません。

けれど、夫に全面的に頼ると、また人間関係が不平等になってしまう。

私が家庭内で奴隷のようになってしまうのです。

それは彼との生活でも同じことでしょう。

私は生活費という対価の代わりに、労働力や気遣いや気働きなどを提供しなければなりません。

それは私にとって、しんどい事なのです。

私はもう、自分の事だけに全力投球しようと思って、わざわざ離婚までしたのに、またおんなじ事を繰り返すのかと。

それは嫌です。

恋愛は楽しいでしょう。
華やかでしょう。

けれど、その後に待っている結婚生活は自分の半分以上を捧げないといけない。

そう思うと結婚って何だろうと思います。

私は死ぬ時まで、自分でいたい。

誰かの奥さんやお母さんでいたくないのです。

私には、一個人としての名前があります。

私は残りの人生をこの一個人として、生きたいのです。

誰でもない、自分自身として。

自分の人生の主人公として、生きたいのです。

それが私の願いです。

連絡もない彼との次の人生を考えるのも、ちゃんちゃらおかしい事ですが、

もし、彼とそうなっても、否そうなったら、それだけは決して忘れてはいけない事かと思いました。


私にとって、結婚とは、同居することでも、家計費を一緒にしたり、または別々にする事でもありません。

私にとって、結婚とは…?

一体何なんでしょうか?


昔はありました。確固たるものが。

それは、私たちがまだ家族だった頃。一丸となって世間に立ち向かっていました。

けれど、子供が育ってしまった今、それもなくなりました。

そうなった時、夫婦とは、結婚とは、二人で向き合わなければならなくなりました。

今の私にとって、結婚とは一体、何なんでしょうか?

それが、今回の本のテーマでもあり、自分自身の生き方のテーマにもなるんでしょうね。

そう思います。


そして、答えはまだ、見つかりません。





☆それでは今日も良い一日を。






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