もっと!なんかすいてた

岩手発グダグダ日記

長い手紙を。

2018年03月11日 22時46分45秒 | 日記
震災で亡くなった友達のヒトシ君へ



ヒトシ君と初めて会ったのは

俺がまだ20代初めの頃だったね

同級生のアキコから連絡があって

大槌の友達が事故で車いすの生活になって落ち込んでるから励ましに行ってほしい

笑わせてあげてほしい

…そういう無茶なお願いでした

その一言が無ければ

いや、もっと言えば

ヒトシ君がバイクで事故をおこしていなければ

俺達は出会ってなかったって事だ

何だか運命って言うのか、そういうのを感じるねぇ







内陸の俺の同級生数人と車2台で

ヒトシ君の家に、大槌に行った

初めて会う知らない連中に

ヒトシ君はあからさまに嫌な顔をしていたね

いやいや…俺も正直言って

こんな無茶なお願いをされて困っていたんだよね

今だから言うけれど。

事故で一生歩けなくなったという心の傷を

俺が行ってバカ騒ぎをして癒せるのかと思ったし

想像もつかないくらいのプレッシャーを感じていたよ

…でも

俺も意を決して

ズケズケとあなたの心の中に土足で上がり込んで

泥だらけのズックを脱いでバカ騒ぎをしました

その後、しばらく経って仲良くなってから笑いながら言ってたね

『アキコさん、とんでもないヤツを連れて来た』って。

あれさ、最高の褒め言葉って思ってる。

俺も無理してたんだもん。

褒めてくれなくっちゃ。







あの時、ヒトシ君は内陸の病院に入院していて

一時退院で大槌に帰って来ていた時でしたね

また少しして、病院に戻って行きました

ちょうどあの時の俺は

仕事もしてなくて、プー太郎で

暇を持て余していたから

毎日あなたの病室へ押しかけたね

嫌な顔をされてるのに

よくもまぁ毎日行ったものだと思ってる

なんだろうね

俺も若かったね。

そうした毎日を繰り返してるうちに

どんどん仲良くなって行ったね

俺がプー太郎で良かった。

運命のプー太郎だ。









あの頃はまだ

リハビリを頑張れば歩けるようになるとあなたは信じていて

でも俺は、お母さんやアキコから

二度と歩けないと知らされていたのでした

これもあなたに言うのは初めてです



ある日、お母さんから連絡があったのです

俺も仕事を見つけて毎日は病院に行かなくなっていた時です

ヒトシ君がどんなに頑張っても二度と歩けないという事実を知ってしまったと

車椅子で病室からいなくなってしまったと

自ら死んでしまうかもと

そういう連絡が来て病院へ飛んで行った事があった

古い話だからなのか

パニックになり過ぎていたのか

何だか記憶が途切れてるけど

あの時、どうなったんだっけ?覚えてる?

ただあれから、毎日会いに行って

夜中も車いすごとヒトシ君を誘拐してドライブをしたり

病院の廊下を車椅子でレースしたり

車椅子で段差を通過する練習を一緒にしながら

いつの間にかウイリー勝負したり

無茶苦茶やったよね

ウケるなあれ







リハビリ専門の病院に移ってからも

バカみたいに俺はチョイチョイ会いに行った

恋人同士でもあるまいし

なんだったろうね

会うべくして会う人が人生にあるのだとしたら

俺達もまさにそれだったね

兄弟のいないあなたと兄弟になったような

何だか上手い言葉が見つからないけど

そんなだよね。

あの病院でも外出許可も得ないで、病院から何度も連れ出したね

カラオケボックスとかね。

俺の車に乗せるのにお姫様抱っこしなくちゃならなくて

抱っこしてる時に俺にキスをしてきて

落っことしそうになったな

思い出すと泣けるな。

涙が出て来るな。

津波がヒトシ君を殺してから

こんなに泣いたのは初めてだよ。

泣かないようにしてたのかな

我慢してたのかな

ホント、受け入れたくなかったんだよな死んだの。







リハビリ専門の病院を退院してヒトシ君が大槌に帰ってからは

あんまり会わなくなったけど

それでもたまに会えばウニをくれたり

デカい鮭をくれたり

そんなにしなくていいのに

とにかく何かをしないと気が済まない人で

それはお父さんも、お母さんもそうで

ヒトシが死ななかったのは俺のお蔭だとか

大袈裟な事を言ってやたら感謝してさ

沿岸の人ってさ

口調が強くて怖い感じがしてたけど

心のいい人ばかりなのな。







お母さんが急に亡くなった時も

あんなに世話になったのに俺はスグに行かなかった

なんかゴメン。なんでスグ行かなかったんだろう。

アレ、謝りたかったのに言えなかった。ゴメン。

ゴメンって思った時にスグに言わないとダメな。

こんな気持ちになるんだな。

ごめん。






津波の日

7年前の今日

地震のスグあとにメールして

今、思うと呑気な内容で

『大丈夫?』

『津波が来てるってよ?』

『ちゃんと逃げたよね?』

ってさ。

それどころじゃなかったんだよね

車いすをのせて、お父さんと、ワンちゃんと車に乗って

津波から逃げようとしてたんだよね

どんなに怖かったんだろうと

想像もつきません。








7年だって

そんなに会ってないのかウチラ

なんか、車で2時間くらい行けば

会える気がしてる

でも到着する大槌の街は全然違っている

当然ヒトシ君の家もないし、あなたもいない

だからなのか、あんまり行きたくない

なんか

記憶から遠ざけるじゃないけど

見ないようにしてるというか

そんな風にやり過ごすしか方法を知らなくて。

ごめんね。

ただ、わかんねぇけど

しばらくぶりに会いたいなぁ、ヒトシ君

俺、会いたいわ。

あんなに不審者を見るように俺を見てたのに

付き合ってみたら人懐こい笑顔でさ

ゲラゲラ笑ってさ

あなたの下手くそなカラオケまた聞きたいよ

会いたいよ。








今度の土曜日

大槌に行くから。

カミさんと美味いもん食いに行く途中に

寄ってやるから。

仕方ねぇから行ってやるから。

本当は会いたいけどな

会いたいね。マジで。









長く書いたけど

何かが足りてなくて

何かを書きすぎた

いつか大槌の『風の電話』っていう電話ボックスから

ヒトシ君に電話をしようと思って行ったのに

受話器を取ったのに

なんにも言葉が出なかった

その時に言いたかった事を書けたかな

わかんねぇな

たださ、会いたいって言いたかったのかな

なんだろうな

ありがとうも

ごめんねも全部かな。

また手紙を書いたらごめんね。

長いのに読んでくれてありがとうね。

失礼な俺でホント、ゴメンね。







合掌。
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ナンジャモンジャ

2018年03月11日 07時02分45秒 | 日記







このカードゲーム

面白そうです

遊びたい

そして

イラストが可愛い

俺のツボにガンガンくる

これ、親戚の子たちと遊んだら

盛り上がりそうだし

大人でもメチャクチャ楽しそう






昨日の夕飯の買い物でスーパーに寄ったら

中学の頃の同級生にバッタリ会った

奥さんと歩いていた

なんか、カッチョイイ革ジャンを着て

シュッとしてて

とってもオシャレな感じだった

俺、あんなカッチョイイ服を一つも持ってないし

シュッとしてない

そして俺は仕事帰りで

親方ジャンバーを着てたし

暖パンも穴だらけでヨレヨレだった



『よっ!しばらくだね!』

爽やかな挨拶をされた

『あ~こんばんは~』

ってそれだけだったけど

なんだろうね。

きっと彼は、ナンジャモンジャで遊びたいとは

1ミクロンも思わないんだろうな。

ナンジャモンジャの白も欲しいなぁとか

思わないんだろうな













ナンジャモンジャってこんなゲームです

面白そうでしょ?
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3.11

2018年03月11日 06時22分04秒 | 日記
あの日、友達とそのお父さんが亡くなった

何度も何度も大槌町に行ったけれど

昔の記憶よりも

お寺に行っている方の記憶が強くなっちゃって

それから壊れたままの町役場と

かさ上げして更地になった、新しい町の始まりと

なんか、上手く言えないけれど

そんな光景が今の大槌町ってイメージになっちゃったな

俺が思ってる、記憶の中のあの素敵な町は

どこに消えたんだろう





毎年、この時期には大槌に行っていたけど

今年も全然意識してなかった

いや、正直に言うと心の隅っこでは思ってたのだけれど

11日近辺で休みは取れそうにないから

まぁ、いつでもいいかと思っていたわけで。

『今年は大槌に行けそうですか?』とカミさんに言われ

『休み取れないし、いいよ』って答えた

俺の中であの震災が風化してるんじゃなく

3月11日は絶対に大槌に行く!

っていう『絶対』を休む

17日あたりに

海の物でも食べに行ったついでに

友達に線香でも…って感じで。

って言うか、うん。

震災の話、苦手だ。







友達の事はどこかでまだ生きていると思っている

アイツが、あのお父さんが死ぬわけないと思ってる

でも、引き上げられた車の中に二人の遺体があって

棺に入れて、ワンボックスの車に乗せて

火葬まで行ったのに

何だか冗談としか思えなくてなぁ

ってこんな風にね

一回、整理がついたつもりでいた気持ちが

またモヤモヤと変な形になってくから

ちょっと苦手だわ






そして彼ら以外にも多くの人が亡くなって

まだ遺体も見つかていない方が大勢いて

元の暮らしとは程遠い生活をされてる方が大勢いて

大好きな街にも戻れない方々がいて

俺は何を言えばいいのかと

分からなくなる

ただただ

今日も明日も明後日も

アホで呑気な事をブログに書いて

愚痴をこぼして

そうやって生きてる

許しておくれ。

俺がこうやって好き勝手にやってる事も

どこか回り回って誰かのためになっていて

誰かの元気や小さな笑顔のきっかけになってくれてたら

それが俺の出来る小さな事だと思ってください

あの震災の事を、ちょっぴり忘れるふりをしたり

11日に大槌に行かなかったり

それも俺の中の微妙な調整です。



世間が少し落ち着いた17日あたりに行ってきます






上手く書けなくて

不快に思われた方もいるかもしれないけど

お許しくださいませ。



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