女子マラソンの尾崎好美選手の顔が、
アメーデオ・モディッリャーニの絵や彫刻の顔に見えてしまう
拙脳な私はまた、煎餅を煮るのに詰まってる。
煎餅はもち米が原料であるが、
米国の意に沿わない政治方針を打ち出したり、
政権が誕生したりすると、
大地震をお見舞いされる、
という「都市伝説」があるそうである。たしかに、
インドが米国の強い要求にもかかわらず、
国連の委任がないことを理由としてイラク派兵を拒否したら、
スマトラ沖大地震による大津波がアンダマン・ニコバル諸島を襲った。
我が国では、村山談話などという売国行為をはたらいた輩が
首相になったら、阪神淡路大震災が起こった。
terremoto terribile(テッレモート・テッリービレ)である。
私がガキだった頃、オーストラリアは「白豪主義」という
人種差別の国、だった。金鉱めあてに大挙押し寄せた
華僑や漢人労働者のために白人の生活が著しく脅かされる、
という排漢措置がことの始まりだったらしい。
有色人種のお世話なんかにもオセアニアもならないわよっ、
ってなもんである。ところで、現在のブルーム市は、
真珠貝採取要員として入植した和歌山県太地町の日本人が
同地の発展に寄与したことを記念して、
1981年に姉妹都市の契りを交わしたそうである。が、
グリーンピース(piselli verdi)の姉妹団体スィーシェパードが、
太地町のイルカ漁を撮影して同市に迫り、
姉妹都市提携を停止するように圧力をかけたところ、
市議会の全会一致を以って、姉妹都市提携停止を決定した由。
ブルーム市は姉妹都市関係をホウキしたのである。
「これまでみたいな付き合いをしたかったら、
イルカやクジラを殺すな」
ということらしい。が、イルカを殺すな、なんてことは
中大兄皇子にでも直接訴えたらいい。
「イッシ・リーベ・デルフィン」とか唱えながら。
映画「オーストラリア」封切りに合わせて今年2月末に放送された
TBSの「世界ふしぎ発見」では、オーストラリアを
ずいぶんとステキな心優しい国として描いてたが、
映画のほうは日本を凶悪な国として描いてくれてたらしい。
なんでも、オーストラリアに上陸した日本兵が
アポリジニ狩りをするんだとか。
マンハンティングってアングロサクスン固有の趣味でしょうに。
自分らのやった悪事は日本人がやったことにする
……これがやつらの常套なのである。
そんなトンデモ映画を持ち上げて、
キッドマン女史よろしく、英国貴婦人に扮してみましたのよ、
なんて悦に入ってたリポーターの勘違いぶりには、
めったなことでは失望などしない私でも、さすがに
ちょっぴりはがっかりした。
銭になる羊を食う銭にならないディンゴは平気で殺し、
同様に金銭価値のないワラビーは足を持って叩きつけて殺し、
母親カンガルーの腹袋から赤ちゃんカンガルーを取りだして
踏みつぶして殺し、カンガルーの陰嚢袋を土産にして売る
……地獄の門の沙汰も金次第と常に考ガルー人、
というのはじつに見上げた性根である。
選り取り見取りなジュゼッペ・ヴェルディの作品の中に、
ロスィア帝国マリインスキー劇場から依嘱された
"La Forza del Destino(ラ・フォルツァ・デル・デスティーノ=運命の力)"
というオペラがある。
"La Forza del Delfino"(ラ・フォルツァ・デル・デルフィーノ=イルカのカ)
ではない。その序曲は、1♯(ホ短調)。が、
開始は実質イ短調、2/2。ラッパによる、
***♪ミー・ーー│ミー・ーー│ミー・ーー│●●・●●(F)│
ミー・ーー│ミー・ーー│ミー・ーー│●●・●●(F)♪
というユニゾンである。これに、
優秀な作詞家が歌詞を附けるとしたら、
***♪イー・ーー│ルー・ーー│カー・ーー│●●・●●(F)│
クー・ーー│ジーー・ーー│ラー・ーー│●●・●●(F)♪
とでもすることだろう。が、実際は
「尼寺」に入ったレオノーラの三位一体な敬虔な祈り、である。
曲は3/8となり、弦の、
****♪ラ・<シ<ド│<ミー・●・>ラ・<シ<ド│<ミー・●
ラ・<シ<ド│<ミー・ーー・<ファー│ファー・>ミ♪
という、急きたてるような、暗い残酷なさだめを表すような
音型が擦られる。やがて、本来調のホ短調に移行し……
ラッパのユニゾンが再奏され……4/4、アンダーンテ・モッソで、
***♪ソー・<シー・・<ミー・ー>レ│>ドー・<ミー・・<ラー・ー>♭ラ│
>ソー・♯ファー・・>Nファー・ー>レ│>ドー・ーー・・>ソー・ーー♪
という、レオノーラとドン・アルバーロの成就されない愛が奏でられる。
……さらに省いて……最後は、ホ長調。
****♪ドードー・ーードー・・ーードー・ーードー│
ーードド・ドーーー・・ーー>シーッ・<ミーッ>レーッ│
>ドードー・ーードー・・ーードー・ーードー│
ーードド・ドーーー・・ーー>シーッ・<ミーッ>レーッ♪
「悔しいですっ」と怨念を残しながら
主たる登場人物がすべて死ぬ、
という内容どおりの破れかぶれな、
「運命の力こぶ、カッチカチやぞ」というような
結びかたで序曲を終える。ちなみに、
VERDIという語は「VERDE=緑」というイタリア語の
「複数形」をしてるが、これがまた、当時の
イタリア統一運動の「合言葉」"VERDI"
=Vittorio Emanuele Re d'Italia
=ヴィットーリオ・エマヌエーレ・レ・ディターリア
(ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世=サルデンニャ王国国王、 Re=王)
=ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世をイタリア国王に
の頭文字と同じだったことから、ヴェルディの音楽自体も
イタリア統一の象徴として崇められたのである。ともあれ、
このオペラは……スペインの貴族カラトラーバ侯爵の令嬢レオノーラは、
インカの血を引くドン・アルバーロとの恋仲を猛反対されてる。
駆け落ちを算段してるときに父にみつかる。ドン・アルバーロは、
恭順の意思を示すためにピストルを差し出そうとする。が、
それが暴発して侯爵に致命傷を負わせてしまうのである。
ここから、ドン・アルバーロは侯爵の倅ドン・カルロ
(そのタイトル・ロウルのヴェルディのオペラとは無関係)に
仇敵としてつけ狙われることになる……という
仇討(返り討ち)劇、あるいは白鬼タイジ町劇である。が、
ドン・アルバーロの「インカの血をひく」という設定に、私見では、
インカ帝国を侵略し滅亡させ、スペインに巨大な富をもたらした
フランスィスコ・ピサーロの敵である、同じくコンキスタドールだった
Diego de Al"magro"(ディエーゴ・デ・アル「マグロ」)と
その"エル・モソ(倅)"らの「血の抗争」を感じずにはいれない。
デ・アルマグロの倅2世の母はインカの血を引いてたのである。
ピサーロはクスコの領有権をめぐって対立してたデ・アルマグロを
捕えて斬首した。そして、デ・アルマグロ2世は
父の敵であるピサーロを暗殺させた。そのデ・アルマグロ2世も、
スペインから派遣された新総督軍と抗争し、
敗れて斬首される。ところで、
Pizarro(ピサーロ)という名はスペイン語のPizarra(ピサーラ)=
粘板岩(英語のslate)からきてる、と思われる。
スレイトとは、劈開性がある石であり、
「薄く剥がれやすい」ということである。あるいは、
pisar(ピサル)という動詞の意味するところは、
「踏みつける」「踏みにじる」であり、その行いに
ふさわしい名である。が、
Pizarroという名からは、下世話な私はつい、
イタリアのピッツァ(pizza)を想起してしまう。
ピッツァの語源は確定されてないが、
アラブ系の人々が作るポケット・パンを
pita(ピタ)という。ポケットというものは、
「剥がれやすい」。また、ピッツァを焼くのは
「石」窯である。そこに生地を入れて焼き、
ピタっと窯にくっついてる生地を、
スレイトのように剥がして取りだすのである。ちなみに、
イタリア語のpizia(ピーツィア)はギリシャ神話のピュティア、
デルポイのアポロン神殿の女司祭である。神殿には、
石が敷き詰められてて、ピュティアの口から
御神託が出るポイっと、ということである。
デルポイはデルフィ(Delphi)とも表記される。日本人は
やつらにとってくそおもしろくない杭なのだろう。
デルフィン(Delphin)は打たれる。
アメーデオ・モディッリャーニの絵や彫刻の顔に見えてしまう
拙脳な私はまた、煎餅を煮るのに詰まってる。
煎餅はもち米が原料であるが、
米国の意に沿わない政治方針を打ち出したり、
政権が誕生したりすると、
大地震をお見舞いされる、
という「都市伝説」があるそうである。たしかに、
インドが米国の強い要求にもかかわらず、
国連の委任がないことを理由としてイラク派兵を拒否したら、
スマトラ沖大地震による大津波がアンダマン・ニコバル諸島を襲った。
我が国では、村山談話などという売国行為をはたらいた輩が
首相になったら、阪神淡路大震災が起こった。
terremoto terribile(テッレモート・テッリービレ)である。
私がガキだった頃、オーストラリアは「白豪主義」という
人種差別の国、だった。金鉱めあてに大挙押し寄せた
華僑や漢人労働者のために白人の生活が著しく脅かされる、
という排漢措置がことの始まりだったらしい。
有色人種のお世話なんかにもオセアニアもならないわよっ、
ってなもんである。ところで、現在のブルーム市は、
真珠貝採取要員として入植した和歌山県太地町の日本人が
同地の発展に寄与したことを記念して、
1981年に姉妹都市の契りを交わしたそうである。が、
グリーンピース(piselli verdi)の姉妹団体スィーシェパードが、
太地町のイルカ漁を撮影して同市に迫り、
姉妹都市提携を停止するように圧力をかけたところ、
市議会の全会一致を以って、姉妹都市提携停止を決定した由。
ブルーム市は姉妹都市関係をホウキしたのである。
「これまでみたいな付き合いをしたかったら、
イルカやクジラを殺すな」
ということらしい。が、イルカを殺すな、なんてことは
中大兄皇子にでも直接訴えたらいい。
「イッシ・リーベ・デルフィン」とか唱えながら。
映画「オーストラリア」封切りに合わせて今年2月末に放送された
TBSの「世界ふしぎ発見」では、オーストラリアを
ずいぶんとステキな心優しい国として描いてたが、
映画のほうは日本を凶悪な国として描いてくれてたらしい。
なんでも、オーストラリアに上陸した日本兵が
アポリジニ狩りをするんだとか。
マンハンティングってアングロサクスン固有の趣味でしょうに。
自分らのやった悪事は日本人がやったことにする
……これがやつらの常套なのである。
そんなトンデモ映画を持ち上げて、
キッドマン女史よろしく、英国貴婦人に扮してみましたのよ、
なんて悦に入ってたリポーターの勘違いぶりには、
めったなことでは失望などしない私でも、さすがに
ちょっぴりはがっかりした。
銭になる羊を食う銭にならないディンゴは平気で殺し、
同様に金銭価値のないワラビーは足を持って叩きつけて殺し、
母親カンガルーの腹袋から赤ちゃんカンガルーを取りだして
踏みつぶして殺し、カンガルーの陰嚢袋を土産にして売る
……地獄の門の沙汰も金次第と常に考ガルー人、
というのはじつに見上げた性根である。
選り取り見取りなジュゼッペ・ヴェルディの作品の中に、
ロスィア帝国マリインスキー劇場から依嘱された
"La Forza del Destino(ラ・フォルツァ・デル・デスティーノ=運命の力)"
というオペラがある。
"La Forza del Delfino"(ラ・フォルツァ・デル・デルフィーノ=イルカのカ)
ではない。その序曲は、1♯(ホ短調)。が、
開始は実質イ短調、2/2。ラッパによる、
***♪ミー・ーー│ミー・ーー│ミー・ーー│●●・●●(F)│
ミー・ーー│ミー・ーー│ミー・ーー│●●・●●(F)♪
というユニゾンである。これに、
優秀な作詞家が歌詞を附けるとしたら、
***♪イー・ーー│ルー・ーー│カー・ーー│●●・●●(F)│
クー・ーー│ジーー・ーー│ラー・ーー│●●・●●(F)♪
とでもすることだろう。が、実際は
「尼寺」に入ったレオノーラの三位一体な敬虔な祈り、である。
曲は3/8となり、弦の、
****♪ラ・<シ<ド│<ミー・●・>ラ・<シ<ド│<ミー・●
ラ・<シ<ド│<ミー・ーー・<ファー│ファー・>ミ♪
という、急きたてるような、暗い残酷なさだめを表すような
音型が擦られる。やがて、本来調のホ短調に移行し……
ラッパのユニゾンが再奏され……4/4、アンダーンテ・モッソで、
***♪ソー・<シー・・<ミー・ー>レ│>ドー・<ミー・・<ラー・ー>♭ラ│
>ソー・♯ファー・・>Nファー・ー>レ│>ドー・ーー・・>ソー・ーー♪
という、レオノーラとドン・アルバーロの成就されない愛が奏でられる。
……さらに省いて……最後は、ホ長調。
****♪ドードー・ーードー・・ーードー・ーードー│
ーードド・ドーーー・・ーー>シーッ・<ミーッ>レーッ│
>ドードー・ーードー・・ーードー・ーードー│
ーードド・ドーーー・・ーー>シーッ・<ミーッ>レーッ♪
「悔しいですっ」と怨念を残しながら
主たる登場人物がすべて死ぬ、
という内容どおりの破れかぶれな、
「運命の力こぶ、カッチカチやぞ」というような
結びかたで序曲を終える。ちなみに、
VERDIという語は「VERDE=緑」というイタリア語の
「複数形」をしてるが、これがまた、当時の
イタリア統一運動の「合言葉」"VERDI"
=Vittorio Emanuele Re d'Italia
=ヴィットーリオ・エマヌエーレ・レ・ディターリア
(ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世=サルデンニャ王国国王、 Re=王)
=ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世をイタリア国王に
の頭文字と同じだったことから、ヴェルディの音楽自体も
イタリア統一の象徴として崇められたのである。ともあれ、
このオペラは……スペインの貴族カラトラーバ侯爵の令嬢レオノーラは、
インカの血を引くドン・アルバーロとの恋仲を猛反対されてる。
駆け落ちを算段してるときに父にみつかる。ドン・アルバーロは、
恭順の意思を示すためにピストルを差し出そうとする。が、
それが暴発して侯爵に致命傷を負わせてしまうのである。
ここから、ドン・アルバーロは侯爵の倅ドン・カルロ
(そのタイトル・ロウルのヴェルディのオペラとは無関係)に
仇敵としてつけ狙われることになる……という
仇討(返り討ち)劇、あるいは白鬼タイジ町劇である。が、
ドン・アルバーロの「インカの血をひく」という設定に、私見では、
インカ帝国を侵略し滅亡させ、スペインに巨大な富をもたらした
フランスィスコ・ピサーロの敵である、同じくコンキスタドールだった
Diego de Al"magro"(ディエーゴ・デ・アル「マグロ」)と
その"エル・モソ(倅)"らの「血の抗争」を感じずにはいれない。
デ・アルマグロの倅2世の母はインカの血を引いてたのである。
ピサーロはクスコの領有権をめぐって対立してたデ・アルマグロを
捕えて斬首した。そして、デ・アルマグロ2世は
父の敵であるピサーロを暗殺させた。そのデ・アルマグロ2世も、
スペインから派遣された新総督軍と抗争し、
敗れて斬首される。ところで、
Pizarro(ピサーロ)という名はスペイン語のPizarra(ピサーラ)=
粘板岩(英語のslate)からきてる、と思われる。
スレイトとは、劈開性がある石であり、
「薄く剥がれやすい」ということである。あるいは、
pisar(ピサル)という動詞の意味するところは、
「踏みつける」「踏みにじる」であり、その行いに
ふさわしい名である。が、
Pizarroという名からは、下世話な私はつい、
イタリアのピッツァ(pizza)を想起してしまう。
ピッツァの語源は確定されてないが、
アラブ系の人々が作るポケット・パンを
pita(ピタ)という。ポケットというものは、
「剥がれやすい」。また、ピッツァを焼くのは
「石」窯である。そこに生地を入れて焼き、
ピタっと窯にくっついてる生地を、
スレイトのように剥がして取りだすのである。ちなみに、
イタリア語のpizia(ピーツィア)はギリシャ神話のピュティア、
デルポイのアポロン神殿の女司祭である。神殿には、
石が敷き詰められてて、ピュティアの口から
御神託が出るポイっと、ということである。
デルポイはデルフィ(Delphi)とも表記される。日本人は
やつらにとってくそおもしろくない杭なのだろう。
デルフィン(Delphin)は打たれる。
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