エッセイと虚構と+α

日記やエッセイや小説などをたまに更新しています。随時リニューアルしています。拙文ですが暇つぶしになれば幸いです。

本の紹介4

2013-04-25 22:46:08 | 本の紹介
村上春樹さんの小説はほんとうによくRPGゲームに似ているように思う。爆笑問題の太田さんの小説や五木寛之さんのエッセイも読んでいたら、なんだか頭がこんがらがってきた。
でもこれからは読んだ本のレビューとか、日記的なものを書いていこうかな。しばらくブログ上での小説やエッセイなどのupはたぶん控えます(>_<)!

日記や読んだ本のレビュー中心になります(>_<)! といってもあまりこのgooブログの読者は多くないかな!? 笑

まぁとにかくそんなこんなで、Amazonには既に書いたけれど爆笑問題の太田さんのマボロシの鳥は面白かったです。読んでいてなんだか、安心しました。ラジオでの太田さんに近い感じです(@_@)!

角田光代さんの「くまちゃん」は最初の章しかまだ読んでいないけれど、これまた朗らかな内容でした(@_@)!やはり上手い。対岸の彼女を何回か読んでいてやはりすごいな~と思いました。

川上未映子さんの「ヘブン」は単行本で読んで、なんとなく何年前か自分が書きたかった世界観が川上さんなりの視点で描かれていて、けっこう感動しました。賛否両論もあるようだけれど、僕的には吉本隆明さんがよく語っていた宮沢賢治の世界観と少し似ていてやはり普遍的な摂理を描いているようにも思い、残酷であったり、対比的に美しい表現はそれをうまく引き立てていて主題が立ち上がっていく感じを受けました。流石!芥川賞作家であり、天は二物を与えた!?という感じもしてすごいと思いました。

同じく天は二物を与えた系の綿矢りささんの「勝手に震えてろ」は最初読んだときはあまりピンとこなかったのですが、このまえウェブ上で見たインタビューを見てなんというかテーマの真意なのかそんなのを感じました。
AKBの前田敦子さんにハマっているようですが、わたくしは(@_@)アイドリング!!!もオススメしたいななどと届きもしないことを辺鄙なブログにまたもや書きしめてしまいました。

これからはこのように綺麗であるとか、可愛い女性が書いた小説も人気が出ていってもある意味新しいジャンルではないけれど、すごくありだし、やはり美人や美少女の内面を覗いてみたいというスケベ根性をもつ男性や意外や女性にも需要があるのではないかと思いました。もちろんお二人とも物凄く文章が上手いですね(@_@)!わたくしは恐れいったという感じでありますね。

「桐島、部活辞めるってよ」もちょっと嫉妬心からプチdisってしまいましたが(@_@)!20歳で書いたものとしては完成度が高く、いまのわたくしでも(@_@)なかなか書けるようなものでもありませんでした。やはり・・・みんな文章が上手いな(T_T) でも文章のうまさとはなんだろうという問いもわたくしは忘れずにいたいとも思うのです(@_@)!

「色彩を・・・略・・」村上春樹さんの新作はやはり再読してみて凄かったわけです。たぶん小説を書くということのすべてを備えている方なのだと改めて思い、風の歌を聴けも読んだのですが、面白かったです。

あと「ないものねだり」中谷美紀さんのエッセイも読んだのですが、すごく内容が詰まっていてまだ読んでいない方はオススメです。こちらも単行本で読みました。マガジンハウスのソウトカバータイプなので、トートバッグなどに入れて持ち歩いてもあまりかさばらないので、オススメです。(@_@)!

「無力」五木寛之さんのエッセイはやはり貫禄の内容でした。頭が下がりましたね。ネット上で流行っていると言われる無慈悲を意識しているとしたらまだまだ流行の先端を行っているのではなどと思ってしまいました(@_@)!

とにかく小説やエッセイを1週間か10日くらいで、結構まとめて読んだのでなかなか疲れました。

上にあげた本は、Amazonにレビューしたものもあるけれど、まだしていないものもあり、また再読、再々読してみて改めて近いうちに、
本のレビューとしてするかもしれません(@_@)! ではそんなことでちょっと日記的な本のレビューでした(@_@)!

一般人ブロガーになるべく邁進するのみです

2013-04-22 17:32:58 | エッセイ
たぶん僕は物書きになったりはできない。書くことでお金を稼いだりできる能力は僕にはないといまそんなことを思った。いい意味での諦めで、作家になると意気込んでいた自分の甘さを恥じたい。たとえば本はやはり読まれてしかも読んだ人になんらかの価値みたいなものを与えるから代価を得られるのだと思い、僕には人をエンターテイメントさせるような刺激溢れる話しとか学術書ほどの高度な知識の詰まった物も書けない。悔しいけれどそれが現実であり、ポジティブに諦めたい。
でも僕は気付いたんだ。4年前でも3年前でも文章自体が書けないときに、一般人でもブログを書ける人を羨んだり憧れたりしていた。僕は別にたいそうな物も書けないし、いまだに文章は苦手だけど、もしかしたらいまブログを書くことに僕の生きる意味はあるのではないのかもしれないと思った。
本はそのメッセージが届くのにとても手間がかかるゆえに、やはり内容も詰まっていて高度であったりエンターテイメントしていなければならない。
だけれどブログは、そんなに高度である必要はなく、すぐメッセージが届く。もちろん見てくれている人がいればの話だけれど、だから僕は作家になんかなれないけれど、一般人ブロガーとして遠くの友人とか身近な人になんらかの価値を発信できれば、もうそれでいいかもしれないと思った。やはりそう思わせてくれたのは三宅ひとみちゃんことひぃちゃんのhealing spaceを見ていた時だった。もちろんひぃちゃんのブログである。
ひぃちゃんのブログからはじまった僕の書くというダイナミズムな冒険はやはりあくまでブログの中でしていこう。あまり役に立たなくても割とすぐに必要な人に安全だったり安心だったりのメッセージを届けられたのなら僕の生きる意味もそれなりにあるのかもしれない。だからあえて作家になってやるなんてもうやめて、一般人ブロガーとして良い記事を日々発信できたらいいのではないかと思った。
下手くそな絵でも文章でもブログというおもちゃ的な文章フォーマットであっても僕はそこに価値を見出したい。
だからこれからは一般人ブロガーとして良い記事をなるべくたまに発信しようかなぐらいな感じでやっていこう。
32歳にも今年はなるのだし、コンビニかスーパーの品出しでも久しぶりにバイトでもするかな~。なんかそんな風に思った。というか思えた。きっと色んな人のお陰だ。ブロガーなんて作家よりも格好悪い響きだけれど、ブログというフォーマットであっても文章を書くということには変わらないのだし、僕はやはり即時性を求めてしまう。フリーに誰でも見れるようなブログでフリーな事をある程度の責任で書いていく事が僕にはおそらくあっているのだろう。なぜなら僕は20代のほとんど、とくに20代の前半は人と交流することそしてその関係になんらかの意味があることを味わった。小説なんてほとんど読んでいなかった。いつも人と話していた。そして自分の抱えていた病のようなものもだいぶ柔らいだ。いろんな人のお陰であった。両親もそう姉もそう交流場所の代表の方もそう交流場所のメンバーの方々もそう。沢山の人との出会いと別れがあって交流があって話したりすることがあって自分をそれなりに客観視することができた。もし一般人のブログが誰かの心に少しでもお役に立てたのなら、僕は自分のことをブロガーだ!と宣言しちゃおうと思う(≧∇≦)☆♪!

下宿屋

2013-04-19 00:28:38 | 小説
どうせなら信じてみようと私は思った。うぐいすのさえずりで目を覚まし、薄手の布団を横へどけ障子を開けた。ガラス窓の向こう側には針葉樹が等間隔に並び、そのうちの1本の杉の木の枝にうぐいすはのっていた。さえずりをするたびに体を震わせ杉の葉が風で揺れる。
その宿は箱根にあった。歩き回りひと気がない場所に高級な幽霊屋敷みたいな風体で周りの生い茂る草木と同一化して建っていた。普段ならそんな辺鄙な宿などには泊まることなどない。しかしその日はちがった。峠を上っていく道路が近くにあったのだが、往来な少なくまだ寒さの抜けない初春の風に落ちた松の葉が飛ばされ、その匂いだけが漂っている。
私にとって3回目の箱根の旅は温泉につかることではなく、山林で鹿の写真を撮ることだった。一眼レフの凸レンズを布巾で磨きながら、朝食が運ばれるのを待った。勤める出版社から久しぶりに命ぜられた出張は生物の参考書に必要な鹿の写真を沢山撮ってこいというものであった。30年も経たのだがすっかり窓際族であり、私は今回の任務はもしかしたらていのいい嫌がらせではないかと勘ぐっていた。社内では人員整理の噂が絶えることなくある。宿の仲居が、静かに階段を上がってくる足音でハッと我に返った。
「白岩さまよろしいでしょうか?」という瑞々しい声に、ふすまを自ら開けた私は驚いた。そこに白米の盛られている茶碗とにしんの塩焼きの皿、ひじきの入った小鉢、そして味噌汁のおわんの入った盆を持って正座していたのは、目もとの涼しげな色白の娘であった。
「君いくつだね?」と聞くと、仲居は「16になります」と言い、機敏な動作で盆を窓際の木机に運び込み「ごゆっくりどうぞ」と音の鳴らぬよう静かに襖を閉めた。階段を下る足音は軽く鍵盤を弾くような音色であった。
私は木机の前に座り、盆の上のひじきやにしんの塩焼きの色味があまり良くないなぁと思ったが食べてみると意外に美味しくすぐに平らげてしまった。とりあえず一眼レフの凸レンズをまた磨きだした。仲居は16と言ったな、私には18かそれ以上の年齢に見えた。あの娘はなぜ、あんなにも透き通っていたのだろう。もしかしたら山林から這い出た狐が娘の姿をしているだけなのではないかと私は思ってしまった。
ホーホケキョとタイミング良くうぐいすが鳴いた。「そうだ」と私の勘ぐりに相槌うっているに違いない。私は盆を持って、ふすまを開けて階段を下っていった。台所にそれを置くと玄関から外に出てみる。
杉の木はうぐいすの立ち位置を確保してあげていて、こちらのことなど全く意に介さずという佇まい。宿主が草履を手に「お客さん裸足では困ります」と私の横に下宿から出てきた。
私は「なぜ花粉が目の敵にされるのに杉の木そのものはこんなにも悠然といるのでしょうかね?」と宿主に草履を履きながら言った。「それは都会の人がアレルギーの原因を花粉に結びつけ過ぎだからじゃないですか?」宿主は老齢に刻まれた深い皺の笑みを浮かべながらそんなことを言った。
私は「そうですか?」と訝しげに尋ねた。
「そうですよ都会には、アスファルトの粉塵や車の排気ガス、アスベストそして単純に塵やほこりもそこらじゅうに舞っています。私はもう何十年もこの杉の木のたもとに暮らしていますがアレルギーを感じたことは実はないのです不思議なものですね」と宿主は言う。
「あなたが特異な体質なのではないですか」と私は少し早口に尋ね杉の木を見上げる。
「いや格別、わたしだけが丈夫であるわけではありません。ほら春先というのは昔からよく風が強いでしょう。春風とか落語家の名前にもなっていますし、なあ、より子、お前もアレルギーになったことなどないよな」と宿主は奥座敷でテレビを見ていた私がさっきまで仲居であると認識していた娘に言った。宿主の孫なのだろうか。いやもしかしたら年老いてから授かった子供なのかもしれない。
より子は「うんアレルギーになったこはないよ」と玄関を越えて外の私たちに聞こえるような大きい声で答えた。極めて健康な娘である。
「なので私はもしかしたら、春の強い風にのった様々な粉塵やほこりが、アレルギーを引き起こしているのではないかと思っています。粉塵に、比べたら花粉は微々たる刺激物です。げんにあなたもいまくしゃみをしていないでしょう」そう宿主が言う。たしかに私は杉の木がすぐそこにあるのに鼻がうずくことはない。元々花粉症になったことはなかったが、ひどく苦しむ友人がいたので、宿主の話をまだ信じることはできなかった。
「たしかにそうかもしれません。いわゆるプラシーボ効果というやつですね。以前マーフィーの法則という本がありました。テレビではネガティブなことを考えると自ずとそうなってしまうという余興本をよく紹介していました。しかしマーフィーの法則とはテレビで紹介され売れた余興本とは少しおもむきの違う成功哲学が本筋なのです。
だからおそらく花粉の本筋というのも花粉症という現象にあるのではなく、やはり森林を大地に繁らすことにあるのだと」そう言うと私は宿主の朗らかな笑みに包まれた柔和な顔を見つめた。
「おそらくそんなところでしょう。やはり思考というものは人間にしか与えられていない。杉の木はただそこにあるだけなのです。だからいまでは箱根では希少な鹿なども存外たくさんいたりするものなのですよ」そう言うと宿主は下宿に戻っていった。私は一旦、2階の部屋に戻ってカメラを取り、また草履を履いて外へと出てみた。鹿が何処かにいるような気がしてならなかった。
杉の木をかき分けて針葉樹の林へと足を踏み入れ、上を見上げるとうぐいすは既に飛び立っていた。駆け足で林を奥へと入っていった。ぐっと切り立った岩の前に鹿はこっちを見て佇んでいた。私は一眼レフのシャッターを何回も切った。フィルムが終わり巻き戻し音がなると鹿は何処かへと去っていった。

東京の出版社に戻ると上司は私の捉えた鹿の写真に満足したようだった。
そして私はなんとか人員整理の危機を逃れることができたみたいだ。
いやそもそも私の人員整理という取り越し苦労こそがおそらく幻だったのである。

日曜日

2013-04-18 11:54:11 | 小説
場所は吉祥寺そう久しぶりに中川は中央線に乗り訪れたのだ。
駅からほどなくして喫茶店レトロに着いた。軽いドアを開けてカランコロンと鈴の音が鳴る。馴染みになったウェイトレスの女性に会釈していつもの席に着いた。店内には、ジャズが小さく響きわたっている。店主はロックやジャズがおそらく趣味なのであろう。
窓から外を覗くと日曜日らしく穏やかな陽だまりができている。
アイスコーヒーを細いストローで一気に吸い終わると、中川は喫茶店を出て歩いた。
マクドナルドの黄色と赤の看板には食欲や人間の様々な欲求をそそる効果があるのではないかと社会学的な知識を思い出した。ガラス越しに垣間見えたハンバーガーを手に持ちながら談笑する女子中学生たち、1人窓際のカウンター席に照り焼きバーガーのバリューセットで腹ごしらえしている青年やドリンクだけで午後のひと時をすごす老夫婦、みな幸せそうに見える。なぜマクドナルドの椅子が固ければその回転率が上がるかという精巧なロジックはわからなかったしそこに集中させるだけの興味もさして中川にはない。そのまま駅でもう自宅へと帰ってしまうことも思慮したが、中川は下って行く賑わう道をもう少し歩いてることにした。柄にもなく洋服店に入ると、プルシアンブルーのライダースがハンガーに掛けられ陽をうけ目立っているのを羨望の眼差しで見つめる。古着屋だったので、それが男性用なのか、女性用なのかわからなかった。おそらくユニセックスということだろう。店の奥にはショルダー式の小さなバッグの類や小物が木製の展示棚の黒い敷物の上に並べられていた。中川にそれを手にとることはためらわれているところに、
「いらっしゃいませ~」と痩せぎすな古着屋の店員が近づいてきて、程よい距離で止まった。中川はアンクレットを手に取り眺めてみたが自分にはプレゼントするような女性もいない。
「男性用の小物類でしたらこちらにありますよ」という古着屋の店員の案内通りに男性用小物ゾーンを見てみた。ジッポやバックルなどバイカー向けのものが陳列されていて先の女性向けの豊富さに比するならばひどく寂しい売り場スペースであり、自分のこの街での所在なさというものにこれは似ているのだと中川は思い古着屋を後にする。さらに歩いていくとLPのレコードが店頭にならんでいる店やゲームセンター、カラオケ店、定食屋と雑然と歩道を彩るための店舗が所狭しと並べられその刺激にティーンネイジャーが心打たれ足繁く通う理由が中川にはわかった。
何処にでもあるようなCDショップに入り少し気を休めようとする。店内にはグリーンデイのホリデーが大きめの音量で流されていたが既に耳慣れたロックミュージックを聞きながら中川は安堵のため息をついた。街の刺激はときに美しい花に備えられている棘のように写り、内臓をチクチクと刺されるような痛みを生じさせた。それは時に苦しいことで、中川の心を満たさない。しかしたまに街に繰り出してしまうのは中川が決して自分をしっかりともってるような人間ではなく軸がブレやすいからかもしれない。

きた道を戻り喫茶店レトロの軽いドアを開けて奥のエアコンのあまり当たらないテーブル席に座り、アイスコーヒーを注文する。運んできたウェイトレスの女性に、
「なんだかひどく疲れたよ」と言う。
「この喫茶店があるのはそのためなんじゃないかな」とウェイトレスの女性は悪戯っぽく笑顔で言い厨房へと引き上げていった。
中川はカラカラになった喉をじっくりとアイスコーヒーで潤すことにした。