facebookから

2018-08-16 16:41:57 | Weblog
こんにちは~、ケータイのマリーで~す。うちのおばはんが、たまにはfacebookにも出てっていうから、ほんじゃ出てみるかってんで登場しました~。あの人、今日も暑さでバテバテなのよ。ちゃんと食べないと体に良くないからって言ったら、今やっと朝昼兼食でソーメンを食べたのよ。夏はうちのおばはんはソーメンや、冷ややっこにトマトやキュウリばっかりたべてるのよね。お肉や魚はしつこくっていやって冷凍庫の中でおねんねさせっぱなしよ。いくら冷凍庫だってそのうちだめになっちゃいそうだわ。




あ、そうだ、思い出したわ。昨日は吉祥寺教会の午前中の聖母被昇天ミサに行ったんだけど、今月は今度の25日の土曜日の1時半からも吉祥寺教会で菊地大司教様のおはなしでチャリティー講演会があるんですってよ。全世界の神言会の活動支援のためで、主催は神言会日本管区宣教事務局ですって。




うちのおばはん聖イグナチオ教会の出身だから、イエズス会はよく知ってるけど、神言会はそれほどでもないのよね。だからこういう機会に大司教様のお話を聞いてくるつもりみたいよ。なんかねえ、神言会の中心は名古屋にあるんだけど、そっちからも神父様や神学生も来てPRしたり、吉祥寺教会の聖歌隊も出演するんですってよ。ちょっとおもしろそうじゃん。




よかったら、25日の土曜日は吉祥寺教会の大聖堂に来てみてね。うちのおばはんとあたしも紛れ込んでるはずよ。てことで今日はおしまい。ほんじゃまたね。




ウーム、うれしいような、がっかりするような

2018-08-16 16:37:01 | Weblog
今ちょっと必要があって、1949年生まれの年齢を早見表で調べてみた。何度見直しても誕生日が来れば本当に69歳だ。信じられないような気分だ。母が死んでからすでに50年以上か。



母が死んでしまって、キリスト教の教会に行ってみる気になり、ご縁あって、始まりはプロテスタントの教会に導かれ、おかげできちんとした聖書の知識やキリスト教の中心的な教えの知識を身につけることができた。




でも、始めにキリスト教に関心を持たせてくださった方々が実は皆様殆どがカトリック信者だったことから、結局カトリックに改宗した。それが霜山徳爾先生であり、遠藤周作先生であり、井上洋治神父さまだったのだ。そのご縁で、カトリックではないが瀬戸内寂聴先生もだ。つまり、日本とキリスト教に関係する方々だった。




それは当然で、父方の本家は鎌倉時代から中山法華経寺に所縁のある家で、父自身も諸事情あって、法華経寺というか、仏教にも縁の深かったことから、子供の私にも小さい頃から、闇の夜に鳴かぬ烏の声聞けば生まれぬさきの父母ぞ恋しき、とか、三界の狂人は狂せるを知らず、とか意味のわからない難しいことばかり吹き込んだから、こちらもいつの間にか覚え込んでしまったのだ。




ところがそれが、キリスト教の世界にきたとき、あっ、あれはこのことを言っていたのかと、目が開ける思いをしたことがたくさんあり、いつのまにか日本とキリスト教の問題は自分にも問題になっていたわけだ。





そうこうしているうちに69歳だ。大先生だった霜山徳爾先生も遠藤周作先生も今はなく、自分で道をかき分けて進んでみるしか無くなってみて、ふと気がつけば、そのうちいつかお会いしてみたいと思っていたカルメル会の不思議な神父様もすでにこの世にはいらっしゃらなくなっていた始末だ。非常に残念だ。




今、facebookでは、在世フランシスコ会の方々やフランシスコ会の神父様に出会い、普通の生活の中で語りかけておいでの神様の声に気がついていくことの重要性、大切さがちょっぴり見えて来た感じだ。ただ、こちらの健康状態が年々、年齢とともにだめになってきていて、ちゃんとした在世会の集まりに参加してみたいと思いながら足腰の状態がなかなかそれをゆるしてくれないでいる。




吉祥寺教会にも在世会の支部はあるが、仲良しクラブになっていて、フランシスコ会の在世会とは名ばかりで、私などははじき出されてしまった。それでも彼女たちに公園のお風呂ダヌキのコピーを一部ずつ差し上げて、われながら馬鹿みたい。ちゃんとした指導司祭や、担当者のいるところにこそ、これは差し上げたいし役に立てていただけるのだろうと思っている。




まあ、どこかに所属していなくても、わたしの霊名自体がフランシスカ・マリアである以上、一生聖フランシスコと縁は切れないからかまわないか。