エッセイと虚構と+α

日記やエッセイや小説などをたまに更新しています。随時リニューアルしています。拙文ですが暇つぶしになれば幸いです。

エッセイと虚構と+α

2013-02-23 11:29:39 | エッセイ
       序文

 最近少しネガティブなことをupしては消してまた書いてみたいなことを繰り返してしまったのですが、なるべくそのようにするのは控えてできる限りポジティブな日記を書いてゆこうそう改めて思った。ひと月に何回もそう思いなおしたりしながら生きていてそのたびに学ぶことができているように思う。
ブログに書いた日記をすぐさまupせずに、たとえばオフラインでパソコンのエディターとかiPhoneのメモアプリとかに溜めておいてよく推敲して吟味してからupしたりするほうがいいに決まっているけれど、ネットに高校生の頃から親しんでいる世代としてはついすぐに書いたものをupするほうをしてしまう。自分がネット世代だからといって拙速なupをしてしまうぼくの未熟さを言い訳してはいけないのだけれど、やはり20代の時も毎日メールしてた時があったし、どうしてもネットの力に頼ってしまう。
高校生の時にストレートタイプの携帯を皆が持ち始めてもぼくは携帯を高校を卒業するまでは持たないで過ごした。
大学に入るまえに、TVで藤原紀香のCMを見て、ビックカメラでJ-Phoneの携帯を契約した。それが初めて持った携帯電話でストレートタイプで、液晶は小さくカラーではなく、電話とメールとわずかなWeb機能がついていただけだった。J-PHONEはベッカムがCMをするvodafoneになり、いつしかしゃべることのできる犬がお父さんのCMのSoftBankになっていた。
そしていまぼくはフリック入力してiPhoneで文章を書いている。
途中他社に乗り換えたりもしたのだけれど、なんだかんだで最初のJ-PHONEと同系のSoftBankのiPhoneを使っているわけで、やはりぼくは王道のdocomoにはなかなか縁がないのかなとも思う。まぁでもiPhoneを使うためには昨年の初め頃まではSoftBankの選択しかなかったわけで、iPhoneに吸い寄せられるように契約した。いや契約してしまったと言うべきか・・。現金での一括払いでの購入ではなく分割の契約をしたわけで、まだ数回の支払い残金がある。iPhoneはなんだか不思議とぼくにあっているのか手によく馴染む。
パソコンはWindowsしか使ったことがなく、iPhoneでApple社の奥深い世界に触れたのだがやはりよく出来ているということが使うたびに分かる。
ガラケーと呼ばれて久しい2つ折り携帯も20代の中頃には愛用していたのだが、やはりiPhoneには独自性があるように感じている。
docomoの店頭などでギャラクシーなどのAndroidスマートフォンを触ってみたりしてその使いやすさ性能の高さにも魅了されAndroidスマートフォンもiPhoneとほとんど変わらずに進化していることも確認した。
現在では進化や便利さではAndroidスマートフォンの方が抜け出た感があるような気がするのだけれど、それでもiPhoneの独自性がぼくは好きだ。
出来ればこれからもiPhoneはずっと使っていきたい感じがする。
そのためにはとりあえずなんらかの方法で稼ぎをつくることが急務なわけで、深夜のアルバイトでもいいからしなくてはならない。いやぼくはもっと焦らないとダメなのだ・・。
しかしナルコレプシーに似た睡魔がいつもぼくのそんなポジティブな焦りをかき消してしまう。霧が目の前を覆うように自然に睡魔は訪れてはまた消えてゆく。
いつの日かこの霧は晴れるだろうか?


①デメリットとメリットはコインの裏と表

 風呂に入ったというよりシャワーを浴びた。浴槽にお湯を張ることが減り家族もシャワーで済ますことが増えた。
シャワー浴びるだけだからお手軽で良いのだが、だんだん肌が荒れて、痒くなってしまった。熱いシャワーで皮膚がちょい痛んだのかも。外人はシャワーが多いようだけれど、慣れで皮膚は強くなっていたりするのかもしれない。中国でもシャワーが主流らしい。そもそもシャワーだけだと血行があまり改善されないが、湯船につかると、血流がよくなる。一説には日本人は湯船に浸かり血行がよく安定しているから、温和な人が多いとか。またある陰謀論的な考えからすると、湯船に浸かり血行をよくしてきたから日本人はノーベル賞受賞者が多いのではないか?というトンデモ説があるのだが、あながち否定するのも簡単な論説ではないような気がする。やはり血流、血行がよくなると脳内の血液の循環もよくなり、頭も良くなったりして。私は湯船に浸かるのが昔から苦手で、風呂から上がると親に「カラスの行水だね」と言われていたくらい長風呂できない体質なので少し情緒不安定気味なのです。頭の働きも良いのか悪いのか良くわからず、ただ昨年の山中教授とか以前の田中さんのように落ち着いた物腰で粘り強く研究していくということはできそうもない。まぁそんなことができる人など少ないしそんな選ばれた人にノーベル賞の女神は微笑んだのだろう。どちらかというと私は山中教授とは対極にいた森口さん?という謎のおっさんタイプだと思う。私は昔から虚言癖がありよくホラを吹いては顰蹙をかっていたりしていた。もちろんまだおっさんと呼べる年齢ではないので、そこまでの親近感はないのだが、なんだか他人事には見えなく、爆笑問題の太田さんの森口さんという謎のおっさんを擁護する発言には思わず大きく頷いてしまったぐらいだ。山中教授はマラソンが趣味ということだが、たぶんあの森口さんはマラソンをしたり、コツコツ何かをするのが苦手なのだと思う。僕も学生の時分から短距離は早かったのだが、長距離になるといつもびりっけつであった。浴槽に我慢強く入り血流を安定させることができず、どこかいつも情緒不安定である私は森口のおっさんの謝罪会見でテーブルの下でガクガクと震える足を見ながら嗚呼なんだか自分を見ているようだと思い戦慄を覚え、驚愕した。そういえば、ノーベル文学賞を逃しはしたが、村上春樹という人も長距離走が趣味だと本で知った。ノーベル賞と長距離走そして浴槽文化にはなんらかの関係があるのか?あまりにも深淵な問いなので、わからないわけです。ただ、森口さんというおっさんがたぶんコツコツとした研究や論文制作が出来ずに苦し紛れにホラを吹いた気持ちは僕にはよくわかる。虚言癖があってホラを吹いていた学生時代やはり苦し紛れにホラでも吹かなければ生きていけないくらい私は情緒不安定で追い込まれていた。誰かにではなく自分自身で追い込んでいた。森口さんという謎のおっさん研究者が情緒不安定なのかどうかも、浴槽に浸かる生活をしているのかも、長距離走が趣味ではないのかどうかも、わからないけど、ニュース映像で外観を見ることができた古びたアパートに独身で毎日生活していると話し相手が欲しいもしくはなんとなく注目されたいという孤独に陥った人間なら誰しもが持ちうる本能的な欲求からホラを吹きたくなったいやホラでも吹かなければ生きていけなかったと言えるかもしれない。独り言だけ部屋でつぶやいていても虚しいとき僕はネット上の友人によくホラや虚言を言ってその日その日をなんとか生きながらえてきた時期というものがあり、顰蹙を与えてしまった人たちは命の恩人であり僕の孤独な魂の救済者だったのかもしれない。
孤独に押しつぶされそうになると森口さんという謎のおっさんや私のような人間はどうしてもホラをついてしまうのだろう。孤独というものに心を支配されないように。そう本能的にしてしまう、もしくはしてしまったのだと思う。それだけ孤独というやつは厄介で意外と怖ろしいものなのだ。小説や文学作品はひとつの虚構であると思う。小説はたいてい独りで静かな時間に読む。もし小説という名の虚構作品が研磨されたホラの集合体だとしたのなら
、孤独な人間の発したホラが同じような孤独な人間を救済するなどということもあるのかもしれない。
ホラには人に迷惑を掛けてしまうというデメリット、毒があるのだが同時に人を孤独から救うという軽い薬のようなメリットもあるのかもしれない。

  ②煮詰まったら水をたす

頭がオーバーヒートしそうだったから、シャワーを浴びることにしました。僕は考え事をし過ぎるとたいてい頭がオーバーヒートしてしまうのです。ちょっと昔、リラックマというキャラクターが流行りましたよね。その本のなかに、「煮詰まったら水をたす」という言葉があってまさに僕に必要なことだなと思ってよく実践しているわけなのです。考え事に煮詰まってしまっている頭にシャワーで水をかけると、「シュー」という音と共に水が蒸発していくように、頭の中の余分な思考も何処かへ飛んでいくような感じがします。もちろん、この寒い中なので、水といっても頭にかけるのは適温40度くらいの割りと暖かめのお湯なのですが、どっちみちいらない思考が流れていくことには変わりはないのです。夏場は、ほんとに冷たい水を頭にかけていましたね。やはりこれが1番気持ちが良いし、こんがらがった頭をシャキッとするのにはよく効きました。極真空手の方々が正月に三峰山で上半身裸で滝に打たれながら正拳突きをするのは非科学的なようで、すごく理にかなっているわけなのです。シャキッとすることの極限なのです。正に極真。名前通りの素晴らしき滝行です。
オーバーヒートした頭をシャキッとさせていまこんな独り言を書きしめているのですが、そういえば、いままさに冬の真っ只中なのだな~ということに気付きました。暦の上でもそうだし、このまえ降った雪も路面にシャーベット状になって残っています。冬は外は寒いのに、恋人同士のメイクラブは熱いですよね。なんだろうお互い体で暖め合いたいという欲求が強くなるのかな・・。そんなメイクラブをしたことがほとんど、ないので非常に人恋しいわけです。僕にそんな熱いメイクラブをする相手がなぜいないのだ?と夕方から5時間も考えていたので、頭はたぶん、オーバーヒートしたのでしょう。でもこの孤独を噛み締めてこその人生です。真冬にベッドの中で独り言を打ち込むのも悪くはない訳なのです・・。

 ③好きな俳優さんについて・・

盗聴器いや盗撮器が仕掛けられているような気がする・・・ついにぼきも頭がおかしくなってしまったのか(@_@)?
いつも誰かに見られている気がする。家族との会話が聴かれている気がする。ぼきは変態男なんでいろんなエロサイト見ていたから、もし盗聴、盗撮器が仕掛けられていて、見られてる、聴かれているとしたら自業自得なのだろう。それに見られてたりすると痩せるっていうしこれを機に100kgある体重をなんとか80kgまでもっていって全て筋肉に変えて空手家を目指すのもいいのかもしれないな・・・。
浅野忠信が出ていた「Party7」という石井克人監督の映画は面白かったんです。なぜ盗聴の話から唐突に映画の話になったかというとその「Party7」の浅野忠信演じる青年は覗きが趣味で少年院送りになったりして、精神科を受診していたりと、ぼき(@_@)となんだか性質が似てるのです。といってもフィクションの人物ですし、ぼきはいかがわしいエロッサイト!は見てしまう変態男なのですが、覗きも盗撮もしたことないし、少年院送りになったこともないのです。ただ精神科というか心療内科は受診しています。
あとなぜか浅野忠信は覗き趣味の青年の役をけっこうやっているのです(@_@)
ぼきの知る限りだと、「Focus」でまだ携帯電話がそんなに普及してないときの、ラジオや電話回線の盗聴マニア役をやっています。途中、おとなしい盗聴青年が車の中でキレて豹変するところは、浅野忠信の演技の魅力爆発です(@_@)オススメです。
あとわりと最近の「乱暴と待機」という本谷有希子原作の映画。浅野忠信はこの映画でも、ランニングに行く!と嘘を言って屋根裏に身を潜め妹(舞台を中心といて活躍している女優の美波ちゃんが演じていて、メガネ姿がすごく萌えなのでお勧めです(@_@))を覗く兄を演じています。浅野忠信の寡黙に妹を見守る姿には変態チックながら涙なしには見れないのです(@_@)
ぼきの知る限りでは、浅野忠信が覗き青年の役をやっているのはそれぐらいなのですが、たぶん他にもあるかもしれません。あ、!たしか、つげ義治という漫画家が原作の「ねじ式」でも何かを覗いてるようなシーンがあったかもしれません。しかしこれはあまりよく覚えていないのでたぶんちがうかな~(@_@) でもなんで浅野忠信は覗き青年の役が多かったのかな~内向的そうなオーラだからかな?でも実際の浅野忠信の性格はわからないので、なんとも言えません・・・(@_@)
まあぼきはとにかく浅野忠信が俳優のなかでは1番好きなのです。演技が上手い下手はいろいろ言われていたりしますが、ぼきは(@_@)ぼきみたいな変態チックな男を演じてくれる浅野忠信が大好きなわけです。もちろん浅野忠信はぼき(@_@)のような変態男ではないです。ダンディーで渋くかっこいいオーラのある男性で正反対の人かもしれません。
そんな正反対の人がぼきのような(@_@)ちょっと、いやちょっとどころではなくヤバい(これはいい意味でのヤバいではなく悪い意味です。)男を演じるということは浅野忠信という人はやはり演技力のある人なのではないかな、などとぼきは思うわけです(@_@)
あと浅野忠信が兄貴分として慕う、永瀬正敏もかっこいいと思います。この2人が激しい火花を散らす「エレクトリックドラゴン80000V」という映画は70分くらいの短めの映画なのですが、ぼきが24歳くらいのころ6畳の風呂なしアパートに住んでいた時に、1番好きだった映画です。浅野忠信の映画はたぶん男子向けなのかもしれません(@_@)
現代の高倉健さんという感じもして、なんというか男が男に惚れるというやつです。(性的な意味ではなく(@_@))
というわけで、盗撮、盗聴妄想は苦しいのですが、浅野忠信の映画を見るとそういった妄想のようなものがないときより感情移入がすごくできて何倍も楽しめるのです(@_@)!かといって盗聴、盗撮妄想は苦しいのですが・・・(@_@)
この場合はデメリットを90として、メリットは10くらいが丁度いいかもしれません(@_@) でも宝石とかと同じで、ギュッとつまっていて純度の高いもののほうがけっこう価値って高くないですか(@_@) すいません、柄にもなくちょっと良いことを言おうとしてしまいました(@_@)
あ、あと最後に小説や映画のタイトルでもありましたが、なんでもダイヤモンドは傷つかない(@_@)らしいです。

 ④再チャレンジの意味

女の人と付き合ったことがなく、女の人と付き合いたいがためにお笑い芸人になりたいと思っていた21歳のころ、
例えば、好きな小説を10ページくらい原稿用紙に書き写してみたり、いろいろと勘違いしてお笑いを目指してネタを書かなきゃいけないけれど、書けないときに、爆笑問題の日本原論をノートにもそのまま書き写してみたりして、そしたら少しネタのようないびつなものを書けるようになったけど、松みのるさんの事務所のオーディションにネットで知り合った漫才の相方とやってみたら、案の定、だだ滑って。顔も硬直気味で、ぼきは(@_@)
こりゃダメだと思ったのです。
これは現実というかリアルな実話なのです。21歳のときでもう10年経ったから恥もいまはありません。いや恥ずかしがり屋なのは変わりませんが(@_@)
ぼきのような引っ込み思案な人間がお笑いを目指すのは、安全ロープなしで、バンジージャンプするようなものなので、オススメはできません。たまたま落ちた川の水が深いため生きています(@_@)
というかそんなやつぼき(@_@)のような超絶痛い小僧しかいませんでした。
悲しいかな・・。だけど、その3年後に女の子と付き合えたのは、そんな無茶なことをしていたからかもしれません(@_@)なわけないか(@_@)
どっちみちちゃんとした恋愛にはならず、振られてビンタされて落ち込んだのですが、何かを捨て去ることはできたのです。重く鎖のようにぼきを(@_@)
つないでいたものを。それがまた災いし、イタい挑戦や、行為を繰り返しているうちに31歳のぼき(@_@)になっていたのです。普通このような失敗談は、社会的な地位がある成功者などが笑い話として、酒の席などで(≧∇≦)←このような表情とともに、わはは昔はそうだったんだよ、なんて語るのが世の常なのですが、ぼきは(@_@)やはり、生まれついてのイタい挑戦をする体質が改善できないため、またまたこのような生き恥を語ってしまった(@_@)でも言えることは、失敗から学んだことは無駄ではなかったかもしれないんだと最近よく思ったりして、ようするに挑戦すると傷つくしたいてい失敗し後悔、リグレットをするのですが、挑戦せずに後悔、リグレットをする方がもしかしたらつらかったのかなとも思ったりするわけなのです。
でもやはり変な挑戦をせず会社員になり、お見合いとかでパートナーと出会ったりしたはうがよかったのかもなーとも思うのです。いや現状よりそっちのほうがいいに決まっています。でもなんかわかんないけれど、岡本太郎が挑戦したものには再チャレンジのチャンスがあるって本で言ってたから、また頑張ります(@_@) そういえば、安部晋三総理も再チャレンジ総理なので、安部晋三総理に激しく萌えながら31歳のとりたててなにもないぼき(@_@)もアベちゃんみたくがんばろうかなとも思うのです。
でもこれからわたくしが、とりあえず挑戦するのは、ダイエットという名の体内脂肪の何%かの削減なのです。
マクロ(大局)ではセイフティーネットの削減で、ありミクロ(小さなこと)では体内脂肪の削減なのです。片方は経済であり、片方は、個人の日常生活なのですが・・・(@_@)
とにかく挑戦して、いろいろ失敗して、恥をかきまくってきたのですが、31歳、周りからはなんとなく責められてると感じもしくはお叱りの言葉もよく受けるのですが、その通りだとひざをうってそのまま寝転んでこんなことを書きしめているのです(@_@)
でも岡本太郎は岡本かの子という大作家の息子さんで、あまり評価されなかったこともあるようですが、最近岡本太郎を2世としてではなく個人として再評価する書物も何冊か読みました。
また生き恥をかいてやろう!(@_@)などといらぬモチベーションとやらが湧いてきてしまいました。信じる感じないかは自分次第ですね。どうするの俺?!てか答えはでないし、答えは誰もしらないし、答えはたぶん数学の二次方程式や微分、積分のようにあるわけではないようです。たぶん。
そんな負け惜しみにも似た言い訳をモチベーションにして改めて2013年、31歳から32歳にかけてとりあえずダイエットを歩くことを頑張ってみようかと思っています。もちろんその先に、就労を目指してなのですが、そんなことを思っています(@_@)

 ⑤ 宙ぶらりんな冬の日

きょうは2月19日とても宙ぶらりんな
日であり 1年で1番中途半端な日と名付けたい。
しかしそんな日でもありえないほど気温が低く寒いという・・・2℃。
安倍晋三総理いっそこんな寒すぎる日は国民の祝日にしませんか?いかがですか?駄目ですよね?駄目ですか・・わかりました・・。
まぁそんな寒い日にも暖かいことはあるはずで、ウインターソングをあさって聞きまくるのもいいかもしれないな~ しかしクリスマスもバレンタインも過ぎたのなら曲のセレクトもなんだか難しそうだ(・・;) やはり宙ぶらりんな日なのだ。
こういうときは海外ドラマをシーズンボックスで全部見するしかないかもしれない。プリズンブレイクを見て極寒の今日でさえもなんと良い環境なのだと再確認してみるのも悪くないな~。
プリズンブレイクは主演のウェントワース・ミラーがまだ太る前でかなりイケメンなので何気に萌えます。おっさんしかでてこないけれど。刑務所ものらしく女の登場人物は女医さんくらいかな・・。
まぁまた春がきてもそんなには変わらないし、ゲームで現実逃避やカップルの闊歩する街並みを肩身狭く歩くのも青春なのかもしれない。
いっそ冬を満喫するしかないわけです。
公園で寝泊まりしてみてはたして凍死するか否かを実験するもよし、スケートリンクでトリプルアクセルに挑戦するもよし、アイスホッケー部に体験入部するもよしなわけなのです。
この中途半端な宙ぶらりんな日がなんとも言えず好きだ・・。
こんなときに空いているであろうデパートの屋上から見える景色はきっと澄んでいるんだろうな。学校の校舎の屋上から見る景色の何倍も。
大学をサボっていたころよくデパートの屋上にいったものだ・・。誰も自分を知っている人がいないから落ち着くんだなぁ~これがどういうわけか・・。もちろん鉄柵に登ったりはしていません・・。ベンチに座って律儀に読書したり、アメリカンドッグを食べたり、その際に服に飛んでしまったトマトケチャップを拭こうとしたけれど拭くための紙がなくて困惑したり・・いい思い出ばかり・・。
冬の宙ぶらりんな日の過ごし方は、いっそ冬を極めることに尽きる。 いつのまにか春にはなっていて、そしてまた夏を待ち焦がれるのだから・・。

  LINEPOP

晴れてるな~このように天気が良いと何処かへ出かけたくなるな~



このゲーム難しいね LINEPOPっていうの? LINEとなにか関係あるのかな?

ヒップホッパーでチェケェラチョなキャラクターはイカしてます( ´ ▽ ` )ノ♪

さいきんゲームはしてなかったから鈍っていた・・。
ゲームはサッカーとか野球とか格闘系のしかやらなくなったのです。以前は、FPSというジャンルのわりとマニアックなシューティングゲームをやってました。
PS3などで、COD MW3 とか バトルフィールド3 とか慣れるまでかなり難しいけれど、オンラインでアメリカ人やドイツ人やブラジル人などと架空の戦争ができる いやできてしまうというべきか・・・ まぁとにかく面白くてハマってプレイヤーには日本人もいるけど、FPSというジャンルのゲームに関しては外国の人いやとくにアメリカ人が強かったな~(*_*)しみじみ
銃社会であり戦争をさいきんでもしばしばしているだけあって、なんというかゲームを超えて本当の戦いになっていてまぁ戦争シューティングゲームに関してはアメリカ人がとにかく強いです。このFPSというジャンルのゲームは日本ではもうかなり有名になってゲーマー男子ではやってない人はいないぐらい流行っていると思われ、でもグラフィックとかが、リアル過ぎるので、本当の戦争のシュミレーションにも使われるとか・・とくにアメリカではかなり技術も進んでいて映画並みのリアルさです。
それゆえにぼくはさいきん柄にもなく、自然懐古主義や平和主義に目覚めてしまいFPSをやらなくなってサッカーとか野球とかのスポーツゲームばかりやっていたのです。
でもやると楽しいしハマっていたときは夜中に外人と部隊を組んでノリノリでやってました。外人っていい意味でも悪い意味でもやはりはっきりしているというか・・あくまでネットゲームの顔の見えない感じなのでそんなに深い実感ではないのだけど、日本人には日本人の外人には外人の良さ、悪さがあるな~などと思ったのです。
もちろんほとんど英語もわからないし、メッセージの英語もなんだかよくわからないけれど、ようするにそのシューティングゲームのプレースタイルでどんな人かなんとなくわかったんです。あくまで内的な感覚なのですが・・。まぁ外国の方と話したりほとんどしたことはないのだけれど、なんとなく外人と日本人の違いやそれぞれの良さとかをバーチャル空間で分かることができたのです。それだけ一時的にせよ、ぼくは戦争シューティングゲームにハマっていたのです。中毒までにはかろうじてならなかったのだけれど、ゲームってやっぱり面白いし、ハマるんです。とくにぼくはゲーム世代でもあるので、ファミコンが小学生のときにあり、ずっとやってきているわけで、ゲームへの熱意は実は本や映画への思い入れより強いかもですね。

サッカーゲームや野球ゲームはいまでもするからいろんな息抜きにいいんです。 久しぶりにFPSのソフトを押入れから引き出してやってみようかな・・

でもなんだか少しだけ世相が右傾化している予感がするので、しばらくはおいておきましょう。 やはりサッカーや野球など平和な戦いに時間を費やすかな。 でも右傾化しているとはいえアベノボトルでさいきんぐびぐび何かを飲んでいたアベちゃんには相変わらず萌えながら、日本が世界に誇る平和な憲法とくに9条はなんとしても変えて欲しくないと思い、この思いアベちゃんに届けと思っています。

平和は共同幻想で国家も社会も共同幻想と捉えればそれまでなのですが、
なんだかんだでGHQの草案した平和憲法で戦争をあくまでバーチャルなゲームとして楽しめる余裕と平和が成立している。そんな少しだけ奇妙なバランスも継続していけば、アベノミクスももっと活きてくるのかな?などと
経済学と政治学がかなり苦手なぼくが生意気にも思ってしまいましたすいません。
そんな不均衡なバランスによって水が高いところから自然に流れるようなありかたも保たれていることがたくさんあるのだと日曜日に思いました。
世の中というものはやはり複雑であり微妙なバランスなどで成り立っているのかもしれないな~と思ったのです・・。

でもきょうは晴れやかで空気も淀みがなくすごくポジティブな気分になっています( ´ ▽ ` )ノ♪ LINEPOPをやったせいかな? 違う世界に触れるのも新鮮な驚きで脳にPLUSな刺激をもたらしてくれるのかもしれないな~ (´Д` )そうだまちがいない! そんなことでお昼になっていました (´・_・`)

本の紹介

2013-02-23 10:45:31 | 本の紹介

①書くこと

受験・テストシーズンでありますね。
大学のテストなど小論文がありけっこう苦労したのを思い出しました。作文力をなんとかつけたいと自己流で奮闘していたのですが、ある日ふと本屋に立ち寄ると「800字を書く力」という本に出会いました。

わたくしには女性との出会いは皆無に等しいくらいなのだけれど、本とはよく運命的な出会いをします。
この「800字を書く力」は文字通り400字詰め原稿用紙2枚分、800字を書く力をつける方法を国語の先生が教えてくれている本です。わたくしは何年か前にこの本を読んだのですが、いちおうこれを参考にしながらそれなりにまとまった文章を書けるようになりました。800字は普通の書籍全般の1ページ半くらいの分量です。でもいざ書くとなるとなかなか難しいもので、わたくしは作文が苦手で、小学校、中学校、高校と国語で苦労していたためなかなか800字書けませんでした。すごくたくさんの量な気がしていたのですが、最近はなんとか拙文ですが書けるようにはなったと思います。もし気になった方がいたら本屋やAmazonやブックオフをお探しになられると良いでしょう。ちなみにこの本がある確率は普通の本屋よりブックオフのほうが高いかもしれません。確実なのはAmazonですが・・・。
では次に、先の本が基礎だとしたのなら、少し応用的な本があります。
ちなみにチョットくどいかもしれませんが、あくまでもわたくしの個人的な意見なので絶対はなくあくまで参考までに。
「文章は写経のように書くのがいい」

ご活躍中のコメンテーターであり、著述家であり、医師の香山リカさんの書いた本です。
この「文章は写経のように書くのがいい」もやはり本屋で偶然出会いました。そうあれは夏の昼、リブロの地下で「こんないい本があるよ」と800字は書けたけどもっと書くにはどうすればいいかわからなくうつ向いて歩いていたときに問いかけて来てくれたのがこの「文章は写経のように書くのがいい」という本でした。
執筆には手書きよりパソコンで、しかもエディターというメモソフトを使ってライトにスラスラ書いていくと良いというような箇所には思わず目から鱗が落ちたのです。
女性はさきの「800字を書く力」はすでに持っていると思しき方はこちらの「文章は写経のように書くのがいい」から読ままれるのが良いと思います。著者が女性ということもあり女性の感覚に近い本だと思います。でもわたくしのようなもてない男の中の男にも参考になりました。間違いないです。
本屋やブックオフにはもしかしたらなかなかないかもしれません。Amazonで買うのが徒労はなく済みそうです。
ではより応用というかビジネス文書向け、お仕事でのプレゼンテーションなどに文章作成しなくてはならないなどの方には、こちら

「原稿用紙10枚を書く力」がオススメです。言わずと知れた明治大学の斎藤孝教授の書かれた本であります。
とりあえずまず、わたくしはいままだ原稿用紙10枚を書く力はないです。
たまに原稿用紙10枚ようするに4000字を書いたりもしますが、たとえば毎日継続的にはなかなか書けません。
ようするにわたくしもいまこの「原稿用紙10枚を書く力」をまだまだ参考にしながら文章力の強化に日々邁進中です。
そんなわけでもし文章が苦手な方がいたらと思い上の3冊を紹介させていただきました。

②電子書籍とケータイ小説

「ケータイ小説がウケる理由」

こちらは絶版になっているため書店にはおそらくないと思います。
ちなみにわたくしは2日前に隣の隣の町のブックオフで見つけ出しました。
この「ケータイ小説がウケる理由」という本は、2008年に出版されたもので絶版になってしまっているのですが、すごくいい本だとわたくしは個人的に思っています。
たいていすぐ絶版になってしまう本というのは売れなかったか評判が良くなかったかなのですが、この「ケータイ小説がウケる理由」の絶版に関して詳細はわかりませんが、わたくしはこの本はケータイ小説の未来や電子書籍の未来を考える上ですごく参考になる本だと思いました。
元値約800円でブックオフで400円で手に入れたのですが、新書にしては元値が高かっただけの価値はありそうです。絶版になってしまったジャンクフードならぬジャンク本の中の掘り出し物だとわたくしは個人的に思っています。
ケータイ小説も一般の小説も読む女子大生へのインタビューや、なぜケータイ小説を書籍化した本がベストセラーになるのかなど割と現場の肌感覚でケータイ小説を分析されている本で、著者は女性です。
いわゆるケータイ小説というもののステルスマーケティングだと言われればそれまでなのですがスマートフォンもこれから進化していくなかで電子書籍やケータイ小説の出版界での意味は大きくなっていくと思っています。
わたくしはこのgooブログはすべてiPhone4で書いてます。チマチマとフリック入力をしながらです。
さっきの記事内容で書くにはパソコンが良いらしいということを見出しましたが、わたくしはiPhoneやスマートフォンでの執筆もこれからはありなのではと思っています。
現に2つ折り携帯だけで、書かれた書籍がベストセラーになっているので、現実味のないビジョンではないかもしれません。そんな希望をわたくしに与えてくれた「ケータイ小説がウケる理由」という本は心からオススメです。
絶版なので、Amazonかブックオフにしかないです。ブックオフに探すと意外とあります。他のケータイ小説に書かれた新書もなかなか参考になります。

③表現すること


「演劇は道具だ」宮沢章夫
とりあえずこちらの本に関してはAmazonのレビューがものすごく参考になります。
演劇について、劇作家の宮沢章夫さんが書かれている著書ですが、演技すること全般に考えさせられます。
わたくしが好んだ本なだけで、賛否両論な中身かもしれませんが、わたくしはこの宮沢章夫さんの「演劇は道具だ」という本は面白いと思いました。
こちらは絶版になっているためAmazonで買うしかないようです。
表現することについても考えさせられあくまで本なので演技することとは遠い事柄かもしれませんが、面白かったからつい紹介しちゃいました!

④はじめての少女漫画購入

きのう久しぶりに漫画を買いました。

かなり面白かったし、なんだかキュンキュンときめいた(*_*)乙女になった気分で人生初少女マンガを買ってキュンキュンしてしまった( ´ ▽ ` )ノ☆!
マンガもやっぱりいい作品は本よりたくさんの感動とキュンキュンを与えてくれるわけです。
ちなみに写真に写っているのはわたくしの指です 笑
顔などはとても人様に自信をもってお見せできない感じで(^_^;)そんなこともないか・・。
とりあえず10kg痩せます!!! 切実に!!!
もっとキュンキュンするために!!

⑤モテ問題

深遠なる男の悩みそれはモテ問題。いやズバリ言うなれば童貞問題!わたくしは24歳まで童貞でした。童貞を克服したからといって人生が取り立てて前に進むようなことは無かったのですが、少し背負っていた重荷は軽くなったような感じがしました。しかし人間というのは結婚をし子供が産まれ育てなくてはならない家のローンを払わなければならないと年齢を減るにあたり背負う重荷は多くなってゆくようです。童貞を捨てて背負っていた重荷の代わりに新しい重荷を背負うことになったのです。意外とその重荷は重く生活全般にのしかかり人生というのはやはり重荷を背負い坂道を登ってゆくようなものだという名言を思い出し、楽なことなんてなかなかないなぁ~と実感したりしたわけです。
わたくしには子供もいませんし、結婚もしてないので、また家のローンがあるわけではないです。
一般的な30代の男子よりも気楽かもしれませんし背負うものは少ないかもしれません・・。
しかしあえて言うなれば、親の介護問題(これは皆変わらないですが)や孤独や将来への不安という重荷は背負っているわけです。将来への不安はどんな人にもあるし、孤独もある意味ではみんな背負っているものかもしれませんが、パートナーや子供がいない分、わたくしは孤独の重みは少しばかり既婚者の方より重そうです。責任のようなものは既婚者の方のほうが重いに違いありませんが、孤独はやはり親と暮らしていてもなかなか埋められません。親がいるだけ有難いですし、孤独を選んできたので後悔はほとんどしていないんです。
ようするに将来への不安とかで背負っているものは、無職も正社員の方も成功者も敗残者もそうは変わらなくありみんな苦しみながら生きているんだななどと柄にもなく考えてしまったのです。童貞を捨てたってそんなに変わらないけれど、捨てたら新しい何かが入ってくるハズだ!それは新しい重荷であり孤独であり、不安。それでもやはり童貞を捨ててわたくしは良かったと思っています。童貞を守りきって亡くなられた作家の宮沢賢治さんのよだかの星でも読みながら今夜も夜と遊ぼうかな・・・。





※ 上記の4冊の文献は深遠なる旅を生き抜きひとまずのゴールへと辿り着くためのなんらかのヒントになるであろう・・・。童貞道は深く険しい 故に挑むべきものだ それは登山家がなぜ山に登るのか という問いに似ている・・。

アイドルについて

2013-02-23 10:07:57 | エッセイ
②未知との遭遇

僕が中学生のときチャイドルというものが少し流行った時期があり、栗山千明や吉野紗香とか安藤希とか小嶺麗奈とか、伊藤なつ・かなとか野村佑香とか水谷ゆりとか小倉星羅とか野村恵里とかとにかくいっぱいいたわけです。広くいうなら宮崎あおいとか平井理央もチャイドルだったのだろう。
ようするに14歳の中学生のときに、男子校で女の子は近くにいないし、チャイドルに熱狂するしかなかったわけです。なのでやけに詳しくなってしまったわけなのです・・。
僕の記憶が確かならば、篠山紀信が幻冬舎の創立記念に出版した『少女革命』に端を発して、チャイドルという謎の世界は扉を開いたのです。僕は既存のアイドルとは、違うそんな響きに心を奪われてしまいました。トゥナイト2で取り上げられていた『Namaiki』
という新潮社から出た篠山紀信と中森明夫の作った写真集を僕は残しておいたお年玉を握りしめ(正確にはポケットの財布に入れて)態々、恵比寿ガーデンプレイスまで買いにいったわけです。繰り返しになりますが中学3年になったばかりの14歳の4月、何故かほぼ同じ年頃のチャイドルの子たちの写真集出版記念サイン会に参加していました。当時のアイドル界はいまとは違いとにかくそこに集う人にまぁお洒落な人は居なかったし、年齢層も高かったように思う。周りは大人ばかりで、14歳の少年ば僕ぐらいで、行列に並んでいるときとても落ち着かなかったわけです。篠山紀信や中森明夫にサインをまずしてもらうわけですが、やはり文化人はオーラがあるなぁなどと思いながらしかし、あくまで僕の目的はチャイドルです。サイン会には吉野紗香、栗山千明、橋本まみみ(漢字は忘れました)あともう1人いたけれど、さすがに17年も前のことのため忘れました。
とりあえず芸能人を間近で見たのははじめてで、ありきたりすぎるのだけれど、まるでお人形さん(書いていて恥ずかしいわけで)のよう、しかもフランスとかかなり高貴な感じのようするに、推理小説の小栗虫太郎作品の装丁のように少しミステリアスな感じのオーラを感じたわけです。4人のチャイドルの発する眩い光に圧倒された14歳のわたくしは、大人に混じって同年代の女の子にサインを貰う自分の恥ずかしさとか情けなさと高揚した気分で頭がボヤッとしたのを今でも覚えています。またいまとは違い握手や会話はできません。なので、黙々とサインをするチャイドルの子たちをただじっと見つめるというなんとも摩訶不思議な状態でそこには、もしたとえば何か話しかけたら警備員が、すっ飛んできて警棒で袋叩きにされてしまうのではないか?という緊張感さえあったわけです。自分のサインを書いてもらえる順番になり吉野紗香、橋本まみみ、名前は忘れましたが1人のかた、栗山千明と流れ作業で、金色のサインペンでサインはさっき購入したばかりの『Namaiki』に刻まれました。
いまもその『Namaiki』は僕の部屋の奥の本棚に眠っています。ワインで言うなれば17年の熟成物ですかね!?
とにかく無事、写真集の購入とサインを貰うことと、チャイドルを間近で見るというミッションは達成したわけです。で、興奮でボヤッとしていた頭が冷えてきて、改めてチャイドルたちを思い返してやはり、吉野紗香のまさに『Namaiki』というコンセプト通りの振る舞い、ふいんき、圧倒的な美少女性、肌の白さにこれこそがチャイドルなのか!と感動して涙を流さずにはいられませんでした。(泣いたのは嘘です。)そこで、対照的だったのは、栗山千明です。彼女にはいまのような強さが全面に出ているような印象はなくすごく大人しい印象をもちました。吉野紗香はまさに『Namaiki』まさにチャイドル!といった凄みに僕は圧倒されたのです。しかし栗山千明にはなんというかうまく学校にコミットメント(馴染めていない)できていない自分のように、『Namaiki』というコンセプトにコミットメントしきれていないような感じを受けて、シンクロ感(当時エバが流行っていたので、ちなみに僕はエバを見たことがなく内容をよく知りません。)を感じたのです。(なんだか文章のなかに感が多い・・・あと()も多い・・・)もちろん僕のような庶民とは別世界なので親近感などとはおこがましいのですが、1種の地味さ暗さみたいなのが逆にオーラとして強く感じたわけです。
良い映画にでたり、出番がいっぱいあればいいというわけではありませんが、いま栗山千明はある程度「売れている」と思います。いま吉野紗香はあまり「売れていない」かもしれません。現在、華やかな世界にいるのは、栗山千明なのは否定できないことです。吉野紗香が暗い世界にいるということではありません。でも、好対照な2人が年月を経て、また好対照な色合いになったりしたことが人生ってなんだかよくわからないなぁと僕を深く悩ませたのは確かです。
しかし、禍福はあざなえる縄の如しです。今後、彼女たちの人生がどうなっていくかわからないし、そもそも栗山千明と吉野紗香、本人同士はライバルとか微塵も感じてないかもしれません。あくまでみそじのバカ野郎の妄想の世界で対比させてしまいましたすいませんm(_ _)m実社会の何百倍、何千倍もの競争社会で、こんなことを感じるのもあれだけど、夢が成功するにせよ失敗するにせよ、本人が自分は生きていて充実しているなんて2人とも思えていれば、僕の部屋の本棚の奥に眠っている『Namaiki』のプレミアム感は上がるのじゃないかなどと訳のわからないことを信じて17年置いているワインのような写真集をもっとねかせてみようと決心しています。

③アイドルとゴシップ

むかし読んだ短編小説にバイオフィードバック効果というものについて書かれているものがあった。たとえば、デビューしたての女優さんがだんだんと綺麗になっていったりすることがある。それは、TVや雑誌の自分の姿を見ることでまたは多くの人から見られることで、自分で自分の顔とかを美しいほうへ変化させていくということだ。
おそらく脳の無意識的な働きで細胞に働きかけるのだろう。ようするにTVや雑誌で自分を見た情報を脳内で変換し細胞すなわち顔などにフィードバック(反映)させていく。僕の記憶がたしかなら広末涼子はこのバイオフィードバックにもっとも成功した女優なんじゃないかと思う。アイドル時代は今より全体的に地味というかなんというかようするにTVにでまくってるうちにめちゃくちゃ綺麗になっていたわけです。一般の人でもなるべく足を露出すると足が細くなるというのは小さなバイオフィードバック効果なのではないでしょうか。まぁこんな知識受け売りなのですが(-_-)たくさんの人の視線で足が細く引き締まる。芸能人になったことがないからよくわからないけれど、芸能人は一般人の何千倍も人に見られていると思うからそれだけバイオフィードバック効果が大きくでるのだと思う。だから整形疑惑がある芸能人のかたのなかには、このように自然に顔が美しく変わっていった例も多いのではないかと思います。まぁあたくしは、インドア派で冬は冬眠しているため一向に顔や体型が美しくなりません。だから芸能人ってなんだか凄いなぁ~と思ったわけです。

④三宅ひとみさんを実際に見て

ⅰ まずは「田中が考え中2」at 本多劇場 を観劇しての感想です。

最近のマイブームは、鳥居みゆきさんやオードリーさんやバカリズムさんのお笑いDVDです。
いや~最高に面白い!アンガールズさんのDVDをこれから見てみようかな名作の予感、ロッチさんやドランクドラゴンさんのDVDも見る予定です。
ちなみにヒロシさんは無料のエンタの神様ライブで見て久しぶりに生でみて漂う哀愁にやられました。当時DVDを見てました。これからもヒロシさんには注目しなきゃです。キングオブコメディーさんのDVDも見なきゃ!
パーケンさんと今野さんは出てきたときから応援していまも大好きな芸人さんです。高橋さんがパーケンと呼ばれているのはおぎやはぎさんのラジオで聴いて、高橋さんの面白さにはやられてます。鬼ヶ島の野田さんにも最高にしびれました。鬼ヶ島さんのDVDも注目ですね。
そしてひぃちゃんにも感動をありがとうございます。なんだかいろいろ教えられた。

ⅱ本多劇場で三宅ひとみさんを実際に見て

好きなアイドルとか女優さんを生で見るのは久しぶりであったのです。
やはり実物は思っていたよりも細くて白くて綺麗で顔が小さくて。
遠くからでしか見れなかったけれど、演技がどうのこうのとかは2の次でようするに芸能人としてのオーラというやつを感じたのです。遠くからだけど画面越しではなく本多劇場で。
アイドリング!!! 17号 ひぃちゃんこと 三宅ひとみちゃんは世知辛いいまの世の中に存在している稀有な存在なんだと画面越しではなく同室の空気の中で思った。それは、失われつつある時代の何かがひぃちゃんの存在自体にあって、人生に疲れている僕に癒しをくれたのです。ひぃちゃんが目の前で動いている、話している、そこにいる。
研ぎ澄まされた美しさ。ひぃちゃんは自分を磨くことにストイックで自分に厳しいゆえに人に優しくできるのだろう。だからこそ悩みも多いのかもしれない。自己研磨の過程は苦しい、苦しいゆえに孤独だし、悩む、迷う。しかしその折り合いがついた先には、心の中に抱えていた宝物は研磨され誰も否定することができない『オーラ』になるのだろう。
いつか、ひぃちゃんが試行錯誤を重ねて、より輝いてくれたのなら日本はたぶんもっと元気になる気がしました。アイドリングのメンバーにはそんな活力を溢れさす可能性がたくさんあり、スタッフさんやMCの方々の努力の賜物が深淵に光を放つための原動力としてあるのかもしれないとなんだか思いました。

すごくシンプルに言うと、ひぃちゃんを生で見てれ良かった。感動した!ということなんだ(^_^)b

⑤ブログから考えたアイドルのこと

いつか、しょこたんのブログ本みたいに、ひぃちゃんブログがブログ本になったらいいな~。
私は、女子の書いた文章を読むのが比較的好きな人間なのかもしれません。
たぶん男子校育ちなので、女子がなにを考えているのか、知りたくて、ついタレント本を買ってしまうのかも。
姉はいたけれど、やはり他人の女子がどのように考えたりしているのかは、読んでいて面白い。
たとえば、そんなに凝った文章でなくても、ストレートな表現のなかに、その時代性とかいろいろなものが詰まっているような気がして、あれこれ勝手に読み解いたり、想像したり、妄想したりしてしまうのです。
女子と直接話せば良いということもあるのですが、私には、残念ながら女子のお友達は現在いません・・。男の友達も2人か・・。でもかけがえのない男友達かな。
女子と直接話すことでわかることもあるし、あったのだけれど、ブログとかの文章ならではの発見は必ずあるような気がするのです。
割と女の子のほうが、スラスラと文章って書きますよね。小学校のとき、女子の作文のクオリティーの高さに圧倒されたのは忘れていません。
私は、小学校のときからとにかく文章が苦手で高校でもとにかくレポートとかに文字を自分の言葉で書いていくのが苦手で、小学校、中学校、高校とだいたい先生には、まとまりがなくてしかも短い文章だから、もっと頑張って書きなさいと言われてました。国語は苦手で、かなりの理系でした。いまもかなり理系だと思うのです。
飾らないストレートな文章には1番魅力を感じます。たとえば、よしもとばななさんとかの作品は難解な言葉があまりでてこないけれど、すごく面白いと思うのです(あまり読んではいませんが・・)
ブログならひぃちゃんブログが面白いと私は思うのです。やはりあれだけの分量書いているから至る所、研磨されている印象を受けたんだよね。
とにかく分量から質は生まれるんだなとやはり確認させられた。クァンティティー(量)とクオリティーは比例していくのかもね(^-^)
私は大学生になり、学部は法学部か経済学部を進められたのだけれど、親の反対を押し切り文学部という1番就職に向いてないところを選んでしまったのです。文学部は女子だらけだったけど、会話は下手で、ほとんどしなかったから、生殺し状態で、逆に辛かったりして楽しいキャンパスライフとは程遠く中退もしてしまったしね。嵐の櫻井翔さんとかフジテレビアナウンサーの斉藤舞子さんとか女優の山田麻衣子さんが同学年にいたのだけれど、キャンパスで見かけたのは山田麻衣子さんだけですね。心理学の授業が1年のとき一緒でいつもマネージャーっぽい女性がぴったりついてたのを覚えています。でも早稲田の広末の騒動みたく、人が群がることはなく、山田麻衣子さんは大学に馴染んで普通に大学生として授業を受けていて、私のほうがサボったりしていて、すごいな~と思ったものです。
櫻井翔さんは学内ではよく噂にはなっていたのですが、見かけたことはありませんでした。学部が違うのでたぶん見かけられなかったのだと思います。
斉藤舞子さんはアナウンサーとしてテレビで見て同じ学年だったのか!と驚愕しました。まぁ学年自体に何千人?もいるから、大学の同学なんて、中学校とか高校と違い、ほとんど意味はないのですがね・・。
でも斉藤舞子アナウンサーがひぃちゃん推しだとyoutubeで見たときはちょっと嬉しかったです。
とにかく私は文章が下手くそすぎて分量も書けなかったので、書けるようになりたいと文学部に入ったのですが、なかなかそう文章は上手くならずに中退して、いまも下手くそです。
でも31才になり下手なりに中ぐらいの分量書けるようにはなった。けどまだまだ質がついていきません。分量も明治大学の斎藤孝教授が言うように、原稿用紙10枚は書けるようにならないとな~と思ってます。
そのとき、私の文章にも質が伴い、町内会のコラムに文章を投稿するぐらいは小市民ながらできるかもしれません・・・。
私の欠点も見つめながら文章修行を頑張りたいわけです。そんな頑張りをヒーリングしてくれるスペースが三宅ひとみちゃんことひぃちゃんのブログだったりして♪( ´θ`)ノ
そんなこんなで、文章もやはりストレートがいいね。変化球もいいけど、やはり、変化球のあとに良いストレートがくると真っ向勝負だなと嬉しくなったりしますよね。
18才のときに文学部に入ってから始まった、書くこと文章とはなんだろうという模索はこれからも続いて行くのです。

インターネットはまだ未知の文明の利器

2013-02-22 14:21:15 | エッセイ
ニコ生だと意外とコメントを読まないで、スルーしていったりすると逆に盛り上がったり・・なこともないか・・わたくしが生意気にもニコ生配信をしていたころたまにそんなことを思った・・でもわたくししていた配信にはいつも3人くらいしかいなかったのですが・・・あと最近はニコ生も実は見てないし、もともとニコ生自体あまり好きではなかったのだけれど、なんとなしに見たり、配信をしたりしていたのです。ネット配信とはなんだと考えて創意工夫をしながらやっていたのですが結局コミュニティーは100人からなかなか集まらず過疎配信者として引退しました・・というよりニコ生に引退もなにもないのですが・・もう配信はやらないだろうなぁ・・。
わたくしはネットも高校生のころから得意だけれど、苦手。そしてニコ生も苦手だけれど、得意でもないしやっていたというようにやはり天邪鬼な性質でインターネットにはずっと接してきています。インターネットを好きなんだけど嫌い、嫌いなんだけど好きみたいな俺があいつで、あいつが俺でのようにとてもややこしい感覚で使ってきたわけです。もしかしたらインターネットというものはどんな人もそんなややこしい感覚いわば矛盾した感情のなかで使っているのでしょう。テレビがはじめから万人受けするメディアでありいまでも万人受けなメディアとしてなんだかんだ大きく存在しているのとは対照的に・・。
もちろん地デジ以降、テレビとインターネットの融合・発信者と視聴者の双方向性が可能な状況になったのですが、やはりテレビが市民権を得ているのは確かで、ある本によるとネット上でのネタはほとんどテレビから得たものだということが言われていたりもします。いちおうまでに参考文献・『ウェブはバカと暇人のもの』です。辛辣なタイトルなのですが、著者は確かニュース配信サイトの運営者なので、決してネットなどけしからんというような頑固一徹な老学者が書いた本ではないのです。タイトルだけみるとそんな感じはしません?しませんか・・すいませんでしたm(._.)mなんかよくわからないけれども謝ってしまいました・・。なんかよくわからないときは簡単には謝らなければいいという考え方もあるのですが、m(._.)m←この顔文字が可愛いのでついつい・・。
ようするにおおまかな流れとしてテレビがインターネットを使い双方向性を醸し出すことがこれからは増えていくのは間違いないと思うのです。
パソコンには当然インターネットがもれなくついていて、2つ折り携帯にももれなくインターネットはついていて、スマートフォンにもインターネットはもれなくついていて、デジタルテレビにもインターネットはもれなくついています。仕事をするパソコンや万人向けのテレビにもインターネットがもれなくついている、ようするに基本装備されているわけなのです。それを使うか使わないかはあなた次第なのですが信じるか信じないかももちろんあなた次第です。携帯・スマートフォンはインターネット機能なしには成立しない状況の到来も合間ってわたくしのようなほとんど依存症としてのインターネット利用者だけではなく、老若男女にとってインターネットは多かれ少なかれほとんどの人を包み込んでいると思うのです。アイドルへの共同幻想が小さな島国を覆うように渦巻いているのと同時にです。国土の上には共同幻想がそして国土の上に存在している個人個人の生活をインターネットというまだ未知な文明の利器が包み込んでいる。時代は必然性として仮想現実的になってきたしなっていくのです。
恋人同士を繋ぐメールもやはりインターネット回線を使用しなければ成立しません。メールのやりとりなんかしなくてもいっしょにいる時間が多いというわたくしにとっては羨ましい恋人同士の方々も待ち合わせにメールを使ったりはすると思うのです。
インターネットは元来、ネガティブなイメージからはじまったメディアな気はするのですが、地デジ以降そしてスマートフォンの普及以降利用していない人はほとんどいないと言っても良いくらい生活の一部になっているとわたくしはなんとなしに思うのです。
またしてもインターネット依存的なわたくしのいつもの激しい思い込みだとも思うのですが、好きなようだけど、苦手、得意なようだけど苦手なこのインターネットというまだまだ未知の文明の利器とどう付き合っていいのかそれはすごく難しく万人に降りかかっているのです。
だからインターネットはたまにたくさん利用してみたり、たまにまったく利用しなかったりすると、毎日一定に使うよりもメリハリができると思うのです。そんなメリハリはリズム感となることもあるのかもしれません。
なのでニコ生のコメントを思いっきり拾ったりしたあとは、思いっきりスルーしたりするとメリハリやリズム感そしてなんらかの価値がうまれることもあるかもしれません。なぜならインターネットというものは専門家にとってさえもまだまだ未知な文明の利器なのですから・・・。

雑貨にひそむ不思議

2013-02-14 17:13:39 | 小説
セガのゲームセンターの入口付近にはビートマニアが置かれていて大学生くらいのカップルがたむろしていた。平日の昼にしては人通りが多い。できたばかりであろう松屋の前には小都市らしく自転車が4,5台止まっていて、透明なガラス窓からも、食べながら話しをしているイマドキな男子高校生の熱気が伝わってくる。
底冷えはすぎたのだろうか、僕はジーンズメイトでこの前買った、カーキの厚手のジャケットをはおって歩いていた。初春の風は容赦なく吹きこんでくるから松屋に入って腹ごしらえをしようかとも思っていたのだが、まだ我慢して歩いている。しばし体重を減らさなければならない。クレープ屋の前を通ると、メープルシロップなどの甘い匂いがして、喜々としてお喋りに乗じながらクレープを頬張るスカートの丈を短くしている制服の女子高生たちに激しい欲情をそそられた。
吉祥寺に来ていた。この前、僕と同じように大学を出ても就職せずにフラフラしているフリーター仲間の堀木に連れられて吉祥寺を訪れてからしばしばこうして1人で来ているのだ。
雑貨店が多いとの噂を聞いていたがどれが雑貨店かもしくはどこにあるのかがいまいちよくわからない。吹きすさぶ空っ風と空腹についに耐えられなくなり僕はさっきのクレープ屋の前まで戻って向かいにあるマックに入った。マクドナルドの店内は思いのほか空いていた。すぐにレジ前で注文の番になって僕は照り焼きバーガーのバリューセットを注文して1Fの禁煙スペースに座った。クレープ屋の前のさっきのおしゃべりに乗じていた女子高生たちはまだたむろしていて僕は照り焼きバーガーを食べながら女子高生たちを観察してしまった。
でもそんなことでは駄目だと思い立つと同時にバリューセットも食べ終わってしまう。トレーを律儀に片付けるとマクドナルドを出て、また吉祥寺の雑貨店を目指して歩きだした。雑貨店に関しては2Fによくあるとの噂も聞いていたから店舗を見上げながらだんだん細くなっていく路地を歩く。上を見上げても歩き回っても見つからず、さっきのゲームセンターまで戻って来てしまった。どうやら探して、何回も道をまがったりしているうちにもといた場所に来ていた。道に迷うことは満たされた空腹とあいまって激しい疲労感を僕にもたらし不安にさせた。ショルダー掛けのポーチから携帯電話を取り出すと、アドレス帳から堀木の名前を探し出し電話をかけた。コールが3回も鳴らない内に、
「おお、柳田か?なんだ」と堀木の眠そうな声が聞こえた。
「いま吉祥寺を歩いてるんだが、雑貨店が見当たらない。お前がこの前雑貨店があるって言ってたから探しているんだ。どこにあるか知っているか?」俺は少し早口に堀木に疲労と不安をぶつけてしまった。
「吉祥寺に雑貨店はたくさんあるはずだろう」と堀木はぶっきらぼうに言うと電話を切ってしまった。
そうかと思った。そしてゲームセンターの2Fにある中古ゲームソフト屋で僕にとっての雑貨のようなものを探して見ることにした。