最近では、腰を曲げたお年寄りの女性を見かけることは
東京ではほとんどなくなった。農作業や畑仕事に精を出す、
なんていう時代ではないのである。ときに、私がガキの頃は、
戦勝国米国のオタメゴカシの配給である
脱脂粉乳が学校給食で出されてた。私の場合、
幼稚園の2年間と小学校2年の1学期あたりまで
飲まされてた。家のため国のために死んでった人々のおかげで
生き残った日本人が戦勝国米国のお助けのうえに
立ちゆくことができたのである。
****♪ソーーー│>ミーーー・ーーーー・・>レーーー・<ーーラー│
>ソーーー・ーーーー・・ーーーー、<ラーー<シ│
<ドーーー・ーー>ソー・・<ミーーー・ミーーー│
>レーーー・ーーーー・・ーーーー♪
この「海ゆかば」の節は虚心坦懐に聴けば、どんなに
野太き神経の外国人が何と言おうが、
日本人としては心打たれるものである。
私は宗教を信心してないが、
先祖を崇め、人々のために働く医師・看護師・消防士・
警察官・自衛官・その他諸公務員に感謝する気持ちは持つ。
今は知らないが、かつてはホノルル空港では
団体ツアー観光客には旅行代理店の企画で
ワイハの人がレイをかけるオモテナシをしてた。いま、
大相撲を辞めた朝青龍がハワイでゴルフ三昧だという。
朝青龍は出世が早かったので、
たったひとつしか金星を取ったことがないが、
辞める記者会見でも、「思い出の一番は?」と問われて、
横綱武蔵丸を投げた唯一の金星相撲を
数々の勝負の中から振り分けて挙げてる。
ドルゴスレン・ダグワドルジは、
ゴジラ松井を甲子園で全打席敬遠したことで有名な
明徳義塾高校に留学した。そこで
いいコウチに出会ったのか何かの恩があったのかは知らないが、
四股名を朝青龍明徳(アサショウリュウ・アキノリ)とした。ときに、
秀喜といえば秀樹も忘れてはいけない。
亀田一家vsやくみつるか、
朝青龍vs内館牧子女史か、
というくらい、その対立は激しかった。が、どちらも
「礼節と闘争本能のバランス感覚と認識のズレ」によるものである。
もとより、朝青龍はモンゴル人である。近現代では、
ソ連や共産党中国に憚らざるをえなかったが、
中世にはロスィアを支配し、中国に元王朝を築いたモンゴルである。
仁義好かんのは致し方たない。
若乃花・貴乃花兄弟をはじめ、旧藤島部屋(二子山部屋)は
勝負が決したあとに駄目押しをしたり、
危険な技をかけたりすることはなかった。
相撲はただ強いだけではいけない、
とはしばしば言われることである。が、
余裕のない勝者や過去にいじめられたり裏切られたり
残虐なことをされた者には、そんなことは通じない。といって、
そもそも相撲とは、格闘上のルールを古来から築いた武術であり、
そのうえに成り立つ日本の神事である、
という二面性を持たせる点で、
諸外国の格闘技とはまったく性質を異にする。
光が波であり粒子であるのと同様かどうかは、
「相撲」と「相模」を書き分けれず、
「すもも」も「もも」も「桃の内」であることが
いまいち理解できない拙脳なる私には判断できない。
単に格闘技であっていい、というのであれば、
なにも髷を結わなくても、まわしを締めなくても、
四股を踏まなくても、塩を撒かなくてもいいのである。とりわけ、
最上位の者がツナなど締めなくてもいいのである。
日本人にツナを食わすな、という悪意を持つ諸外国があってもである。
それにしても、朝青龍の数々の暴力・暴行、とくに酒の上での狼藉、
暴力沙汰は、並ではない。あれくらいだと、相当の事例で、
幼少期に父親からの暴力を受け、
それに対して自分を守ってくれなかった母への
アンビヴァレントな思いに立つ劣等感・トラウマを持つ。
父の機嫌を伺い、母への不信を募らせる。
そういう子は自分が肉体的に強くなって、その劣等感を克服し、
社会的に「認められる」ことを追求する。しかし、
幼少期に刻まれた傷は治ることはないのである。が、
その傷を作った張本人の両親に、その屈辱をはらすことはできない。
人一倍「世間に認められたい」欲求が旺盛なのに、もしそうしたら、
それはまた自己否定にもなってしまうからである。
大抵は、妻・子、自分より立場が低い部下や後輩、そして、
まったく関係のない(弱そうな)他人、に向けられる。
親の資格のない者が親になることから生じる悲劇である。が、
暴力的な、ワルな感じの男に惹かれがちなのが女性である。だから、
今般、石巻で刺殺された女性の妹も、被疑者の暴力男と交際し、
子供まで産んでるのである。刺殺された姉と友人の二人は、
そんな傍から見れば軽率ではあるが、生物的本能に忠実に行動した
妹の犠牲になったのである。といって、
弱すぎる父親も、ろくな子を生じさせない。
バランスが大事なのである。
朝青龍は大相撲の土俵などではなく、古代ローマ人が狂喜したという
アンフィテアトルム(円形競技場)でのグラディアトーレになることを
検討したほうがいい。朝青龍が好き、なんていうむきが
けっこうあるのである。成功すること間違いなし。
世の中は1割の利口、2割の普通、7割のBKで成り立ってるのだから。
東京ではほとんどなくなった。農作業や畑仕事に精を出す、
なんていう時代ではないのである。ときに、私がガキの頃は、
戦勝国米国のオタメゴカシの配給である
脱脂粉乳が学校給食で出されてた。私の場合、
幼稚園の2年間と小学校2年の1学期あたりまで
飲まされてた。家のため国のために死んでった人々のおかげで
生き残った日本人が戦勝国米国のお助けのうえに
立ちゆくことができたのである。
****♪ソーーー│>ミーーー・ーーーー・・>レーーー・<ーーラー│
>ソーーー・ーーーー・・ーーーー、<ラーー<シ│
<ドーーー・ーー>ソー・・<ミーーー・ミーーー│
>レーーー・ーーーー・・ーーーー♪
この「海ゆかば」の節は虚心坦懐に聴けば、どんなに
野太き神経の外国人が何と言おうが、
日本人としては心打たれるものである。
私は宗教を信心してないが、
先祖を崇め、人々のために働く医師・看護師・消防士・
警察官・自衛官・その他諸公務員に感謝する気持ちは持つ。
今は知らないが、かつてはホノルル空港では
団体ツアー観光客には旅行代理店の企画で
ワイハの人がレイをかけるオモテナシをしてた。いま、
大相撲を辞めた朝青龍がハワイでゴルフ三昧だという。
朝青龍は出世が早かったので、
たったひとつしか金星を取ったことがないが、
辞める記者会見でも、「思い出の一番は?」と問われて、
横綱武蔵丸を投げた唯一の金星相撲を
数々の勝負の中から振り分けて挙げてる。
ドルゴスレン・ダグワドルジは、
ゴジラ松井を甲子園で全打席敬遠したことで有名な
明徳義塾高校に留学した。そこで
いいコウチに出会ったのか何かの恩があったのかは知らないが、
四股名を朝青龍明徳(アサショウリュウ・アキノリ)とした。ときに、
秀喜といえば秀樹も忘れてはいけない。
亀田一家vsやくみつるか、
朝青龍vs内館牧子女史か、
というくらい、その対立は激しかった。が、どちらも
「礼節と闘争本能のバランス感覚と認識のズレ」によるものである。
もとより、朝青龍はモンゴル人である。近現代では、
ソ連や共産党中国に憚らざるをえなかったが、
中世にはロスィアを支配し、中国に元王朝を築いたモンゴルである。
仁義好かんのは致し方たない。
若乃花・貴乃花兄弟をはじめ、旧藤島部屋(二子山部屋)は
勝負が決したあとに駄目押しをしたり、
危険な技をかけたりすることはなかった。
相撲はただ強いだけではいけない、
とはしばしば言われることである。が、
余裕のない勝者や過去にいじめられたり裏切られたり
残虐なことをされた者には、そんなことは通じない。といって、
そもそも相撲とは、格闘上のルールを古来から築いた武術であり、
そのうえに成り立つ日本の神事である、
という二面性を持たせる点で、
諸外国の格闘技とはまったく性質を異にする。
光が波であり粒子であるのと同様かどうかは、
「相撲」と「相模」を書き分けれず、
「すもも」も「もも」も「桃の内」であることが
いまいち理解できない拙脳なる私には判断できない。
単に格闘技であっていい、というのであれば、
なにも髷を結わなくても、まわしを締めなくても、
四股を踏まなくても、塩を撒かなくてもいいのである。とりわけ、
最上位の者がツナなど締めなくてもいいのである。
日本人にツナを食わすな、という悪意を持つ諸外国があってもである。
それにしても、朝青龍の数々の暴力・暴行、とくに酒の上での狼藉、
暴力沙汰は、並ではない。あれくらいだと、相当の事例で、
幼少期に父親からの暴力を受け、
それに対して自分を守ってくれなかった母への
アンビヴァレントな思いに立つ劣等感・トラウマを持つ。
父の機嫌を伺い、母への不信を募らせる。
そういう子は自分が肉体的に強くなって、その劣等感を克服し、
社会的に「認められる」ことを追求する。しかし、
幼少期に刻まれた傷は治ることはないのである。が、
その傷を作った張本人の両親に、その屈辱をはらすことはできない。
人一倍「世間に認められたい」欲求が旺盛なのに、もしそうしたら、
それはまた自己否定にもなってしまうからである。
大抵は、妻・子、自分より立場が低い部下や後輩、そして、
まったく関係のない(弱そうな)他人、に向けられる。
親の資格のない者が親になることから生じる悲劇である。が、
暴力的な、ワルな感じの男に惹かれがちなのが女性である。だから、
今般、石巻で刺殺された女性の妹も、被疑者の暴力男と交際し、
子供まで産んでるのである。刺殺された姉と友人の二人は、
そんな傍から見れば軽率ではあるが、生物的本能に忠実に行動した
妹の犠牲になったのである。といって、
弱すぎる父親も、ろくな子を生じさせない。
バランスが大事なのである。
朝青龍は大相撲の土俵などではなく、古代ローマ人が狂喜したという
アンフィテアトルム(円形競技場)でのグラディアトーレになることを
検討したほうがいい。朝青龍が好き、なんていうむきが
けっこうあるのである。成功すること間違いなし。
世の中は1割の利口、2割の普通、7割のBKで成り立ってるのだから。
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