Munchen(ミュンヒェン、ミュンシェンと発音する地元人も多い)で開かれる
Oktoberfestは、200年前の1810年に第1回が催された。今年は、
現地9月18日(日本時間はこの時期では7時間早い)に始まった。
ミュンェンの西Theresienwiese(テレーズィエンヴィーゼ=テレーゼの緑地)が
会場である大規模な祭である。今年は10月4日までの開催で、
600万人の人出が予想されてるらしい。ときに、
若い頃からの知り合いにミュンシェン出身のドイツ人がいる。
世界じゅうを放浪してる男であるが、とくに日本が好きで、
一年に一度は来日してた。最近はどういうわけか
カナダに落ち着いてて、あまり日本には来なくなった。
そんな男だったが、日本にいても、酒は
ビールだった。そして、白いソーセージ(ヴァイスヴアスト)、
ブラートヴアストなどが大好きだった。
さて、
9月19日(日曜)は、池袋の東京芸術劇場に、
ミュンシェン出身のピアニスト、アリス・サラ・オット嬢が弾く
チャイコフスキーの「ピアノ協奏曲第1番」を聴きに出かけた。
じつに巧い。かわいい。顔がちっちゃい。
チャイコフスキーを弾くとボロが出る演奏家がほとんどな中、
オット嬢は奇をてらわず、真っ当なチャイコフスキーを心得てる。
CDでしか聴いたことがなかったが、
実演にも充分に堪えれる。
暇なときはオケや会場を見渡す。
第1楽章の第2主題や第2楽章の主要主題のような箇所では、
引きながら聴衆のほうに顔を向けて、
(どうよ、こんな音楽、感動的でしょ?)
みたいなアピールをする。そんなこと、
キモいピアニストにやられても迷惑だが、
こんな美人にやられたら、オジサンでも
メロメロなメロディになってしまうというものである。が、
もちろん、イケない箇所もある。
冒頭の和音打鍵を、二度めに音量を抑えてしまうのである。が、
ともあれ、CDでやってたような、第3楽章における
"Alice Sara Otts lustige Spiel"
(アリス・サラ嬢の、おっとどっこい、愉快なイタズラ)
は、やらなかった。
ちなみに、
チャイコンのアンコールにアリス・サラ嬢が弾いたアンコール曲は、
ベートーヴェンのイ短調のバガテル
"Fur Elise(エリーゼのために)"
だった。「Eliseのために」とは、
ベートーヴェンの字が汚いのでThereseと書いてあるのが
そう見えてしまった、つまり、
Therese Malfattiのことだという説から採られた
通称である。ともあれ、
アリス・サラ嬢の「エリーゼのために」は、
あるゆる意味でじつに心地いい演奏だった。というのも、
並の演奏家はアンコールには
"通ぶった"くそおもしろくもないものを弾くことが多い。
まして、有名ピアニストになると、このような
超ポピュラーな小品を演奏することは、まずないといっていい。かつ、
録音してるものでも、耐え難いほどに
フレイズィングやアーティキュレイションやペダリングやテンポを
とんでもなく台無しなものにしてることがほとんどである。が、
アリス・サラ嬢はそんな掃き溜めどもとは違うようである。
あらゆる意味で真っ当なのである。
チャイコフスキーの"patheticism(パテティスィズム)"を理解して、
少なくとも感じて、チャイコフスキーの音楽を演奏してる
演奏家である。
久しぶりの池袋だった。三田屋でステーキを食って帰った。
車だったのでビールは飲まなかった。ビール腹な私であるが。
Oktoberfestは、200年前の1810年に第1回が催された。今年は、
現地9月18日(日本時間はこの時期では7時間早い)に始まった。
ミュンェンの西Theresienwiese(テレーズィエンヴィーゼ=テレーゼの緑地)が
会場である大規模な祭である。今年は10月4日までの開催で、
600万人の人出が予想されてるらしい。ときに、
若い頃からの知り合いにミュンシェン出身のドイツ人がいる。
世界じゅうを放浪してる男であるが、とくに日本が好きで、
一年に一度は来日してた。最近はどういうわけか
カナダに落ち着いてて、あまり日本には来なくなった。
そんな男だったが、日本にいても、酒は
ビールだった。そして、白いソーセージ(ヴァイスヴアスト)、
ブラートヴアストなどが大好きだった。
さて、
9月19日(日曜)は、池袋の東京芸術劇場に、
ミュンシェン出身のピアニスト、アリス・サラ・オット嬢が弾く
チャイコフスキーの「ピアノ協奏曲第1番」を聴きに出かけた。
じつに巧い。かわいい。顔がちっちゃい。
チャイコフスキーを弾くとボロが出る演奏家がほとんどな中、
オット嬢は奇をてらわず、真っ当なチャイコフスキーを心得てる。
CDでしか聴いたことがなかったが、
実演にも充分に堪えれる。
暇なときはオケや会場を見渡す。
第1楽章の第2主題や第2楽章の主要主題のような箇所では、
引きながら聴衆のほうに顔を向けて、
(どうよ、こんな音楽、感動的でしょ?)
みたいなアピールをする。そんなこと、
キモいピアニストにやられても迷惑だが、
こんな美人にやられたら、オジサンでも
メロメロなメロディになってしまうというものである。が、
もちろん、イケない箇所もある。
冒頭の和音打鍵を、二度めに音量を抑えてしまうのである。が、
ともあれ、CDでやってたような、第3楽章における
"Alice Sara Otts lustige Spiel"
(アリス・サラ嬢の、おっとどっこい、愉快なイタズラ)
は、やらなかった。
ちなみに、
チャイコンのアンコールにアリス・サラ嬢が弾いたアンコール曲は、
ベートーヴェンのイ短調のバガテル
"Fur Elise(エリーゼのために)"
だった。「Eliseのために」とは、
ベートーヴェンの字が汚いのでThereseと書いてあるのが
そう見えてしまった、つまり、
Therese Malfattiのことだという説から採られた
通称である。ともあれ、
アリス・サラ嬢の「エリーゼのために」は、
あるゆる意味でじつに心地いい演奏だった。というのも、
並の演奏家はアンコールには
"通ぶった"くそおもしろくもないものを弾くことが多い。
まして、有名ピアニストになると、このような
超ポピュラーな小品を演奏することは、まずないといっていい。かつ、
録音してるものでも、耐え難いほどに
フレイズィングやアーティキュレイションやペダリングやテンポを
とんでもなく台無しなものにしてることがほとんどである。が、
アリス・サラ嬢はそんな掃き溜めどもとは違うようである。
あらゆる意味で真っ当なのである。
チャイコフスキーの"patheticism(パテティスィズム)"を理解して、
少なくとも感じて、チャイコフスキーの音楽を演奏してる
演奏家である。
久しぶりの池袋だった。三田屋でステーキを食って帰った。
車だったのでビールは飲まなかった。ビール腹な私であるが。
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