チャイコフスキーのバレエ「眠れる森の美女」の
(プロローグ)第3曲「6精のパ・ドゥ・スィス」の
ヴァリアション2は、「小麦粉の精の踊り」である。ところで、
美人MC笛吹雅子女史の尊顔を拝し奉りたくて観てる日テレの
「newsリアルタイム」で18:16から
恒例の外食ネタをやってた。今夕は「お好み焼き」だった。
地元ネタだったのでことさら熱心に見てたのだが、とくに
広尾商店街にある開業13年めの店にスポットをあててた。
その店には私は一度も行ったことはないが、
新興勢力のせいで客が減ったという。
ソースの味がお好み焼きの値打ちだという社長と、
新たな味(塩とレモン)を試してみたいという年長の店長が、
それぞれの主張を通そうとしてた。が、この店長、
カメラがまわってる間に(編集されて放送された分だけでも)
「左手親指と人差し指で両鼻孔をこする」という
食い物屋にあるまじき手癖を一度ならずやらかしてたのである。
ときに、塩といえば、三ツ星屋の東京版が発売されるそうである。
東京における三ツ星店8つが出版に先んじて会見で発表された由。
鮨屋は銀座の2店、「すきやばし次郎」「水谷」らしい。
たしかに、前者の全盛期は相当ウマい寿司だった。
塩だけで食すタコの旨みは、その後にも味わったことはない。
サウスポーからくりだされる握りの巧さも、シャリの
温度・酢加減、形、握り具合など、私が食った寿司職人の中で
あれ以上のものはなかった。海苔のパリパリ加減から
差し替えの目配りまで、心憎いほど行き届いてた。いっぽう、
その小野二郎のもとで修業して横浜に店を出し、
数年前に銀座に戻ってきた「水谷」には1度しか行ってない。
ひらめの昆布ジメの加減が巧いと思った以外は
通常の一流店の味としか思えなかった。たまたま
勘定が前後した見知ュラヌ別の客も階段を上りながら
同様の感想を話してくれた。それはともかく、
田中勝春騎手と反町隆史の顔の区別もつかず、
ヒラリー・ロウダム女史と左甚五郎の違いもわからず、
手塚治虫とオサムシの相違にも気づかず、
九段下に行くつもりが東京駅のグランスタで右往左往してしまう
私の拙脳の味覚は、「魔法使いサリー」をTVで観ながら
食してた日清・四谷大塚なチキンラーメンで培われたものである。
「三つ子の魂、百まで」というらしいが、三つのときに
山菜の旨みは理解できない。いっぽう、
カラボスの術へのリラの処方は、「百年経過+ベーゼ」である。
カラボスの動機のあとにリラの主題が出てくるとき、観客は
(なんて素敵な救済なのかしら)
と安堵を覚えるのである。が、
チャイコフスキーが作曲したその旋律を、
神経が行き届いた適切な「歌唱」で
演奏させてる指揮者にお目にかかったことがない。数年前、
ブルックナー振りとして日本で異様なまでの持ち上げられようだった
故ギュンター・ヴァント(Wand)が振ってたなら、
さぞや「ハマって」たことだと悔やまれる(※)。ともあれ、
オーロラ姫を目覚めさせることになる王子が
ミシュランを履かせたスリーポインティド・スター、メルセデスで
狩にやってくる、とは思えない。
「カラボスの動機」:
**♪♯レー●●・<ミー●●・・
<ファ<♯ファ<ソ>♯ファ・♯ファー<ドー│
>♯ファー<ドー・>♯ファー<ドー・・
>♯ファー●●●●**♪
は、「導入曲」の冒頭に「fff」で強奏される。
[アッレーグロ・ヴィーヴォ、C、調号なし]
実質「ホ短」で開始されるが、すぐさま「変ホ短」で
「カラボスの動機」は反復され、さらにその断片が
「ト短」で展開される(→そしてまた「ホ短」)。つまり、
「e(ホ)→【es】(変ホ)→g(ト)」
という進行になってるのである。もっとも、
これは日本におけるチャイコフスキー研究の第一人者
森田氏の本でも紹介されてる事柄である。が、
この「ミ>♭ミ<ソ」は、リストが「前奏曲」、
フランクが「ニ短交響曲」で引いた
ベートホーフェンの弦四#16終章の
「『M』uss 【es】 『s』ein?
(どうしてもでございますか?)」
「【Es】 『m』uss 『s』ein!
(どうしてもだ)」
意訳すれば
「どうしてもお許しいただけないのですか、ご主人様?
もう限界でございます」
「奴隷の分際で許しを請う罰だ。まだだ!」
という、ドMとドSの臭いやりとりのような対話である(※)。
いっぽう、「リラの主題」:
*♪●ソ>ミ・ミ>レ>ド│<レ<ミ<ファ・<ソーー*♪
は、チャイコフスキー最後のオペラ「イヨランタ」の
「イヨランタのアリオーゾ」に「近似創出」されてるのである。
*♪●ミミ・ミ>レ>ド│<レ<ミ<ファ・<ソーー・・ー*♪
オーロラ姫は「指に尖がった棒を刺して仮死」→「目覚める」
という予言をするリラの精に対して、イヨランタ姫は
「盲目(光の存在を不知)」→「見えるようになる」
という同様な図式(「不知覚→知覚」)なのである。
(※):riso(イタリア語)
(プロローグ)第3曲「6精のパ・ドゥ・スィス」の
ヴァリアション2は、「小麦粉の精の踊り」である。ところで、
美人MC笛吹雅子女史の尊顔を拝し奉りたくて観てる日テレの
「newsリアルタイム」で18:16から
恒例の外食ネタをやってた。今夕は「お好み焼き」だった。
地元ネタだったのでことさら熱心に見てたのだが、とくに
広尾商店街にある開業13年めの店にスポットをあててた。
その店には私は一度も行ったことはないが、
新興勢力のせいで客が減ったという。
ソースの味がお好み焼きの値打ちだという社長と、
新たな味(塩とレモン)を試してみたいという年長の店長が、
それぞれの主張を通そうとしてた。が、この店長、
カメラがまわってる間に(編集されて放送された分だけでも)
「左手親指と人差し指で両鼻孔をこする」という
食い物屋にあるまじき手癖を一度ならずやらかしてたのである。
ときに、塩といえば、三ツ星屋の東京版が発売されるそうである。
東京における三ツ星店8つが出版に先んじて会見で発表された由。
鮨屋は銀座の2店、「すきやばし次郎」「水谷」らしい。
たしかに、前者の全盛期は相当ウマい寿司だった。
塩だけで食すタコの旨みは、その後にも味わったことはない。
サウスポーからくりだされる握りの巧さも、シャリの
温度・酢加減、形、握り具合など、私が食った寿司職人の中で
あれ以上のものはなかった。海苔のパリパリ加減から
差し替えの目配りまで、心憎いほど行き届いてた。いっぽう、
その小野二郎のもとで修業して横浜に店を出し、
数年前に銀座に戻ってきた「水谷」には1度しか行ってない。
ひらめの昆布ジメの加減が巧いと思った以外は
通常の一流店の味としか思えなかった。たまたま
勘定が前後した見知ュラヌ別の客も階段を上りながら
同様の感想を話してくれた。それはともかく、
田中勝春騎手と反町隆史の顔の区別もつかず、
ヒラリー・ロウダム女史と左甚五郎の違いもわからず、
手塚治虫とオサムシの相違にも気づかず、
九段下に行くつもりが東京駅のグランスタで右往左往してしまう
私の拙脳の味覚は、「魔法使いサリー」をTVで観ながら
食してた日清・四谷大塚なチキンラーメンで培われたものである。
「三つ子の魂、百まで」というらしいが、三つのときに
山菜の旨みは理解できない。いっぽう、
カラボスの術へのリラの処方は、「百年経過+ベーゼ」である。
カラボスの動機のあとにリラの主題が出てくるとき、観客は
(なんて素敵な救済なのかしら)
と安堵を覚えるのである。が、
チャイコフスキーが作曲したその旋律を、
神経が行き届いた適切な「歌唱」で
演奏させてる指揮者にお目にかかったことがない。数年前、
ブルックナー振りとして日本で異様なまでの持ち上げられようだった
故ギュンター・ヴァント(Wand)が振ってたなら、
さぞや「ハマって」たことだと悔やまれる(※)。ともあれ、
オーロラ姫を目覚めさせることになる王子が
ミシュランを履かせたスリーポインティド・スター、メルセデスで
狩にやってくる、とは思えない。
「カラボスの動機」:
**♪♯レー●●・<ミー●●・・
<ファ<♯ファ<ソ>♯ファ・♯ファー<ドー│
>♯ファー<ドー・>♯ファー<ドー・・
>♯ファー●●●●**♪
は、「導入曲」の冒頭に「fff」で強奏される。
[アッレーグロ・ヴィーヴォ、C、調号なし]
実質「ホ短」で開始されるが、すぐさま「変ホ短」で
「カラボスの動機」は反復され、さらにその断片が
「ト短」で展開される(→そしてまた「ホ短」)。つまり、
「e(ホ)→【es】(変ホ)→g(ト)」
という進行になってるのである。もっとも、
これは日本におけるチャイコフスキー研究の第一人者
森田氏の本でも紹介されてる事柄である。が、
この「ミ>♭ミ<ソ」は、リストが「前奏曲」、
フランクが「ニ短交響曲」で引いた
ベートホーフェンの弦四#16終章の
「『M』uss 【es】 『s』ein?
(どうしてもでございますか?)」
「【Es】 『m』uss 『s』ein!
(どうしてもだ)」
意訳すれば
「どうしてもお許しいただけないのですか、ご主人様?
もう限界でございます」
「奴隷の分際で許しを請う罰だ。まだだ!」
という、ドMとドSの臭いやりとりのような対話である(※)。
いっぽう、「リラの主題」:
*♪●ソ>ミ・ミ>レ>ド│<レ<ミ<ファ・<ソーー*♪
は、チャイコフスキー最後のオペラ「イヨランタ」の
「イヨランタのアリオーゾ」に「近似創出」されてるのである。
*♪●ミミ・ミ>レ>ド│<レ<ミ<ファ・<ソーー・・ー*♪
オーロラ姫は「指に尖がった棒を刺して仮死」→「目覚める」
という予言をするリラの精に対して、イヨランタ姫は
「盲目(光の存在を不知)」→「見えるようになる」
という同様な図式(「不知覚→知覚」)なのである。
(※):riso(イタリア語)
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