チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「滝廉太郎『花』の組成と素性/光源氏36歳春、3月から4月の物語」

2010年04月04日 22時46分23秒 | toneナリノ曲ハヨク歌曲ウ歌謡曲ダ
久々に中山競馬場に行ってきた。今日4月4日は、
[春分のあとの満月過ぎの日曜]、すなわち、
今年の復活祭の日である。今年は、
東方も西方もおんなじ今日である。
オソロイ、なのである。であるからして、
中山競馬メインレイスである「ダービー卿チャレンジトロフィー」を、
ゾロメがきそうな4枠の枠連1点だけ買った。そして、
的中させてしまった。27.3倍。このように、
中山競馬場の桜を観にいった「ついで」に
馬券も当たるなんて、新年度も
いいスター トがきれたことである。ところで、さっき、
TVで3/4中国人の優木まおみ女史が
「睫毛」を読めず、「そのような毛」とか、単に
まつげーるだけでなく、しまいには言うにことかいて、
「ていもう(=剃毛)」
と言い捨てた。ブラジリアンワックスの敵である。
税金で補助されてる国立大の
教育学部国語学科を出ても、
その恩を還元する職にも就かず、
居酒屋の便器に顔をつっこんで寝てしまったり、
じつに愛すべきキャラである。それにしても、
眞鍋かをり女史とともに
「フォッサマグナ」くらい知らないのは、
旧二期校の国立大の程度がわかるるというものである。

金曜日の夜、帰ってTVをつけたら、テレ東になってて、
「タケシのニッポンのミカタ」をやってた。勝間和代女史に
傾倒してる女性らを"カツマー"というんだそうである。
そのセミナーに通い、著書を買って読む。彼女らは
家賃6万5千円の安部屋に住んでても、
"教えに従って"月に3万円を書籍代に費やす。
箸さえきちんと持てなくても、目的達成までは、
欲しがりません勝間では、ってなもんである。だいたい、
「幸せってなんだろう」「意義ある生きかた」
「癒された」「元気をもらった」「今日はいいことがあった」
なんていう向きは、陥りやすい。が、
自己啓発なんて……それがすでに洗脳ということには
まるで気づかない。勝間女史の商売のお客さん、
いいカモである。せっかくある余暇や休日を
返上してまでも「3つの目標」なんていうのに費やす。

好きな和歌の中に、僧正遍昭の
[浅緑、糸よりかけて、白露を、玉にもぬける、春の柳か]
(拙大意)浅緑色の柳の芽が、まるで糸に撚りをかけて、
    透明な露を貫いて翡翠の美しい玉のように
    数珠つなぎになってるようである。そんな
    芽が張ってる春(=張る)の柳なことだなぁ
というものがある。当時、
平安遷都桓武天皇によって迎賓館的役割を担わされた2寺、
東寺と並び立ってた西寺を囲んでた堀端に植えられてた
柳を詠んだものだという。うちの横浜の家の庭にもあったが、
柳は湿地に適応する木で、根を張って倒れにくいため、
♪土手の、やなぎは、かぜまか、せー♪
故高田浩吉も歌ってたように、風にも強く、
川べりの護岸・防風に使われる。実際、
西寺があったあたり一帯は湿地帯だったらしい。
川べりに柳、はそのような理由でオキマリなのである。ともあれ、
柳の芽が張るのうららの隅田川にも柳や植えられてる。いっぽう、
現在の隅田川にはすでに4代将軍家綱の時代に桜が植樹された。
吉宗の代には100本の桜が植えられ、再度、
桜・桃・柳が各150本ずつ植え足され、
文化・天保年間にもそれぞれ植え足された。そして、
維新でぼろ儲けした、隅田川沿いに「旧安田庭園」がある安田財閥の
安田善次郎や、やはりアサヒビールの泡ビルの近くに別宅があった
大倉財閥の大倉喜八郎らによって、さらに植えられた。ちなみに、
この大倉別邸はもとは、天保の改革によって、美濃部茂育らとともに
追放された家斉の取り巻きのひとりである中野碩翁の別宅だった。
碩翁は家斉の側室お美代の方の養父であり、
逼塞を命じられてから籠ってたのがこの屋敷である。

さて、
桓武天皇の孫である遍昭が出家前、
良岑宗貞(ヨシミネのムネサダ)時代に作らせた倅のひとり、
素性法師(ソセイホウシ)の歌のひとつにこのようなものがある。
[見渡せば、柳桜を、こきまぜて、都ぞ、春の、錦なりける]
(拙大意)遥か向うを見渡せば、
    新緑色の柳と薄桃色の桜の花とが
    混ぜ合わさってる京の都が見えるでしょ。
    その都ってさ、その2色の糸を縦横に織った
    あたかもスーラかスィニャックの点描のような、
    春の風情の補色効果抜群の錦織じゃないですか
この歌をモトネタとしたのが、
[われにもの言ふ桜木を][われさしまねく青柳を]
[錦おりなす長堤に]
などという、まだ死後43年なので著作権が存在する
武島羽衣(又次郎)の「花」である。

また、
紫式部「源氏物語」第24帖。
3月20何日か、源氏は六条院春の御殿(辰巳の町)で
舟遊びを催す。隣の秋の御殿(未申の町)から中宮らが
舟に乗って池を渡ってくるのである。その中に、
女房らが連歌のように歌を連ねる場面がある。そのひとつが、
[春の日の、うららにさして、ゆく舟は、棹のしづくも、花ぞ散りける]
(拙大意)春の日の、雲ひとつないうららかに晴れた空から陽が
    池の水面に射して、あたかも印象派の絵画のような
    ゆらぎの中に、棹を挿して漕ぐ舟は、その棹の雫も
    桜がね、ぱっと散るかのような風情だったのねぇ
という歌がある。これを引用したのが、「花」の出だしである。
当時エゲレスから伝わったばかりのレガッタを早慶の学生らが
練習してたのである。しかし、
この歌はあくまで秋好中宮の無名の女房の作などではなく、
「作家」紫式部のものである。したがって、この
色恋沙汰イケメン好き作家のシモネタが折り込まれてるのである。
当時、舟の櫂を棹と言ったかどうかは知らないが、
棹はつまりサオである。スケコマシ光源氏の立派なサオである。かつ、
光源氏が太政大臣として絶頂期の話である。
胡蝶であって誇張ではない。

さらには、
[げに一刻も千金の]
には、
蘇軾(蘇東坡)の七言絶句「春夜」、
春宵一刻値千金
花有香月有陰
歌管樓臺聲細細
鞦韆院落夜沈沈
が敷かれてるのである。ちなみに、
蘇軾は西暦換算(1036-1101)の人であり、
素性法師の970年没説とは年代的接点はないし、ましてや、
いくら蘇生法師とはいっても、
イエスともまったく違う時代だが、紫式部の
(970年代説が有力-1010年代乃至1030年代)とは重なる。

ところで、
「花」の節を聴いたり思い浮かべたりすると、私は自然と
目頭が熱くなりジーンとしてしまう。
****♪ソーーソ・<ドー●ド│<レ>ド>シ>ラ・>ソーーー│
  >ミ<ソ<ド<レ・【<ミー<ソー│>レーーー・ーー●●】│
  >ソーーソ・<ドー●ド│<レ>ド>ラ<シ・>ソーーー│
  <レーーレ・レー<ミー│>ドーーー・ーー●●│
  <【【ソーーソ・ソー●>ミ│<ファーーファ・ファー●>レ】】│
  <ミーーー・>ラー<レー│>ソーーー・ーー●●│
   『ソーーソ・<ドー●ド│<レ>ド>シ>ラ・>ソーーー│
  <レーレ<ミ・<ファー>レー│>ドーーー・ーー●●』♪
「2番」では【】内が、
【<ミー>ドー│<レーーー・ーー●●】
となる。また、「3番」では【【】】内が、
【【ソーソー・ソー●>ミ│<ファーファー・ファー●>レ】】、『』内が、
『ソーーソ・<ドー<♯ドー│<レ<ミ<ファ<ソ・<ラーーー(フェルマータ)│
>ソーーソ・>レー<ミー│>ドーーー・ーー●●』
となる。じつに心憎いばかりの微調整である。そして、
フェルマータで溜めて→♪ソーーソ・>レー<ミー│>ドーーー・ーー●●♪
とあっけなく終わり、伴奏だけが後奏を、
****♪ドードー・<レー<ミー│<ファー<ラー・>ソー>ファー│
  >ミ●>ソ●・<レ●>ソ●│>ド●>ソ●●・<ド●●●♪
と弾く潔さである。ともあれ、滝廉太郎の
音楽に対する抜群のセンスが満ち満ちてる歌である。ちなみに、
滝の出自は江戸時代、高台院の甥木下延俊に始まる
日出木下家の家老も務めた武家である。
日出木下家の上屋敷は愛宕山下に、下屋敷は現在の
高輪プリンスホテルあたりにあった。今年は
庚寅の年だから、仮にまだ徳川幕府が続いてて
参勤交代が行われてるとしたら、日出木下家は
この4月に日出に向けて発つところだった。ともあれ、
女性2部合唱で歌われると、「花」は実に美しく、かつ、
かなしくて風情がある。このスタイルを真似たのが、
AKB48が歌う「桜の栞」である。AKBファンだけでなく、
子供のときにピアノや合唱をやってたという
巣鴨地蔵通り商店街に集うおばちゃんやおばあちゃんたち、
楽器を抱えて音大に通う学生さんらにとっても、
懐かしさを想起させる"心温まる"歌らしい。なにしろ、
***♪[ドー・ー>シ・・<ド<レ・<ミ>ド│<ソー・ーー・・ーー]♪
は、子供の頃にせっせと"おさらい"してた
バイエル77番、
***♪[ド>シ・<ド<レ・<ミ>ド│>ソー・ーー・・ーー]♪
("左手"のバスもよく似てる)
そのものなのであるから、懐かしさもひとしおである。
バイエル教則本の第77番のページに栞が挟んであったりする人も
いることだろう。最近のヘアスタイルの石川遼君と、木村佳乃女史と
結婚するらしい東山紀之の顔が区別できない拙脳なる私は、
バイエルなんて面白みのない曲ばかりだと、そのレッスンから
倍得るものなどあるはずもなく、すぐに頭が痛くなって
アスピリンが必要になる。
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