震災で亡くなった友達のヒトシ君へ
…
ヒトシ君と初めて会ったのは
俺がまだ20代初めの頃だったね
同級生のアキコから連絡があって
大槌の友達が事故で車いすの生活になって落ち込んでるから励ましに行ってほしい
笑わせてあげてほしい
…そういう無茶なお願いでした
その一言が無ければ
いや、もっと言えば
ヒトシ君がバイクで事故をおこしていなければ
俺達は出会ってなかったって事だ
何だか運命って言うのか、そういうのを感じるねぇ
内陸の俺の同級生数人と車2台で
ヒトシ君の家に、大槌に行った
初めて会う知らない連中に
ヒトシ君はあからさまに嫌な顔をしていたね
いやいや…俺も正直言って
こんな無茶なお願いをされて困っていたんだよね
今だから言うけれど。
事故で一生歩けなくなったという心の傷を
俺が行ってバカ騒ぎをして癒せるのかと思ったし
想像もつかないくらいのプレッシャーを感じていたよ
…でも
俺も意を決して
ズケズケとあなたの心の中に土足で上がり込んで
泥だらけのズックを脱いでバカ騒ぎをしました
その後、しばらく経って仲良くなってから笑いながら言ってたね
『アキコさん、とんでもないヤツを連れて来た』って。
あれさ、最高の褒め言葉って思ってる。
俺も無理してたんだもん。
褒めてくれなくっちゃ。
あの時、ヒトシ君は内陸の病院に入院していて
一時退院で大槌に帰って来ていた時でしたね
また少しして、病院に戻って行きました
ちょうどあの時の俺は
仕事もしてなくて、プー太郎で
暇を持て余していたから
毎日あなたの病室へ押しかけたね
嫌な顔をされてるのに
よくもまぁ毎日行ったものだと思ってる
なんだろうね
俺も若かったね。
そうした毎日を繰り返してるうちに
どんどん仲良くなって行ったね
俺がプー太郎で良かった。
運命のプー太郎だ。
あの頃はまだ
リハビリを頑張れば歩けるようになるとあなたは信じていて
でも俺は、お母さんやアキコから
二度と歩けないと知らされていたのでした
これもあなたに言うのは初めてです
…
ある日、お母さんから連絡があったのです
俺も仕事を見つけて毎日は病院に行かなくなっていた時です
ヒトシ君がどんなに頑張っても二度と歩けないという事実を知ってしまったと
車椅子で病室からいなくなってしまったと
自ら死んでしまうかもと
そういう連絡が来て病院へ飛んで行った事があった
古い話だからなのか
パニックになり過ぎていたのか
何だか記憶が途切れてるけど
あの時、どうなったんだっけ?覚えてる?
ただあれから、毎日会いに行って
夜中も車いすごとヒトシ君を誘拐してドライブをしたり
病院の廊下を車椅子でレースしたり
車椅子で段差を通過する練習を一緒にしながら
いつの間にかウイリー勝負したり
無茶苦茶やったよね
ウケるなあれ
リハビリ専門の病院に移ってからも
バカみたいに俺はチョイチョイ会いに行った
恋人同士でもあるまいし
なんだったろうね
会うべくして会う人が人生にあるのだとしたら
俺達もまさにそれだったね
兄弟のいないあなたと兄弟になったような
何だか上手い言葉が見つからないけど
そんなだよね。
あの病院でも外出許可も得ないで、病院から何度も連れ出したね
カラオケボックスとかね。
俺の車に乗せるのにお姫様抱っこしなくちゃならなくて
抱っこしてる時に俺にキスをしてきて
落っことしそうになったな
思い出すと泣けるな。
涙が出て来るな。
津波がヒトシ君を殺してから
こんなに泣いたのは初めてだよ。
泣かないようにしてたのかな
我慢してたのかな
ホント、受け入れたくなかったんだよな死んだの。
リハビリ専門の病院を退院してヒトシ君が大槌に帰ってからは
あんまり会わなくなったけど
それでもたまに会えばウニをくれたり
デカい鮭をくれたり
そんなにしなくていいのに
とにかく何かをしないと気が済まない人で
それはお父さんも、お母さんもそうで
ヒトシが死ななかったのは俺のお蔭だとか
大袈裟な事を言ってやたら感謝してさ
沿岸の人ってさ
口調が強くて怖い感じがしてたけど
心のいい人ばかりなのな。
お母さんが急に亡くなった時も
あんなに世話になったのに俺はスグに行かなかった
なんかゴメン。なんでスグ行かなかったんだろう。
アレ、謝りたかったのに言えなかった。ゴメン。
ゴメンって思った時にスグに言わないとダメな。
こんな気持ちになるんだな。
ごめん。
津波の日
7年前の今日
地震のスグあとにメールして
今、思うと呑気な内容で
『大丈夫?』
『津波が来てるってよ?』
『ちゃんと逃げたよね?』
ってさ。
それどころじゃなかったんだよね
車いすをのせて、お父さんと、ワンちゃんと車に乗って
津波から逃げようとしてたんだよね
どんなに怖かったんだろうと
想像もつきません。
7年だって
そんなに会ってないのかウチラ
なんか、車で2時間くらい行けば
会える気がしてる
でも到着する大槌の街は全然違っている
当然ヒトシ君の家もないし、あなたもいない
だからなのか、あんまり行きたくない
なんか
記憶から遠ざけるじゃないけど
見ないようにしてるというか
そんな風にやり過ごすしか方法を知らなくて。
ごめんね。
ただ、わかんねぇけど
しばらくぶりに会いたいなぁ、ヒトシ君
俺、会いたいわ。
あんなに不審者を見るように俺を見てたのに
付き合ってみたら人懐こい笑顔でさ
ゲラゲラ笑ってさ
あなたの下手くそなカラオケまた聞きたいよ
会いたいよ。
今度の土曜日
大槌に行くから。
カミさんと美味いもん食いに行く途中に
寄ってやるから。
仕方ねぇから行ってやるから。
本当は会いたいけどな
会いたいね。マジで。
…
長く書いたけど
何かが足りてなくて
何かを書きすぎた
いつか大槌の『風の電話』っていう電話ボックスから
ヒトシ君に電話をしようと思って行ったのに
受話器を取ったのに
なんにも言葉が出なかった
その時に言いたかった事を書けたかな
わかんねぇな
たださ、会いたいって言いたかったのかな
なんだろうな
ありがとうも
ごめんねも全部かな。
また手紙を書いたらごめんね。
長いのに読んでくれてありがとうね。
失礼な俺でホント、ゴメンね。
合掌。
…
ヒトシ君と初めて会ったのは
俺がまだ20代初めの頃だったね
同級生のアキコから連絡があって
大槌の友達が事故で車いすの生活になって落ち込んでるから励ましに行ってほしい
笑わせてあげてほしい
…そういう無茶なお願いでした
その一言が無ければ
いや、もっと言えば
ヒトシ君がバイクで事故をおこしていなければ
俺達は出会ってなかったって事だ
何だか運命って言うのか、そういうのを感じるねぇ
内陸の俺の同級生数人と車2台で
ヒトシ君の家に、大槌に行った
初めて会う知らない連中に
ヒトシ君はあからさまに嫌な顔をしていたね
いやいや…俺も正直言って
こんな無茶なお願いをされて困っていたんだよね
今だから言うけれど。
事故で一生歩けなくなったという心の傷を
俺が行ってバカ騒ぎをして癒せるのかと思ったし
想像もつかないくらいのプレッシャーを感じていたよ
…でも
俺も意を決して
ズケズケとあなたの心の中に土足で上がり込んで
泥だらけのズックを脱いでバカ騒ぎをしました
その後、しばらく経って仲良くなってから笑いながら言ってたね
『アキコさん、とんでもないヤツを連れて来た』って。
あれさ、最高の褒め言葉って思ってる。
俺も無理してたんだもん。
褒めてくれなくっちゃ。
あの時、ヒトシ君は内陸の病院に入院していて
一時退院で大槌に帰って来ていた時でしたね
また少しして、病院に戻って行きました
ちょうどあの時の俺は
仕事もしてなくて、プー太郎で
暇を持て余していたから
毎日あなたの病室へ押しかけたね
嫌な顔をされてるのに
よくもまぁ毎日行ったものだと思ってる
なんだろうね
俺も若かったね。
そうした毎日を繰り返してるうちに
どんどん仲良くなって行ったね
俺がプー太郎で良かった。
運命のプー太郎だ。
あの頃はまだ
リハビリを頑張れば歩けるようになるとあなたは信じていて
でも俺は、お母さんやアキコから
二度と歩けないと知らされていたのでした
これもあなたに言うのは初めてです
…
ある日、お母さんから連絡があったのです
俺も仕事を見つけて毎日は病院に行かなくなっていた時です
ヒトシ君がどんなに頑張っても二度と歩けないという事実を知ってしまったと
車椅子で病室からいなくなってしまったと
自ら死んでしまうかもと
そういう連絡が来て病院へ飛んで行った事があった
古い話だからなのか
パニックになり過ぎていたのか
何だか記憶が途切れてるけど
あの時、どうなったんだっけ?覚えてる?
ただあれから、毎日会いに行って
夜中も車いすごとヒトシ君を誘拐してドライブをしたり
病院の廊下を車椅子でレースしたり
車椅子で段差を通過する練習を一緒にしながら
いつの間にかウイリー勝負したり
無茶苦茶やったよね
ウケるなあれ
リハビリ専門の病院に移ってからも
バカみたいに俺はチョイチョイ会いに行った
恋人同士でもあるまいし
なんだったろうね
会うべくして会う人が人生にあるのだとしたら
俺達もまさにそれだったね
兄弟のいないあなたと兄弟になったような
何だか上手い言葉が見つからないけど
そんなだよね。
あの病院でも外出許可も得ないで、病院から何度も連れ出したね
カラオケボックスとかね。
俺の車に乗せるのにお姫様抱っこしなくちゃならなくて
抱っこしてる時に俺にキスをしてきて
落っことしそうになったな
思い出すと泣けるな。
涙が出て来るな。
津波がヒトシ君を殺してから
こんなに泣いたのは初めてだよ。
泣かないようにしてたのかな
我慢してたのかな
ホント、受け入れたくなかったんだよな死んだの。
リハビリ専門の病院を退院してヒトシ君が大槌に帰ってからは
あんまり会わなくなったけど
それでもたまに会えばウニをくれたり
デカい鮭をくれたり
そんなにしなくていいのに
とにかく何かをしないと気が済まない人で
それはお父さんも、お母さんもそうで
ヒトシが死ななかったのは俺のお蔭だとか
大袈裟な事を言ってやたら感謝してさ
沿岸の人ってさ
口調が強くて怖い感じがしてたけど
心のいい人ばかりなのな。
お母さんが急に亡くなった時も
あんなに世話になったのに俺はスグに行かなかった
なんかゴメン。なんでスグ行かなかったんだろう。
アレ、謝りたかったのに言えなかった。ゴメン。
ゴメンって思った時にスグに言わないとダメな。
こんな気持ちになるんだな。
ごめん。
津波の日
7年前の今日
地震のスグあとにメールして
今、思うと呑気な内容で
『大丈夫?』
『津波が来てるってよ?』
『ちゃんと逃げたよね?』
ってさ。
それどころじゃなかったんだよね
車いすをのせて、お父さんと、ワンちゃんと車に乗って
津波から逃げようとしてたんだよね
どんなに怖かったんだろうと
想像もつきません。
7年だって
そんなに会ってないのかウチラ
なんか、車で2時間くらい行けば
会える気がしてる
でも到着する大槌の街は全然違っている
当然ヒトシ君の家もないし、あなたもいない
だからなのか、あんまり行きたくない
なんか
記憶から遠ざけるじゃないけど
見ないようにしてるというか
そんな風にやり過ごすしか方法を知らなくて。
ごめんね。
ただ、わかんねぇけど
しばらくぶりに会いたいなぁ、ヒトシ君
俺、会いたいわ。
あんなに不審者を見るように俺を見てたのに
付き合ってみたら人懐こい笑顔でさ
ゲラゲラ笑ってさ
あなたの下手くそなカラオケまた聞きたいよ
会いたいよ。
今度の土曜日
大槌に行くから。
カミさんと美味いもん食いに行く途中に
寄ってやるから。
仕方ねぇから行ってやるから。
本当は会いたいけどな
会いたいね。マジで。
…
長く書いたけど
何かが足りてなくて
何かを書きすぎた
いつか大槌の『風の電話』っていう電話ボックスから
ヒトシ君に電話をしようと思って行ったのに
受話器を取ったのに
なんにも言葉が出なかった
その時に言いたかった事を書けたかな
わかんねぇな
たださ、会いたいって言いたかったのかな
なんだろうな
ありがとうも
ごめんねも全部かな。
また手紙を書いたらごめんね。
長いのに読んでくれてありがとうね。
失礼な俺でホント、ゴメンね。
合掌。