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平等

2013年01月11日 | ライフ・LIFE・ライフ
ここ数年の慣例通り、高幡不動に初詣に行きました。
お護摩を焚いていただくのですが、マンちゃんの会社のお蔭(?)で、去年に引き続き本殿の柵の内側に入らせていただきました。
お土産も控室も何もかもが違います。

ふと、「お護摩料によって待遇が違うというのは、お寺側の都合らしきものもあるけれど、神様はどうなんだろう?」と思いました。
何を思ったかこのアタイ、お不動様に心の中で聞いてみちゃったのです。

「神様、神様はお護摩料によって差別をなさいますか?」と。

そんなわけが無いのはわかります。
でも、結局この世はすべてお金なのかなぁ。。。などと、少しむなしくなったりもするのです。
(もっとも高幡不動の場合は柵の内側に入らない方が、貫主様のお話を直接間近で聴けるという特典はあります。


話しは神様への問いかけに戻ります。
お墓然り、戒名然り、生きている時のお護摩然り。


タイはもう少し平等な気がします。
でも、それはお祈りの本質が違う様に思うのです。

日本ではお祈りは「○○でありますように♪」的な『現世』でのお願いが多いように思います。
タイは「(来世で)○○になれますように♪」という『来世』のお願いが多いのではないかと感じます。
だからお布施(タンブンと言います)に見返りなどはありません。
「自分の為にする」のだから、現世での見返りなどというちょっと俗っぽい発想が無いように思うのです。

つまり、長い長い時間の中のわずか『100年程度生きている間』のお願いをすることは、実は宗教の目的(という言葉が正しいかわかりませんが)からはズレるようにも思うのです。
もっともそれが日本人らしいとも言えますが。


神様はたぶん平等です。
だからこそ、一昨年あんなに悲しい事が一気に起こったのでしょう。
亡くなった方たちが選ばれてしまったなんてわけがないのです。
無作為に起こってしまったからこそ、あんなにたくさんの人々が痛ましいことになってしまったのだと思います。


だとしたら、もう少し深刻でなく「たくさん納められることを喜ぶ」くらいの気持ちでいれば良いのかな?
と、いただいたお土産の数々を見ながら思いました。


★門前のお蕎麦屋さん。アタイは鴨南蛮蕎麦。1100円。けっこう高い。鴨ちゃんが高いの?



母は天ぷら蕎麦のような福寄せ蕎麦。1000円。



マンちゃんはかき揚げ御膳。1100円。一番お得じゃん??www





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