☆ 今 日 の 幸 せ ☆

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マインドコントロール

2005-04-08 | 今日の幸せ
海外旅行に少女を同行 暴行牧師、米国やカナダ (共同通信) - goo ニュース

毎日のように、「聖神中央教会代表で主管牧師」の少女暴行ニュースが飛び込んでくる。 オームの話しがだぶるけれども、このような事件を聞くと、我が身を反省する。

声の大きい自信たっぷりの話しかたをする人がいる。 それに対して疑問があって、何か提案しようと思っても、言葉たくみに反論できない形で言い返されると、うまく気持を表現できないものは、そのあと、諦めて関わりをもたないようにしてしまう。

もしくは、言葉巧みな人間に代弁させて、自分はそのあとについていく。 「ニートと正社員どちらがいいか、」という番組を先日やっていたが、「優秀な人間についていく」という方法もありますよね。 という、発言があった。 グループで何かをする場合、細かい違いを皆が主張しあうと、物事は進まない。 譲るところは譲って、決まった以上は、それに従う、というのが、社会生活(生産社会)なのだろう。

ところが精神社会(宗教、哲学)に於いては、事情が違ってくる。 いくら納得したつもりでも、時に迷いがでる。 「何かの宗教を心から信じることができれば、きっと、楽な生活をおくれるだろうな」といいつつ、ワタシのようなものは、自分の精神のすべてを誰かに委ねて、対象の判断に則った生活をするには、傲慢すぎるようだ。

精神のすべてを一度相手に委ねてしまうと、相手にマインドコントロールされてしまう。 相手が、自分の欲望を満足させるために、その状態を利用しようとしていたとしても、

私が信じる対象は、間違いがない。

と、信じることで、自分の精神社会を支えている人間にとっては、相手の言葉巧みな言い逃れを見抜く目を奪われてしまっている。 疑えば、自分の人格崩壊に繋がることを本能が教えてくれるのだろう。

対象を承認することが、己を承認する道のような気がするが、それは、己を放棄することとは対極の行為である。 by persempre