チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「イエスタデイにおけるポール・マッカートニー的帰納法」

2010年12月07日 00時12分33秒 | toneナリノ曲ハヨク歌曲ウ歌謡曲ダ
現在の若者は無知な私同様に
その名すら知らないかもしれないが、
今年2010年は、伝説のビートルズ結成(1960年)から50年、
同解散(1970年)から40年、
リンゴウ・スターおよびジョン・レノン誕生(1940年)から70年、
レノン殺害(1980年)から30年、という年である。
クラ音オタな私はよく知らないが、
ビートルズはポピュラー音楽界においては
超飛び抜けた存在らしい。たしかに、
音楽のオの字も知らないような
大衆に受けそうな曲が多いように思える。
古典的な旋律に、グッとくる和声、そして、
おそらくは大衆が感動するような歌詞を
備え併せてたのだと推察できる。おそらく、
音楽の基礎など学んだこともないメンバーではなく、
プロデューサーのジョージ・マーティンが
"仕立てて"たのだろう。ともあれ、
私が知ってるビートルズの歌といえば、
「レット・イット・ビー」「ヘイ、ジュード」「ヘルプ!」
「シー・ラヴジュー」「ア・ハード・デイズ・ナイト」
「イェロウ・サブマリン」「オブラディ・オブラダ」、そして、
「イェスタデイ(1965年作)」くらいなものである。
なにしろ、
この"Yesterday"を長年、てっきり
"Yes, today"だと思いこんでたほど、
私は拙脳だからである。
"Yes, today, all my troubles seem so far away.
Now it looks as though they're here to stay.
Oh, I believe in Jesus, today."
だと。

ところで、
彼らが生まれ育ったリヴァプールといえば、
三角貿易(砂糖&綿花、武器&ラム酒、黒人奴隷)
の拠点の一角だった港町である。20世紀、
奴隷貿易の中継は終わっても、
英国が綿花を仕入れるツテはまだ続いてた。実際、
マカートニーの父親は綿花のセイルズマンだったという。そして、
趣味でバンドを組み、ピアノとトランペットをやってた。
♪コトコト、コットン、コトコト、コットン、ファミレドシドレミファー♪
と「森の水車」をカヴァーしてたどうかは、
"Yesterday"と"Yes, today"を聞き分けれない
拙脳なる私は知るべくもない。であるから、
原盤を聴いて私が起こした以下の歌詞にも
多々誤りがあるだろうことをまず謝っとく。
(超有名な歌なので、英語の発音を
カタカナで読み下すのは省略する。
括弧内は拙大意である)

Yesterday, all my troubles seemed so far away.
Now it looks as though they're here to stay.
Oh, I believe in yesterday.(*)
(昨日までは、ボクには問題なんてまったく遠いところにあるもんだと思ってた。
今は、問題事がみんなまるで目の前にどっしりと腰をおろしちゃったみたいに思える。
ああ、昨日まではよかったなぁ)

Suddenly, I'm not half the man I used to be.
There's a shadow hanging over me.
Oh yesterday came suddenly.(**)
(急に、ボクは今までのボクとはまったく別人になっちゃったよ。
憂鬱な影がボクに覆い被ってるんだ。
ああ、昨日までの世界がまったく遠いところに行っちゃったよ、急にね)

Why she had to go.
I don't know she wouldn't say.
I said something wrong.
Now I long for yesterday.
(なんで彼女はボクから離れてかなければならなかったんだろう。
解んないよ、彼女が最後まで教えてくれなかったからね。
ボクがなんかまずいこと言っちゃったのかも。
今になって昨日までがよかったって後悔してる)

Yesterday, love was such an easy game to play.
Now I need a place to hide away.
Oh, I believe in yesterday.(*)
(昨日までは、恋愛なんて超楽勝なゲイムくらいに思ってたんだ。
でも今は、穴があったら入りたいくらいだよ。
ああ、昨日までがよかったなぁ)

歌い出しは当初、仮に、
"Scrambled Eggs,oh my baby how I love your legs?"
だったということである。そして、この歌の歌詞の手入れに、
レノンが手を貸したとされてる。マカートニーが意見を求めたのだろう。
「レノンに腕押し」ではなかったようである。がしかし、後年、
マカートニーはこの歌の歌詞を、別離してったモトカノへの未練歌、から、
14歳のときに乳癌死した母親への思慕歌だとウソをついてる。
毎朝、スクランブル・エッグを作ってくれてエグイ足をした母親、
を思ってたのだとしたら、相当な変態、
トウサク性愛者である。マカートニーは凡人であるから、やはり、
"彼女"しかありえない。いずれにせよ、毎朝、
スクランブル・エッグを作ってくれて、
エグイ足をした彼女がいたら、それは
幸せというのかもしれない。が、
キモイ私にはそんな女性など一生いるわけもなく、
この歌を実体験で理解することはできない。
この歌の"男"には、たとえ一時ではあっても、
そんな女性がいたのだから、それで充分ではないか。
それ以上なにが欲しいというのだろう。
贅沢というものである。

ともあれ、
いろいろな問題事があったのに、
それに対峙しないで先送りにしてた
yesterday(=昨日まで)。対して、
ついに彼女の堪忍袋の緒が切れて出てったしまった
now(=非昨日まで)。つまりは、
yesterday=過去、now=非過去、
という時制でくくられてるのである。
それは、中学生にも解る簡単な英語の動詞類の時制に表されてる。

[yesterday(=過去)セット]
={seemed, used to be, had to go, came, wouldn't say, said, was}
[now(=非過去)セット]
={looks, they're(they are), believe in, I'm not,
There's(There is), don't know, long for, need, believe in}
そして、
「過去」は「すべて良かった」←→「今」は「すべて悪い」
という帰納にマカートニーは至ったのである。

マカートニーはこの歌詞の第1パラグラフと第4(最終)パラグラフを
"yesterday"という副詞と名詞で挟み込んだ。そして、
[yesterday=過去]は自分にとって都合が良かった日々
(しかし、反省すべきだったもの)、であり、
[now=非過去]は憂鬱な現実で、できれば
「これまでのことはなかったことにしたい」、ものなのである。
♪しーずかーなこーはんのもーりのーかげーからっ、
 もーきちゃ、いーかがーと、
 過去が鳴くぅーーー。
 過去ーーー、過去ーーー、過去、過去、過去ーーー♪

一昨日は昨日にはならなかった。そして、
昨日は今日にはならない。だから、
時間の流れは不可逆である。
昨日までの愚行はたしかにいけなかったけれど、
自分にとっては都合がいい、良き日々だったのである。
かといって、二度とやり直すことは、
時間という不可逆な流れの中で生きてる以上、不可能である。
現実に直面して悲しく憂鬱ではあるが、
悔いても後の祭りである。ただただ、
過去を懐かしんで嘆くしかない。が、
マカートニーは[過去]と[非過去]を振り分けたが、
[過去]である"yesterday"を現在形でbelieve inしてるのである。
マカートニーが囲った二つのセットはそれぞれ、
話法(あるいはセン・テンス)について閉じてない集合なのである(※)。

この締めくくりに、いくつか歌詞の註を。
(*)[believe in yesterday]は、昨日という価値を認める→
  昨日という存在を信じる→昨日を信仰する→
  昨日教徒である→昨日賛成派である→昨日までを支持する→
  昨日までがよかったとする気持ちである、
  という意味である。「過去がよかった」と思ってる、
のであって、過去形で大意をつけたわけではない。
(**)cameはcomeの過去形である。
   comeは「話題の対象に近づく」という意味である。ちなみに、
   goは「話題の対象から離れてく」という意味である。ともあれ、
   この箇所では主語である[yesterday]がcomeした(came)。
   一見すると、
   「[yesterday]が過去から現在にやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」
   みたいなことに思えてしまうようである。ところが、
   時間の流れは不可逆である。
   [yesterday]は現在・未来方向には進まない。だから、
   [yesterday]は[目の前に来て]しまうことはない。
   [yesterday]が動くのは過去方面である。
   [yesterday]は歌詞の同パラグラフ内第1行の
   [I used to be]の時分に近づいた、ので、
   cameなのである。そして、マカートニーはこのパラグラフを、
   Suddenlyという副詞で囲んだ(過去んだ)のである。
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