チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「チャイコフスキー『眠れる森の美女』第3曲パ・ドゥ・スィスa入場曲」

2009年08月02日 23時03分14秒 | やっぱりリラだ! 百年経っても大丈夫
先ほど、テレ東で「絶景! 大自然に生きる日本の秘境家族」
という番組を放送してた。奈良の十津川村で
自給自足をする家族は、私とは正反対の生活である。
私は大自然の中で生きるのが嫌いだ。というより、
そうできる強さを持ってない。また、
大自然の中で生活できる時間の余裕もない。
考えること、調べることが多すぎて。私は
飛行機や電車での移動時間が嫌いである。
時間の無駄だからである。電車は1分でも遅れると、
嫌気がさす。が、自分の空間が確保できてて、
運転自体が楽しめる車は、たとえ渋滞しても、
渋滞時の運転も嫌いでない私には、向いてる。
エコ、エコと騒ぎ立ててるのは、エセニホンジンの反日運動屋か
男女権利平等を盾に体制派を妬む思想のむきである。
そして、こういう輩もつまりはカネで動いてるだけ、
なのである。世の中には何がよくて何が悪いか、
程度のこともわからない者が多い。昨日会った、
今年四月に就職したばかりだという二十代前半の女性も、
フランス語を勉強してる、ということだった。
大学での専攻は数学である。が、就職先は
数学とはまったく関係ない。それこそ、
普通の一般職OLである。今、そんな職しかないのである。
その女性がなぜフランス語かといえば、べつに
パスカルやフェルマやガルワやラグランジュの書を
原書で読むためではないらしい。
フランスの歴史や文化を学ぶため、らしい。
いいものを見極める肥えた目、
広く深い教養を身につける、のだそうである。
思うに、そういうものは身につける、
という性質のものではなく、
身についてるかまたは
身につく資質をあらかじめ備えてるか、
である。フランスは学生時代に、
モナコ(はフランスではないが)・ニース地中海とパリ、
という旅行会社のツアーの旅をした程度だそうである。で、
フランス語もしゃべれなければ、
フランスについてなにも知らない、
宮里藍選手とフジTV遠藤玲子アナの顔の区別が
たまにつかない拙脳なる私なので、
話がつづかない。そこで、
フランスのどこがいいのかとベタに問うと、
リュック・ベッソンっていう監督の「アンジェラ」が好き、
なんだそうである。いっぽう、
パリはどこがよかったか訊ねると、
セーヌ河畔だということである。
ダイアナ元妃が乗ったベンツが事故ったあたり、
がいちばのお気に入りらしい。で、私は内心、
なるほど、と思ったわけである……アレクサンドル3世橋。が、
そうではなかった。「アンジェラ」中の身投げ場所と
あの地下道トンネルは、彼女の頭の中の地図では
まったく無関係なものであることが話でわかった。ときに、
このアレクサンドル3世橋が架かったときには、
同人はすでに物故者だった。チャイコフスキーの音楽の
庇護者だった人物である。「眠れる森の美女」初演の
ゲネプロも観たそうである。

チャイコフスキーのバレエ「眠れる森の美女」の
第3曲"Pas de Six(パ・ドゥ・スィス)"は、
1)а)Вступление(フストゥプリェーニエ)
2)Ь)Адажио(アダージョ)
3)ヴァリアスィョン6つ
4)コーダ
という構成になってる。まず、
Вступление(フストゥプリェーニエ=入場曲)で、
善精らが到着する(現れる)。
[アダージョ、4/4、3♯]
嬰ヘ短調の主和音で始まる。
(ホルンも含めた)木管群で完結する和声に、
そのままそっくり弦群にふられて重ねられる
(それに、ハープのアルペッジョが添えられる)。
**♪ドー・ーー・・ー、ド・>シ>ラ│>ソー・♯ファー・・ーー・ー●♪
あるいは、ホ長調の
**♪ファー・ーー・・ー、ファ・>ミ>レ│>ドー・シー・・ーー・ー●♪
とスキャンすることもできるが、それはともかく、
ほんの少し前に作曲された「交響曲第5番」終楽章、
[アンダーンテ・マエストーゾ]
***♪ミーーー・ーーミミ・・<ファーーー・ーー>ミ>レ│
  <ミー●●・>ドーーー・・ーーーー・ーーーー│
  <ソーーー・ーーソソ・・<ラーーー・ーー>ソ>ファ│
  <ソー●●・>ミーーー・・ーーーー・♪
に続く、
***♪ドーーー│>シーーー・>ラーーー・・>ソーーー、ソーー>♯ファ♪
の音型である。バレエ「眠れる森の美女」には、
「交響曲第5番」の楽想がここそこにちりばめられてるが、
このバレエ第3曲"Pas de Six(パ・ドゥ・スィス)"の序にあたる
入場曲は、乳児オロール姫に徳を授ける精の入場にふさわしい
「厳かさ」である。さて、上記2小節の「チャイ5」終楽章動機は、
嬰ヘ短調の「♯ファ」[fis(>)d(>)a]を
ホ短調の「♯ソ」[gis(>)e(>)h:ホ短調の属和音]と置き換えて→
**♪ドー・ーー・・ー、ド・>シ>ラ│>ソー・♯ファー・・ーー・ー●♪
調を替えて繰り返される。あるいは、ニ長調の
**♪ファー・ーー・・ー、ファ・>ミ>レ│>ドー・シー・・ーー・ー●♪
として。いずれにせよ、2度ズラして、というのは、
「交響曲第5番」でも顕著にみられる。ともあれ、ニ長調で、
**♪レー│>ドー・シー・・ーー・ーー│ーー・ーー・・ーー・ーー│ー●・●●♪
ハープがニ長調の属7のアルペッジョを爪弾く。そして、最後に、
ホルン4管とトランペット2管による2オクターヴにわたる
f音(それまでのニ長調でいえば♭ミ)のユニゾンのファンファーレが
ffで強奏される。が、ここですでに、
変ロ長調のソと置き換えられてるのである。
***♪ソーーー・ーーーー│(リテヌート)ーソソ・ソーーソ・・ソーーー・ーー●●(frmt)♪
最初のアタックを裏打ちするのは、
変ロ長調の属7にあたる[f(<)a(<)c(<)es]である。曲は
このままЬ)Адажио(アダージョ)に移行する。
3♯→2♭、という、やはり2度のズレ、である。
フランス語女史と私の会話に終始ズレがあったままだったことは、
言うまでもない。

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