昨日の友だちとの諍いを思い出して、気がついたことがあった。
それは、人が人を求める時の心理だ。
プラトンが「饗宴」の中でも言っていたように、
私たち、人間は、元は一つの魂から二つ、ないし、三つに別れた魂なのだそうだ。
そうして、自分の片割れを地上に降りてから探すのだ。
いわば自分の半身を、人生をかけて見つける旅路をしているというのだ。
時に私たちが、孤独にさいなまれるのも、誰かを求めて愛し合うのも、
すべて、自分の片割れを探す所以だからだ。
自分の半身なので、どうあがいてもぴったりくる。
自分の意見が、一致する相手と居られるなんて・・・とても
ラッキーなことではないか。
だって、私たちは、自分を理解してもらえない人たちの間で、
時に傷つき、時に泣き、時に怒り、時に悲しみと、
四苦八苦している存在なのだから。
家族や兄弟姉妹、恋人、配偶者、子供、孫・・・などの身内でも、
なかなか意見がぴったりくるなんてことはないのだから。
けれど、そうは思いながらも、私たちは、自分の片割れ、
自分とそっくりな、同じ考えを持つ相手を探し求めているのだ。
そうして、そうした相手と身も心も一つになりたいと思うのだ。
それを「運命の人」と呼んだり、今ならさしずめ「ツインレイ」と呼ぶのだろう。
昨日の仲たがいした友達との会話を思い出していて、
彼女は、いつも自分とぴったりくる相手を探していたのではないか?と
思い当たった。
最初の夫も、ぴったりこず、離婚。
次々と変えていった恋人たちとも、
おそらくぴったりこなかったのだろう。
子ども達とも疎遠。
ま、そもそも、子どもが親のいう事など聞かぬのは、
全員が知っていることだろう。
もう、五十も過ぎて、これからの人生を考えると、
男はこりごり・・・。
となると、残りは友達だけだけど、
そこで私のような離婚経験もあり、年も近い同性の友だちに
白羽の矢が立ったのだろう。
そもそも、彼女とは学生の時からの友だちで、
私は親友だと思っていた。
感性も意見もぴったりあい、まるで合いの手を打つように、
話が弾んだ。
今だって、貴重な友達だったと思う。
けれど、いつからか・・・?
そう、あれは、私が〝ツインレイ〟という存在を知り、
あの方がツインレイではないかと、彼女に相談した時から、
少しずつ溝が広がっていった。
それまでは、本当に仲の良い親友だった思うのだけれど、
私が、新しい恋愛をしはじめた時から、関係が壊れていったのだ。
それは、「まさか、パモンさんに・・・」という思いが、彼女の中に少なからず
あったからかもしれない。
私は、見た目も地味で、フツーのおばさんで、美しくもなく、
専業主婦を何年もやってきました、
というような内向きな人間に見えるからだ。
色気もなく、華もなく、なんでこんな人が、恋愛なんてするの?
いや、できるの? 何、勘違いしているの?
という気持ちが彼女の中であったのかもしれない。
もしくは、私だけは、そんな色恋沙汰から無縁なので、
安心して、いつでも頼れる母的な存在として感じていたのかもしれなかった。
何かあれば還れる場所、そんな風に私の事を思っていたのかもしれない。
だから、私が、あの方の事を話すと、とたんに機嫌が悪くなるし、
逆に、あの方が私の事なんて思う筈がないと言われたりもした。
また、彼の悪口を言われたことも。
会った事もない人の悪口なんて言えるはずもないのに・・・
それでも私に言ってくるのは、私の希望を打ち砕こうという事だったのかもしれない。
だとしたら、単純に、恋愛に無縁な私が、年下の男性に恋をしていることを、
羨ましく思い、嫉妬していたのかもしれない。
何も持っていない、と感じている彼女にとって、
私が最後の砦であり、私までもが居なくなってしまうのは、
とても寂しい事だったのだろう。
現に私が、こうして田舎へ戻ることを強烈に反対したのも、
彼女だった。
もう一人いるが、こちらは、私が居なくて悲しいというよりも、
自分の存在が否定されたように感じて、嫌みを言ってきたりしたのだと思っている。
そう考えると、彼女も、そうして、人類全体も、我々は、もう一人の自分、
〝ツインレイ〟を探す旅をしているとも言えよう。
いつか、自分にぴったりくる相手を探して、生きている。
彼女は、その役割を私に求めたのではないだろうか?
私と心を一つにしたい。
だから、私の心のすべてを自分にだけはさらけ出して欲しい・・・
そう願い、友達という事を笠に着て、
私に病気の告白を迫ったのだろう。
友だちなら、秘密を共有するのは当たり前だと言って。
けれど、もし私が、〝ツインレイ〟と出会って、
一緒になったとしても、言いたくないことは言わないし、
非難されたり、意見されたりするようなことは、
自分の中で守っているかな?
その辺りが、彼女にはよく分かっていないみたいだった。
どんな秘密を共有しなくても、人との付き合いには変わりない事だし、
相手のパーソナルスペースを尊重することは、自分を守る事でもあると思うのだが・・・。
とにかく、自分を私の中に入れろ、入れろと迫って来た。
まるで一体になりたいかのように。
それは、誰か、自分の運命の人とやってくれよ、と思う。
その人と身も心も一つになればいいだけであって、
友だちに強要することではないだろう。
けれど、人間って孤独だね。
存在自体が孤独なのだ。
だって、もともと一つだった魂が別れて、出来ているから。
強烈に一つになりたいと願うのだろう。
もちろん、私だって、自分は孤独だと思うし、
誰とも繋がっていないという寂しさも感じるけれど、
それでも、この孤独を引き受けていくつもりだし、
一人で生きていくつもりだ。
もちろん、周りの人達の助けも借りて、
なんとか自律して生きていきたいと思う。
人は皆、孤独なのだから、諦めて、自分の孤独に向き合ったらどうだろうか?
誰もあなたを持ち上げて、母のように繭に入れてくれる人はいない。
今世でツインレイに出会う予定がないのなら、今世では叶わない。
ツインレイと再会出来なければ、私は自分を律して、けれど、楽しく、自分一人の人生を
謳歌していこうと思っています。
寂しいからと言って、手近な人達に、依存したり、執着するのではなく、
しっかりと自分の足で立たなくっちゃ。
何のために、生まれてきたのか分からないではないですか?
それは夫婦でも親子でも同じなのではないでしょうか。
私たちの孤独は癒されない。
ツインが現れたら癒されるのかと言うと、
今のところ、出会っていない私には何とも言えない。
でも、癒されないのなら、自分自身で癒していくしか、
方法はないのではないかと思うのです。
私たちは、自分の半身を探し求める存在。
いつか出会えればラッキーだけど、
そうでなければ、一人で生きていかねばならない。
いつでも、どこでも、何をしていても、
自分だけは、味方だよ。
自分だけは、自分を裏切らないよ。
だから、〝半身〟を探すより、
自分自身を大切にしていった方がいいのではないか。
自分に夢中な人は、他人になんか関心を持たないのですから。
さあさ、自分の事をおやりなさい。
自分自身を高めていきましょう。
どうぞ、〇〇さん(友達の名)も幸せにね。
「幸せになれ!」
あなたも私も一人でちゃんと生きていきましょう。
そして、お互い依存し合わなくなったら、またお会いしましょう。
☆それでは今日もよい一日を。