エッセイと虚構と+α

日記やエッセイや小説などをたまに更新しています。随時リニューアルしています。拙文ですが暇つぶしになれば幸いです。

二十歳の頃

2013-03-24 22:01:57 | 小説
店員であることを示す胸にピンで留めて着けているプラスチックのカードを外してバックヤードに備えられているパソコンのバーコードリーダーにかざすとピッという音と共に17時から22時のわずかながらの労働が記録された。これで4千円かと思い着替えを済ましてバックヤードから出て「お疲れさまです」とオーナーと深夜のアルバイトの人たちに言って帰路についた。
なんとか大学2年生に進学したものの授業をサボりがちな自らの状況にやるせない感情を抱いていた。家に帰り部屋で明日は授業がそもそもないから何処かへ行こうと思った。授業は2年に進級時に選択したのだから休日と呼んで良いのかわからない。とりあえずいらぬ想念はしまい込み眠りについた。
朝方、家族はみな会社や学校に行ったあとであった。着替えを済まして下へ降り家を出た。
自転車に乗り駅前に着くと神社の切り立った岩の壁の側に停めて電車に乗った。地方都市として栄えつつある街まで行き日本最大のブックオフに入店した。大学に入ってから知り合った友人に教えられてからたまに来ていた。
エスカレーターで最上階の6Fまで上った。整然と並べられている文芸書の文庫を見て回る。履いてきたスニーカーはリノリウムの床と摩擦してバスケットをしている時のようにキュキュという音を発した。
僕は自らが童貞であることに悩んでいた。モテるための自己啓発書や実用書は数冊読んだだけでそれらがあまり役に立たないことを理解していたから先人の童貞の苦しみを描いたような本はないかと探していた。そのような本があれば悩みを相対化して見ることができるのではないかと思っていた。
文学者が書いたそのような本を6Fまである日本最大のブックオフとはいえ見つけることはなかなかできなかった。高尚な文学にはやはりむかしから馴染みがなかったことがまた僕の足を実用書で溢れた新書コーナーへと向かわせていた。とりあえず見渡して、ちくま新書の『もてない男』を手にとって見た。裏の名札シールは105円であったから中身をあまり吟味することなく僕はそのままエスカレーターに乗り6Fから1Fへと降りた。レジで購入するとブックオフを出てドトールを探すことにした。街を歩いた。何分かすると見つけることができ僕はドトールで、ホットのカフェラテを飲みながら、買ったばかりの『もてない男』を読んだ。
ドトールを出た。夏も終わりかけていた陽射しのなかで悩みがさっきより軽くなっていた。

空手とバーチャルリアリティー

2013-03-24 20:02:16 | エッセイ
高校をなんとか卒業したちょうどいまごろ僕は極真空手の門を叩いて汗を流していました・・・。そう年齢にしたら18歳です。
まだ17歳の頃に深夜にたまたまフジテレビでやっていた極真空手の国別対抗戦の日本対ブラジルを見て元から興味を持っていたのと、高校3年間とかく勉強と家でゆったりしている事しかしていなく体を鍛えたりしてなかったのでもし道端でカツアゲにでもあったときに防御だけはできるようになりたいと思って空手をはじめたのです・・。
案の定、周りは学生の頃から野球やラグビーなどにその青春を費やしていたというような猛者ばかり、当時まだ痩せていて僕は白帯と酷く似合わない空手着をまとって隅っこで正拳突きの全体練習に参加したりしていました。
ガチンコの組手では現役の自衛隊のレンジャー部隊の人にすっ飛ばされたり、また6割くらいの力で組手をするスパーリングのようなものでは元ラグビー部と思わしく喧嘩慣れもしている人の攻撃をなんとか運動神経だけで捌きまくり攻撃は一切繰り出せずにへとへとになったりと・・なかなかのヘタれキャラでしたしいまでもです・・(というかいまでは更にヘタれに(ーー;))
ようするに感じたのは筋肉の絶対量が違うという事実でした。僕は運動神経はどちらかといえば良い方なのですが、下半身の筋肉が多め上半身はもやしそのものだったので、とにかく毎日腕立て伏せを20回くらいですがやっていました。でもやはり成長過程で野球などを頑張ってやっていた人たちの腹筋の強さやリストの太さなどには18歳の体の成長が止まった段階からでは追いつけるはずがなくて歯痒い思いをしていました。
18歳の5月ころには5月病になるというもやしっ子そのものの状態になりとりあえず極真空手は退会しました・・。
白帯からオレンジ帯というちょっとマシな級位(9級)になったばかりで辞めてしまったのはいまでも後悔していますが、そのまま8級、7級・・と昇級していって初段である黒帯になるまでには客観的に見て無理だったな~とその頃の僕に言ってあげたいです・・・。
5月病的なうつを抱えてしまったのでしょうがないといった感じです・・。
ただそのブログなどはまだない18歳の頃(13年前の2000年の3月24日頃・・・かな!?)にホームページ作成もしていたのです・・。
HTMLやjavascript !?といった基礎からInternet上に自分のホームページを作っていた事はいまこうしてブログをそこそこ継続できている事になんらかでつながっているかもしれません・・・。
やはり僕はもやしっ子だな~と改めて実感するような過去の記憶と現在の姿なのでした・・。

本の紹介

2013-03-24 19:11:25 | 本の紹介
そういえば高校2年生の春休みに3年ではどんなクラスになるのかワクワクと不安で過ごしていた気がするのです。
高校3年生になって夏頃に読んでいた本を思い出してみたら、とりあえず『17歳だった!』原田宗典著作の本がありました。僕の世代の上は松坂世代で何かとアグレッシブな印象があるのだけれど、TVなどでも当時よく言われたキレる17歳とかは僕よりも1個下の世代と僕らの世代を中心として報じられたのだと思います。そんな頃に上記の本を買って読んだのです。原田宗典さんのエッセイは全て基本的に明るいもので、僕がはじめて読んだ『17歳だった!』という作品もすこぶる明るくて笑いながら読み終えたのを覚えています。
他に読んだ本は『これもすべて同じ1日』銀色夏生著作の詩集です。角川文庫のポータブルな作品なのでたまにページを開いては理想の女性との恋愛を詩集のなかの写真に重ねながら妄想していたのです。詩自体もその良さとかはよくわからなかったのですが感動して読んでいました。短いセンテンスが散りばめられているけれど中身は濃いといった本です。
高校3年の夏頃に買った本はもう1つ『宇宙からの帰還』立花隆著作の本なわけです。これは人類が月に行った話を中心にNASAのアポロ計画の詳細なレポートといったところでしょうか。学校で何となしに習ったアポロ計画の意外な内幕などが知る事ができ、いまはすっかり陰謀論などを信じるようになったけれどその萌芽はこの本だったのかもしれません・・。アポロは月に行ってないという割りと有名な陰謀論がネット上にはあってyoutubeなどではほんとうによく見かけるようになったわけなのです。
『宇宙からの帰還』はどちらかというとそのような陰謀論ではなくアポロは月へ行ったという前提の中で様々な人間ドラマが描かれています。僕が心理学に興味を持ったのもこの本きっかけでそれが高じて哲学とかにも興味を持ちました。
以上、紹介した3冊は高校3年生の夏休みに大規模書店で同時に購入しました。いま僕の部屋に残っているのはそのうちの2冊なのです。『これもすべて同じ1日』は時間の経過と共に何処かへいってしまいました・・・。もう1度いま読んだらどんな風に思うのかわからないけれど、もし本屋で見つけて余裕があったら再購入して僕の中で失われた世界観を夢想して見直すのも悪くないな~と思っています・・。

御徒町探訪

2013-03-13 21:50:01 | 小説
アメ横の大きな人の賑わう通りから右の細い路地に入る。サンクスが偶然あったので入る。ATMを探し出して見つけると誰も利用者がいないためすぐに画面操作することができた。そういえば携帯電話がスマートフォンへ移行しようとしているいま、タッチパネルというものは毎日触るものになった。といってもタッチパネル式のスマートフォン利用者にとってなのだが。以前私が高校生のときに図書館に行くとたいていその館内の為の書籍検索のタッチパネル式のパソコンが置いて有ったのを思い出した。
そんな郷愁に囚われていてはアメ横に流れる時間軸に押し流されてしまうため、そんな無駄な想念は捨ててさっそくサンクスのコンビニATMの操作に取りかかった。利用開始という大きめのアイコンを右手の人差し指でタッチすると「お使いの銀行のキャッシュカードを差し込み口に」という電子文字による案内が画面に表示される。私は財布のカード入れからいつも使うキャッシュカードを取り出しATMに差し込んだ。数千円を引き出すとサンクスを後にした。
上野から御徒町にだいぶ近づいた。御徒町を抜ければすぐに秋葉原である。秋葉原は最近とても人が多く疲労してしまうために私は御徒町近辺をうろうろと歩くことにした。
右側に見えたドラッグストアそして左側は高架の御徒町駅のコンクリートの壁。東京は何処へ行ってもコンクリートと鉄筋にいつのまにか囲まれて息が苦しくなってくることがさっきの郷愁の感情とは裏腹に私を不安にさせた。
駅前はやはり人が多くて交差点に立ち止まり高架下に止めてある緑色の車体に黄色いラインが入ったタクシーを見つめていた。信号機が青にかわると動き出した歩行者と共に道路を渡る。
渡ったさきは漫画喫茶やビデオルームやカプセルホテルやビデオショップがひしめく都会の中庸地点であった。何度か訪れたビデオショップに入ることも考えたのだが、体力もなく歩くのが苦手な私は左手に見えたDoutorにすぐに入った。
アイスコーヒーのSサイズを迷うことなく注文すると2階の席へ上がり、座るとバッグに入れて持ち歩いていたスマートフォンと文庫本を出した。200円での30分のリラックスをしたあと喫茶店を出て向かいにあるさっき入ろうか逡巡したビデオショップに貼ってあるタイタニックのポスターが太陽の光でだいぶ妬けてしまっているのをなんだか寂しい気持ちで通り過ぎて左へと向かいまた歩くことにした。御徒町には何もないと言われたりもするがとても狭い地域面積の中に有象無象がひしめき合っている。上野駅で降りてから浪費してしまったのはまだ200円であることに安心した。しかし雑踏にいる混乱のうちにさっきサンクスで降ろした数千円を使ってしまないようにただ歩かねばならないと思った。まっすぐに前を見るともう秋葉原の端が見えている。背筋を伸ばし服装を整えて歩いていく。毒々しい看板には夜になると光が灯りそれが遠目にはネオンとして東京を彩るのかと思うと全ての事象は繋がっている。私は200円の浪費への後悔の念に背中を押されながら歩行スピードを早めた。

大塚探訪

2013-03-10 21:35:41 | 小説
漫画喫茶のブース席を30分で出た。3Fからエレベーターで降りて日曜日の平凡な通りを歩く。さっきまで窮屈な姿勢で座っていたから歩くことがいつもより快活だ。より地下鉄の新大塚駅の近くまでいこうとするとよく見かけるファミリーレストランがあった。しかし周りは閑散としている。地下鉄の駅前とはあまり栄えぬものなのかと寂寞な風景をやはり引き返すことにした。ジーパンの裾がアスファルトの地面に擦れるたびに、Converseのウィンドブレーカーの中はアマゾンの湿地帯のようになり着ていた薄生地の白いTシャツはすっかり汗ばんでいた。風が強い。中国からの影響である黄砂と花粉が飛び回っている。歩を進めるたびに顔に微粒子のような花粉と黄砂があたり目の中に痛みをもたらすのがわかる。生まれてから1度も花粉症になったことがなかったが、地下鉄の新大塚駅とJR山の手線の大塚駅の中間地点で私の鼻腔に溜まった花粉と黄砂は限界に達しくしゃみをした。
私にとっては珍しい花粉により引き起こされた目の痛みとくしゃみを認識すると同時にまたくしゃみをした。そうして歩きながらくしゃみをしていて汗ばむ陽気とは裏腹に苦悩の散歩道になっていっていた。
きょうは手ぶらで出掛けたからジーパンのポケットがいつもしょっているPorterのダークブルーのミニショルダーバッグの代わりをしている。左のポケットにはiPhone4を右のポケットには萎れている2つおり式の財布を入れていた。路面電車の線路を横断してバスターミナルを備えたJR山の手線の大塚駅前に到着した。
リーズナブルであるDoutorはないかとバスターミナルを囲むように建つ雑居ビルを眺めて1Fには松屋そして階上にはカラオケ店があるビルの奥にはもしかしてDoutorがあるのではないかという勘がした。第6感に突き動かされて私はバスターミナルを周回して松屋の脇を抜けて奥の道を入って行く。汗ばみによる肌の不快感や黄砂と花粉による鼻と目のむずむずやそして僅かながらの歩行による疲労が座りたいという激しい欲求を私にもたらしていた。
入った道を行き、辺りを見回してみると黄色の見覚えのある看板と緑の足拭きマットを備えた珈琲の匂いを放つDoutorになんとか辿り着いていた。バスターミナルで閃いた第6感は間違いではなかったようだった・・。グレーの自動ドアボタンを丁寧に押して中に入りアイスコーヒーのLサイズを迷わず注文してジーパンの右のポケットから2つ折式の財布をとりだしマジックテープで閉じている小銭を入れてあるスペースを開けて首尾よく100円玉を3枚取り出してカウンターの上の銀のトレーに置いた。アイスコーヒーを受け取り禁煙席に雪崩れ込むと私は左のポケットからiPhone4を取り出してロック解除しKindleのアプリを開いた。すでに購入しダウンロード済みの電子書籍を読むことにした。体内の疲れと黄砂と花粉を吹き飛ばすために。アイスコーヒーを飲みながら読み進め体力も回復した。結局、私は日曜日の散歩において喫茶店を梯子してしまった。
最近とみに人生がよく分からなくなったとDoutorの自動ドアーをくぐる時に想起し歩を進めるにしても角度の高い陽射しが行く先への推進力を弱まらせた。裏路地である暗がりのすぐ3歩先にはもう照り付けられたアスファルトと体感温度の低い熱気が顔を出す。バスのターミナルにはひと気が無いようだったが亀の親子が甲羅を並べるように駐車されているタクシーにはそこを通過する人々の姿が反射し対比的に賑やかな雰囲気をしているように私には見えた。タクシーもバスも乗るために待つ人は誰もいなかったのだが、乱反射する喧騒は眩い光となり虚空にさえ意味を与えていた。大塚駅前に辿り着くとiPhone4のハードケースに忍ばせていたPASMOを取り出して私は山の手線に乗った。池袋に着くと陰ることを知らない陽光を背中に浴びながら西武デパートの前を人の波にのまれて歩いた。何度も前から来る人にぶつかりそうになり摩耗する神経と休めたはずの足の痛みが揺り戻してきた。店舗が2Fにあるマクドナルドの前はいままでにおそらく何百回も通ってはいるはずなのに私はその内装が具体的にどうなっているかや店舗の敷地面積を知らなかった。無知蒙昧なる己を恥じた。
ビックカメラを抜けてヤマダ電機のLABIで携帯電話のフロアーを見て回った。大量に並べられているスマートフォンはそれだけでひとつのアートのような錯覚に陥りそうになる。TOSHIBA製のREGZAフォンを手にとってワンセグ機能を確認してみると高鮮度な作りに驚かされ私の左ポケットに少し疲れて眠るように横たわっているiPhone4もすっかり歳を重ねたことを実感させられた。REGZAフォンを急角度な展示台の上に戻してLABIを後にした。池袋からもう家に帰ることにした。電車に乗り最寄り駅前に着くとできたばかりの100円パーキングに停めてあった自転車を取り出してとりあえずサドルに跨った。それだけ足が疲れていた。しばし静かな時間軸で流れる街並みを眺めたあと私は自転車を漕ぎ出した。陽はまだ陰ろうとはしていない。南中高度はだいぶ上がったはずなのであるのだが大気の中に日光を遮るだけの充分な湿度がないと思われたので、とても乾燥している3月というものを手に刻まれたひび割れと共に実感した。自転車のハンドルを強く握り少しスピードを上げてみた。歩くよりも疲労が感じない。私はあっという間に自宅に着き自転車をガレージに停めて家の中に入るとすぐさま階段を上がり部屋でウィンドブレーカーとジーパンを脱ぎ眠りについた・・。
中途半端な時間に目覚めたことを後悔した。ベッドから起き上がり暗がりの中掛布団をたたむ。開け放たれたカーテンを閉めると電灯を付けた。そのままベッドに座ってしばらく本を読んでいたが頭に激痛が走り1階へと下りて、台所の冷蔵庫から水のペットボトルをとりダイニングで飲んだ。不規則に入眠したことが起因させたと思われる頭痛を抑えるためにと鼻から吸いこんだ空気を口からゆっくりと吐き出すという動作を繰り返した。冷たい水を飲みながらしばらくすると激痛は抑えられた。時刻は夕方の5時である。あたりはもう暗くてまだ訪れぬ春を待つ焦燥感とのたたかいを感じながら夕飯をどうすべきか思慮に明け暮れた。昼に摂取したカフェインは残ってい頭痛が引く事を邪魔しているように思えた。
1階のダイニングの椅子に掛けてあったスラックスを履きコンビニまでゆく事にして出掛けた。歩いていくとすっかり暗くなった夜道が長く感じられた。まだ芽吹かぬ桜の木を見上げながら通り過ぎてマンションも通り過ぎて右に曲がり横断歩道を渡った。
先には点灯しているファミリーマートの看板が見えた。頭痛はだいぶん抑まってきていた。暗がりの中にはためくファミリーマートのネオンライトに近づくにつれて下がっていた気持ちが上向いてきていた。なにを購入するか逡巡することは物品を手にしたあとよりも人のテンションを否が応でも上げる。物品を手にしたあとはそれを失う不安に心が押し潰されそうになるからだ。ネオンライトはだいぶん近づいてはいるのだがまだ着かない。足は疲労することはないが昼間の歩行で足の裏に薄く豆ができていてそれがスニーカーのなかでたまに擦れて僅かな痛みを感じた。ファミリーマートの自動ドアーをくぐると弁当コーナーで海苔弁当を手にとってレジで会計をしてコンビニを出た。夕飯は結局いつもと変わらずコンビニの海苔弁当になってしまった。頭痛も足の裏の豆の擦れる痛みも帰り道ではあまり感じることはなかった。夜の空気は昼間に濁っていた時とは違い透明さがあるように思えた。それ故に夜道を歩く私を不安にさせた。しかし透明さのある夜道の空気は昼間と違い遮るものがなくて、不規則な入眠と自意識の追い込みで私にもたらされた不健康をその中に吸い込むと同時に大気の遥か彼方へといざなってくれた。帰宅して茶色のファミリーマートのビニール袋から海苔弁当を取り出してダイニングのテーブルに置くと洗面所で手を洗った。洗面所のライトをつけ鏡を覗き込むといつより血色は良いが目の下にクマがある冴えない私の顔に遭遇した。この目の下のクマがなくならない限り私は花粉症にはならないことをなんとなしに思った。そしてダイニングに戻って海苔弁当を食べた。
ダイニングで海苔弁当を食べ終わるとプラスチックのケースをゴミ箱に捨てて2階の自分の部屋へと上がった。夜の7時にはなろうかという時刻である。
自意識の波に押しつぶされそうになるのを感じながら薄暗い電灯の下で私は黙々とクマの木彫りをしていた。下請けしたデザインを木に掘り起こして行くことが私の唯一の収入源であり内職としての生きるあり方であった。
このようなものを削り上げて観光地などにある民芸ショップに納品したとしてもそれで得られるお金は雀の涙にしかならない。しかし私には自分の暗い部屋で木彫り専用に改良した机の上でやり続けなければ時間が埋まらない。とりたてて趣味がないし企業などで働くのをどこか拒否してしまう私の引っ込み思案で内向的な性格が、仮の生きる意味を木を削って熊やイノシシやシカといった民芸ショップに並ぶような形を作り上げていくことにしか見出せないでいた。
しかしそんな隠匿した生活そして、間接照明の部屋、そして私のそんな非生産的な在り方を気にってはいた。
すこし掘りおこすのに疲れるとコーヒーを下から淹れてきてドビュッシーや久石譲などのインストロメンタルを聴きながら一服する。
そしてまた木彫りを机の上でして、夜の11時にはシャワーを浴びてまた眠った。
朝起きると昨日、完成させた木彫りの熊が太陽の光を浴びて誇らしげに立っているのを見て夜半前に終えた作業が少しは満足いくものであったことを確認できた。