エッセイと虚構と+α

日記やエッセイや小説などをたまに更新しています。随時リニューアルしています。拙文ですが暇つぶしになれば幸いです。

頼りない自分を実感しつつ

2016-04-15 02:12:06 | +α
アイドリングメンバーについて色々とblog記事をupしてきた私ですが、3年まえのあのときこう思ったということが想定外になっているというようなことがほとんどで、最近だと後藤郁さんの復帰や朝日奈央さんのpopからシックへの変化、そして尾島知佳さんのコミュ力の高さといった喜ばしいできごとから、さきの記事の三宅ひとみさんの芸能界引退やアイドリング自体のある意味での解散といった少しわびしいできごとまでやはり曖昧な現実の苦しみといった感じがするのです。
でも芸能界でやっていくんだと決めているメンバーにはできるところまで頑張って欲しいし、私自身も物を書くことを34歳できるとこまでやっていこうと思っています。ネット中心なのでまぁ定住地が最悪なくても記事upはできるかと・・・てそれは流石にネガティヴすぎますよね(-_-)!
あと熊本の地震はかなり酷そうなのであまり未来を楽観視できませんが、日本が少しでもまた良くなっていければいいなと思ってます。不安の影が濃くともたぶん個人としてはやれることをやるしかないと思うわけで、自分や自分以外の周りの人も平穏に生活が送れるよう頑張ります。

不確実な未来は現実の儚さの反映

2016-04-13 14:52:56 | エッセイ
私が応援していた三宅ひとみさんが、芸能界を引退しました。何か芸能界引退というと一般社会におけるいわゆる企業や個人の終焉のようなネガティヴな印象のあることですが、私はこの4年ほどのアイドル応援を経て考え直して感じたのは、芸能界引退は決してそのようにマイナス要因の多いことなのではなく、いち個人における思索やその先にある価値や意味を掴むためのきっかけとして肯定要因も非常に多い再出発なのではないかということです。
例えば、休養をすることで見失っていた価値観に気付いたりします。また自分の歩んでいた道が難しい方向にいっていたとしたのなら、その軌道修正をしたりと長いスパンで物事を捉えるのなら、むしろ肯定要因が多い決断なのではないかともいえるのです。波風を立てないことが一つの美徳として現代から過去から日本社会では奨励されうるのですが、様々な社会システムがヨーロッパやアメリカといった西欧に近似してきている状態では、時としてネガティヴな要因にも西欧の個人としての自我の発露を優先させるという手法を取り入れていくことが、和魂洋才における矛盾が引き起こすであろう窮屈さなどを回避しなるべくセイフティーに物事を運ぶことにも繋がるのではないかと私個人は思うのです。
なので三宅ひとみさんが芸能界を引退したことはショックではありますが、三宅ひとみさんがこれからより自分らしい道に沿うて生きるには必要な英断だったのではないかということで、これからも心の何処かでは応援しつづけていますし、また私の頭の片隅みにはたぶんアイドリング!!!で三宅ひとみさんが魅せた幾つかの素晴らしいパフォーマンスやblogでの楽しみまたは、あらゆるところであったであろう彼女自身のエンターテインメントがあって忘れることはないのです。ということで三宅ひとみさんの芸能界引退をポジティブに私自身は受けとめたいと思っています。
blog記事では私なりの現実の曲解などもあるかもしれませんが、私自身にできることは、これからもこのblogを書き続けていくことです。もしくはたとえこのblogがなくなったとしても机の上で紙に字を綴ることを日々続けることです。
三宅ひとみさん、お疲れさまであるし、おめでとうだし、さよならだし、また会おうだし、綺麗だねだし、可愛いねだし、ひぃちゃん可愛い(≧∇≦)だし、未来はたぶん明るいねだよ!ということです。
そして私、34歳は先の見えない不安とまた日々向き合うことにただ戻り邁進するしかできないのであります・・・。