エッセイと虚構と+α

日記やエッセイや小説などをたまに更新しています。随時リニューアルしています。拙文ですが暇つぶしになれば幸いです。

日記(2013年 5月23日)

2013-05-23 21:07:17 | 日記
相変わらず混乱しています(@_@)!

なんだかよくわからないけれどupしてみました。混乱(@_@)!

ひぃちゃん可愛い♪───O(≧∇≦)O────♪と独り言を呟いて!(◎_◎;)

やはり混乱しているのです(@_@)!

でもいまは、わたくしにイニシアティブはたぶんないのです(@_@)!

禁煙しようかと思ったのですが、出来ませんでした。410円のマイルドセブン10mgのソフトケースを買ってしまいました。タバコなんて時代遅れだから吸わないほうがいいんですがつい辞められない。でも昨年よりは本数は確実に減りました。昨年は1日30本くらい吸っていたかもしれないのですが、いまは平均1日10本くらい。多い時で1日20本
!(◎_◎;)まだ多いです。禁煙しなくてはなりません(@_@)!!

本の紹介6

2013-05-23 21:07:03 | 本の紹介


いままで私が読んだ数少ない小説の中から面白いと思ったものを紹介したいと思いました。



① 『東京タワー』江國香織 新潮文庫

リリー・フランキーさんの東京タワーが有名ですがこちらの東京タワーという小説も面白いです。

新潮文庫で300ページくらいの作品。V6の岡田准一さんと黒木瞳さんで映画化された作品で、この辺もリリー・フランキーさんの作品と似ています。
でもこちら江國香織さんの『東京タワー』は恋愛小説です。たしか2組の年の差カップルの恋愛を描いたもので、けっこう読み易かったように記憶しています。
悪くいえば普通っぽい小説であんまり癖がないようにも思ったのです。
読み易い文体やスタンダードな小説構造があるようで、小説を読むことが苦手な私でもなんとか読み切れました。
300ページのしっかりとした恋愛小説でもあると思うので、読み応えと読んだという達成感がありました。
中盤100ページくらいで読むのが辛く辞めようかとも思ったのですが、なんとかそこを越えて読んだらスッと読めました。



② 『溺れる魚』戸梶圭太 新潮文庫

映画化もされていてでも原作のほうがたぶん面白い。戸梶圭太さんは筒井康隆さんの面白い部分を1番受け継いでいる作家さんだと思います。他の作品も過激で、エロ・グロ・ナンセンスな世界なんですがオススメです。300ページくらいあるのでやはり読み応えがあります。達成感ありました。けっこうスッと最初から最後まで読めました。
元々筒井康隆さん好きだったので、戸梶圭太さんのぶっ飛んだ小説はこれからもまだ読んでない作品のほうが多いので暇を見つけてなるべく読もうかも思います。



③ 『オートフィクション』 金原ひとみ
集英社文庫

300ページくらいで、やはり読み応えと達成感があります。しかし内容がなかなか過激だったと記憶しています。
でもかなり私は好きな作品ですね。時間軸が確か逆に進むような作りで、でもしっかりとした小説でいい表現がたくさんあったように思います。過激な恋愛を読むのが好きならばオススメですが、そういうような感じが苦手な方にはちょっとお勧めできないかもしれません。



④ 『さまよう刃』 東野圭吾 角川文庫

やはり映画化もされています。エンターテイメントに徹する中に文学性が込められている東野圭吾さんらしい小説です。面白いけど、いろいろ考えさせられました。
映画を見てから小説を飛ばし読むこともいいかもしれません。ラストをわかっている状態で読み始めれば仮にラスト付近ページを間違って開いてしまいあぁやっちまったというような心配もないし、まあ極論言えば映画だけ見ても話しはわかるので、たとえば、文体の確認などに購入してもいいかもしれません。適当にページを開いて見たりして。


⑤ 『ヴィヨンの妻』太宰治 新潮文庫

表題作は読んでまあまあ読み易かったです。でもけっこう小説の読書が苦手な私としてはやはりなかなか苦労しました。
短編集なので、読んでないのもあります。たしか10編前後の短編集だったと。ちなみにヴィヨンの妻は映画化されていて、そちらもなかなか良かったです。やはり文学といえば太宰治さんは外せないかもしれません。
読んだけれど記憶は薄れていて、詳細には思い出せない。でもだめんずを支える妻とだめんず自身の悲哀に心打たれたのは確かです。オススメです。


⑥ 『音楽』 三島由紀夫 新潮文庫

冷感症、精神分析、夢分析など当時としてはとても新しいことに着手した小説かもしれません。250ページくらいでけっこう読み易いです。兄と妹とその婚約者!?だっけかなが主人公で、精神科医も主人公かな!?
ちなみに厳密には音楽のお話ではなくやはり恋愛的なミステリーといったところでしょうか。
書き出しの都内のクリニックの描写がとても近代的で感動したのを憶えています。場面がどんどん変わっていく、断崖とか山谷とか!? それで展開がスピーディーになされ、ラストでの収まりも良いように感じました。
これを読むと太宰治さんと三島由紀夫さんはやはり似てはいるけれど、とても対照的な作家だったことがよくわかるかもしれません。
タイトルだけ見たら、バッハとかベートーベンとかの音楽家の話しなのかなと思ったのですが、どちらかというと心理学や精神分析や恋愛や家族関係、生と死もしくは性の物語なので、意外と読み易かったように思います。
他の三島由紀夫さんの作品をたくさん読んでいる訳ではないのでいろいろと間違った解釈をしているかもしれません。今後もっと三島由紀夫さんのまだ読んでいないたくさんの小説を読むことを試みるというかチャレンジしたいと思っています。
小説を読むことが苦手な自分としてはなかなか大変なのですが・・・。

※ 『老いの幸福論』 吉本隆明 青春出版新書


ラストに小説ではないですが、評論というか時評の紹介。吉本隆明さんの『老いの幸福論』です。
単行本の『幸福論』として出版されたものの新書化です。
人が生涯に読める本は平等に少ないといったことが書かれていて、読書、読むことについて考えさせられます。
本を読まなくてはと力んでいた20代半ばくらいの私にまぁこんな考え方もあるよというな提案をくれたのは有難かった。全てが正しいわけではないのかもしれませんが、それなりの考え方の道筋のつけ方を学べたように思います。 どちらかというと老いというより全般的な話しで、幸福論という訳でもない感じがしました。とても良い本でオススメです。


以上ですm(_ _)m!

アメ横探訪

2013-05-23 21:06:47 | 小説
そのチェーン展開しているカレー店では注文するためにまず出入口にある券売機で食券を買う必要があった。谷川史郎は、白枠の冷蔵庫よりは小さなその機械の前に立ち、表面に幾つも配列されている楕円形のプラスチックのボタンを見つめていた。
千円札を券売機に挿入するとすべてのボタンにライトが点灯する。そこから大盛ビーフカレー750円のボタンを選び押す。ジーカシャンというような機械音と共に大盛ビーフと印字されている小さな紙が券売機の下の銀の鉄製のスペースに落ちてきた。
谷川史郎は食券を取り、釣銭レバーを下へ倒して排出された硬貨を取りそれを財布に閉まう。
そして食券をカウンター席に座って店員さんに渡すと軽くため息をついた。
「ビーフ大盛り 一丁」という力溢れる元気いっぱいの声が御徒町の一角の店内に響いた。時刻はまだ午後4時にもなっていないようだった。
谷川史郎はアメ横から御徒町を歩き様々と見て回っているうちにすっかり空腹になっていた。外食したのは久しぶりの事であった。

その頃、宮下孝俊は上野の不忍池を周回していた。日曜日の午後、家族連れで溢れていた。宮下孝俊は1人で歩いていた。左腕に巻いているカシオの時計は午後3時45分を示している。
少しばかり急な階段を上がり、とうにシーズンは過ぎて枝葉だけになっている公園の桜の並木道を通って、西郷隆盛像を目指した。銅像の後頭部が木の枝越しに見えて、ようやく辿り着くと西郷隆盛像を下からまじまじと見上げた。
宮下孝俊は買ったばかりのデジカメで西郷隆盛像を撮る。そして階段を下ると上野の街を散策した。カラオケ館の5階だてのビルから御徒町方面へと歩いた。アメ横通りはすぐ左向こう側に並行するようにあるのだが日曜日の午後4時という、時間帯にそこに入り込むことが宮下孝俊にとってはあまり気の乗らないことであった。決して広いとは言えないアメ横通りよりは、道路沿いの道を自動車の排気ガスを吸い込みながら歩くことを選んだ。

一方、谷川史郎はカウンター席で水を飲みながら、5分もしない内に差し出された大盛りのビーフカレーをスプーンで勢いよく食べた。そして10分もしない内に食べ終わると御徒町のカレー店を出てまた歩き出した。その前にあるバッグ屋にはドイツの国旗が小さなロゴとしてつけられた手さげのカバンなどが並べられていて谷川史郎の知識欲を刺激する。
横断歩道に差し掛かると、東京無線のタクシーがいつものように停車していた。横断歩道を渡り、ラフな格好をしている人が多い事で谷川史郎は今日が日曜日だということを何よりも実感した。ドラッグストアを通り、JR御徒町駅の高架のコンクリートの壁に沿って上野へと歩いた。
谷川史郎はアメ横に入るとABCマートで黒のコンバースの靴を見ていた。

宮下孝俊はアメ横を歩いていた。やはり混み合っていたが、どんな風に人が交差しているのかということが知りたくなり久しぶりに見て回った。
ABCマートの前を通ると靴をじっと見ている冴えない男が視界の片隅に入る。宮下孝俊はその男を自分となんだか似ているなと思い上野の街を引き上げて家に帰った。

谷川史郎は黒のコンバースを購入した。そしてアメ横を抜けて上野公園に入り階段を上った。西郷隆盛像を見ていると不意に写真が撮りたくなり公園にある売店でインスタントカメラ24枚撮りを買ってすぐ袋を空け、西郷隆盛の前に立つとやはりインスタントカメラの小窓を覗き込んで写真に収めた。

ガストに落ちた真夏の破片(試しup)

2013-05-21 20:57:01 | 小説
宮下孝俊は自転車で図書館についた。
地下の自習ルームへと降りる階段は金属製の滑り止めの溝に泥や埃や詰まってしまっていた。円筒状の木目に新調された手摺に手のひらをたまに触れながら地下に着くと、水飲み機と自販機の傍を通り、自習室のドアを開ける。人の熱気で溢れていた。長テーブルが幾つも並べられ、その右奥が幸運なことに空いていた。
宮下孝俊は背負っていたリュックサックを置くとパイプ椅子に腰掛け、リュックサックのなかから筆記用具とノートそして量子力学の専門書を取り出し勉強をしはじめた。
真夏という事と自習ルームに詰め掛けている人々の頭から発せられる知恵熱がその場の空気をとても重たくしている。
宮下孝俊にとって量子力学を勉強することはさして重要な事ではなかった。日曜日の昼に図書館で資格や学校の勉強をしているような清楚だと思われるコンサバ系の服装に身を包んだ女性が好きであった。40歳を超えたいまでも女性を図書館で観察する悪癖をやめられないでいた。高校生の頃から恋に奥手で、20代の頃に同僚の女性と僅かな期間交際したことや、30代の後半にもちょっとした恋愛をして、そんな悪癖は治ったようにも思っていた。しかし、大手スーパー・ダイオーの子会社でマーケティング情報をExcelに打ち込む作業を繰り返すうちにそんな悪癖はすっかり元に戻っていた。
今日はこんなにも熱く蒸れているから後ろから見えるシャツから透けて見えるブラジャーは宮下孝俊の心を踊らせた。量子力学の本を閉じて水を飲みに行く。宮下孝俊は大きな身体を丸めて水を飲んだ。暑かったからとても美味しく感じて、爽やかな心持ちになる。
自習ルームに戻る際に、髪を後ろで束ねシャツに紺のスカートという感じの女子大生と思われる女性がいるのがわかった。宮下孝俊は席に戻るなり汗でシャツが濡れ透けたブラジャーを眺めていようとしたのだがその日はそんな自らの愚かしさへの羞恥心が突然、沸き起こりさっきまでの興奮は冷めていた。なぜだろうか。
次の日、会社の隅っこで黙々と表計算をした。帰り道にスーツ姿のまま銭湯に寄って20代がそうであったように大きな浴槽に浸かってマンションに帰った。そんなことは久しぶりであったが、マンションのユニットバスでは真夏の汗を流し切るには狭すぎる。
パソコンやケータイなど適当にいじりながら夜を終えると床について、夢を見て、朝起きるといつもと同じ電車に乗り込んだ。
宮下孝俊は、対人恐怖症を抱えていた。またその神経質な性格のためあえて後方車両の空いているところをいつも選んで乗ってもいた。人が多くいる空間が苦手だった。心療内科に月1回通い薬をもらうためと少しばかりのアドバイスを期待していつも行くがたいてい空振りだった。

その日もやはり会社で表計算をして家に帰った。そんな独身男性の日常生活を繰り返してまた日曜日になった。宮下孝俊は喜び勇んで図書館へと出かけた。まえに見かけた女性がいるような気がしたからだ。
やはり自習ルームへ行くと先週いたコンサバ系の女子大生と思われる女性がいた。幸運なことである。
その日は、分子生物学の参考書を広げながら女性をたまにチラッと見て、気づかれたのではないかと不安になった。そしてやはり悪癖への執着心が影を潜めつつあったのだ。

智美は真夏の陽が照りつけるキャンパスの中庭を1人で歩いていた。イベントサークルの飲み会がきょうあるらしいことが友達の葉子からメールで伝えられた。それを断ると横浜の元町を歩いて家に帰った。家で雑誌をめくったり
過ごして、この前図書館で借りた分厚い本をまだ手もつけずに持て余していた。自習するために、というより大学のレポートを書くためにたまに図書館の自習ルームに行く帰りに1冊は小説を必ず借りる。とくに目標のように決めているわけではないが、目の前にある分厚い本は外国の作家のもので装丁が気に入ったから借りたのだ。もしかしたら、読まずに返却することになるかもしれないと智美は思う。以前興味本位にホーキングの宇宙に関する本を借りたのだが、開くこともなく返却期限がきてしまい。借りたこともすっかり忘れた頃に図書館司書のしわがれた声の老人に電話越しに説教をされたのが嫌な記憶として残っていた。
智美は大学とアルバイトとレポートに追われ、なかなか趣味の時間がとれないでいた。

真夏の太陽は陰ることを知らないかのように思えた。

宮下孝俊は荒川の土手を日曜日の午後に独りで歩いていた。少年たちが川に入ってふざけあったりしていた。それを横目で見ると、自販機で100円の缶のバヤリースオレンジを買って飲んだ。近所にある120円以外の自販機を宮下孝俊はとりあえず頭に叩き込んでいた。
ひとしきり荒川の土手をゆったりとした歩調で行った。商店街の方面へ行くと、コンビニのゴミ箱に空き缶を捨てガストに入った。ドアを開けると男性の店員が何名様ですか?と聞いてきたので、「1人」とだけ告げると禁煙の奥の席に案内された。陽射しがあまり当たらないように思えたが、かえって宮下孝俊にとってはそれは良いことだった。42歳になって会社とアパートのひたすらの往復に疲れと喜びを感じていた。太陽があまり強くあたり過ぎる場所は彼にとって好ましいものではないようだった。

ガストで注文を取りにきた女性は図書館で見かけた女子大生であった。宮下孝俊は驚いて、
『ハンバーグ定食とドリンクバー』といつもより甲高い上ずった声で注文した。その女子大生は、
『かしこまりました』と言うと厨房に引き上げた。テキパキとした動作に42歳の宮下孝俊の心はまたも踊り、心臓が強く鳴った。

厨房は戦場であった。席は満員、子供連れはたくさんいて、そしてたまにクレーマーが現れ智美が対応にあたった。智美にはクレーマーと厨房の誰もが呼ぶ男性や女性の客をなんとかなだめて、誰よりも足繁く通ってくれる上客にすることのできる特殊な接客能力があった。時給920円で遣われることが安いくらいである。極めて理知的であり、また優しかった。
その日の厨房ではフライパンがフル稼働していた。盛り付けの係りの人間が何回か皿を割った。割れた陶器の破片を箒で掃くこともできずにスニーカーや作業靴で各々がそれをたまに踏みつけながら料理を作り、オーダーを受け、運んでということを繰り返した。厨房の3人も接客の智美を含めた3人も疲れ汗だくであったが、不思議と連帯感がいつもの何倍も生まれていた。それぞれが忘れていた笑顔を取り戻しているかのように智美には見えた。もちろんそんな智美自身にとってもである。

宮下孝俊はハンバーグ定食を割り箸で食べ、ドリンクコーナーで爽賢美茶をつぐ、途中カルピスと迷ったが水で何倍にも薄められたドリンクならお茶がましだという結論に達した。さっき100円で350mlの清涼飲料水を飲んだばかりであったし少しは糖分を控えなくてはならない。42歳という年齢は決してもう若くはないのだ。
宮下孝俊が日陰の席に戻るなり、とある客席で女性客が注文したのにくるのが遅いということで、なにやらその図書館で見かけた女子大生のアルバイト店員に文句を言っているようだった。女子大生アルバイトはオーダーの遅れた事を丁寧に詫びて厨房に戻ると皿に盛る量をなるべく多めにして持っていき、こんどは真っ先にお客様のオーダーをお運びしますというような旨のことを爽やかな笑顔で言い。女性はむしろ上機嫌になっているようにさえ見えた。宮下孝俊の観察は気のせいだったのだろうか?

宮下孝俊は店を出るとマンションに戻った。あくる日出勤のためにいつもの後方車両に乗っていると、昨日ガストで見かけたアルバイトの女性いや、図書館が何回か見かけた女性がシートに座って分厚い本を読んでいた。図書館のバーコードのタグがついていた美しく西洋絵画のような装丁でカタカナの多いタイトルと作者。外国文学だろうと宮下孝俊は思い。その女性の前に立って吊り革を優しく触った。
「その本はアーサー・ミラーかな」と宮下孝俊42歳は、智美19歳に声を掛けた。朝の電車は夏なのにどこか重苦しい雰囲気であった。
智美は、「もしかしたらそうかもしれない」とだけ言うとまた本に目を写した。宮下孝俊は一瞬たじろいだが、「この前の接客は見事だった。あの対応は素晴らしかった。」とつぶやくように言った。
智美は「ありがとう」と言うと、続けざまに、「この本はデレク・ハートフィールドだと思う」と冷静に宮下孝俊のことを一瞥もせずにつぶやいた。
「外国文学いや、文学には疎くてね」と宮下孝俊は言う。
「私はサイエンスには疎い」と智美は本を閉じて言った。
「そうかもしれない。」と宮下孝俊は言って、
「いつか食事をおごりたいな」と宮下孝俊は冷静だが熱心に言った。智美は本をバッグにしまい眠った。宮下孝俊はそこを去ると空いているシートに腰を降ろした。


それからいろいろ都合の良い事があって宮下孝俊と智美という女子大生は荒川の土手を2人で手を繋いで歩いた。夕日は2人の姿を美しく照らしていた。




※!(◎_◎;)村上春樹さんの小説を読んだので、少し意識して書いてみました。なかなかドイヒーな文章であり、ストーリーかもしれませんm(._.)m!
ちょっと最後の方、疲れて雑に書きました。よく推敲していないので、upを躊躇ったのですが、勢いで試しupです(@_@)!!

書くこととBlog

2013-05-20 20:51:29 | エッセイ
とりあえず原稿用紙100枚の中編を書くことが今年の目標です。あくまで手書きで書いているので、書き切ったとしても自分が納得できなければ何処かに応募するということはしないかもしれません。試しで書いているだけで今年中にはたして原稿用紙100枚書けるかどうかもわかりません。書きあぐねることも良くあるので、あと体調と心調と相談しながら、あくまでマイペースに書いていこうと思っています。1ヶ月くらいで100枚なんて書けるかもと高を括っていたのですが、半ばくらいまで来てから途端に難しくなってきました。
村上春樹さんの影響ではないですが、書くことをフルマラソンに例えるならやはり中盤くらいが1番辛いのではないかとも思っています。後半を書くことにランナーズハイでも訪れてくれれば有難いのですが・・。
マラソンもやはり走り始めはすっと行けて中盤にたぶん心と身体の戦い、せめぎ合いがあるのかもしれない。
中編の100枚を例えば、新人賞に応募している人は年間に何千人いや何万人もいるはずだから日本は読書や書くことが好きな国民性があるのかもしれません。読書量もやはり世界的にも多い方だと何かの本で読みました。はたしてそれが正しいのかわかりませんが、書くことが人間にとって重要な意味を持つのかもしれません。

村上春樹さん曰く、書くことはとても危険な行為でもあるらしく、誰かを傷つけてしまうことや、自らを傷つけてしまうことが少なからずあるわけだから、推敲を繰り返してベストな文章を常に仕上げることをしなくてはならないようです。
いま村上春樹さんにハマッているので、ちょっと自分のキザ度、自己愛度、がかなり上昇中です。
いや急上昇中です。
あまりよろしくないというかそんなことを自分でも思うのだけれど、鉄は熱いうちに打てという言葉を今日、喫茶店で思い出したんです。出る杭は打たれるという言葉もありますが・・・。しかしこう書くとお前は出る杭という価値のあるものだとでも思っているのかというやや込み入った批判があるかもしれせんが、それはたぶん私の考え過ぎですよね{(-_-)}!

まぁとにかけあまつゆを凌げているいまの状況があるだけでも有難いわけで、求め過ぎはよくないよね{(-_-)}!
もしかしたらもう何も書かないかもしれないし、Blogだけで書いていくかもしれません。Blogはなるべく続けようと思っています。たとえ手書きで原稿用紙を書くのを辞めてもBlogは随筆として書き続けていきたいと思っています。たぶん手書きで原稿用紙を書くより優先すべきはBlogを不定期でも継続することなのかもしれません。
とにかく明日にはもう手書きで原稿用紙を書くことは辞めているかもしれないけれど、Blogを書くことはたぶんしていきます。