映画 ちょんまげプリン

2010-09-18 09:58:51 | インポート
先日、別の映画を見に行った時に本編の前の予告編で「ちょんまげプリン」という映画を知った。実のところ日本映画は普段あまり見ないので存在さえ知らなかった映画である。ところが、その予告編がなかなか面白そうだった。何分、元々がSFやファンタジーのファンなのだ。

これは面白そうだと思ったものの、いまやシニア料金適用になった分収入も減っている。毎月好きなだけ何本も映画を見に行くわけにもいかないから、DVDが出てから借りて見ればよいようなものは当然後回しにする。見に行くのは本当に見たいもの、これはっというようなものだけだ。

というわけであれこれ映画案内などを調べ、やっぱりこれが見たいと思ったので久しぶりに新宿武蔵野館に出かけた。ここはシネコンといっても昔ながらの映画館の雰囲気の残る、個人的には好みの映画館だ。同じ、ポップコーンに飲み物でも、ピカデリーのようなおしゃれな雰囲気は全然感じられない。かといって実用本位の恵比寿の映画館のように、館内では飲み物だけというのでもないから、本当に昔ながらの映画館の雰囲気が味わえる。その昔は今は亡き淀川長治氏の時代ではないけれど、幕間の売り子さんたちの姿などはどこにでも見られたものだったのを思い出す。もはや東京であれは見ることも出来まい。懐かしい思い出だ。

で、ちょんまげプリン。これは予想以上に考えさせられる作品であった。

江戸時代の侍が神隠しにあい、現代の東京に紛れこんで、幼稚園児の息子を女手一つで育てているキャリアウーマンと出会って、子どもを助けた縁でその家に引き取られ、一緒に暮らすようになるという出だしで、現代の働く女性の抱える問題、結婚とは、家庭、家族とは、男女のあり方とは、子どもは、などなど現代社会の抱える問題点満載の映画だった。

実際、現実に今の時代はニュースの先をいくように男から女に,女から男に変わらざるを得ない方々や、奥様が会社で働いて、ご主人が家庭の中の仕事をするご夫婦とか、これはもう物語ではなくて現実の話なのである。こういう時代に、社会で、家庭で、学校や幼稚園、保育園で、おとなも子どもも、どのように生きたらよいのか、今、真剣に考えねばならないのであろう。

子ども達を今のままに放置していけば、さらにいじめや引きこもりなどは増えることはあっても減ることはないだろう。父も母も、男として、女として、社会に生きるとき、昔ながらの「家庭」は正常に保たれなくなるのも当然だ。そのとき私たちの未来である子どもはどうなるのだろう。どうしたらよいのだろう。
映画のように簡単にハッピーエンドとはいかないのである。