チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「チャイコフスキー『眠れる森の美女』#4(プロローグの)終曲その4/アマリリスの調べ」

2009年12月25日 01時04分11秒 | やっぱりリラだ! 百年経っても大丈夫
[Andantino(2)]

日テレ朝の「スッキリ」でテリー伊藤がルイ15世時代の
「貴婦人がた」の髪型の話題のときに、
「帆船」を「ホセン」と言ってた。
野球についてご託を並べるわりには
「フィールダーズ・チョイス」が何だかさえ知らない御仁だが、
ホセンとキャラメルものの超一流エンタテイナーだから
できる業というものである。ときに、から、といえば、
今日はとくに午前中は都心は車が少なく道がすいてた。夜も、
一昨年までは大渋滞してたヒルズ周辺も、
故植木等が蘇ってしまうと思われるほどスイスイだった。
今宵はクリスマス・イヴ。何である、愛デアル。
巷では恋人同士が幸せな夜を過ごすが、私は
「こうもり」傘を部屋の中で差して独り寂しく流す我が身の
涙の雨をしのぐばかりである。
♪ソー│ソーーソ・ソー<ラー│ラーーラ・ラー>ファー│
 <シーーー>ラー>ソー│<ドーー●●・●●♪
私のように金銭でしか女性との関係を築けないブサイクオヤジは、
クリスマスの前後にしかお姉さんらと会うチャンスがないのである。
水曜にエクササイズ・デイトを済ませ、
土曜には私が片思いしてるメシトモと蟹である。
「逢ひみての、後の心に、クラブれば、昔はものを、思はざりけり」
デザートは琵琶にしようと決めてる。が、
高級蟹店なので、稼ぎのない私のガマグチはカラボスとなる。

チャイコフスキーのバレエ「眠れる森の美女」の第4曲は、
(プロローグの)終曲である。このナンバーは、
[Andantino(1)→Allegro vivo(1)→Moderato assai
→Andantino(2)→Allegro vivo(2)→Allegro risoluto
→Allegro vivo(3)→Andante]
と、テンポがめまぐるしく変遷する。
[Andantino、4/4、無調号(実質変ホ短調=嬰ヘ長調)]
このアンダンティーノはたったの11小節である。
「善なる妖精たちはカラボスにまぁまぁ事を荒立て
ずにと要請する」
オーボエ、ファゴット、ホルン各2管の3連伴奏が、
変ホ短調の主和音から増五度となり、
vnプリーモとチェロがオクターヴ・ユニゾンで、
善なる妖精らがカラボスを宥めようとする
精一杯な涙ぐましい旋律を擦りはじめる。
****♪ドーーー│ーー、>ミー・<ファー<ソー・・<ラー、>レー・<ミー<ファー│
      <ソー、>ドー・<ファーー>ミ・・ミー>†レー・・●●<ソー│
      <ドー、>ミー・<ファー<ソー・・<ラー、>レー・<ミー<ファー│
      <ソー†、<♭ラー・<Nラー<♭シー・・<Nシー、<ドー・<レー<ミー│
      <♯ファー、<ソー・<ラー<シー・・<ドー‡ーー・ーーーー│
      ーー‡、>ミー・<ファー<ソー・・<ラー、>レー・<ミー<ファー│
      <ソー、>ドー・<ファーー>ミ・・ミー>†レー・●●<ソー│
      <ドー†、>ミー・<ファー<ソー・・<ラー、>レー・<ミー<ファー│<ソー♪
「ミー<ファー<ソー<ラー>レ」という音列は、
グノーの「フォスト」の中のバレエの「トロイの娘たちの踊り」である。ともあれ、
この善なる妖精たちの要請は、じつに感動的な音楽場面である。いかに
「しみじみ」としたものかといえば、チャイコフスキーは
‡と‡の間に、1番トランペットと2番トロンボーンのオクターヴ・ユニゾンで
****♪『ドー・<レー<♯レー│<ミー』♪
と吹かせる。この音型は、次のバレエ
「くるみ割り人形」の第1幕第1場の終い、すなわち、
第7曲「情景」のネズミ軍とパン・デピス軍との戦闘の結果、
くるみ割り人形が眉目秀麗なる王子に変身する場面で使われる。
***♪『ドー・ーー│<レー・ーー・・<♯レー・ーー│<ミー・ーー』・・
  <ドー・ーー│>シー・ーー・・>ラー・ーー│>ソー・ーー・・
  >ファー・ーー│>ミー・ーー・・>レー・ーー│>ドー・ーー♪
また、「悲愴交響曲」第1楽章終い近く、第2主題が再現される箇所で、
オーボエ、クラリネット、ファゴット各2管が主題のオッブリガート的に、
****♪●●●●・ミーーー・・<ファー<ソー・<ラー<シー│
  <『ドーーー・<レーー<♯レ・・<ミーーー』・<ファー>ミー♪
と吹かれることでも判るように、
「心震える」べき箇所なのである。この
アンダンティーノを聴いて涙がこぼれてこないむきは
人間の感情を備えてないものである。いっぽうで、
†と†の間の箇所では、まずオクターヴ・ユニゾンのクラリネットに、そして、
2度めはやはりオクターヴ・ユニゾンのコルネットに、チャイコフスキーは
****♪【ソー・<ラーー>ソ│ソー】♪
という「調べ」を吹かせる。最後のソの箇所は、弦の旋律のドが重なり、
****♪【【ソー・<ラーー>ソ│<ドー】】♪
と聞こえるように。
****♪【【ソー・<ラー│>ソー・<ドー】】・・【ソー・<ラー│>ソー・ーー】♪
チャイコフスキーは「善なる精らの宥和案」に
「ルイ13世」の「アマリリスの調べ」を滑り込ませた。
♪ラーリーラーリーラーリーラーーー、しーらべーはー、クリスマスーーー♪

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