男女2対2の食事会だった。といっても、
私よりもっとボンボンで、かつ、私と違って
自身も超エリートな男友達のおごりで、フカヒレをゴチになってきた。
彼には貸しがある。そのお返しである。
律儀な奴である。フカヒレ好きな奴である。
和栗には秋という旬があり、小栗にも旬はあるが、
"乾物"であるフカヒレには、基本的に旬はない。
真夏に冷凍フグを食って自慢するオバカとは、
そのボンボン君はわけが違う。
女性陣はそのボンボン君が連れてきたメンツである。当然に、
顔も整ってるし、たいそうな学歴である。だから、
私は彼ら3人の話題に着いてけず、
当初はひたすら飲み食いに徹してた。が、
女性陣のいっぽうが"気を遣って"くれて、
私が「ボストン」に詳しいと勘違いして
「ハーバード白熱教室」なるものの話の途中で、
こちらに振ってくれてしまった。
原題は"Justice with なんとか"だという。
私が少しは詳しいのはボストン・レッドソックスのことである。
ハーバード(Harvard)とオックスフォード(The Ox Ford)の違いも判らない
拙脳なる私には、哲学などもっとも苦手な話題である。
そんな小難しいことを考えたら、食事が
手つかずになってしまうではないか。
[誰も知らない4人の午餐は、
港が見える教室の小さな円卓でお話しましょう]
私にはもっとも嫌悪する類の話題である。
犠牲になる命は選べるか? だと?
バカも休みやすみ言えというものである。
選べると思う奴には選べるし、
選べないと思う者には選べない、
それだけの話である。
"地球温暖化"なるものの要因とされてる"温室効果ガス"、
とりわけ「CO2」の排出を減らさなければならない、
のだったら、
活動する以上「CO2」を排出することが避けれない人間を減らす
もしくは絶滅させればいい、
のである。
これは"正義"ではないのか? その是非はともかく、では、
誰が優先的に減らされるべきか?
太った者か? 豪奢な暮らしをしてる者か?
懐疑主義批判こそ不毛の論である。
そんなくだらないことをタネにして銭儲けをしてる
そのハーバード大教授なる者の授業など、
ヘンデルの「水上の音楽」というよりは「机上の空論」である。
こんな輩の授業なる代物がモテハヤサレルというのは、
巷の人々の心が病ンデルというよりは荒サンデルという証左である。
Harvardでくだらない講義をしてる暇があったら、農耕に精を出して
Harvestのことでも考えろ。
女性たちが器用なレンゲの持ちかたをしてた。さすがに、
卵白を泡立てるような持ちかたではなかったが、
瑣事なるそんな授業の話は早々に切り上げて、スープ用の
匙(湯匙)のウンチクを語ることにした。
箸に"正しい"持ちかたがあるのと同様、
レンゲにも"正しい"摘みかたがある。ときに、
西洋式スプーンの持ちかたを、はなはだ勘違いしてるむきがある。
「逆手(さかて、と読む」に持つのが"正しい"と。が、
西洋式スプーンは「鉛筆持ち」にするのが"正しい"。同様に、
中華式スプーンである匙(湯匙、日本ではレンゲ)も、
そのような持ちかたが"正しい"のである。すなわち、
人差し指を溝にあてがい、親指と中指で両脇を挟む、
のである。西洋式スプーンと異なるのは、
匙を横にしてすすることである。ちなみに、
和食では横に置くが中華では箸は卓には縦に置く。ともあれ、
レンゲであるが、どうせ横にして口に運ぶのだから私は、
人差し指の中指側を溝に入れ、
中指の人差し指側を溝の裏にあてがって、
親指はほとんどフリーにしてほとんど人差し指と中指だけで
挟んだようにして扱ってる。が、
たまに田代まさしのように指先が小刻みに震えて、
口もとに運んだ瞬間、スープを
吸わんとして慌て、レンゲを落としてしまうことがある。
じつは今宵もやらかしてしまった。照れ隠しに、
「こらー元気が出るわい!」
と、つい、オヤジギャグをかましてしまった。
(Have mercy on me!……)
が、女性陣二人の目配せ。
(このオヤジ、評価は不可ね……)
ちなみに、フカヒレのスープのお味は、
並だった。
食後の茶会はなかった。
***♪しし・し>ら・・>♯そー・<しー│らー・ーー・・ーー・●●♪
チャイコフスキーの「ヴァイオリン協奏曲」の第1楽章の第2主題、
****♪ドーーー・>シーーー・・<レ>ド>シ<レ・>ドーーー♪
筒美京平は先覚に学んだすぐれた"歌謡曲作曲家"である。
私よりもっとボンボンで、かつ、私と違って
自身も超エリートな男友達のおごりで、フカヒレをゴチになってきた。
彼には貸しがある。そのお返しである。
律儀な奴である。フカヒレ好きな奴である。
和栗には秋という旬があり、小栗にも旬はあるが、
"乾物"であるフカヒレには、基本的に旬はない。
真夏に冷凍フグを食って自慢するオバカとは、
そのボンボン君はわけが違う。
女性陣はそのボンボン君が連れてきたメンツである。当然に、
顔も整ってるし、たいそうな学歴である。だから、
私は彼ら3人の話題に着いてけず、
当初はひたすら飲み食いに徹してた。が、
女性陣のいっぽうが"気を遣って"くれて、
私が「ボストン」に詳しいと勘違いして
「ハーバード白熱教室」なるものの話の途中で、
こちらに振ってくれてしまった。
原題は"Justice with なんとか"だという。
私が少しは詳しいのはボストン・レッドソックスのことである。
ハーバード(Harvard)とオックスフォード(The Ox Ford)の違いも判らない
拙脳なる私には、哲学などもっとも苦手な話題である。
そんな小難しいことを考えたら、食事が
手つかずになってしまうではないか。
[誰も知らない4人の午餐は、
港が見える教室の小さな円卓でお話しましょう]
私にはもっとも嫌悪する類の話題である。
犠牲になる命は選べるか? だと?
バカも休みやすみ言えというものである。
選べると思う奴には選べるし、
選べないと思う者には選べない、
それだけの話である。
"地球温暖化"なるものの要因とされてる"温室効果ガス"、
とりわけ「CO2」の排出を減らさなければならない、
のだったら、
活動する以上「CO2」を排出することが避けれない人間を減らす
もしくは絶滅させればいい、
のである。
これは"正義"ではないのか? その是非はともかく、では、
誰が優先的に減らされるべきか?
太った者か? 豪奢な暮らしをしてる者か?
懐疑主義批判こそ不毛の論である。
そんなくだらないことをタネにして銭儲けをしてる
そのハーバード大教授なる者の授業など、
ヘンデルの「水上の音楽」というよりは「机上の空論」である。
こんな輩の授業なる代物がモテハヤサレルというのは、
巷の人々の心が病ンデルというよりは荒サンデルという証左である。
Harvardでくだらない講義をしてる暇があったら、農耕に精を出して
Harvestのことでも考えろ。
女性たちが器用なレンゲの持ちかたをしてた。さすがに、
卵白を泡立てるような持ちかたではなかったが、
瑣事なるそんな授業の話は早々に切り上げて、スープ用の
匙(湯匙)のウンチクを語ることにした。
箸に"正しい"持ちかたがあるのと同様、
レンゲにも"正しい"摘みかたがある。ときに、
西洋式スプーンの持ちかたを、はなはだ勘違いしてるむきがある。
「逆手(さかて、と読む」に持つのが"正しい"と。が、
西洋式スプーンは「鉛筆持ち」にするのが"正しい"。同様に、
中華式スプーンである匙(湯匙、日本ではレンゲ)も、
そのような持ちかたが"正しい"のである。すなわち、
人差し指を溝にあてがい、親指と中指で両脇を挟む、
のである。西洋式スプーンと異なるのは、
匙を横にしてすすることである。ちなみに、
和食では横に置くが中華では箸は卓には縦に置く。ともあれ、
レンゲであるが、どうせ横にして口に運ぶのだから私は、
人差し指の中指側を溝に入れ、
中指の人差し指側を溝の裏にあてがって、
親指はほとんどフリーにしてほとんど人差し指と中指だけで
挟んだようにして扱ってる。が、
たまに田代まさしのように指先が小刻みに震えて、
口もとに運んだ瞬間、スープを
吸わんとして慌て、レンゲを落としてしまうことがある。
じつは今宵もやらかしてしまった。照れ隠しに、
「こらー元気が出るわい!」
と、つい、オヤジギャグをかましてしまった。
(Have mercy on me!……)
が、女性陣二人の目配せ。
(このオヤジ、評価は不可ね……)
ちなみに、フカヒレのスープのお味は、
並だった。
食後の茶会はなかった。
***♪しし・し>ら・・>♯そー・<しー│らー・ーー・・ーー・●●♪
チャイコフスキーの「ヴァイオリン協奏曲」の第1楽章の第2主題、
****♪ドーーー・>シーーー・・<レ>ド>シ<レ・>ドーーー♪
筒美京平は先覚に学んだすぐれた"歌謡曲作曲家"である。
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