1ヶ月ぶりくらいにYoung Americansの現場にいった。
彼らのやっていることは素晴らしいと思うけど、以前持っていたような熱意は私にはない。
彼らのやっていることは素晴らしいと思うけど、以前持っていたような熱意は私にはない。
もしかしたら、私の夢が実現する時点で何かコラボレーションもできるかもしれないなんて思ってるけど、
私はもう私の足で自分のやるべきことのために動きだすときで、
彼らのサポートを最優先している時ではない。
そういう時期に来てしまったのだ。
それはとっても寂しいことだけれど、それでは自分の夢をかなえる事なんてできない。
これからはサポートする立場ではなく、それぞれに夢を目指す同士のような感じでいられればいいと思っている。
でも、やっぱり現場は素晴らしかった。
久々の現場での仕事。
学生ボランティアの仲間はもちろん、事務所の方々、顔見知りの地域ボランティアのママまでが歓迎してくれる。
そしてもちろん仲のいいYAも。
私の悲しみを知っている人たちは何も言わないでhugをしてくれる。
それがとっても心に染みた。
仕事で来てるんだもん。
泣くわけがない。
そう思っていたが、それは甘かった。
キッズのエネルギーに泣きそうになった。
Act 2のとき、キッズの歌にもうボロボロになった。
そしたら黙ってhugをしてくれる友達たちがいた。
いたずらして笑わせてくれる人もいる。
私を知らないキッズははじめて会ったお姉さんに普通に話しかけてくれる。
何してるの?って私の触っている装置に好奇心いっぱい。
その素直なオープンな心がとっても嬉しかった。
だから私はこどもが好きなんだろう。
私は友人を亡くした人で、亡くなったのは友人だ。
なのに、なぜ私が慰められるようなことになるのだろう?
なんか矛盾を感じる。
亡くなったのは友人なのに。
私は何もしてあげられなかった。
私は彼女になんで何もしてあげられなかったんだろう。
そう思わずにはいられない。
でも、もう何も変えられない。
自分が彼女の分まで生きるしかないのだ。
人の愛情、優しさ、温かさに本当に助けられる。
私の友人たちが私にしてくれるようなことを、
私も自然にできる人になりたい。
そう思う。
今日もまた素敵な友人たちに助けられた。
I get by with a little help from my friends.