写真は未来への贈り物 「写真好きみんな仲間」
デザインフォトムービー Photo Produce の お茶目な今井です
「生物の多様性」という言葉が日々聞かれるようになってきた
ウィキペディアによると さまざまな捉え方の中から次の3つに定義づけていた
1.「生物学的構造の全てのレベルでの生命の多様性」 - 最も簡単な定義
2.「異なる生態系に存在する生物間での相対的な多様性の尺度」 - この定義の
「多様性」は、1種内の多様性、種間の多様性、および生態系間の多様性を含む。
3.「ある地域における遺伝子・種・生態系の総体」 - この定義の長所は、
実態をうまく表しているように思われることと、生物多様性として
定義されてきた慣例的な3段階の切り口を統一的に扱える点である
とあった
ウム・・・はっきり言って良く分からない・・・
私の思うところ
「生きとし生けるもの すべてに対し絶やすことなく維持させること」
という 思いに達しました
これに対し 現在トラブルになっていることを思い巡らせてみました
①捕鯨問題 調査捕鯨によれば ある種のクジラの頭数は増えていると
もちろん減っている種もあることでしょうが・・・
ここで登場は環境保護団体「シーシェパード」彼らの主張は クジラは
哺乳類で知的な動物であると・・・・
財団法人日本鯨類研究所によると、世界中の鯨が食する餌の消費量は魚、
イカなどの軟体動物、オキアミなどの甲殻類を合わせると、2.8~5億トンとされている
これは、世界中の人間の魚の消費量9千万トンの3倍~6倍と計算される
今後も捕鯨を行わずにおれば 魚やイカなどの生物の保存は守られるのであろうか??
感情だけで環境保護はできない
②イルカ漁・サメ漁
これも意図的な取材映画で物議をかもしだしている
クジラと同じ感覚での主張には疑問を感じてしまう
クジラ・イルカ・サメ漁で生活をしている地域は当然魚との共生をはかって
日々を営んで来ている この人たちの 「人」としての「多様性」は
語られていない・・・・・
乱獲により個体数の減少は管理すべきは 当然であるとして
③悲しいかな 戦地で生まれ 日々命の危機の中 生活している人々
この環境を生み出しているもの 自国の主張を押しつけ 武力で圧していく・・・
そこからおこる紛争 背面からの武器輸出 不発弾や地雷の恐怖
地域で生活する住民の「人の多様性」は保たれているといえるのだろうか??
一部の生物を保護することにより 逆に増えすぎると他の種が絶滅の
危機に陥る 人が自然の営みに手を加えることにより 生態系を崩すことは
世界の中でも おこってきたこと・・・・
オーストラリアでは先住民との確執・アメリカや南アフリカでも人の差別・・・
これらも同じ「生物の多様性」の問題を含んでいるのではないか
人は どの哺乳類より頭脳が発達している筈
人の多様性を 守れずして すべては解決できないであろう
人は言語を元に 思いやりと信念との調和を図ることができるはずである
残念ながら 損得・自国の利益を基とする 誘導により賛否をとる
人の賛否が正しいとはいえない
「生物の多様性」を問い 個の多様性を問えば 次に起こりうる
「生物の多様性」も議論して行くのは当然である
人が人の命を奪うという「人としての多様性」考えれば
戦争も戦後の後始末も 当然図っていただいたいものです
あくまでも冷静に 感情の赴くままの行動は慎んで頂きたいものです
デザインフォトムービー Photo Produce の お茶目な今井です
「生物の多様性」という言葉が日々聞かれるようになってきた
ウィキペディアによると さまざまな捉え方の中から次の3つに定義づけていた
1.「生物学的構造の全てのレベルでの生命の多様性」 - 最も簡単な定義
2.「異なる生態系に存在する生物間での相対的な多様性の尺度」 - この定義の
「多様性」は、1種内の多様性、種間の多様性、および生態系間の多様性を含む。
3.「ある地域における遺伝子・種・生態系の総体」 - この定義の長所は、
実態をうまく表しているように思われることと、生物多様性として
定義されてきた慣例的な3段階の切り口を統一的に扱える点である
とあった
ウム・・・はっきり言って良く分からない・・・
私の思うところ
「生きとし生けるもの すべてに対し絶やすことなく維持させること」
という 思いに達しました
これに対し 現在トラブルになっていることを思い巡らせてみました
①捕鯨問題 調査捕鯨によれば ある種のクジラの頭数は増えていると
もちろん減っている種もあることでしょうが・・・
ここで登場は環境保護団体「シーシェパード」彼らの主張は クジラは
哺乳類で知的な動物であると・・・・
財団法人日本鯨類研究所によると、世界中の鯨が食する餌の消費量は魚、
イカなどの軟体動物、オキアミなどの甲殻類を合わせると、2.8~5億トンとされている
これは、世界中の人間の魚の消費量9千万トンの3倍~6倍と計算される
今後も捕鯨を行わずにおれば 魚やイカなどの生物の保存は守られるのであろうか??
感情だけで環境保護はできない
②イルカ漁・サメ漁
これも意図的な取材映画で物議をかもしだしている
クジラと同じ感覚での主張には疑問を感じてしまう
クジラ・イルカ・サメ漁で生活をしている地域は当然魚との共生をはかって
日々を営んで来ている この人たちの 「人」としての「多様性」は
語られていない・・・・・
乱獲により個体数の減少は管理すべきは 当然であるとして
③悲しいかな 戦地で生まれ 日々命の危機の中 生活している人々
この環境を生み出しているもの 自国の主張を押しつけ 武力で圧していく・・・
そこからおこる紛争 背面からの武器輸出 不発弾や地雷の恐怖
地域で生活する住民の「人の多様性」は保たれているといえるのだろうか??
一部の生物を保護することにより 逆に増えすぎると他の種が絶滅の
危機に陥る 人が自然の営みに手を加えることにより 生態系を崩すことは
世界の中でも おこってきたこと・・・・
オーストラリアでは先住民との確執・アメリカや南アフリカでも人の差別・・・
これらも同じ「生物の多様性」の問題を含んでいるのではないか
人は どの哺乳類より頭脳が発達している筈
人の多様性を 守れずして すべては解決できないであろう
人は言語を元に 思いやりと信念との調和を図ることができるはずである
残念ながら 損得・自国の利益を基とする 誘導により賛否をとる
人の賛否が正しいとはいえない
「生物の多様性」を問い 個の多様性を問えば 次に起こりうる
「生物の多様性」も議論して行くのは当然である
人が人の命を奪うという「人としての多様性」考えれば
戦争も戦後の後始末も 当然図っていただいたいものです
あくまでも冷静に 感情の赴くままの行動は慎んで頂きたいものです