「脳と仮想」(茂木健一郎)
半分ほど読んだ。
しばしその本からの連想。
____
現実は容易に仮想を駆逐する。
人は現実と仮想を織りまぜながら生活している。
現実、つまり「衣食住に安全」が、そこそこ日常で保証された状態が長く続くと、人は現実のみで、生きていくことを選択しがちになる。 もしくは、そのことに絶望を感じて生きていくことの意味を見失う。 脳が発達した人間の悲劇。 そして人間たる由縁。
単なる仏像に、精神性を感じる事ができる。
マドンナの微笑みに、癒される。
これが仮想。
現実がなければ、人間は存在しない。
しかし、仮想することなしで、存在する人間というものは、
傷つけられることもなければ、創造することもない。
宗教は、人間が産み出す仮想の切実さである。 それが「死すべきもの」としての過酷な現実を支える。
ネットの中に現実を求めるか?
ネットの中に仮想を求めるか?
再び、
現実は容易に仮想を駆逐する。
これがワタシがオンラインに求めたものだったのではないかと、思い当たった。
半分ほど読んだ。
しばしその本からの連想。
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現実は容易に仮想を駆逐する。
人は現実と仮想を織りまぜながら生活している。
現実、つまり「衣食住に安全」が、そこそこ日常で保証された状態が長く続くと、人は現実のみで、生きていくことを選択しがちになる。 もしくは、そのことに絶望を感じて生きていくことの意味を見失う。 脳が発達した人間の悲劇。 そして人間たる由縁。
単なる仏像に、精神性を感じる事ができる。
マドンナの微笑みに、癒される。
これが仮想。
現実がなければ、人間は存在しない。
しかし、仮想することなしで、存在する人間というものは、
傷つけられることもなければ、創造することもない。
宗教は、人間が産み出す仮想の切実さである。 それが「死すべきもの」としての過酷な現実を支える。
ネットの中に現実を求めるか?
ネットの中に仮想を求めるか?
再び、
現実は容易に仮想を駆逐する。
これがワタシがオンラインに求めたものだったのではないかと、思い当たった。