チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「『オーラ・リー』とベートーヴェンの耳」

2008年10月08日 01時09分50秒 | やっぱりリラだ! 百年経っても大丈夫
("Aura Lee" and Beethoven’s auditory nerve)

月曜は所用で観音埼まで出かけるついでに、昔から
横須賀の風景が好きだった母を乗せてドライヴをしてきた。
帰ってからそのお駄賃くらいよこすかと思ってたら甘かった。
「あなたの用事のついででしょ」
50歳のニートの倅を持っては母も気の毒である。ときに、
横須賀といえば小泉元首相のお膝元である。同人は
エルヴィス・プレスリー好きだそうなことである。ちなみに、
拙脳なる私は「エルヴィス様」と「エビス様」、そして、
「チャゲ&飛鳥」と「ハゲ&僅か」を聞き分けれない。
♪ラヴ・ミー、テンダー、ラヴ・ミー、スウィート。
 ネヴァー、レト・ミー、ゴウ♪
(拙大意:ナデナデしたって、ヨシヨシしたって。
     ボクをヒトリボッチで寝かせんといてぇな、おかぁん)
前後にrock(ロック)&左右にroll(ロウル)、
という船舶の揺れスタイルの「腰づかい」が
「sex」を想像させる、不道徳である、と、
「ハウンド・ドーグ」で全米の父兄から怒りをかったプレスリーは、
愛するマミーが侮辱されたと感じてたという。ちなみに、
旧世代の大ポップ歌手フランク・スィナトラは、
(皮肉と本音を織り交ぜて)
「真に歌が巧い歌手は俺とプレスリーしかいない」
と言ったとかいわなかったとか。そんな異端児が、
この「愛の歌」によって旧世代からも認められてくようになった、
ということなのである。ところで、
この「ラヴ・ミー、テンダー」は、
大内戦(南北戦争)時の1861年に世に出た
ミンストレル・ショウ・ソングが元歌である。
♪アズ・ダ、ブラックバード、イン・ダ・スプリング、
 (ビ)’ニース・ダ、ウィロウ・トリー、
  サッタンド・パイプト、アイ・ハード、ヒーム、
  スィング、スィング、オーラ・リー♪
(拙大意:ムクドリモドキが、春に、
     青柳ウイロウ(※)の下方に、
     さえずろうと枝にとまって、
     「オーラ・リー」を口ずさんでるのが聞こえる)
(※)willowはヒトのpillowとのダジャレ
これは「戦場」を想定してる曲である。
討ち死に必至の作戦遂行のつかのまの休憩中に、死を前にした
「ブラックバード(南軍の灰色の軍服を示す)=南軍兵」が、
故郷の「あの娘」を思い出してる悲歌なのである。
「オーラ・リーという実在の女性」というお噺は、おそらくは
作り話だろう。また、
aura=いわゆるオーラ、lee=ロバート・エドワード・リー、
というのが、オモテのカクシ題材、であり、
もうひとつウラがありそうである。
この「歌」の作詞者として名が残ってるのは、
ウィリアム・ホワイトマン・フォズディックという男である。
同人はオウハイオウ州スィンスィナーティ生まれの詩人・法律家
だという。スィンスィナーティいわゆるシンシナティは、かつて、
スパーキー・アンダースン率いる
ジョージ・フォスター、トウニ・ペレース→ダン・ドリーセン、
ケン・グリフィー・スィニア、ジョウ・モーガン、
スィーザー・ジェロニーモウ、
ジョニー・ベンチ、デイヴ・コンセプスィオーン、
ピート・ロウズ、トム・スィーヴァー、など、
“ダ・ビッグ・レッド・マシーン”のレッズが本拠地球場にしてた
「リヴァー・フロント・ステイディアム」
という名でもわかるとおり、オハイオ川沿いに発展した町である。
このオハイオ川以北が北軍、以南のケンタッキー州が南軍、
と、ここでは単純化して話を進める。
シンシナティは南北戦争では北軍についた。そして、
このオハイオ川を船で南部の黒人奴隷を北に逃した、のである。
一時的に黒人奴隷をかくまった家……それが、
「beneath the willow=pillow」
なのである。ところで、
“aura”とは「大気の流れ」を表すラテン語が由来だそうである。
そこから、「風」「雰囲気」「天井」「高貴」「御来光」「曙」
などの意味が派生した。「眠れる森の美女」の
「オーロラ姫」の名の語源でもある。ともあれ、auraの形容詞は
“aural”(耳の、聴覚の)である。が、
歌謡歌手の杏里女史と華原朋美女史の顔の判別もできない駄脳な私は、
(口の、口術の、オクチによる)を表す
“oral”との聞き分けもできない。が、それはどうでも、
“aura lee”→“love me,tender”
という歌の節はこうである。
*♪【ソー<ドー・・>シー<ドー│<『レー>ラー】・<レーーー│
  >ドー>シー・・>ラー<シー│<ドーーーーーー』●●*♪
である。いっぽう、ベートーヴェンの
「交響曲第5番」いわゆる「運命交響楽」の
第1楽章の対主題(第2主題)(「3♭」変ホ長調)は、
*♪【ソー<ドー│>シー<ドー│<レー>ラー】│ラー>ソー*♪
である。ベートーヴェンは色が黒く、団子っ鼻だったために、
子どもの頃に「黒人」と呼ばれてたという。なるほど、それで
パパ・ハイドンも、ハハーン、「浅黒龍」と
ベートーヴェンのことをあだ名してたのだろう。いやイヤー、
「黒人と白人との混血児」という噺は信憑性がないが、それでも、
南北戦争当時の「米国の知識階級」では、
そうと信じてた、可能性がある。
ベートーヴェンの「交響曲第5番」第1楽章主主題(第1主題)の
*♪●ミ・ミミ│>ドー・ーー(F)│
  ●<レ・レレ│>シー・ーー│ーー・ーー(F)*♪
という「運命」のノックは、フォスターの
“my old [kentuckey] home”
(邦題:『懐かしき』ケンタッキーの我が家)の、
“by’n by hard times come 
 a [knock-in’ at the door]”
(拙大意:もうすぐ、つらい時期がやってきて
     この家のドアをノックするんだ)
に注目してみると、
「ティス・サマー、ダ・ダーキーズ・アー・ゲイ」
(拙大意:夏こそ、黒人の楽しげなれ)
に対する季節が秋であり、
「我が屋戸の、ドアを動かし、秋の風吹く」
「オーラ・リー」の「春に」とも対照をなしてるのである。
そして、ともに「戦争が終われば(生き残った者は)幸せになれる」
という淡い希望の、そして、死んで犠牲になる者への挽歌、
なのである。ところで、
チャイコフスキーのvn曲「『懐かしい』土地の思い出」
の第3曲「メロディー」(「3♭」変ホ長調)は、
*♪●ミ・>レ>ド・>シ<ド│<『レ>ラ・<レー・ーー│ー、
  >ド・>シ>ラ・<シ<ド│ド(>♭ラ)・<ドーーー│ー』*♪
という『オーラ・リー』なのである。
ベートーヴェンの「難聴」は生涯治らなかった。そして、
civil warの結果、ケンタッキー州出身の
ジェファースン・デイヴィスが
「コンフェデリット・ステイツ・オヴ・アメリカ」(南部連合)
という「南朝」の政権を樹立することもなかったし、
奥羽越列藩同盟の一員「南部藩」として
明治新政府軍と対峙したわけでもなかった、のである。

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